求めるモノと偽りの腕




  【3】



 満月に近い、火の神レイペの月は明るく空に輝いている。明日は満月、リパの夜だから、帰りは出来れば大神殿に寄って行きたい、と考えて、そうすればまたリシェに帰れなくなるなとシーグルは思い直す。結局今日は首都の屋敷に帰る事になってしまったのだから、明日はリシェに帰れるようにしなくてはならない。
 結婚して初めてのリパの夜であれば、リシェのリパ神殿へ夫婦揃って出掛けるべきであるだろうし、そうすれば少しは彼女との時間を作れたことになるだろうかとも考える。

――いや、そもそもそんな風に考える事自体、俺は彼女を放っておいてしまっているんだ。

 それが申し訳ないと思うものの、義務を果たさなければとそちらの手を抜けないのだからどうしようもない。いっそ前にキールに言われた通り、過労で倒れた事にして全部投げ出してやろうかとも思うものの、きっともう少しすれば時間が取れるようになる筈だと考えてなかなか踏み切れない。

「本当に貴方は、このところずっと表情が暗いですね」

 アウドに言われて、シーグルはまたため息をついた。

「暗い……か。そうだな」
「奥方の待つベッドに帰れなくて欲求不満というのでしたら、いつでも私が体の熱を吐き出すお手伝いをさせていただきますが」

 わざと仰々しく、馬上で手をつけてお辞儀らしきものをしながら言ってくる彼の言葉に、シーグルは一度面食らって、そして笑った。

「お前も懲りないな」

 久しぶりだったので一瞬思考が固まってしまったが、元々アウドは挨拶のように、シーグルをそういう意味で誘ってくるのが通常だった。最近それがなかったのは側にナレドがいたせいなのだろうと思い至って、シーグルの笑みは苦笑に変わる。今日はナレドはそちらに帰るという事を伝える為に、先に首都の館に帰って貰っていたせいで今ここにいないのだ。
 お辞儀から顔をあげたアウドがにやりと笑った。

「それはまぁ、可能性があるならとりあえず言って見る事にしているまでです。これでも俺は本気ですからね、割り切って体の熱を収める為の役でしたらいつで声を掛けて下さい。なぁに、ただの処理手段として軽く楽しむと思えばいいんですよ」
「生憎、そこまで困っている訳でもない」
「それは残念。ですがいつでもお声が掛かるのを待っていますので」

 アウドは冗談めかすようにわざと芝居掛かった言い方で言ってくるものの、シーグルもそれが本気だという事は承知している。……おそらく彼の言う通り、もし割り切って抱かれるのなら、彼が一番適役なのだろう。
 ただそれが必要になる事はない、とシーグルは思っているのだが。

「……その用件でお前に声を掛ける事態にだけはならないようにするさ……それにしても、俺はその、そんなに見てすぐ暗い……というか落ち込んでいるのが分かる顔をしていただろうか」

 言われれば、隊の連中が皆自分に対して妙に気を使ってくれているような気がする、と思い当たるものがあるのだが、自分の事にいっぱいいっぱいでそんな事にも気がつかなかったのかと、シーグルは更に落ち込みたくなる。

「そりゃもう、最近の隊の連中の雑談内容は『隊長があんなに元気がないのはどうしてか』ってのばかりですよ」
「そうか、皆にそんな心配させているのか」

 考えれば考えるほど、シーグルは我ながら自分の未熟さに嫌になる。
 それで思わず片手で顔を覆ってがくりとうなだれれば、アウドの笑い声が聞こえてくる。

「なにせウチの隊の連中は皆、貴方が好き過ぎますからね。貴方が暗い顔をしてると皆心配でたまらないんですよ」

 シーグルは顔をあげてアウドの顔をみる。にやにやと笑う彼には苦笑しか返せない。

「それは申し訳ないな。そうだな……悩みというか、俺はまだまだ人生経験が不足しすぎで、いろいろ上手くまわせないのが我ながら情けないんだ。すべき事を全部しようとするとどこかで犠牲にする物がでてしまう、手が回りきらない自分の不甲斐なさに頭にきて……自分で自分が嫌になってくる」

 それには更に大きなアウドの笑い声が返る。まさにがははというような盛大な笑い声は人気のない夜の道に響き過ぎて、周りの迷惑にならないかと不安になるほどだった。

「まったく貴方は責任感がありすぎなんですよ。人間、使える時間は限られてるんです、全部に手が回らないなんて当たり前です」

 その大きな彼の声に返す、シーグルの声は小さい。

「この間も弟に言われたんだ、気負いすぎだと」
「そうですよ、たまには人に頼めそうなものは頼んで、ご自分が今優先したい事をしてもいいんですよ。なぁに、大抵の連中は貴方に頼まれれば喜びますから」

