望みと悪意の計画




  【7】



 領主の屋敷で一番いい客室――というのは、そもそも一人で使う事を前提としておらず、少なくとも身の回りの世話をする人間や護衛やらが繋がった小部屋に滞在するのを前提としていているものだ。そもそも、基本は高貴な身分の人間が家族単位で滞在する事を前提としている部屋な訳で、だから複数人が泊まれて当然な広さと部屋数があって当然……なのだが。

「でしたら、私はそちらの小部屋に泊まります」
「いや、君にそこまではさせられない。折角友人と一緒なんだし、君なら何かあったらすぐに来れるじゃないか」
「でも……」
「ほんっと、女心を分ってないわねー」

 というアリエラの揶揄いの言葉はおいておいても、結界内にいるシーグルに手を出す事はそうそう出来ないだろう。シーグルはソフィアを侍女として扱う気はなかったし、彼女の意見を今回は退けた。

 魔剣の魔法使いからの警告、そして妙な気配。
 食後に皆がシーグルの部屋に集まった時にそれを報告すれば、皆が皆、考えていた以上に騒ぎ出してシーグルとしては少し困る事になった。

「まぁまだ手を出してこないってンなら、結界は効いてるとは思うんだがな。なにせ今日は俺もネデも嬢ちゃんたちも皆屋敷から出払ってたっていう仕掛けてくるなら絶好の機会だったのに、それが黙って見てただけなら結界で手を出せなかったって考えるのが普通だろ」
「あぁ、恐らくは」
「私の結界はそんじょそこらの魔法使いじゃ破れないわよ」

 アリエラは空間系の魔法使いだそうだが、空間系といえば真っ先に思い当たる転送関係の術がメインという訳ではなく、結界を張ったり、荷物入れのような空間を作ったりする事が得意らしい。

「ただ警戒は必要だ。各自何かあったらすぐ動けるようにしとけ。あとお前も、声だけ確認ですぐ入っていいとか言わないようにな。ンで怪しい奴がいたらすぐ報告だ。ネデへの報告は具体的に怪しい奴がいたら……って事にはするが、へんな気配ってのが何度もあるようだったら言うからな」
「あぁ、仕方ない」

 はっきりとした根拠がないのに、彼の信頼する使用人を疑いたくない、という理由でこのことをまだネデには話さないでくれと言ったのはシーグルだ。セイネリアへの報告も今はまだ定時連絡の時でいいだろうと、この時点ではそこまですぐに問題が起こる程の事態ではないと判断された。






「魔法使いと繋がってる者がいる、ねぇ」

 それはつまり、魔法使いと繋がった『信者』がいるという事だろう――アリエラはそう理解して少し考えた。
 実は彼女は街を歩いていた時、一人だけだが違和感を感じた者を見かけていた。魔法使いではない完全な一般人なのにやけに魔力の気配を持っている人間。ただこれは強力な護符を持っていたり等、かなり力のこもった魔道具を持っていても感じる気配で、だから『こんな田舎町には珍しい』程度に思っていたのだ。
 だがそれが『信者』だったとしたら。
 この街にひそかに自分の魔力補充をする僕――『信者』を増やしている魔法使いがいるのならこの屋敷の中にいてもおかしい事ではない。

 そもそもアリエラはこの団に所属してはいても殆ど団員として仕事していなかったし、ただ所属だけしているだけの存在としてずっと留守にしているか部屋に篭るかだけしている存在だった。
 それが魔法ギルドの方からの指示が出て、出来るだけ団の方に居てセイネリアの手伝いをしろと言われ、更にはシーグルが団に来てからは彼の身を守れとまで言われていた。縛られるのは好きではないアリエラとしても彼らの重要性は分かっているし嫌な仕事ではないから大人しく従っているが、いい加減にすっきりさせてほしいとは思っていた。せめてさっさと過激派だけでもどうにか出来れば、対魔法使いの心配をしなくていいだけ気楽なのだが、と。

