求めるモノと偽りの腕




  【8】



「あ……」

 開かれた青い瞳が、焦点が合わぬまま相手を見上げる。
 それに最強と言われた黒い騎士が返したのは、酷く辛そうな笑みだった。

「まったくお前は、どうすればもう少し自分を守ろうとしてくれる」

 それには同感だが、と思いながらも、苦々しく顔を顰めてアウドはごくりと喉を鳴らした。それから、大きく息を吸って、その男に向かって尋ねる。

「隊長を、どうするつもりだ?」

 それに反応して不機嫌そうに向けられた琥珀の瞳に、アウドは一瞬呼吸が止まった。

「暫くこちらで預からせて貰う。安心しろ、『治療』の間だけだ」

 セイネリアからは怒りの気配が湧きでているが、それは自分に向けられた訳ではないとアウドは判断し、気圧されて固まりそうな口をまた開く。

「治療なら……」
「あ〜アウドさん。ここは大人しくあの人に任せましょう」

 言いかけた言葉を中断させて聞こえた声に、アウドはその声の主である、味方の筈の魔法使いに顔を向けた。

「少なくとも、彼はシーグル様を助ける為なら最善の手を尽くしてくれます。彼の部下さん達は優秀ですからねぇ、こちらで治療するよりも向うの方がいいと思いますよ」

 いつも通りのにやけた笑みを消して言う魔法使いに、アウドは反論の言葉を出せない。振り向けば、黒い騎士は使われていなさそうなベッドからシーツを剥がし、シーグルの体を拭おうとしていた。だが、殆ど反応のないその身を軽く抱き起し、その身体に布をあてた途端、薬で感覚が過敏になっているだろうシーグルの口から甘い声が漏れる。

「ふぁ……あぁ」

 声は言葉らしい音にさえならず、もどかし気に体を捩ると、伸ばした手で今自分の傍にいる黒い男の顔を撫でる。そしてセイネリアの方は、それに引き寄せられるまま、虚ろな瞳の銀髪の青年に口づけた。

「ん……ぁ、んん」

 口づけはすぐに激しさを増し、シーグルの腕は完全にセイネリアに抱き付くように背に回される。そしてセイネリアの方もまた、シーグルの上半身を抱き上がらせて、求められるそれ以上に強く唇を押し付けていた。
 やがて、キスだけでは足りないというように、シーグルは足を開いて男に体を押し付ける。胸を擦りつけて、腰を揺らして男を誘う。
 唇を離して、それを見下ろした黒い騎士は、辛そうに笑うとシーグルの体を完全に抱いて持ち上げた。

「抱いて欲しいならいくらでも抱いてやる、お前が俺だと分かるようになったらな」

 そして、自らの黒いマントでその体を包もうとした時、それが止められない事に歯がみするアウドの耳に、その声は聞こえた。

「セイ……ネリア、なの、か?」

 それはどう考えてもシーグルの声で、たどたどしくも言葉として出されたそれは、正気が戻ったとしか思えないものだった。

「隊長っ」

 思わず叫んだアウドと同じく、セイネリアもまた瞳を見開いてシーグルの顔を覗き込み、そして僅かに口元に安堵の笑みを浮かべる。

「あぁそうだ、俺だ」

 だが、それに続く声に、彼は僅かに眉を寄せた。

「まさ、か……ほん、と、に……セイ、ネリア、か……」

 正気ではあるのだが、酷く固いその声はやけに強張って震えていて、驚きというよりもまるで何かを恐れているように聞こえた。そして、すぐに。

「は、なせ、セイネリアっ……俺……お前と行……かな、い」

 酷く苦し気でぎこちない、けれどもはっきりと意志が戻った声がそう黒い騎士に告げる。

「大人しくしていろ、治療に連れていくだけだ」

 この時点まではセイネリアの声は穏やかで、眉を寄せてはいるものの、意識の戻った最愛の青年を見て、安堵するように目を細めていた。
 けれども、次の声で、その男の表情が凍り付く。

