希望と罪悪感の契約




  【6】



 円形の部屋、壁際に並べられた椅子に座る者達。
 明かりが最小限に落とされた天井の高い部屋の中では、既に一般人の寿命を越した面々が顔を合わせていた。

「セイネリア・クロッセスは王に反旗を翻した。これで彼は……この国を背負うしかなくなったという訳だ」

 部屋の中央にいる魔法使いがそう発言すれば、椅子に座る者達から口ぐちに歓喜の声が上がる。
 黒の剣の主がこの国を統べれば、彼らの悲願が達成する日も近い。あの男は彼ら魔法使いを嫌っていても利用価値は認めている。彼を怒らせずに協力者の側にいれば、少なくともあの男が作る世界に魔法使いの居場所は作られるだろう。

「それに、シルバスピナ卿も魔剣を手に入れこちら側の人間になった。彼が存在する限り、我々の悲願は達成される」

 それにもまた歓声が上がる。
 セイネリア・クロッセスの唯一の弱点、あの情を捨てきれない青年が魔法使い達の望みを知っているなら、魔法使いを迫害する世界が訪れる事はない。あの青年の性格ならば、魔法使いと共存する世界を選んでくれる。そしてあの青年が願うなら、セイネリア・クロッセスはその望みのままに動くだろう。
 そう考えれば、現状は全て彼らの望む方向へと進んでいた。

 そう、シルバスピナ卿――シーグルがセイネリアの手の中にある限り。

「シルバスピナ卿を殺そうとしていた奴らはどうする?」

 そこで唐突に上がった声に、歓喜に沸いていた場の空気が一時静まる。
 部屋の中央にいる魔法使いは、僅かに眉を寄せて殊更冷たい声で答えた。

「そうだな、奴らの役目ももう終わりにしていい頃か」

 セイネリアが王にさえなれば――いや、王を倒すと決心した段階で、魔法使い達の目的はほぼ果たされたといっていい。ならば、王を躍らせるための駒はもう必要ないだろう。それ以前に、彼らがもし本当にシーグルを殺してしまったなら、ここまでの計画はすべて水泡に帰す事になる。不安要素は早めに排除しておいたほうがいい。

「ならば、そろそろ始末しておくか」

 中央の魔法使いは、そう冷たく言い放つと唇を笑みに歪めた。






 カリンが言った通りそれから二日後、『体が動かせる場所』ということで、シーグルは朝食後に屋敷の屋上に連れて行かれた。
 そこはさほど広くはないが確かに剣を振るくらいならそこそこ思い切り動けそうな場所で、ここ一月以上城の中に閉じこめられていたシーグルとしては気持ちが弾むのを抑えられなかった。

「向こうと、向こうには見張りがいますので、何かあれば彼らに声を掛けてください。シーグル様の顔を見ても問題がない者ですので」
「あぁ、すまない」

 普段から見張り場所として使っている屋上は、彼らの為の待機場所以外は何もなく、ただ殺風景な石造りの床があるだけだった。見ているだけで早く動きたくてうずうずしていたシーグルは、カリンから剣を渡された途端、試しも兼ねてすぐにその場で一振りしてみた。

「余程動きたかったのですね」
「あぁ……うん」

 いつも使っていたものよりわずかに軽いその剣に少し違和感を感じれば、それが顔に出てしまったのだろうかカリンが訪ねてくる。

「他の剣に変えますか?」
「いや、これでいい」

 軽めなのはおそらくわざとで、剣を持つのが久しぶり過ぎる自分にあわせてくれたのだろう。何せ憎らしい程にセイネリアは自分の事を分かっている。カリンがすぐに聞いて来たところからも、もしかしたら自分が変えろと言い出すかもしれないと予想して言ってあったのかもしれないと思う。

