願いと想いが向かう処




  【4】




 様子の変わったシーグルに、彼女の表情もつられるように硬くなる。
 不穏な空気が流れる中、不安そうにうろたえる侍女や、空気を読んで音楽を止めた楽士達をシーグルがちらと見れば、彼らはすぐ気づいてそそくさとその場を離れる。姿は見えてはいるものの会話が聞こえない程度に離れてくれたのを確認して、シーグルは彼らに感謝の礼をすると彼女に向き直った。

 恐らく、このままただ雑談だけをして別れれば、彼女との間柄は全て上手くいくのかもしれない。それでも、シーグルは自分の家族になる人物に隠し事は極力したくなかった。

「貴女のお父上の、前ヴィド卿が亡くなった原因に……私は関係しています」

 聞いた途端、彼女の表情は強張ったものの、水色の瞳は思ったよりは落ち着いてシーグルの顔を真っ直ぐ見返した。

「……つまり、その責任を感じて、私と婚約しようと思ったのですか」
「そうです」

 シーグルが即答で返せば、彼女は少しだけ寂しそうに笑う。
 だから、見ていられなくて目を伏せた。

「祖父から、この中から選べと貴女の名を聞いた時、私は、貴女を選ばなかったら今後一生後悔すると思いました。だから、その為に貴女を選んだのです。私の身勝手な自己満足の為に、貴女と結婚しようとしているのです。ですから貴女は怒ってもいい、こんな勝手な男を軽蔑して、婚約を破棄してくださっても構わないのです」

 具体的にヴィド卿の件で何があったかまでは話せないとしても、彼の死に自分が関わっている事、そして自分がどんなつもりで彼女との婚約を決めたのか、それだけは彼女に知らせなくてはならないとシーグルは思っていた。
 彼女は考えているのか、暫くは何もいう事もなく、無言のまま時間が流れる。
 けれどふいに、彼女が笑った気配がして、シーグルは驚いて顔を上げた。

「貴方は、馬鹿な方ですのね。馬鹿正直過ぎて、とても損な性格なのでしょう」

 水色の瞳と目があえば、彼女はにこりと気品ある大貴族の娘らしい笑みをうかべた。

「だって、今の私との結婚なんて、良心の呵責の為に選ぶにはあまりにも割にあいませんもの。それくらい、今の私を選ぶリスクが大きいという事を、私、分かっていますもの。並大抵の覚悟では決断出来ないという事は分かりますもの」

 背を伸ばし、真っ直ぐシーグルを見つめる水色の瞳は強く、彼女が芯の強い女性である事を教えてくれる。

「それに私、父のやり方を知ってますから……多分、殆どは父の自業自得だったのではないのですか? 貴方は責任を感じてらっしゃるようですけど、本当は父の方が悪いのではないのですか?」

 それにはシーグルは答えられない。具体的な話が言えない以上、彼女の父であり既に死者である者を悪く言う事はしたくなかった。

「父のやり方を知っている以上……私も、今の状況は仕方ない事だと思っていました。つい少し前までは修道院に入る事も考えていたくらいです。ですから、シルバスピナ家からの申し出は、正直どんな裏があるのかとあれこれ考えました。勿論、私にとってはとても有難い話でしたから、受けないという選択肢はありませんでしたけれど……それでも何が狙いなのだろう、やはりこの血だろうか、シルバスピナ家はとうとう政治の中枢に関わる事にしたのだろうかと、いろいろ考えていたのです」

 彼女の声ははっきりと淀み無く言葉を紡ぐ。ヴィド卿が本来は彼女を王妃にしようとしていたというのが納得出来る程に、こちらを見るその瞳は聡明に落ち着いていて、言葉は力強かった。

「それがまさか、そんな理由だったなんて」

 だが、今までの威厳ある笑みを崩して、彼女はくすりと、いたずらをつい見てしまった母親のように柔らかく笑う。それで、空気までもがふわりと軽くなった。

「だって、クリュースの貴族を見回して、そんな理由で私と結婚しようなんて思う人は他にいませんもの。というか、貴方以外がおっしゃったなら、私絶対信じませんでした」

 楽しそうに笑う彼女の表情はどこか子供っぽく、無邪気にも見えるもので、シーグルもまた苦し気な表情のまま、つられて口元だけで微笑んだ。

「ロージェンティ嬢……」
「次からはロージェとお呼び下さい。私、貴方の妻になるのですから」

 今度は、少し照れくさそうに赤くなりながらいう彼女に、シーグルの顔はきちんと笑顔になる。
 そうすれば彼女は、更に顔を赤くして今度は俯いた。

「あの……一つ聞いてもよろしいでしょうか? 貴方は先ほど……将来結婚する女性だけを愛そうと誓ったとおっしゃいましたけど……私が貴方の妻になったのなら……本当に、私、だけを愛して下さいますか?」