「嫌だっ、はな、せっ、お前……抱かれる訳にいかないっ、お前にだけはっ、触れられ……ないっ、やぁっ、放せぇっ」

 同時に必死の形相で暴れ出したシーグルを、琥珀の瞳はどこか呆然として見下ろしていた。
 シーグルは尚も、駄々っ子のような滅茶苦茶な暴れ方で、ひたすら嫌だ、放せと叫び続けた。おそらく、正気が戻ったと言っても完全ではなく、まだ半分夢うつつといった状態なのは、呂律の回り切れない口調と、その目の焦点が定まりきっていない事で分かる。
 けれどもそんなあやふやな意識の中でさえ、必死にシーグルは黒い騎士にただ拒絶だけを叩きつける。
 アウドは拳を握りしめて、一歩、黒い騎士の前に出た。

「本人が嫌だというんだ、その人の身はこちらに返して貰えないだろうか」

 琥珀の瞳が、先程までとは違う怒りを込めてアウドの顔を見る。
 けれど今は、いくら圧力を掛けられても引く訳にはいかなかった。
 シーグルが嫌だと言うなら、僕として、アウドがやるべき事は決まっていた。

「返してくれないのなら……我が主が嫌だと言うんだ、俺は全力であんたからその人を取り返す」

 言ってアウドは、真っ直ぐ最強の男を見て、盾を構え、剣を抜く。勝てる気など全くなくても、アウドは迷いなく黒い騎士に剣を向けた。
 だが、そこで。

「ア……ウドか……アウド、お前が、俺を……抱け」

 視線だけで殺さんとするばかりに威圧してきた黒い騎士の瞳が、聞こえてきたその言葉と同時に力を無くす。この男がこんな顔をするのかと驚く程の動揺を表情に出して、セイネリア・クロッセスは腕の中の青年を信じられないというように見おろした。

「体……処理、だけなら、アウドが、いる。お、前だけ、は……嫌ぁだ……触る、なぁ」

 黒い騎士は黙ってただ暴れるシーグルの顔を見ていた。まるで石像のように体も動かさず、呆然と俯いたままで。
 アウドの位置からは下を向いた彼の顔はみえないものの、噛みしめられた口元だけは僅かにみえた。

「や、だ……はなせ、ぇ……だめぁ……」

 シーグルの声は益々呂律が怪しくなっているものの、拒絶の意志だけは変わらない。焦点が揺れる瞳はそれでも大きく見開かれ、涙が溢れて、言葉が更に濁っていく。
 それを、ただ黙って、動く事も出来ずに、最強の男は見下ろしていた。現れただけであれだけこちらを威圧していた男の肩からは、今、その力が消えているようにさえ見えた。
 やがて、黒い騎士は再び顔を上げて、アウドの顔を見る。
 全く表情のなくなったその顔が、じっとアウドの顔を見て……そうして視線を外すと、ゆっくりとシーグルの体を床に下した。

「アリエラ、首都ならどこでもいい、送ってくれ」

 セイネリアは背を向けると、仲間の女にそう声を掛けた。すると女は、いいけど、と言いながら短剣程度の長さしかない杖を取り出した。それで初めて、アウドはその女性が魔法使いであるという事を理解した。恐らく一緒についている後の子ども二人もまた、何かの特殊な能力持ちなのだろう事は間違いない。彼らもシーグルを心配そうに何度か振り向きながら、黒い騎士についていくように彼の傍へ寄っていく。
 女魔法使いが術を唱え、空間に歪みのようなものが生じる。
 それをくぐって消えていく黒い一団の中、アウドは最後まで、振り向く事を一切しなかった一際背が高い黒い騎士の背を見ていた。







 セイネリア・クロッセスが立ち去って、残された部屋の惨状を一通り見ると、キールは大きくため息をついた。

「さてそうなるとぉ……少しばかり面倒ですねぇ」

 男達の始末……は魔法使いの身柄を確保した以上、後は騎士団の連中に任せてしまえばいいだけだが、問題はシーグルの治療だった。シーグルの状態からみても、人前に出られる程度まででも数日は掛かるだろうし、その間家族や団の連中には会せる訳にはいかないだろう。特に奥方には事情も症状も伝える訳にはいかない、と考えれば、自分の力だけでは無理だと彼は判断するしかなかった。
 ともかく、こうなればギルドの方に投げるしかない、というのがキールの出した結論だった。

