決断と決別の涙




  【2】



「ふむ、まぁ大体は指示通りか。何か足りないものはないか?」
「……足りないものはないが、いらないものはいろいろある」
「それは俺が必要だと思った物だからな、気にするな」
「お前、俺の部屋と言ってもここに毎晩くる気なんだろ」
「当然だ。あの執務室の横の部屋でなぞ寝られるか」

 確かに新しくなったセイネリアの部屋はやたらと広い上に兵の待機所まであって落ち着かないのは分からなくはないが、それは地位に必然としてついてくる不自由さなのだから仕方ないだろうとシーグルは思う、のだが。

「どちらにしろ、団の連中はまだしも、外からの使者にまでお前の喘ぎ声を聞かせる訳にいかないだろ?」

 やけに楽しそうにセイネリアにそう言われれば、シーグルもため息を付いてそれ以上の抗議は言う気がなくなる。

「……ならもうそれはいい、ソフィアが俺の世話役というのは何だ?」

 これ以上つっこんでも無駄な事だけは理解出来た為、シーグルは話題を元に戻した。

「言葉通りだ、家にいた時にはお前の部屋の掃除やシーツの替えなどをする使用人がいただろ?」
「家にいた時はともかく、ここでの俺はわざわざ世話をしてもらう程の立場ではない」
「立場は十分あるだろ、なにせこの国の将軍の側近だ」

 そう言われればシーグルも言葉に詰まる。もう貴族ではないという認識だった所為か、今の自分の地位というものに実感がなかったというのは確かにあったので。とはいえ、それならそれで別の問題もある。

「だが彼女は団内では同じ立場の人間だろ、それなのに……」
「本人の希望だ」

 そう言われればやはり今度もそれ以上言えなくなる。ちらとソフィア本人を見れば彼女も頷いているのだから文句が言える訳もない。困惑しかできないシーグルに、セイネリアはやはり機嫌が良さそうに笑う。

「勿論、ソフィアならただの使用人と同じじゃない。ソフィアがいればお前がここにいても本館を『見る』事が出来るし、転送ですぐ行く事も出来る。……何かあった時にお前を逃がす事も出来る」

 結局、最後が一番彼にとっては重要な事なのだろうと分かれば、シーグルはセイネリアの顔を暫く見た後ため息をついた。

「どちらにしろ、俺が文句を言う以前に、そもそもそんな状況に陥らなければいい、と言いたい訳だな」
「その通りだ」

 消えていた笑みをまた顔に浮かべて、セイネリアは近づいてくるとシーグルの体を引き寄せて緩く抱きしめてくる。髪に指を入れて梳きながら頭を撫でられれば、慣れた感触にシーグルもおとなしく黙るしかない。そうして彼の好きにさせていれば、驚く程彼にしては優しい声が耳に入ってくる。

「ソフィアはお前の為に茶のいれかたから鎧の着せ方まで勉強したんだ、緊急の用事だけでなく遠慮せずにちゃんとやって貰える事はやって貰え、その方がソフィア自身も嬉しいだろう」

 そこでまたまたちらとソフィアを見れば、彼女は大きく頷いてからまた丁寧に頭を下げてみせる。だからシーグルは観念して、その体勢のまま彼女に、よろしく頼む、と言う事しか出来なかった。








 将軍府が本格的に動き出すとあって、引っ越しの翌日からはまたシーグルは仕事に忙殺される事になった。セイネリアも流石に暫くは外出する仕事は極力入れずに内部指示に専念する事になっていて、だからシーグルも外に出る必要がなくなったのだが、その代わりとでもいうように積み上げられていくのはただひたすらに書類の山……つまるところが事務仕事だった。双子達やソフィア、エルもかなりのところそちらの仕事が慣れてきたとはいえ、やはり最終チェックはシーグルがやらねばならず、更にその中からセイネリアへ渡す書類も選別しなくてはならない。なので現状ではやっぱりまだシーグルがいなくてはその手の仕事は止まってしまう状態であった。
 ところがその日、シーグルにとってはまさしく助け船どころか救世主とも言える人物がそこへやってきた。

「えーこの度〜魔法ギルドの方から派遣される事になりましたぁキール・サティパと申します〜」

 彼の顔を見てすぐ、シーグルは外していた兜に慌てて手を伸ばそうとした。

「あ〜あれです、魔法使いにはその手の誤魔化しは無駄ですし貴方の事は知られてますのでぇ、どうぞそのままぁでお気になさらず〜」

 それでシーグルも気づいて被ろうとしていた兜をおいて、気まずそうにかつての部下の魔法使いと向き合った。まぁ確かに、この部屋は二重扉になっているので、そもそもシーグルが顔を隠さなくてはならない人物なら入り口で止められている筈ではある。

