前を向く意志と決断の夜




  【7】



「……まったく、ひどい状態だ。なんでもっと早く呼ばなかった」

 消えた魔法使いの代わりにこちらを覗きこんでくるように視界に現れた人物は、金髪で顔の上半分を仮面に隠していた。杖も見えたからこの人物が魔法使いだという事は間違いないだろう。そもそも、ここでこの展開で現れた人物なら、魔法ギルドの関係者であるのは確実だろうなとシーグルはぼんやり思う。

「……あんたのこんな姿見たら、あの男はどうすんだろうな」
「あの……男?」
「あぁ、セイネリア・クロッセスがこんなあんたを見たらどう思うかと思ってな」

 そこで、遠ざかり掛けていたシーグルの意識が現実に戻る。

――あぁそうだ。

 セイネリアは怒るだろう。また、自分の身を守るという約束を守れていないといわれても仕方ない――シーグルの頭の中に黒い騎士の姿が浮かぶ。それは何故か強い彼ではなく、苦しそうに自分を見つめる、別れを告げた時の彼の姿だった。
 同時に、シーグルは歯を噛み締めて体に力を入れた。

「怒るだろうな。本当に、無様すぎ……て、あいつには見せられない格好だ」

 シーグルが言いながら起き上がろうとすれば、魔法使いが何かを呟く。それが縛られていた縄を切るための術だったと分かったのは、途端に手が動くようになったからだ。

「怒る、か。まあ怒るだろうが、何に対して怒るかをあんたは正しく理解してるのかが疑問だな」

 体を無理矢理起きあがらせたシーグルは、縛られていた腕をさすりながら魔法使いの顔を見上げた。

「貴方は、あいつに会ったのか?」
「あぁ、個人的に興味があったからな。ついこの間、会って話をしたばかりだ」
「そうか……」

 シーグルは、縛られて跡がついている自分の手首を見つめる。本当に、こんな姿をセイネリアに見られたなら、何が約束だと笑い飛ばされるのだろうと思いながら、唇に自嘲の笑みを浮かべるしかなかった。

「それで、何でもっと早く使わなかったんだ。声が出せなくても、奴を見た時点でさっさと折ればよかったろうよ」

 それにはシーグルは答えない。

 魔法ギルドで治療を受けた後、帰り際に声をかけてきた魔法使いは、シーグルにあるモノを渡してくれた。それは使い捨ての杖だという短剣よりもずっと短い棒のようなもので、首都かその周囲で何か緊急事態が発生したら、教えられた呪文を唱えるかそれを折ればいいといわれていた。そうすれば、魔法ギルドのある程度以上の地位の人間だけに信号が送られ助けがくる筈だと。
 それを持っていたからこそ、シーグルは馬を無理に止めたり飛び降りる事を考えずに、おとなしく魔法使いの元にまで行ったのだ。

「なんだよ、だんまりか? ったく面倒だなアンタも」

 見た目は上等な恰好をしている魔法使いは、言いながら行儀悪く頭をぼりぼりと掻く。説明通りならば、彼は魔法ギルドの中でもある程度以上の地位の人間である筈で、その割には言葉遣いのくだけた感じだとかその上品と言えない所作に人間味があってほっとする。少なくとも、襲ってきた魔法使い達は論外としても、今使った棒を渡してくれた、治療の後にシーグルにいろいろいってきたあの見た目だけは友好的に接してきた魔法使いよりもずっと信用出来る気がした。

 だから、ふと、シーグルはその魔法使いに聞いてみた。

「黒の剣は普通の魔剣ではなく、魔力の結晶のようなものだと聞いた。どういうことだろうか?」

 聞いてすぐ、金髪の魔法使いの持つ空気が変わる。

「それを、あそこで転がってる馬鹿に聞いたのか」

 シーグルが頷けば、金髪の魔法使いがため息を付く。彼はまた頭に手を置いて、苛立つように掻いた。

「どこまで聞いたんだ?」
「魔剣は、通常、魔法使いの魂が封じられたものだと。だが黒の剣は最初に魔法を集める為に作られて、その後に魔法使いが封じられたと」
「黒の剣が作られた所為で、何が起こったかって話は?」
「それは聞いていない。ただ黒の剣には世界中の魔力が集められたとは聞いた」

 魔法使いは舌打ちをして、手を頭から離すと放り投げる勢いで下にさげた。

「ったく、浮かれてしゃべりすぎたな……んっとに面倒くせぇ。いいか、魔法使いはな、魔法使いだけが知ってる事がいろいろあるんだよ。それは絶対に一般人に言っちゃならない事でな、アンタが今言った内容はその中に含まれる事の一つなんだ」

 あぁ面倒くせぇ、と尚も呟きながら、魔法使いは腕を組んで考え込む。

「では、それを聞いてしまったらどうするんだ?」

 キールは言っていた、全てが知りたいなら魔法使いになるかそれに準ずる資格を手に入れるしかないと。そしてそうなれば二度と引き返せなくなると。
 魔法使いは、仮面ごしでも分かる冷たい瞳でシーグルを見た。

