希望と罪悪感の契約




  【1】



「セイネリア、セイネリアっ」

 声が、求めてくれる。
 縋り付いてくる手が求めてくれる。
 何よりも愛しい存在の瞳に映る自分の姿を見つめて、彼が全身で自分を求めてくれる事をセイネリアは実感する。

「愛してる」

 言って、その頬に口づける。

「愛してる」

 額に口づけて、それからその唇に口づける。
 自分を求めて止まない唇は、合わせればすぐに舌を差し出してきて飽きる事なく互いに舌を絡ませ合う。粘膜と粘膜が擦れあい滑り合う感覚に、相手と繋がる喜びを感じて更に求め合う。

 彼は、自分のもの。もう、離す事はない。

 触れる度に、その悦びに頭が酔う。いつでも手放す事を考えながら、それを恐れながら彼を抱いていた――それが今は、違う。

「あっ……ッアッ」

 奥深くを突けば、彼の舌が震えて唇が離れる。
 それを追い掛けてまた唇を塞ぎ、セイネリアは下肢で彼の中を味わう。
 衝撃に震えて離れた彼の手を掴んでベッドに押し当て、指を絡ませ手を組んで彼を貪る。やっと手に入れた『彼』を思うままに感じる。

「う、あ、ぁああ――ッ」

 もう体力の残っていなかったシーグルは、セイネリアが達すると全身から力を抜き、そのまま意識を手放した。

「……愛してる、シーグル」

 眠りついた彼の顔を唇でなぞり、何度も彼に呟いてやる。
 愛している、もう離さないと。その為の準備は全て整っているのだから。








 鳥の、声が聞こえる。
 シーグルが目を開くと、明るい部屋の中、目の前に眠る男の顔が視界に入って、一瞬で目が覚める。それで一度驚いて固まってしまってから、じわじわと状況を理解して顔を赤くする。
 精神的にも肉体的にも追い詰められていたせいとはいえ、昨日はどれだけ自分は彼に泣いて縋ったのだろうとシーグルは考える。思い出せば恥ずかしくなるのは仕方ない。自分の気持ちに自覚があったとしても、あそこまで何も考えず彼を求めた事はなかった。

「起きたか」

 そこでセイネリアの目が開いたから、更にシーグルの頭は混乱する。

「あ、セイネリ……ア、その……おはよう」

 自分でも相当間抜けだと思ったが、それくらいしか出てこなかったのだからどうしようもない。
 言えばセイネリアは軽く笑って、シーグルの頭をくしゃりと撫でてから起き上がった。

「お前はまだ寝てろ、風呂の準備をさせる。食事もここに運ばせるから動く必要はないぞ。一通りの治療はしたがな、今日一日くらいは大人しくしておけ」

 そう言ってあっさり部屋を出ていかれて、シーグルはベッドに寝転がったままため息をついた。どういう顔をして彼に何と言えば良いのか分らないという状態だったから、一人になれたことには正直ほっとしていた。

「ここは……傭兵団のあいつの部屋、か」

 しかも確実に何度か行ったことがある首都の彼の部屋ではない。だがセイネリアの言い方と様子を見れば何処か仮の場所とも思い難いし、前とは違う部屋であっても家具の配置等に共通点がある。
 だから恐らく、現在の彼の部屋なのだろう。
 微かな記憶だが魔法使いを見た気がするから、転送でアッシセグまで一気に連れてこられたか――昨夜の事を思い出してみるものの、セイネリアに助けられてからすぐに意識を失ってしまったため、まずあの後どうやって逃げてきたのかさえシーグルには分らない。一応ここへ来て治療をされた時から意識はあったものの、精神的に相当酷かったこともあって記憶も飛び飛びになっていた。
 確かリパ神官だという者が治療に来て、それから風呂に入れられてセイネリアが体を洗ってくれた気がする。それからベッドに連れて行かれて……後はひたすら彼に縋っていた事しか覚えていない。……というか昨夜は意識が回復してからずっと、セイネリアに縋って抱きついていた気がする。

「どれだけ醜態をさらしたんだ、俺は」

 思わず手で顔を覆い、自己嫌悪に陥っても、彼相手には今更かとも思う。
 それに昨夜はそんな事考える余裕もなかった。ただそこにセイネリアが居て、彼が自分を抱いてくれる事が嬉しかった。それ以外に何も考えられなかった、ただ、彼を感じたかった。嫌で嫌で堪らなくて、逃げたくて逃げられなくて追い詰められた心を彼に助けて貰いたかった。

「……本当に、無様だな」

 全ては自分の自業自得だ。何もかも甘く見ていた。今まで散々犯された自分なら、今更その程度は大した事じゃないなんて思っていた。あれだけ皆から自分の身を守れと言われていたのに……結局、やはり自分を軽んじていた。

「今回は……もう、あいつは俺を放してはくれない」

 セイネリアはアウグからの帰り、それでも放してくれた時に言っていた――放すのはこれが最後だと。だから今回はもう放してくれない。彼に助けられたという事は、それだけの覚悟をしなくてはならないという事だ。
 家族を、部下を、領民を裏切らなくてはならない――そう考えてから、シーグルは唇に苦笑を浮かべた。

