願いと想いが向かう処




  【3】




 ヴィド家長女、ロージェンティ・ソーレネイア・デアル・ヴィド、その侍女であるターネイは、その日、とんでもなく緊張していた。

 彼女の主であるロージェンティは気分屋なところがあって、機嫌が悪い時は細かいミスにもかなり辛辣な嫌味を言いだしたりすることがあった。だから少々、主としては気難しい人物ではある、とは言える。とはいえそういう時も暫くして頭が冷めるとさりげなく謝罪をしてくれるので、主としての彼女を嫌っているという事は全くなく、ターネイにとっては侍女となった時からずっと、彼女は常に尊敬と敬愛の対象であった。
 そんなロージェンティは、昨日の夕方からともかくずっと不機嫌であった。
 いや、不機嫌、というのには実はちょっと違う、というのは付き合いの長いターネイには分かっていたのだが。
 昨日の夕方、翌日のシルバスピナ卿本人の来訪を知らせる使者がやって来た。
 近日中に来訪するという事自体は、事前に一番早い冒険者事務局を通した手紙で知っていたものの、実際に来るのが随分と早かったというのがこちら側の感想だ。

『シルバスピナ卿はお忙しい方だと聞いております。きっと、相当に無理をして姫様の為に時間を割いてくださったのだと思います』
『そうね、手紙を受け取って、流石に焦って大急ぎでやってきたというところでしょうね』
『悪いとお思いになられたからこそ、そこまで急いでいらして下さったのだと思いますが』
『分かっています、誠意を示す気はあるのでしょう』

 ターネイの敬愛する主は女性の割には頭が良く、聡明と言っていいのだが、なにせその所為もあってかプライドが高い。今のこの家の状況的には頭を下げてでもシルバスピナ家との結婚を実現しなくてはならない、とは分かっている筈ではあっても、立場を軽んじられる事に彼女が耐えられる訳がない。
 屋敷の者達は皆、全力で婚約破棄などという最悪の事態を回避しようと朝からあれやこれやと大騒ぎであるのだが、結局全ては主であるロージェンティ自身に掛かっている。彼女がへそを曲げればそこで破談となっても仕方ない。
 だからターネイは昨日の夜から、胡散臭い程噂で褒め称えらえるシルバスピナ卿が、その噂の半分くらいはデキた人物である事、せめて彼女の主に対して礼儀だけはきちんと守ってくれるような人物である事を祈っていた。

 そして。
 シルバスピナ卿が来た事を知らせる声が屋敷に響き、ターネイは立ち上がった主の服装と髪の具合を急いで確認する。

「迎えに出ないとならないでしょうね」

 そう言われた事でターネイは、主が出来るだけ自分を抑えて相手を受け入れようと覚悟している事を知り、思わず微笑んだ。

「はい、姫様」

 だから急いで部屋の扉を開け、恭しく礼をする。
 彼女の主であるロージェンティは背を真っ直ぐ伸ばし、いつも通り、堂々と優雅に歩いていく。銀色の髪を軽く結い上げ、今日は全体的に華美にならない程度に着飾り、真っ直ぐ前を向くその姿は、やはり生まれた時から名門貴族の娘として育てられた威厳と気品がある。
 主が人前に出ていこうとする時、その誰よりも堂々とした優雅な姿を見て、ターネイはいつも誇らしくなる。例え、ヴィド家が現在、宮廷内から追い出された状況であっても、貴族の女性でロージェンティ以上に素晴らしい人物はいないと信じていた。

 けれども、ロージェンティについて入口のホールに下りた時、らしくなく動揺したように足を止めた主に驚いてターネイも顔を上げれば、やはり彼女も驚いて暫く何も言えなくなる。

 そこに居たのは、神話や御伽話をモチーフにした絵画からそのまま出てきたのかと思うような、美しい騎士の青年だった。
 まず目を引くのは、美しい銀髪に印象深い濃い青の瞳の整った容貌。そして、儀礼的に鎧を着ただけの者には出せない、旧貴族の美しい光沢の鎧に包まれた、すっと背の伸びた堂々とした立ち姿。なのに彼は、騎士というにはその姿が細い所為なのか、戦士特有の荒々しさというか、男らし過ぎる暑苦しいイメージが全くない。