 すぐにでも剣を振りたいシーグルの気持ちを察してくれたカリンは、昼前に迎えに来る事を告げるとすぐにそこを去っていった。そうすれば気兼ねなく剣を振る事に没頭出来、久しぶりの感触と自分の体の鈍りぶりを実感しながらもシーグルはただ夢中で剣を振る。
 なにせ閉じこめられた部屋では剣など貸してくれる筈もないし、だからといって代わりに振るような丁度いい代わりのものもなかった。だから仕方なく基礎トレーニング程度しか出来なくて、あとは剣を持たずに体さばきの練習をするくらいが関の山だった。とはいえあまり動き回れる程の広さはなかったから、鈍る感覚を最小限に抑える程度の効果しかなかったのだが。
 だから単純に、こうして剣を持って振れる事がうれしかった。なにせシーグルは幼い頃から、悩みや辛い事があった時はとにかく剣を振って体を疲れさせる事でどうにかしてきたのだ、これだけの状況下で体を動かせない事は相当のストレスが溜まっていた。
 剣が空を斬る音、腕に掛かる重さ、それを体全体で受け止め、その重さをコントロールする感覚が楽しい。予想以上に呼吸が乱れるのは、それだけ体が鈍っているという事だろう。
 石の床を蹴って突き、踵で勢いを受けて止める。流れる汗と疲労感さえ心地よくて、ただ夢中になって剣を振る。

「えーと……その、あー」

 だからその声に気付いたのは、恐らくその人物が来てから結構時間が経った後だったかもしれない。足を止めて声に顔を向けたシーグルは、それで剣を下した。

「……すまない。もしかして、結構前からそこにいたん……だろうか」

 気づいて貰えた事で安堵の笑みを浮かべた人物は、シーグルの声に手を前に広げて懸命に振ってみせる。

「いやいや別に気にする事なんかねぇぜ。俺も来て暫くはあんたを見てたからな」

 青い髪の団の副長であるアッテラ神官は、言いながら今度は背に掛けていた長棒をくるりと回しながら前に出した。

「でだ。折角だし、相手が欲しいんじゃないかと思って来てみたんだが」

 彼の意図が分かったシーグルは、額の汗を拭ってから破顔した。

「それはぜひ」
「俺も出来りゃあんたとちゃんとやってみたかったからな、あのマスターと何度もやり合えるってのはそれだけで尊敬してたんだぜ」

 表向きの、とはいえ、この傭兵団でナンバー2を名乗っているのだからエルの腕が確かな事は間違いない。アッテラ神官というだけでも最低限の実力は保証されているのだし、その彼と実際に剣を合わせられるならシーグルとしても望むところではあった。
 のではあるが。

「ただその……このところすっかり体が鈍っていて、期待を裏切るかもしれない」

 少しばかり弱気な発言をしてしまうのは、アウグ帰還以降、未だに前のレベルまで体が戻っていないところに今回の件で更に鈍ってしまった自覚があるからだ。親切で気のいい男であるこのアッテラ神官を失望させたくなかったという気持ちもある。なにせ彼はセイネリアに言われている所為か、毎日ちょこちょこシーグルのところに顔を出してあれこれ世話を焼いてくれていた。今回もおそらく、シーグルの相手をする為にわざわざここまで来てくれたのだろう。

「ンなのわーってるよ、だから今回俺は術なしだ。あくまであんたの訓練の相手くらいの気持ちで気楽にやるさ。術ありの本気勝負はあんたの体が戻ってからの楽しみにしとくよ」
「すまない」

 アッテラの神官が術なしというのは、術を使う事が前提の彼らからすれば勝負としてならかなりのハンデを付けた事となる。だからシーグルとしては申し訳なかったのだが、青い髪の気のいい男は満面の笑みで彼の武器である長棒を構えた。

