エピローグ<約束の日>




  【12】



「やはり雪が降ってきたな」

 外に出ればすぐに目に飛び込んできた白い塵が舞う空を見上げてシーグルが呟けば、セイネリアは後ろからそっとマントを広げて彼の身体を覆ってやった。

「大丈夫だ、俺だって上着を着ているし」

 言いながらも、シーグルは嫌がらずそのままでいる。
 人に見られていれば大人しくそんな体勢をさせてくれない彼だが、ラタはそのあたりは慣れているのでさっさと姿を消していた。

「暖かいに越したことはないだろ、風邪をひかれると面倒だ」
「そんなにやわに見えるか、俺は」
「俺よりはやわだろ」
「その基準でやわじゃない人間がいるなら教えてくれ」

 それには言葉ではなく笑うだけで返せば、彼は呆れたようにため息をついた。それでもやはり少し寒かったのか彼がこちらにぴったりくっついてきたからセイネリアの笑みは更に満足そうに深いものに変わる。
 今は二人とも鎧を着ていないから、こうしていると互いの体温がよく分かる。外気の冷たさよりも相手の体温が嬉しくて、セイネリアは思わず唇を笑みに浮かべたまま彼の髪に軽く鼻を埋めた。

「かなり積もりそうだな」
「そうだな」

 セイネリアは彼の髪に鼻を埋めたまま返事を返す。
 シーグルは屋上から見える港街を見ていた。

「首都も降っているかな」
「あぁ、向こうもそろそろ積もり出してるだろうな」
「夜、雪の中に浮かび上がる街の明かりはとても綺麗で好きなんだ」
「そうか」
「雪に霞むウィズロンの街の風景は……とても、リシェに似ている」
「同じ港町だからだろう」
「確かに、そうだな」

 そこでセイネリアは顔は彼の頭に乗せたまま、彼の手にある物を持たせた。

「なにを……」

 とりあえず受け取ったシーグルは、それを持ち上げて口を閉じた。

「首都を出る前に武器庫から合いそうなモノを持っていけと言っておいたのに持ってこなかっただろ。だから魔法使いの見立ててでお前に合いそうなものを持ってこさせた」

 彼に渡したのは、装飾が施された短剣だった。けれどそれがただの短剣ではないという事はシーグルにはすぐ分かる筈だった。

「それでキールが来たのか」
「そうだ。何故、持ってこなかった?」

 セイネリアは実はずっと前からシーグルに武器庫へ行って何か相性の良さそうな魔剣を選んでおけと言ってあった。一度はエルに連れられて武器庫へ行った彼だったが選んで持ってくる事はなく、それでも出て行く時には一つくらい持っていけといっていたのだが……結局、彼は持って来なかった。だから今回、魔剣の中身が分かるだろう魔法使いに頼んで、シーグルと相性の良さそうなモノを持ってきてもらったという訳である。

「もう、いいと思ったからだ。もうなくても俺は大丈夫だと」

 彼が頑なに新しい魔剣を選ばなかったのは、おそらくは前の魔剣の魔法使いが自分を守る為に逝ってしまった所為だろう。彼は本当に失う事を恐れるから、もう失いたくなかったのかもしれない。
 それでも、セイネリアとしては彼を守る事に関して少しでも有効な手があるなら打っておきたかった。

「俺としては、お前を守るために取れる手は全て取っておきたいんだがな。だからおとなしく受け取れ、お前ならそのうち抜けるようになる」

 そういえばシーグルは手にある魔剣をじっとみつめ、その表面を手で撫でる。魔法使いの見立ては悪くなく、おそらくこの魔剣の中の魔法使いもそのうちシーグルを主と認め、彼を守ってくれるだろうと思えた。
 暫く黙って魔剣を撫でていたシーグルだったが、ふいに顔を上げてこちらを見てくる。