「初めてお目に掛かります、ですが、こんなにも来訪が遅れてしまった事には言い訳のしようもありません、申し訳ありませんでした」

 そうして彼は、主の前に跪き、その手に恭しく口づける。

「アルスオード・シーグル・アゼル・リシェ・シルバスピナ、貴方に謝罪と、改めて婚約の挨拶に参りました」

 噂の半分などとんでもなく……噂以上の青年に、ターネイは呆けたように見惚れてしまった。






 ヴィド家の領地内でも最大の街、クォンクス。その街中にはヴィド家の屋敷は3つあり、ロージェンティがいるのは一番街外れにある一番小さな館だった。とはいえそれでも、通常の貴族の屋敷の規模は充分にあるのだが。この屋敷にくる前に寄ったヴィド家の本家の屋敷など城と呼んでも差し支えないもので、シーグル達一行は、全員、見た途端に少なからず驚く事になった。ただ、それで改めてヴィド家の財力を知ったものの、領主の現状を知ってか、街中はどこか活気がなく、人の出入りもまばらな印象を受けた。
 更には、現ヴィド卿は首都の屋敷ではなく今はこの街にいる為、ロージェンティを訪ねる前にまずそちらに挨拶に行ったものの、城のように見えた屋敷の内部はどこか沈んだ雰囲気があって、豪華な筈の装飾品達さえ手入れが行き届かず寂れた印象を与えていた。どうやら、使用人が前ヴィド卿時代から大分減らされているらしい。

 だからこそ、ロージェンティ本人がいる屋敷に来た時、シーグルは僅かに安堵した。
 規模は本家より大分落ちるものの、庭も屋敷内も手入れはきちんと行き届き、使用人達もきびきび動いていた。何より彼らの表情が沈んでいない事に、この屋敷の主が、この状況でも使用人達に立派な主として認められている事が分かった。
 だからシーグルは出来るだけの敬意を持って、彼女に挨拶をしたのだ、が。

 部屋に通されて彼女と向かい合って座った現在、シーグルといえば、相手との会話が殆ど出来なくて困っているという状況にあった。

「本当に、こんなに伺うのが遅れてしまって申し訳ありません。どれだけのお叱りの言葉を受けても当然と思っております」
「別に、怒ってなどいません。私はこんな田舎に引き篭っていた訳ですし、忙しい貴方に来いなどとは気軽に言えない立場ですから」

 不機嫌そうにそう言われれば、今の言葉は暗にこちらを皮肉っているのだと考えるしかなく、返しようがなくなって言葉が続かなくなる。
 本当に、シーグルは困っていた。
 なにせ、謝ったら、後はひたすらどんな文句を言われても聞くくらいのつもりでいたため、この『怒っているが黙っている』という状況は予想外で、対処のしようがなかったのだ。
 冒険者や騎士ではない貴族女性と話す事が殆どなかったシーグルとしては、こういう場合、どういう話を振れば全く分からなくて頭が真っ白になる。心情的には、隣室で控えているウルダあたりに相談したい気分なのだが、まさか本当に相談にいける筈もない。

「姫様っ、あのっ、折角天気がよろしいのですから、お庭に出てみるのはどうでしょう。ご自慢のバラ園をシルバスピナ卿にもご覧になって頂くとよろしいのではないですか?」

 言いながらちらとこちらを見た侍女に、シーグルは軽く礼を返した。この状況をどうにかしようと、助け船を出すつもりで言ってくれたのは間違いない。

「出来ますなら、ぜひ」

 シーグルが言えばロージェンティは立ち上がって、了承の返事をした後、すぐすたすたと歩きだす。慌てて侍女がシーグルを案内するように手招きをしてくれたのでどうにか置いて行かれずには済んだものの、こんなに会話を避けられるというのは相当嫌われているのではないかと思うしかなかった。

 とはいえ、庭に出てみればどうやら最初から庭に誘ってくれるつもりであったらしく、そこにはテーブルと茶の準備、おまけに楽士までもがその傍に控えていて、シーグルは自分がくる為に向う側でもいろいろ気を使ってくれていた事を理解した。

「この者は姫様のお気に入りの楽士でございまして、ぜひシルバスピナ卿にもその素晴らしい竪琴の腕をお聞かせしたいと呼んでおいたのでございます。よろしければ何か、シルバスピナ卿が好きな曲があれば弾かせますが……」

 ちらと見ても、ロージェンティの表情は硬く、彼女から何かを言ってくれる気配はない。

「お恥ずかしい事ながら、私は貴族としてはそういう物には縁がない無骨者故、曲名など出てきません。ですので、貴女の好きな曲をお聞かせ願えればと存じます」

 出来るだけ表情が柔らかくなるように意識して彼女に言えば、ロージェンティは返事をする事もなく顔を逸らしてしまった。
 そうすれば急いで侍女が楽士に『いつもの曲を』と指示を出して、楽士も慌てて準備を始める。……本当に、相当に回りには気を遣わせてしまっているらしい。
 やがて、竪琴の音が鳴り出せば、すかさず侍女が茶をいれる。
 あまり茶に詳しくはないシーグルであっても、香りを嗅いだだけでわかる程、それは相当にいい葉を使って丁寧に入れられたものだった。
 心地よい風が吹いて、頬を撫ぜていく。
 その中を美しい竪琴の音が流れていく。
 音は複雑な、けれども繊細で優しい音色を辺りに響かせて、あまり音楽に関心がなかったシーグルであっても、その楽士の腕が素晴らしいという事は実感できた。それくらい、音は耳に心地よく、思わずシーグルが色とりどりのバラ園の風景を眺めながらうっとりと目を細めて聞き入る程だった。