 その声は、つい先ほどまでの威厳あるはっきりとした言葉遣いとは別人のように小さく、か細く震えて、頼りなかった。
 だからシーグルは、背筋を伸ばし、彼女の顔を真っ直ぐ見つめて答えた。

「……正直、私には人を愛するという感覚がまだ分かりません。けれども、貴女が妻になって下さるのでしたら、貴女だけを愛するように努めます……そう、誓います」

 言えば彼女は顔を上げ、最初は軽く苦笑したものの、その後に、水色の瞳を嬉しそうに細めて微笑んだ。







 黒の剣傭兵団において『魔法使い』といえば、まず団内の医者である通称ドクター、つまりサーフェスの名があがる。だが、彼とほぼ同じくらい長くここに在籍している女魔法使いについては、名前だけは知っているものの、その姿を見たことがない者が殆どだった。

「魔法ギルドの中にも派閥というのがあるのよ」

 その、名前だけは噂話として団内に伝わっている彼女は、いかにもダルそうに椅子に座ると、思い切り体を背凭れに預けて足を組んだ。

「まぁ、そうだろうな」

 久しぶりに会った彼女は、少女時代の面影は残るものの、見る度に魔法使いらしく態度が尊大になっていくようで、『お前の師に似てきている』と言ってやろうかとセイネリアはいつも思う。まぁ、言ったら相当に嫌がるのは確定事項な為、あえて今言いはしない。

 アリエラ、と言う彼女の名は、一応、この傭兵団を立ち上げた直後から団内に記されていて、セイネリアが黒の剣を手に入れた時の事を知っている一人でもある。ただし、サーフェスが魔法ギルドとの関わりを完全に切っているのに対して、彼女は未だにちゃんと魔法ギルドの方にも所属していた。

「細かく言えば、それぞれの偉い人ごとに派閥があるんだけど、一つだけ、異端扱いだけどギルド内に居場所を認められていたはぐれものみたいな派閥があったの」
「それが、あの金髪の魔法使いの派閥か?」
「まぁそうなるわね」
「だが、『いた』というなら、今は違う訳だな」

 セイネリアが聞き返せば、足を組んで偉そうにしていた彼女が改めて椅子に座り直す。少し体を乗り出して、椅子にちょこんと浅く座る姿は、先ほどとは違い昔の少女の頃を思い出させた。

「そう、今はそこまで特別扱いって程じゃないわ。ただまぁ、過去のしがらみやらいろいろあるせいでね、あの人は他の偉いさんと仲悪いのよ」
「それでも、魔力は強いから無視出来ない、というところか?」

 セイネリアが見たところ、今まで見た魔法ギルドの関係者の中では、あの金髪の魔法使いが魔力の点では飛び抜けて強い。だからこそ、気に入らないからやっかい者扱いしておく、という訳にはいかないのだろうとまでが予想出来た。

「そうよ。今のところ単純な魔力の話だけならあの人以上はいない。それに、あの人のギルドでの役割上、機嫌を損ねると面倒だからっていうのもあってね、それなりの地位ではある訳よ」

 そこまで聞けば、セイネリア的には思うところがある。

「となれば、お前達における明らかな禁止事項に触れない限りは、多少は自由に動ける人物、と思っていいな」

 大人ぶってはいてもまだ子供のような女魔法使いは、それでセイネリアが軽く笑えば思い切り顔をしかめた。

「なーに、つまりあの人をこっちに引き込もうっていう訳?」
「そこまでは考えていないな。ただ、つながりを作ろうというなら、あまりに向こうでの立場がない人物だと意味がない」
「ふーん」

 疑わしいという目でじとりとにらんでくるその顔は、やはりどこか子供っぽさが残っている。魔法使いらしく振る舞ってはいても、『らしく』なり切れていないそんな彼女の振る舞いが、魔法使い嫌いのセイネリアとしては好ましいと思っているところだ。だからこそ彼女がここに所属している事を認めているともいえる。