「そういえば、あの武器庫にあった魔剣達……全部一度はお前が抜いている、と聞いたんだが、ならお前はあれら全ての主じゃないのか?」

 それは本当に単なる疑問として聞いてきたらしく、不思議そうにこちらを見つめてくる夕暮れには更に濃く見える青い瞳にセイネリアは答えてやった。

「違う、いくら俺でもあれだけの数の魔剣といちいち繋がってられるか」
「だが抜いたんだろ? 主と認められたという事ではないのか?」
「お前は忘れたのか? 魔法は……より強い魔法で打ち消せるんだ」
「あぁ――そうか」

 そこでやっとシーグルは理解して苦笑する。
 魔法はより強い魔法で打ち消せる――つまり、黒の剣の力を纏っているセイネリアにとっては魔剣を封印しているその魔法自体が効かないのだ。魔剣の中の魔法使いがいくら剣を抜かせまいと思っても、セイネリアには抜けてしまうというだけの話である。

「俺が主として契約しているのは、黒の剣と……お前も知っている魔槍だけだ」

 実を言えば、不可抗力とは言え抜かれた魔剣達は大半はセイネリアを主にしてもいいとは言ってきた。ただそれをセイネリアが断った。セイネリアが魔剣を抜いてみていたのは、中の魔法使いに黒の剣をどうにかする知識を持った者がいないかの確認と、それでも抵抗して自分に抜かせない剣があるのではないかと思っただけの話だ。

「そうか……なら、今は二人の魔法使いと意識を共有しているのか?」
「いや……魔槍の方はな、中にいる魔法使いの意識が殆どないんだ。だから繋がっていてもあまり向こうからの意志を感じる事はない」

 シーグルが僅かに悲しそうに眉を寄せる。今の彼は魔法使いがどうして魔剣になるかその理由を知っている。意識が残っていないという事は魔法使い本人にとって魔剣になった意味の大半を失くす事だというのが分かってしまう。
 ……だから彼は、また、いつものようにこうして知らない誰かに同情してしまうのだ。

「そうなのか……」

 その顔が堪らなく愛しくて、セイネリアはつい瞳を伏せた彼のその瞼にキスをする。セイネリアにとっては不思議な感覚だが、彼が他人のために悲しむ時、怒る時、その『他人』に嫉妬を感じつつも、彼のその姿をとても愛しく感じる。
 そんな自分を嗤いつつも、セイネリアは少し沈んだ表情をする彼の手にもう一つの『渡す物』を置くと握らせた。
 シーグルがその手をゆっくりと上げる。そうして手に持った物が見えた途端、彼は黙ってそれをじっと見つめた。

「あのガキ神官から、お前に渡してくれということだ」

 それは『仲直り記念』と乱暴な字で書かれたリボンだった。
 それがどんな意味を持つか、セイネリアは知らない。ただあの神官はレイリースの正体に気づいていて、それでも黙っていたという事だから――シーグルに向けての文字通り『記念』になるものなのだろう。

「これは……兄さんと仲直りした時、乾杯で飲んだ酒の空瓶にウィアが掛けてくれたものなんだ」

 シーグルの声は震えている。唇では笑っているのに、彼の声は震えて、目じりには涙が光っている。

「お前が酒で乾杯したのか?」
「あぁ、ウィアにジュースだと言って騙されてな。……おかげで兄さんと二人してそのまま酔って寝てしまった。……起きたら、兄さんと隣同士で眠らされてて、起きた兄さんとまるで子供の頃みたいだって……」

 そこまで言ってシーグルは口を閉じる。これ以上は嗚咽になってしまうから、彼は口を閉じてただ肩を揺らす。下を向いて流れる涙をこらえようとする。
 セイネリアはそんな彼に声を掛けず、ただ彼の顔にキスをした。額に、こめかみに、頬と目元では涙を掬ってやりながら、彼の顔中に触れるだけのキスをした。そうしていればその内、彼がくすぐったがってクスクスと笑い出す。涙を止めて幸せそうに、もういいから、と呟きながら彼は笑って下りてくるセイネリアの顔を押さえる。そうして、笑顔のままでこちらの顔を真っすぐ見つめて言ってきた。