「すまん、余計な事だったろうか」

 未だうわ言のように嫌だと呟くシーグルの体に、マントを掛けてやりながら呟いたアウドに、キールは苦笑する。

「いやぁ、シーグル様が嫌だと言ったんですから、貴方としては仕方ないとこでしょうねぇ」

 シーグルがあの男に保護されるのを嫌がった理由は、なんとなくだがキールも理解出来た。まったく、この真面目すぎる坊やは……と悪態をつきたくもなるが。
 とはいえ、愚痴る暇などないのだからと、キールはすぐにギルドへの連絡に取りに掛かる。それから、キールがちょっとばかり妨害を仕掛けておいたせいでこちらを見つけられずにいるだろう隊の他の連中へも連絡して、ここの処理をしてもらう事にする。ただ、ギルドからの迎えが先に来ないとならないから、それは後回しで……と、自分の仕事手順を頭の中で整理していたキールは、未だシーグルの前に座って項垂れている男に声を掛けた。

「そんな姿のシーグル様を皆に見せる訳にはいきませんからねぇ、治療もありますし、シーグル様の身柄はギルドの方に預かってもらいます。と……それでですねぇ、私は後始末やらいろいろありますので、貴方はシーグル様についていって下さいますかぁ」

 それを聞くと、アウドは顔を上げてキールの顔を見る。

「それは、魔法ギルドまで一緒に行っていいという事か?」
「えぇ、お嫌ですか?」
「いや、行っていいならぜひ行かせてくれ」
「そりゃ〜貴方には行ってもらわないとなりませんからねぇ、なにせシーグル様本人のご指名ですしぃ」

 その言葉の意味がすぐに分からなかったアウドに、キールは嫌味をたっぷり含んだ笑顔を返してやった。

「シーグル様に使われた薬の関係でですねぇ、恐らく当分体が疼いてどうにもならなくなると思いますからぁ、貴方はその処理役としてもついててくださいってぇ事ですよぉ」

 言えばアウドは、表情を更に硬くしてシーグルの方を見る。
 やはり意識がまだ戻るような状態ではないシーグルは、口では嫌だと呟きながらももどかし気に体をくねらせ、男が欲しいのだというように腰を揺らして無意識に誘うような仕草をしている。
 ご指名がなかったら私がしたんですがねぇと、残念に思うキールとしては、だがこれでシーグル本人が割り切って、アウドに今後もそういう役をさせるのを認めてしまえば楽になるという思惑もある。……アウドにとっては、役得、というにはそれに付随するだろう厄災の方も尋常ではないが、そこは所詮他人事だ。

「まーしかし、貴方は今回の件であの男に恨まれたでしょうからねぇ〜覚悟しておいた方がいいですよぉ〜。いやぁ、あの男に恨まれるなんてそらもうトンでもない事ですからねぇ」
「だろうな」

 苦笑した男は、だが、その顔には恐れたり怯える様子はない。
 自分と違って魔法使いではない所為もあるだろうが、これが忠誠とか覚悟とかいう奴の差なのだろうかとキールは思う。
 なにせあの場面、いくら本人が嫌がっていたとしても、セイネリアは絶対にシーグルに危害を加えない訳で、ならば主を守るという理由だけならあの男に刃向う必要はない。いや、必要というよりも、あそこであの男に剣を向けるリスクを考えれば、止める程の理由はないと言えるだろう。
 シーグルを守るという点から見れば、この男もまた、出来るだけ死なせないようにしておくべき男なのだろうとキールは思う。

「でもあれですねぇ、あの男もあんな顔をするんですねぇ」

 いつも、魔法ギルドの長老達を小馬鹿にして、王座さえ笑っていらないと豪語する男からは想像も出来ない顔だった。それを思い出せば、キールはシーグルという現在の彼の主の存在が、この国のこれから、そして魔法使い達にとってどれだけ重要な位置にいるのかを再認識して、心が酷く重くなるのを抑えられなかった。



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さて、傷心のセイネリアさんはどこへ……。



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