――あの、娘。

 アリエラは足を止める。警戒の為に広く魔力を感じるようにしていた彼女は、今通り過ぎた3人の侍女の一人から妙な魔力を感じていた。

「ねぇそこの貴女、ちょっと聞きたい事があるんだけど、いいかしら?」

 にこりと笑ってその侍女を呼び止めれば、向うは不安そうにしながらも大人しく足を止める。

「ちょっとね、貴女に個人的に聞きたいことがあるの。悪いけど貴女達二人は先に行っててもらっていいかしら?」

 アリエラの事は傭兵団関係の客人と認識している侍女達は、それには大人しく従ってくれて目的の一人だけがアリエラの前に残る。ただここで大人しく従ってくれるという事は、逆に言えばハズレの可能性も高いと彼女は思う。

「貴女の左手を見せて貰っていいかしら?」
「左手、ですか?」
「えぇ、左手を開いて見せてくれない?」

 そうすればおそるおそる侍女は手を前に出してその掌を広げる。
 アリエラは眉を一瞬顰めたものの、そのまま軽くため息をついた。

「それは、お守り?」
「はい、そうだと聞いています」

 彼女の手の中にあったのは、小さな鉄製のコインくらいのサイズの丸っぽい魚の形をしたものだった。確かに魔力を感じるから、見た目によらずそれなりにちゃんとどこぞの魔法使いが魔力を込めたお守りなのだろう。

「聞いてる、っていうと貰い物なの?」

 家族か恋人からのプレゼントかと思って聞いてみたアリエラは、侍女の答えで少し考える事になった。

「いえ、同室のナナレンが同じ部屋の者全員にくれたんです」
「へぇ……」

 これだけの魔力が篭ったお守りなら売ればそれなりに高価になる筈。それを配るというのはただの侍女風情としては少々気前が良すぎるだろう。

「ならそのナナレンってコに会わせて貰えないかしら? 少し聞きたい事があるのよ」

 警戒させないようににこりと笑ったアリエラだったが、直後に顔からその笑みが消える事になる。

「……今はいいわ、また後でね。ちょっと急用が出来ちゃったから」

 彼女には分かってしまった。あり得ない、と思っても恐らくそれは事実に間違いない。……シーグルの部屋に掛けていた結界が壊されたのだ。






 それは、シーグルにとっては一瞬の出来事だった。
 皆が出ていって一人残された部屋の中で窓辺に座り、夜の風に当たりながら凍ったレモンを入れた水を飲んでいたら、突然、窓から見えていた外の風景が変わったのだ。
 魔力を感覚で分かるようになったシーグルには分かる、結界はまだ壊されていない。そしてこの手の状況にも覚えがある――魔法使いの転送術だ。人間単位ではなく部屋毎の転送というのも騎士団時代にされた事がある。確か、違う場所にある部屋と同じ間取りの部屋を作ってそれぞれの部屋の存在を重ね、繋がる場所を魔法で決めて行き来する――とかいう術だった筈だ。

――結界ごと移動させられる、という手でくるとはな。

 もしその時と同じ術だというなら、おそらく自分達が来る前から計画されていたのだろう。この部屋と同じ間取りの部屋がこっそり作られ、いつでもこうして中身を取り換えられるようにされていた。ただすぐ部屋に入ってこないのはまだ結界が有効だからだとシーグルは思う。

 だから……少し待てば、扉からノックの音がした。

「えー、状況は分かってるかね? 分っているなら開けて欲しいのだが」

 誰かのふりもせず正直に言ってきた辺りはある意味感心したが、それでこちらがあっさり開ける筈はないだろうとシーグルは思う。結界が有効のままならばここで待っていれば他の連中が見つけてくれる可能性は高い。1,2日くらいならここに篭っても問題ない筈だった。

「……うーん、やはり開けて貰えないかね。となればやはり君に頼むしかないようだが……」
「最初からさっさとやれと言えばいい。何の為に私がここにいると思っている」
「いや、君の手をわざわざ煩わせなくて済むならその方がいいかと思ったのだがね」