 そこでシーグルは、アウドの言う通り仕事を投げ出したとして、おそらく一番迷惑を掛けるだろう部下の事を思い出す。『大抵の連中』には含まれてくれないだろう彼のことを考えると、流石にアウドの言う事を真に受ける気にはなれなかった。

「それはつまり……たまには仕事をキールに押し付けて、さっさと帰れという事なのか?」
「そうですねぇ、あの文官殿は文句を言うと思いますが、たまになら構わないでしょう。それにあの御仁なら、仕事を押し付けた分は後でしっかりお返ししてくるとと思いますので気にする必要もないと思います」
「あぁ……それは確かにな」

 その様子がすぐに想像出来てシーグルは笑う。
 確かに彼なら仕事を押し付けた後、その分きっちり『謝らなくてよろしいですのでこちらを早く処理してください』と笑顔で大量の仕事を置いて仕返ししてくるのだろう。それを考えると後が怖いものの、気を使わなくていいのは確かだ。
 今の会話で大分気が楽になったシーグルは、背筋を伸ばしてアウドに笑いかけた。

「……明日は何があってもリシェに帰ろう。キールに仕事を押し付けてでもな」
「はい」

 それから二人は揃って馬の脚を少し早める。
 なんなら、明日は少し早く出て剣を振る時間も削って、早めに執務室での仕事を始めよう、そうすれば会議前にいくらか終らせる事が出来るだろう――等と考えていたシーグルは、だがふと目を掠めた人影に気付くと急いで馬を止めた。

「隊長?」

 追い越して先に行ってしまったアウドが、驚いて彼もまた焦って馬を止める。
 そんな彼が引き返そうとする間に、シーグルはその場で馬から降りると、すぐ近くの路地に向かって歩き出した。

「隊長っ、どこいくんですっ」
「大丈夫だ、すぐ戻る、お前はそこで待っていろ」
「隊長っ」

 今、シーグルの目に映ったのは、間違いなく灰色の髪と灰色の瞳の――首都に一人だけ残ったセイネリアの部下、フユの姿だった。彼は前のように常に傍で見ている事はないが、時折こちらに付いてきているのをシーグルは知っていた。特に満月の時は必ず近くにいるらしく、気配を感じたのも一度や二度ではなかった。姿を見たことがあるのも何度かあるが、それは大抵、自分がいるという事をこちらに伝える為わざと見せている時で、軽くお辞儀をして姿を消すのが常であった。
 その彼が馬上のシーグルに向けて、くるようにと手招きをしたのだ。
 いつものように姿は次の瞬間には消えていたが、あの男が用があるというならセイネリアからの用件であることは確実で、となればアウドを連れていく訳にはいかない。もし万が一セイネリアがいたりした場合、アウドは極力彼と会わせたくない理由があった。

 後ろでアウドが何か言ってくる声が聞こえる中、シーグルはフユがいた路地に入る。そこはただの住宅地へ続く道で、昼間なら人通りもあり警戒するような道でもなかった。
 けれど、路地を入り、その場にいた人物を見た途端、シーグルは一瞬でこれはマズいと理解した。
 勿論、そこにいたのはフユではなかった。
 フードで顔を隠し、全身をローブに包んだ男の手には長い杖がある。つまり、魔法使いだ。
 判断と同時に引き返そうと後ろに飛びずさったシーグルだが、そこで足が踏みしめた感触が街の石畳ではない事に気付いて舌打ちした。
 あれだけ叫んでいたアウドの声も聞こえない。
 代わりに、複数の男達のざわついた声が聞こえてくる。
 魔法使いが杖を掲げて何かを呟けば、辺りの風景が透き通っていって別の風景と重なっていき……そして、完全に切り替わる。
 今目の前に見える風景は、勿論、先ほどまで見えていた路地ではなかった。薄暗いどこか広い部屋のような場所……ただし、窓はなく、ついでに言えば、シーグルは数人の男達に囲まれていた。

「ようこそ、シルバスピナ卿様」

 風景が切り替わると共に、魔法使いの傍に現れたもう一人の魔法使いが恭しく礼をする。
 シーグルの手は既に剣を抜いていた。

「何の用だろうか、魔法使い殿」

 魔法使いが二人いるという事は、恐らく一人が幻覚を見せて、一人が空間を捻じ曲げるか何かしてシーグルをここへ連れてきたのだろう。
 ざっと見たところ、魔法使い以外、周りにいる男は6人。見たところいかにもその辺の質の悪いごろつき程度の者ばかりで、ただ彼らと戦うだけなら問題はないと思われた。だが、逃げ場のない部屋の中で見える出口は遠く、おまけに魔法使いが二人もいれば何が起こるかわからない。