「どちらにしろ、帰る場所もない……か」

 既に自分は罪人で、今まで通りの場所に帰れる訳がない。前のように、皆が待っている日常に帰る事は不可能だ。シルバスピナという名が持っていた自分の地位も居場所も既に失っている。
 だから、彼のもとにいるしかない。彼のものになるしかない。彼を頼るしかない。
 セイネリアに対して、何をも拒む権利は既に自分にはない。けれども、それでも自分を待ってくれているだろう人々の事を考えて、シーグルは歯を噛みしめる。胸を押さえて、心で何度も彼らに謝る。きっと、自分の所為で困難な状況にいるだろう彼らを思えば、愛する男に抱かれて安堵している自分が情けなくて申し訳なくなる。

「すまない……」

 頭に浮かぶ大切な人々に、今のシーグルは謝る事しか出来なかった。






 それから暫くして、部屋にセイネリアが帰ってくると同時に、抱き上げられて風呂へ連れていかれた。ただ今回は昨夜のように強制で一緒に入らされることはなく、一人で大丈夫だと言えばあっさり彼は出て行ってくれた。
 風呂を出ればカリンが待っていて着替えが渡され、普通に案内されてセイネリアの部屋に帰った。ただし今度は寝室ではなく執務室の方に通されて、そのまま待っていたセイネリアと朝食を取る事になったのだが。

「スープと、パンはこれくらいなら食えるか?」

 執務室の机が拡張されて自分の為らしい席が作られているのをみて、シーグルは軽く面くらう。そうしてそこに置いてある、セイネリアの前にあるのと比べると簡素すぎる食事の器に、我ながらシーグルは笑ってしまった。

「あぁ……わざわざ、待っていたのか?」
「当然だろ」

 そんな当然という程ではないだろう、と思いながらも、シーグルは用意された席に座る。そうすればここへ連れてきてくれたカリンが温めたミルクのカップを置いてくれて、それから彼女はお辞儀をして部屋を退出してしまった。

「まぁ、まずは食え、俺も腹が減った。お前にはいろいろ今後の事で話があるが……それも全部食った後だ」
「あぁ」

 もう彼は自分を放す気はない。だからこそ前のように引き伸ばさず、さっさとこれからの事を決めてしまおうというのだろう。ずっと機嫌の良さそうな彼の様子からもそれが分かる。実際、今の自分はそれに従うしかない。
 考え事をしながらも黙々と食べていたシーグルだったが、ふと食べているセイネリアの様子が目に入って軽く笑う。相変わらず、朝だというのに自分の数倍の量を食べている男のその食べっぷりに感心する。

「本当に、お前はよく食べるんだな」
「当たり前だ、お前と体重がどれくらい違うと思う」

 それにくすりと鼻を鳴らせば、セイネリアがその手を止めて、じっとこちらを見つめてくる。

「それに、お前を見ながら食えるんだ。今なら何を食っても美味いに決まってる」

 シーグルは目を丸くして、そうして今度は柔らかく唇に笑みを浮かべた。

「俺が、捕まっていた時、お前は心配……して、くれたのか」
「あぁ、何を食っても美味くないくらいにはな」
「そうか……そうだな」
「だがな、だからこそ……今はこれ以上なく美味く感じられる」

 言われてシーグルは口を閉じる。彼の口調が優しいからこそ、なんだか泣きたい気分になってしまう。するとセイネリアは口元に笑みを浮かべ、今度は少し軽い口調で言ってくる。

「更にいうなら、これでお前がもっと美味そうに食ってくれたら俺ももっと美味いんだけどな、しーちゃん」
「それは……すまない」

 セイネリアが茶化して言ってきたのをシーグルがすんなり謝ったせいか、彼は顔を顰めると、不機嫌そうに食事に戻った。

「謝るくらいなら、少しは笑って食え」
「そう、だな」

 なんだか不貞腐れているようなその彼の様子にくすりと息を漏らし、シーグルはふと考える。そういえば、セイネリアとの食事の時も割合自分は食べられている。アウグから帰ってきた時も、セイネリアと二人の食事はかなり食べられた、食事を美味しく感じられたと思う。
 ずっと、自分が食べられないのは体の所為だとシーグルは思っていた。幼い頃に徹底しすぎた絶食をした所為で胃が物を受け付けなくなった、その所為だと思い込もうとしていた。だが本当は――心の所為だという事を今のシーグルは自覚している。兄の料理の味なら素直に食べられるというだけでそれは確定だろう。
 だからきっと……セイネリアとの食事でこうして食べられるのは、自分がやはり彼といる事に安心しているからなのだと思う。彼の傍にいることを心地よいと、本心から思っているからなのだと思う。

――これから俺は、セイネリアと共にいる事になる。

 それを自覚して喜びを覚える心と、裏切りを非難する心がせめぎ合う。今の自分はどうすればいいのかと考えて、その結論を考えたくない自分がいる。

――それでももう、逃げられない。セイネリアからも、現状からも。

 何が今選ぶ道なのか、自分はどうすればいいのか。それが分らなくても、もう逃げる事が出来ない事だけはシーグルにも分かっていた。




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 セイネリアさんはシーグルを離さない為の手を打ちまくってる為、余裕があります。



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