「それはつまり、魔法使いは全員俺の事を知っていると思っていいんだろうか」
「えぇ、ギルド内でぇですねぇ『一般人に話してはいけない』秘密の一つとしてぇ貴方の事が追加されてましてぇね、すでに通達もぉされていますよ」

 考えれば、シーグルの正体偽装については魔法ギルドが協力しているのだから当然といえば当然だ。気が抜けてふぅと息を吐き出したシーグルに、キールは苦笑してお辞儀をする。

「まぁ〜魔法ギルドは今回セイネリア・クロッセスと新政府に全面協力する事を宣言していますからですねぇ、あちこぉち人手の足りないところに魔法使いが派遣されているんですよぉ。でまぁ〜こちらは事務要員が足りないとの事でしたのでぇ数人連れてきてましてねぇ、ほとんどは役人さん達の方に回しましたンですがぁ〜こちらには貴方が慣れてる人物がいいだろうということでぇ私が選ばれたっていう訳ですよぉ」

 相変わらずののんびり口調は懐かしくて、なんだか気が抜けて我知らず笑みまでこぼれてしまう。

「正直とても助かる、お前がきてくれて良かった。それに……無事で良かった」

 魔法使いである彼なら大丈夫だろうと思っていても、やはり彼も内乱以降姿を見ていなかった事もあって不安ではあったのだ。なにせ彼は王のもとにいた分何があってもおかしくない。彼が本当に王側についたなんて思ってはいなかったが、逃げ遅れて王の下にいたとして罰されていたり、もしくは追い詰められて自暴自棄になった王に処分されたりしてはいないだろうかと気がかりではあったのだ。何度もクノームに聞いてみようと思いはしたものの、彼が王側についたふりをしているのが魔法ギルドの意志かどうか確定できなかった為、口に出す事が躊躇われた。

「無事で……えぇはい、ありがとうございます」

 だが、彼の無事を喜んで笑い掛けるシーグルに対して、キールの表情はどこか固い。それに思わずシーグルの顔から笑みが消えれば、キールは少々わざとらしい気もするような彼『らしい』気の抜けた笑みを顔に浮かべて、またシーグルにお辞儀をしてみせた。

「あぁどうもぉすみません、いやぁちょっとギルドで頭のいたぁい事がいろいろありましてぇね〜考え事というかぁ思い出す事があったのですよ〜」
「……そうか、それならいいが」

 シーグルとしては妙にひっかかるものを感じはしたものの、部屋の中にいるソフィアや双子達の顔を見て、聞くのは後でいいと思う事にした。今すぐどうにかして欲しい事がある場合はキールならすぐに言ってくる筈であるし、今ここで何も言わないという事はあまり言いたくない事か、ここでは言えない事なのだろう。
 どうせ、今後も彼とはいつでも会える、だから話せる事であるなら彼はその内話してくれるだろうと、ここはそれで納得する事にした。

「それじゃキール、とりあえずは……」

 ぐるりと部屋を見渡せば、それより先に双子のアルワナ神官が手を上げた。

「はいはいっ、こっちに席空いてるよ〜」

 双子達が自分達の隣の椅子をばんばんと叩く。それにシーグルが苦笑してしまえば、キールは返事より早く彼らの指した席に向かっていってしまって、シーグルは少しだけ困ったように眉を寄せた。

「いや、どうせなら俺の手伝いでこちらに座って欲しかったんだが……」

 シーグルが自分の隣の席の椅子を引けば、キールはへらっと彼らしい笑みを満面に浮かべてこちらを振り向いた。

「いやぁ〜そこに座るとそちらのお嬢さんに申し訳ありませんしねぇ」

 その言葉の意味が分からずに軽く眉を寄せたシーグルに、何故か双子が楽しそうにはしゃいで言ってくる。

「おー、流石魔法使いっ、分かってるよね〜」
「というかそこは流石シーグルさんの鈍感さに慣れてるって感じ?」

 そうすればキールも座りながら芝居がかったように腕を組んで、なんだかやけに深刻そうにため息をついて首を振ってみせた。

「えぇえぇそりゃぁまぁ〜この方のその手の事への頭の回らなさぶりにはぁですねぇ、何人もの女性が泣いているのを傍で見てましたからねぇ」
「うわーシーグルさんひどーい」
「罪作りだなぁ〜色男さん〜♪」