「姫様はこの曲がお好きで、パーティなどではよく楽士達がこぞって姫様の為にこの曲を演奏して下さいました。なので、この曲は姫様の曲とも呼ばれていたのですよ」

 侍女は話のきっかけを作ろうと、とても協力的というか、申し訳ないほどにいろいろと気を回してくれていた。こちらには好意的に笑ってくれる彼女が、ロージェンティにはとても心配そうな表情を浮かべているのを見れば、家の為だけではなく、彼女の主であるロージェンティ自身を慕って気に掛けているというのが理解出来た。

「とても、良い曲ですね。貴女の曲と呼ばれるのも分かります。とても繊細でけれども強い響きの、貴女のイメージに合う曲だと思います」

 勿論シーグルは思った事をそのまま言っただけで、彼女に対して世辞を言ったりしたつもりは全くなかった。

 大貴族の娘として育てられたロージェンティは、少なくとも貴族達のパーティで見かけた他の娘たちとは明らかに格が違うと分かる程、その立ち居振る舞いには落ち着きがあって、簡単な一言で済ませば、優雅、と言えるものだった。
 水色の瞳は兄フェゼントよりも更に薄い色合いで、真っ直ぐ向けられるとその意志の強さが分かる。銀色の髪は彼女の母親である前王の娘カドラ王女譲りで、やたらと派手に盛り上げて飾りをつけまくったりしていないところが、却って彼女の高貴とも言える容貌を引き立たせていた。
 いわゆる『貴族らしい』というものを嫌ってさえいたシーグルであっても、その貴族らしさを自然と身に纏う彼女を批判する気になどなれなかった。貴族というよりも騎士であれと育てられてきたシーグルには決して出せない、本当の貴族の気品というのが彼女にはある。……だから実はシーグルは、こんな女性を自分の妻として迎えられるのか、彼女があの質実剛健で殺風景なシルバスピナ家で耐えられるのか、考えれば考える程不安になっていたのだった。

「別に、無理に私に好意的な感想を言って下さらなくても構いません」

 どうやら相手は今の言葉が気に入らなかったらしく、返された声は明らかに不機嫌そうに聞こえた。だからシーグルは思わず、今の自分の発言はやはり世辞に聞こえてしまったのかと自分の考えの足りなさを後悔していた。
 そうしてまた、次の言葉を考え付かず黙ってしまったシーグルに、彼女が顔を軽く背けたまま言ってくる。

「それにどうせ、もう私がパーティに呼ばれる事などありませんから、その曲が今後、私の曲だなんて呼ばれる事はないでしょう。いえ、もしかするとその曲自体、演奏されなくなるかもしれません」

 彼女の表情は能面のように動かなかったが、その言葉を聞いて悲しそうにする侍女の顔が見えたから、シーグルは咄嗟に返していた。

「では、来週、エージェナム卿のパーティに私は呼ばれています。それに私と一緒に出席して下さいませんか?」

 言えば彼女は水色の瞳を大きく見開いて、シーグルの顔をじっと見つめ返してくる。

「貴方、正気ですか? それともご冗談のつもり?」

 彼女があまりにも驚いた顔をしたので、一瞬、シーグルはまた自分の発言は不味かったのかと不安になったが、一度口に出したものを撤回する訳にはいかない。それに、間違った事を言った訳ではないと思い直し、真っ直ぐ彼女を見て答えた。

「いえ、冗談ではありません。パーティに婚約者同伴で出席するのは当たり前の事だと思いますが」
「貴方は……本当にヴィド家の状況とご自身の立場を分かってらっしゃいますか?」

 心底呆れたように声を高く上げて言う彼女に、シーグルは表情を変えなかった。例え彼女に軽蔑されたとしても、シーグルとしては自分の考え方を正直に答える事しか出来ない。

「それでも、私を呼んだのなら、先方も貴女の出席を断る事は出来ない筈です」
「……そんな事をしたら、貴方も次から誰にも呼ばれなくなりますわ」
「構いません。実を言えばこちらの休日にきっちり合わされたパーティの招待状には辟易していたところでしたから、それならそれで丁度いいくらいです」
「貴方は……」

 そこで彼女は、本当に呆れて声も出ないというように、大きくため息をついて軽く頭を押さえて見せた。
 そうして暫く考え込んでから、今度は顔を上げ、真っ直ぐシーグルの顔を睨んでくる。