「こちらに協力するかどうかはあくまで本人の判断だろ、俺はこちらの手札を使って状況を作るだけだ」

 そう言ってセイネリアが笑ってみせれば、彼女は更に子供っぽく、いかにも嫌そうに口を開いた。

「腹黒〜。ほんっとに貴方って格好だけじゃなくて、中身も真っ黒よね」
「話す時は必ず腹に何か持ってる連中に言われたくないな」
「まぁね、確かに魔法使いが話し掛けてくるときは、必ず何か企みがある時ばかりだと思っていいわね」

 今度は一転して笑いながら答えたアリエラに、黙って話を聞いているだけだったもう一人……正確に言えば後二人のうちの一人が大きく溜め息をついて会話に入ってきた。

「全員そうって括りにはしないで貰いたいんだけどね。僕はもう、そういう下心はないからさ」

 ついでに言えば、この部屋は彼の部屋でもある。
 いつでも医者らしく白衣を着た紫の髪と瞳の男は、さも不本意だというように茶を飲みながら眉だけを跳ねあげた。

「サーフェース、何イイコぶってるのよ。魔法使いの中でも上位に入る捻くれ者じゃない、貴方」
「少し違うね。魔法使いイコール捻くれてる、だから、僕の場合捻くれてるところから逆に捻くれて正常なんだよ」
「その言葉が捻くれてる以外のなんだっていうのよ」

 アリエラは現在、団に所属はしているものの、通常は傭兵団の者とは別のところに住んでいた。彼女の師がいなくなった事でその研究成果毎その住居全てを継いだ彼女は、普段はそこで魔法使いらしく研究の日々を送っている。ただし、サーフェスとの連絡は頻繁に取ってはいるらしく、彼に言って呼べばこうしてやってくる事になっていた。
 とはいっても、そもそもセイネリアから彼女に用がある、なんて事は今までなかったといってもいい。

「僕は嘘は言ってないんだけどね。そもそも、僕にはもう下心を持つだけの望みはないんだから」

 彼の事情を知っているアリエラは、それを聞くと口を閉じた。
 彼の瞳は昏く、唇だけに笑みに浮かべ、サーフェスはこの部屋の最後の一人である、いつでも彼の傍にいる女神官に手を伸ばした。ホーリーと呼ばれるリパの女神官は、いつも通り黙って、そんな彼の手をそっと両手で包み持った。

「僕の望みはここにいる事で果たされてる」

 けれども、彼の本当の望みはまた、絶対に叶わない事でもある――だからこそセイネリアは彼のことを魔法使いとしてはかなり信用していた。
 おそらく彼は、今のセイネリアが恐れる事を一番理解出来る人物であるだろうから。

「魔法使いどもの望みは分かっている。俺を望むように動かそうと思うのなら、必ずシーグルを利用しようとするはずだ。だが、そもそもシーグルに何かすれば、俺が怒ることも分かっている、だから、連中はシーグルに危害を加えようとはしない」

 なら、どう利用しようというのか?

 セイネリアはずっと考えていたが、そもそも魔法ギルド側が取れる手段、何が出来て何が出来ないのかが分からないため予想を確定にまではしきれない。

 単純にシーグルの身柄を確保してセイネリアを脅迫する、なんて手は絶対に彼らはつかえない。シーグルが死にでもしたら彼らはセイネリアを動かす手段を失うのだから、シーグルを殺す事はそもそも言語道断で、シーグルに何かあった時点でセイネリアが敵に回るのだから危害を与える事も出来ない。つまり、脅迫のしようがない。
 どんな手段を使うにしても、一時的に言う事をきかせればいいだけの話ではない以上、最終的にセイネリアを怒らせる訳にはいかず、彼らとしては、あくまでもセイネリアとは協力関係でいなくてはならない。
 だから、シーグルの無事を確保した上で、セイネリアが彼らの思う通りに動かねばならない状況を作る――彼らの方針はそれしかないはずだった。だがその為にどうする気か……それが今、やけにこちらに接触を取りたがってくるようになった魔法使い達の不気味な点であった。
 だから、たとえ気に入らない魔法使いという種類の人間であっても、情報を引き出せるなら手を組みもする。確実に有益だと思えるなら頭を下げても構わない。シーグルを失わない為なら、セイネリアは何でもやると断言できた。

「……なんていうか、本当だったのね」

 唐突に、緊張感も何もないアリエラのそんな声が聞こえて、セイネリアは視線を彼女に移した。魔法使いらしくなりきれない女魔法使いは、目を丸くして呆れたようにため息をついていた。

「貴方が本気で、そのシーグルって人の事が大事で、その人の為になら何でもするって。……聞いてはいたけど、正直信じられなかったのよ」
「そうだな、俺自身が一番信じられなかったさ」