 何故そこで自分が責められるのか分らなくて、シーグルはただひたすら困惑する事しか出来ない。ただ、お嬢さん、とキールが言うからには今ここにいるメンツ的にそれはソフィアの事だろうくらいは分かって、だからシーグルはソフィアに向かって聞いてみた。

「俺は……何か、君に悪い事をしてしまったのだろうか?」

 そうすれば、一つ椅子を空けた同じ長机で作業をしていたソフィアは真っ赤な顔で下を向いてしまって、益々シーグルは困惑するしかない。

「え〜シーグル様ぁ……っと今はレイリース様ですか、そこのお嬢さんがですねぇ〜遠慮して隣にいけずに一つ空けて座ったその間になんてぇですねぇ、私には悪くてとてもじゃあーりませんが座れませんよぉ」

 キールが言えば、ばん、と机を叩く音が響いて、焦ったようにソフィアが立ちあがる。

「キ、キール様っ、こちらの書類の見方を教えて欲しいのですがっ」

 それから書類を持って、彼女は走るようにキールの傍までいってしまった。

「あーはいはい、これはですねぇ……」

 仕方なくシーグルは間抜けにもぼうっとソフィアとキールのやりとりを見ている事しか出来なかったのだが、話してる二人の会話に割り込むのは論外だし、双子は未だににやにやしてこそこそ二人で何かを話しているしと、なんだか自分だけが取り残されているような気になってくる。だから仕方なく考えてみるのだが……確かに自分はパーティなどでは女性に声を掛けられた方で、それには正直いい態度をとってきたとは言えないから罪作りと言われれば否定は出来ないのだが、何故今ここでそんな関係ない事を言われるのか、とやっぱり納得出来ず微妙な気持ちになる。

「罪の意識のない人程罪作りなんだよね〜」
「そうそう、シーグルさんみたいな人が一番女性を泣かせるタイプだよね〜」

 尚も双子はこそこそ聞こえるように言ってくるのだが、いちいち反応しているとキリがなさそうなのでそこは無視をするしかない。ただそうしてこそこそはしゃいでいる双子達もすぐにそうしていられなくなる。

「はぁいはい二人共〜いい加減にぃお仕事に戻ってくださいねぇ。おやおやぁ〜二人ともぉ神官様の割には字が汚いですねぇ〜少々勉強不足じゃないでぇしょうかねぇ」
「だってー僕達最近まで全然字なんか書いてなかったしー」
「神殿から出てきてからはそんな必要なかったしねー」
「……なるほどぉ、でもぉですねぇ働かざる者食うべからずですよぉ〜もうそろそろ貴方がたも子供と言える歳じゃなくなりますからねぇ、ここにいるならちゃんとお仕事しなきゃぁですねぇって事でこちらの写しをお願いしますねぇ」
「はーー〜い」

 ちゃっかり双子達もいい感じに使ってしまっているキールの手際の良さに、シーグルはこらえきれずに笑ってしまう。
 なんだか、この空気が懐かしい、と思ったらほっとしてしまって、思った以上に笑いを止められなくてシーグルは困る。こんなに気楽に笑ったのは久しぶりで、どうにか声は収まっても顔の笑みは戻せなくて顔を手で押さえてしまう。そんなシーグルの様子に双子やソフィアも笑顔でこちらをみてくるのだが……その風景がどうしても、騎士団の部屋の風景と重なるのは仕方ない。
 こうして部屋で事務仕事に追われながら、時折キールのやんわりとしたつっこみに笑いが起こって皆で笑いあう。ひとしきり笑った後で、やっぱりキールの小言で仕事が再開となる――そうして目の前にはてきぱきと仕事をこなすキールと、そうしてそのキールの横で必死に書類を睨むナレドの姿があって――とそこまで思い出せば、シーグルの口からその名が漏れるのも仕方なかった。

「ナレドは、どうしてるだろうな……」

 その呟きは半分くらい意識せずにいったもので、今となっては懐かしい騎士団での日々を思い出しながらのものだったから、シーグルの目は実際の目の前の者達を見ていなかった。だからシーグルは、その言葉を聞いた時のキールの表情を見る事もなかった。



---------------------------------------------


 エルは今日は引越し後の力仕事のほうにはりきって参加中なのでここにいません。
 



Back   Next


Menu   Top