「いいですか、貴方は旧貴族の家を継いだばかりの身として、今は他の貴族達に出来るだけ顔を見せておかなくてはならない時期です。公の場に出て、貴族達と繋がりを作っておくのも重要な当主の仕事です。その重要性を貴方は少し軽んじてらっしゃるようですのね」
「……軽んじる、というか、苦手なので出来れば行きたくないというのが本音です」

 言えば彼女は更に眉をつり上げて、シーグルに向けてぴっと指差す。

「苦手でもそれが貴方の仕事です。確かにシルバスピナ家は、今までは政治から離れている事が許されていましたから、それらの仕事がある程度おざなりでも許されていたのかもしれません。でも今後の事を考えたら、政(まつりごと)に関わらなくても、貴方はもっと宮廷内に味方を作っておくべきです」

 真剣な顔で訴えるように言ってくる彼女の顔は、怒っているというよりも心配してくれているというのが分かる。だから少なくとも、嫌われていた訳ではないのかと思い直し、シーグルは僅かに表情を綻ばせた。

「おっしゃる通り、私はずっと貴族というより騎士としての生活を重視してきてしまった為、そういう方面が苦手で貴族間のやりとりもよく分かりません。ですから貴女には、これからもこうして助言して頂ければと思います」

 水色の瞳が再び大きく見開かれる。
 それからみるみる彼女の頬は赤く染まっていき、困ったように瞳をさまよわせるその表情は、初めてみた時の威厳ある顔とはうってかわって年齢より幼く見えた。けれど彼女はすぐ下を向いて、シーグルの視界から顔を殆どかくしてしまった。

「え、えぇ……そうね、貴方が苦手だと言うなら、私がフォローをして差し上げれば良いのですね。少なくとも、無駄に今まで宮廷貴族のパーティに出て回っていた訳じゃありませんもの、大抵の貴族については家族構成や領内事情が頭に入っていますし……」
「それは心強い。私は出来るだけそういう席を辞退してきていたので、旧貴族以外の貴族は顔も分からない方ばかりです。貴女にはいろいろ教わらなくてはなりませんね」

 シーグルがそこで嬉しそうに笑顔をうかべれば、ロージェンティはちらと顔を上げてこちらを見た後、ぎこちなく彼女もまた口元に笑みをうかべた。
 二人共が笑みを浮かべて見つめ合う中、当事者より更に嬉しそうな満面の笑顔で侍女が手を祈りの形に組む。気を利かせた楽士が、甘く柔らかいメロディーの曲を奏で出す。
 ロージェンティは今ではちゃんと顔を上げていて、シーグルの顔を見つめて話していた。

「そういえば、前に水星宮での貴族院のパーティの時、貴方はたくさんの女性に囲まれてダンスの相手をせがまれていましたわね」
「見ていらしたのですか? 実はあの時まで殆ど女性と踊った事がなかったので、正直言って酷いありさまだったと思います」
「そうでもありませんでしたわ。背中しか見れませんでしたけど、踊っている時の貴方の姿勢はとても素晴らしかったですもの。ただ、女性のリードという点では確かに今一つだったかもしれませんね」
「お恥ずかしい限りです。なにせずっと訓練と仕事に明け暮れる日々で、女性と触れる機会が殆どなかったので」
「本当に? 貴方は暫く冒険者として仕事をなさっていたとお聞きしましたけど、その……女性と仕事をする事もあったのではないのですか?」
「そうですね、でも仕事仲間はあくまで仕事だけの付き合いでしたから」

 そこで会話が一瞬途切れる。黙ってしまった彼女を待てば、少しの沈黙の後、彼女は視線を一度下に向けて言い難そうに、小さな声で聞いてくる。

「ではその……女性とお付き合い、された事はないのですか?」
「はい。私は将来祖父が決めるだろう方と結婚するのが決まっていましたから、その方だけを愛そうと誓っていたので」

 シーグルが迷う事なくはっきりと言えば、ロージェンティは今度は顔を完全に下を向けてしまう。
 話が途切れてしまったまま音楽だけが優しく流れる中、シーグルは思い切って彼女に聞いた。

「ロージェンティ嬢、婚約と前後して今更ではありますが、私の妻になって下さいますか?」

 息を飲む音がして、おそるおそるロージェンティが顔を上げる。
 けれど彼女が口を開き、その声が聞こえる前に、シーグルは表情を硬くして彼女をじっと見つめて言った。


「……ただ、貴方の返事を頂く前に、聞いて頂きたい事があります」



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そんな訳で婚約者とのやりとり編。次回はこの二人の会話の続きと、セイネリアと傭兵団内の魔法使いの会話。
……しかし、この話だけ見るとどこをどうみてもBLじゃないですね……はい。


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