 自嘲を込めたセイネリアの言葉に、彼女は笑う。そうして立ち上がる。

「いいわ、そういう事なら私が連絡役になるわよ。何企んでるのか分からない事に手を貸すのは嫌だけど、貴方の望みが大事な人を守るって一点だけなら判断基準は明確で信用出来るもの。……それに、この恩は相当高く売れそうだものね」

 言って彼女は立ち上がると、杖を掲げ、呪文を唱え出す。
 空間操作系の魔法使いであるアリエラは、異空間への穴を開けて、そこを通り道として遠い場所へもすぐに移動する事が出来る。出会った頃のまだ見習いだった彼女とは違って、今の彼女はその系統の魔法使いとしてはかなりの地位を獲得していた。

「あぁ、せいぜいたくさん売りつければいい……いくらでも高く買ってやる」

 消える直前の彼女にそう声を掛ければ、彼女は一言、そうするわ、と答えて去る。
 それとほぼ同時に、セイネリアも立ち上がった。

「……ねぇ、マスター」

 けれど、それで部屋を立ち去ろうと歩き出してすぐ、いつも物事を斜に構えているような態度を取る魔法使いの、酷く硬い声が部屋に響いた。

「僕はさ、アンタの恐怖を一番理解出来てる人間だと思うんだ。だから不思議でさ、そんなにあの人を失うのが怖いのに、なぜアンタは手を放していられるんだろうって」

 背に掛けられた魔法使いの青年の声に、部屋を出て行こうとしていたセイネリアは足を止める。

「大切なら、自分の手の中に閉じ込めてしまえばいい。極端な話、壊れてしまうのが怖いなら、捕まえて、ずっと眠らせておくのだってありなんじゃないかな。それこそ、彼が帰れなくなるまで。あんたにはその手段がある、たとえ、眠っている彼を眺めている事しか出来なくても、失うよりはずっとマシだよ」

 セイネリアは何も返さなかった。
 けれども、足を動かし、その部屋を出ていく事も出来なかった。
 ただ、瞳を閉じ、黙って、震える魔法使いの声を聴く。

「愛する人を失うのは辛いよ。他に何もない人間であれば尚更、自分の中の全てが一緒に死んでしまう。生きている時間が全て地獄になる。ねぇマスター、アンタはそれでもそうして立っていられるのかい?」

 何も言わないまま、セイネリアは瞳をゆっくりと開いて目の前の扉を見つめる。自嘲に唇を歪めて、頭の中でたくさんの可能性を考えては否定する。

――あいつを失って、俺が耐えられる筈がない。

 それは彼を愛していると分かった時から、既に出ている結論だった。
 だからサーフェスが言う言葉を、セイネリアが考えなかった筈はない。
 それでもセイネリアは『生きている』シーグルをこそ愛していた。彼の考えが許せなくても、彼自身が自分の意志で行動するその姿こそが愛しいのだ。彼に触れていたい、彼を感じていたい――それは心から渇望する望みではあるものの、彼が彼として存在しているというその事がセイネリアにとってはなによりも望む事だった。空っぽな心を満たしたこの感情は、彼が在る、という事を唯一のよりどころにしていた。

 かつて、セイネリアは、ある男を師と呼んでいた事がある。

 その男は、誰よりも強かったくせに、その力を使う事を放棄して冒険者を引退し、森に引き篭って妻と娘の為だけに生きる事を選択した。妻が死んでからは娘だけを守る為に、人に使われる立場に甘んじて、森の番人なんて生活をして満足していた。
 だれよりも強いくせに娘の前だとただのバカ親父で、セイネリアは彼の強さを認めながらもそれに落胆さえ覚えていた。それだけの強さを手に入れて、娘の為だけに力を全て放棄して、それでもそれが幸せだと笑う男の気持ちを欠片も理解出来なかった。

 それが、今のセイネリアには理解出来た。

 彼が、幸せだったと、あり得ない程満たされた顔で笑ったその気持ちが、今は理解出来てしまった。それどころか、あの男の事を羨む気持ちさえ今はある。

「本当に、俺も馬鹿になったものだ」

 けれどもそれを後悔はしない。
 この感情を、後悔などに変えはしない。
 一人、暗い廊下を歩くセイネリアは、暗闇でも映える琥珀の瞳で、これからゆくその先の運命を見つめるように何も無い闇を睨んだ。




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そんな訳で、シーグルサイドの微笑ましい二人の話から一転のセイネリアさんの結構キてるお話でした。




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