「謝ンな、お互いトレーニングって事でいいじゃねぇか」
「あぁ、よろしく頼む」

 シーグルも笑みを返して剣を構えた。






 冬が近いのにまだそこまで寒くないアッシセグの街は、その穏やかな気候のせいかそこに住む人々も穏やかで、気がよくて、そしてちょっと酒好きすぎて豪快だ。女性のふりなどしていなければ、一緒になって飲んで騒げたのに――と窓の外から聞こえる賑やかな笑い声を聞いてウィアは思った。

「ウィア、窓締めてよ。調合中なんだからっ」
「へいへい」

 夜のお茶会はおしゃべりタイムが終わって、ラークは薬の調合中で、フェゼントは読書中だった。
 ラークの薬はどうやらこの館でも評判がいいらしく関係者がよく調合を頼みにくるし、傭兵団にいる『先生』はなかなかすごい人物だそうで、分からない事は先生に聞けば何でも分かるとラークは毎日楽しそうに傭兵団に通っていた。
 フェゼントの読んでいる本はいわゆる貴族女性のマナーやら美しい所作の本で、ヴィセントから借りたものだがいくら本好きでも何故彼がそんな本を持っていたんだというシロモノである。だがこの役目が決まった時からフェゼントは毎日暇があれば熱心に読んでいて、時折本を見ながらポーズを取ってみたりもしている。
 ここアッシセグに来てから、二人はいつも常に何かをしていて、ウィアのようにぼうっと考え事なんてしている姿は殆ど見なかった。それは意図してそうしているからで、その理由もウィアには分かりすぎるくらい分かっている。立ち直ったように見えても、やはりまだ彼らはシーグルの死を考えたくないのだ。自分がやること、やらなくてはならないことに没頭して考える暇を無くしている……それはセイネリアに協力すると決めた時からで、恐らく一番悲しい筈のロージェンティなどそれこそ倒れるくらいまでずっと動きずめだったとウィアは思い出す。

「ラーク、今日の連絡はあったのか? ロージェンティさん達は元気だって?」

 思い出して聞いてみれば、ラークは薬草から手を離して、同じ姿勢で疲れたのか肩を回しながら返してきた。

「うん、元気だってさ。シグネットも、大きくなったっていってたよ」
「そっか、少しでもほっと出来てるといいなぁ……」
「向うの女主人がイイ人でよく構ってくれて、船にいた時よりもかなり表情が柔らかくなったっていってたよ」

 連絡の為と本人の希望で、ヴィセントだけはロージェンティの方についていて、こうしてほぼ毎日ラークに報告をしてくる。双子草による会話はそこまで長い言葉を一度に送れないから、特に何もない日は一言二言で終わって向うの詳しい状況までは聞けないらしいが、それでもやはりラークも気になっているのか、ちゃんと彼女の様子を聞いているのだというのがその言葉で分かる。

「ただやっぱり、毎日手紙書いたりで忙しいみたい」
「そっかー、なんか俺らはここでのんびりしてて悪いなぁ」
「のんびりしてるのはウィアだけでしょ」
「まぁな、お前はお医者さん修行が忙しいみたいだし、フェズはドレス着てるだけで大変そうだしなっ」

 言えばフェゼントも本から目を離してため息をついた。

「えぇ、毎日こんなものを着ている女性を尊敬します……」

 そこで軽く皆で笑って、それからまた各自の作業に戻る。
 ウィアは再び窓の外に目をやって、遠い喧騒に耳を澄ませて目を閉じた。
 聞いている内、いつの間にか頭に浮かんだのは、首都にあるシルバスピナの屋敷で開いたシーグルの部下を招いての宴会風景だった。笑顔の中心にはシーグルがいて、皆で飲んで騒いで……楽しかった事を思い出す。
 おそらくもう、あの日と同じ風景は取り戻せないだろうけれど、せめてあの時と同じ笑顔だけでも取り戻そうとウィアは思って、じんわりと涙が浮かんでしまった目をごしごしと擦って誤魔化した。




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 シーグルは久しぶりに剣を持ててウキウキです。
 見た目に反してこの人割と体育会系なんで……。



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