 だが、そんな会話が外で始まればシーグルも考える。最初に声を掛けてきた男の声とは別の男の声からすれば、そちらの者ならこの結界をどうにか出来るというのだろうか。ただしそれはただの脅しで、実際に結界を壊せる能力はない可能性もある。もしくは出来るとしてかなり時間が掛かる可能性も。
 そう考えて向うの様子をうかがうだけで待っていたシーグルは、だが直後に何かが裂けるようなカン高い音が響くのに驚いて耳を塞いだ。ぎりぎり、キリキリ、と軋む音は段々高くなり、やがて薄いガラスが砕け散るような音を最後に音が消えた。
 そうなればシーグルも部屋全体を覆っていた魔力――アリエラが作った結界が消えた事を理解するしかなかった。

 結界がなくなれば当然この部屋に入ってくるのにシーグルの許可は必要ない。
 それでもわざわざノックの音がまず響いて、その直後に扉が開いて魔法使いだろう男が二人、部屋に入ってくると恭しくシーグルに向かって礼をした。

「はじめましてレイリース・リッパー君。いや、アルスオード・シルバスピナと呼んだ方がいいのかな?」

 そう言った男は一見3,40代くらいの歳に見えたが、実際はもっとずっと長い時間を生きているのだろうというのはその淀んだ瞳をみればすぐに分かった。緩い笑みを浮かべて昏い喜びを映した目のその男には、一目みただけでシーグルは嫌悪感を抱いた。

「余計な抵抗などしないで貰えるかね? それは無駄だというくらい君もわかっていると思うのだがね」

 シーグルはちらと壁に掛けてある剣に目をやったがそれを取りにはいかなかった。扉の向こうにはまだ大勢の人間がいるのが見えていた。この状況を剣でどうにか出来るとは思い難い。

「シルバスピナ卿、私がずっと貴方を殺そうとしていた者です。ですがご安心ください、今回は貴方を殺す気はありませんから」

 もう一人の男――おそらくそちらの方の魔法使いが結界を破ったのだと思うが――がほぼ無表情のまま貴族に対する礼をしてきて、シーグルはその言葉の意味が分らずに困惑する。ただ、今まで自分を殺そうとしてきた者というなら聞いておきたい事はあった。

「お前が『過激派』の者であるなら、俺はお前達の考えに疑問があったんだ。俺を殺してセイネリアが暴走し、剣の魔力が全て解放される……という計画は分かるとしてそれは確実な話じゃない。クリュースを潰して魔力が解放されなかったらただ魔法使いの居場所であるクリュースを失くすだけじゃないのか? それにもし世界に魔力が戻ったとして、クリュースを潰すそれだけの惨劇をおこした後に魔法が肯定されるだろうか? もしくは逆に皆が魔法を使えるようになって受け入れられたとしても、今クリュースがなくなれば確実にこの辺り一帯は戦乱に突入する事になる。平和に一般人と共存する世界が魔法使いの悲願であるなら、それはおかしくはないか?」

 魔法使いの表情はぴくりとも変わらない。ただ淡々と説明するだけの声で答えが返ってくる。

「えぇ……確かに矛盾はしているのでしょう。我々が少し焦っていた事は確かです。ですから今回は保険をつけて実行してみようという事にしたのです」
「どういう事だ?」

 だが聞き返しても男はそれ以上喋ろうとはせず口を閉じたままだった。睨んでも表情を少しも変えないその人物に、だからシーグルは答えを諦めて別の疑問を口にした。

「……ちなみに聞いておく、俺の弟のラークを操ったのもお前なのか?」

 それには僅かに男の顔が微笑んで、彼はまた礼をしながら答えた。

「左様です。貴方の弟君の悩みを聞くついでに印を入れさせてもらったのです」

 シーグルは歯をぎり、と噛みしめた。
 少なくとも前にいる生理的に嫌いな男よりはマトモそうだと思った男だが、今の発言で彼はシーグルにとって許せない敵となった。




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 シーグルが敵の首謀者とご対面の回でした(==。
 



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