「普通は記憶操作だ。アンタの頭の中から、聞いた時の記憶を消してなかった事にするのさ」

 あっさりと告げたその言葉に、シーグルは表情を硬くして身構える。

「だが、アンタにそれをするのは問題がある。もし、アンタの記憶を弄ったなんて事があの男に知れたら、その時点であの男はこちらの敵になるだろうからな、それは絶対に避けたい」

 シーグルはごくりと喉を鳴らす。

「では、どうするんだ?」

 魔法使いはそこでまた、あぁ面倒くせぇと呟いて、不機嫌そうに唇を尖らせながら乱暴に頭を掻いた。
 シーグルはそんな魔法使いの行動に少し緊張を削がれて、だが何も言えず彼が何を言うのを待っている事しか出来なかった。

「とりあえず、今回はあんたがソレを絶対に他言しないって事で終わりにしといてやる。それくらいは誓えよ、騎士様。でないとアンタにも俺達にも……そしてあの男にとってもロクな事にならないんだ。そしたら後は俺がそこの魔法使いの記憶を操作しときゃ誤魔化せる。……だがな、いいか、こっち側にくる気がないなら今後はヘタな事に首は突っ込むな」

 シーグルはそれに言葉を返さず、じっと自分の縛られた跡が残る腕を見ていた。
 それを見た魔法使いは近づいてくると、強引にシーグルの腕を掴んで何かを唱える。そうすれば、目に見えてすぐ腕から跡が消えて行き、シーグルは驚いて魔法使いの顔を見た。

「貴族の当主様がそんな跡付けてたら後々面倒だろ」
「あぁ、そうだな……ありがとう、感謝する」

 言って、腕の感触を確かめるようにシーグルが跡を消された手を擦る。暫くはそれを見ていた魔法使いだが、急に何かに気付いたのか、彼は不機嫌そうに言ってきた。

「もしかしてアンタ、あの馬鹿魔法使いから何か聞きだせるかと思って、わざと奴の好きなようにやらせたのか?」

 シーグルは答えない。そう思った部分が確かにあった為、それを否定できなかった。今となっては我ながら馬鹿な事を考えたものだと思っても、シーグルは知りたかったのだ、セイネリアと黒の剣の関係を、そしてそれが自分に関わるというその意味と理由を。
 は、と投げ捨てるように声を上げて、魔法使いは更に不機嫌そうに声を低くする。

「馬鹿な事をしたもんだ、それであんな奴に足開いて好きにヤらせたのか、随分と安い体だな」

 シーグルの唇に自嘲が浮かぶ。あぁその通りだと笑いたい気分だった。

「今更、その程度を惜しむような体じゃない」

 言えば突然、目の前に魔法使いの杖が突きつけられる。それに驚いてシーグルが魔法使いの顔を見上げれば、彼の口元は忌々し気に噛みしめられていた。

「俺はな、そういう、自分はもう汚れてるから後はいくら汚れてもいいって考え方は嫌いなんだ。自分だけが嫌な思いをすれば皆幸せになれるなんて馬鹿な事考える奴には虫唾が走る。いいか、たとえアンタが本当に、もう誰に抱かれるのも気にならないとしたってな、それを気にする奴がいるんだろ。アンタの事が大事で、そんな事させたくないって思う奴がいるんだろ。だったら、そういう考え方は止めろ……それが、アンタを大事にしてる奴に対してアンタがすべき最低限の事だ」

 シーグルは自嘲を浮かべていた唇を歪めてから噛みしめる。手が自然と胸の聖石に触れて、それをぎゅっと握り締めた。

「貴方は魔法使い……らしくないな」

 顔を下に向ければ、瞳からは涙が落ちた。
 直後、金髪の魔法使いの持っていた空気がそこで和らぐ。

「そうだな、他の連中と話があわないのは確かさ、なにせ育ての親が親だったから、通常の魔法使いのやり方や考え方はあまり好きじゃないんだよ、俺は。まぁ普通は単純に捻くれ者で済む話だがな」
「貴方の育ての親という人物は、いい人物だったんだろうな」
「顔も頭も良いくせに、がさつで馬鹿な人だったよ」

 言葉の割に、魔法使いの声は柔らかくて温かみがある。それだけで、彼が育ての親を慕っていたというのがシーグルには理解出来た。

「ありがとう、魔法使い殿。こちらの勝手な行動で迷惑を掛けた」
「俺の名はクノームだ。いいか、今日あの馬鹿魔法使いから聞いた事は絶対に他言するなよ」
「あぁ、分かった」

 言えば、ほら、と手を伸ばしてきた魔法使いの手を取って、シーグルは立ち上がった。

「今後、もし、魔法使いやギルドの事についてどうしても聞きたい事があったら、こんなバカな事はせずに俺と話したいから会わせろとどっかの魔法使いにでも言え。教えてもいい事なら教えてやるし、教えられない事は……それでも聞きたいなら、覚悟によってはどうにかしてやる」




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そんな訳で、実はこの章のエロは、シーグルが黒の剣の秘密をちらっと知る為と、クノームさんとシーグルが会う為の話だったのでした。



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