「いい夜ですなぁ、貴方の中の黒の剣の力もいい具合に膨らんでいますねぇ」
「何だと?」

 魔法使いの嬉しそうな声に、シーグルは聞き返す。
 実はシーグルは、前にもリパの聖夜祭……満月の時に、妙に魔法使い達に狙われるという事があった。そしてそれは黒の剣の力が流れ込んでいる所為だと聞いてもいた。ただし、それが示す詳しい話までは聞けはしなかったが。
 それ以後、特に魔法が強くなるというリパの月の日や聖夜祭前後は気を付けるようになったし、どうやらあのフユという男もそれを知っているからか、それらの日は必ず前のように傍で丸一日こちらを見ているようになった。

 ただだからこそ、リパの月は明日、という事で油断していた部分が多少はあった。そしてまた、明日がそうであるから、フユが用件があるのだろうという事をあっさり信じてしまったというのもあった。

――どちらにしろ、俺自身のミスだな。

 多分今頃、アウドはシーグルが消えた事に気づいているだろう。彼は辺りを探して、見つからなければ兵舎に帰って皆に伝える筈だった。また皆に迷惑を掛けるのは心苦しいが、首都での出来事ならキールにも連絡がすぐ行く筈で、彼が動けば見つけて貰える可能性も高い。

 魔法使いが絡んでいるなら、おそらく、彼らの狙いからしてすぐにシーグルを殺す事はないだろう。だがそれが意味する事はつまり……。

「たしかにこりゃとんでもない上玉だな。おい、本当に俺らで楽しんでいいんだな?」

 下卑た顔を隠しもせずに、にやけた顔で近づいてきた男達をシーグルは睨んだ。

「あぁ、ある程度出来上がったら、つっこむ方はお前達の好きにしていい。我等は彼の口と性器さえ任せて貰えればそれでいい」
「へぇ、口はまだしも男のブツが好きとはなかなかのヘンタイだな、魔法使いさんはよ」
「彼だけは特別さ。さぁ早く、押さえつけてくれないかね」

 待ちきれないというように、フードの下からちらと見える血走った眼の魔法使いは唇を舐める。
 男達が一斉に遅い掛かってくるのと、シーグルが走り出すのは同時だった。
 シーグルは剣を抜いてはいたものの、それを飛びかかってくる男達を払う為だけに使い、ひたすら見える出口を目指して走る事を優先した。だがシーグルが出口に近づくと急に視界が入れ替わり、シーグルは出口とは反対側の壁を見つめる事になる。

――やはり、魔法使いが厄介か。

 幻術系の魔法使いがいるなら見えているものを信じられない。空間操作の魔法使いの所為で一瞬で違う場所に移動させられる。
 ならばまず先に魔法使い達をどうにかしなくてはと思っても、向うもそれが分かっているから、彼らは一度に攻撃されないように離れて立っている。一人を攻撃する間にもう一人の術が発動するのでは意味がないし、そもそもごろつき共の邪魔をかいくぐるだけの時間ロスもある、その間に魔法を使われたらそれで仕舞いだ。

「あぁ、早くとは言ったが、今すぐ彼を押さえつけられなくても問題ない。その内には捕まえられるだろうからな」

 いってくれる、と思うものの、シーグルには魔法使いの言う意味が理解出来てしまった。確かに、このまま魔法に翻弄されつつもどうにか逃げ回っていられたとして、確実にシーグルの体力が先に切れる。
 時間を稼ぐ意味はあっても、ここを見つけて貰えるまで逃げ回っていられる筈もなく、彼らの目的はすぐこちらを殺す事ではない。なら――と、そこまで考えて、シーグルは歯を噛みしめた。

「ほーら、逃げ回れよ騎士様ぁっ」

 大きく手を開いて抱き付いてこようとする男を避けて、足を払いにきた男の足を飛び越す。部屋としては広いが逃げ回るには狭すぎて、体力の消耗は激しく、確実に息が上がってくる。
 そしてまた、ふいに視界が切り替わって、自分の位置を見失う。振り向うとする間に、後ろから抱き付かれる。

「捕まえたぜっ、俺が最初だなっ」



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はい、ンな訳で次回エロです(==+
でも今回はシーンが分割されるんでそこまで長くない……かも。



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