「……まったく、お前のキスは逆だな」
「逆?」

 彼が言ってきた言葉の意味をセイネリアは考える。

「最初の頃のお前のキスといえばこっちを窒息させる気なのかと思うようなしつこくて濃厚なのばかりで、今の方が……軽いキスをよくしてくる。普通は逆だ」

 言われれば確かにそうで、恋愛という意味の手順としては逆だという彼の言い分はよくわかる。

「だからなんか逆に、こういうのの方が恥ずかしいくらいだ」

 そう言って少し拗ねたように、けれど笑う彼の顔がまた愛しくて、セイネリアは彼の額に唇を寄せながら囁いた。

「そうだな……多分それは今の方が余裕があるからだろ」
「余裕?」

 シーグルが顔を上げてこちらを見てくる。濃い青の瞳が丸く開かれて自分の顔がその中に映っているだけで、セイネリアの唇は自然と満足そうに微笑みを作る。

「あぁ、最初の頃の俺は余裕がなかった。お前は俺の手に入らないとそう思っていたから、少しでもお前に俺の感情を分からせたくて、どれだけお前が欲しいのか伝えたくて、離したくなくてな……。だからお前が拒絶しなくなってからだろ、俺がそういう軽いキスをするだけの余裕が出て来たのは」

 セイネリアは苦笑する。最初は単なる興味として聞いていたシーグルの青い瞳はいつの間にか真剣な眼差しでセイネリアを見つめていた。

「……なぁセイネリア、ヴィド卿の屋敷からお前のもとに言った時……お前は、それでも俺を離してくれた……嘘をついてまで」
「あぁ、あれはとても辛かったぞ。二度とお前に会えない事も覚悟した」

 それでもあの選択は正しかった。彼から届いた声ですべてが報われた。そうして今……あの時手を離したからこそ彼はここにいる。

「ウィアが言っていたんだ。気持ちを押し付けて相手に望むだけなら恋だが、相手の為になりたいと思うなら愛してるだと。お前は俺の為になりたくて、俺に与えたかった、例えお前が傷ついても……だから、お前の愛しているは本当だと」

 セイネリアはそれを鼻で笑う。あのガキ神官はガキっぽいくせに、時折やけによく分かっている――笑いながらも、妙に胸が痛むのは彼を拒絶して手放したあの時の痛みを思い出した所為だろうか。
 セイネリアはシーグルの身体を更に抱き寄せると、彼の顔から視線を外して顔を彼の頭に埋めた。

「違うな、俺の想いはそんな高尚なものじゃない。俺は俺の為にお前を手放したんだ。――お前という人間が在る事が俺の心にとっての救いだった。お前がいてくれたから、俺は人としての喜びと心に血が通う感覚……自分が生きていると、それを心で実感する事が出来た。だから、お前がお前として存在してくれる事が一番重要で、その為なら全てを斬り捨てられた。
 いくらお前が欲しくてたまらなくても、壊れたお前を手に入れたところで俺にとっては死体を抱いているも同じだ。それなら、俺の傍にいなくてもお前がお前として在ってくれる選択肢を取るしかなかった。最悪でもお前がお前として生きていてくれるなら俺の心は死なずに済む。例えお前が老いて死んでも……お前が幸せに生きて満足して逝くのであればこの心を持って生きていけると思った……んだがな」

 鼻を彼の髪に埋める、彼の匂いを感じて、腕と胸に彼の体温を感じて、その幸せに浸りながらも愚かだった自分を思い出してセイネリアは自嘲して嗤う。

「……お前が俺と同じ時を生きられると思った途端に欲が出た。お前がお前の家族とは違う時を生きなければならないと知った時点で……お前を手に入れていいのだと、もうお前は俺と生きるしかないのだと……そう思った」

 だから間違えた。最終的に彼を手に入れていいのだからと、状況的にそうするしかないのだと、それだけの為に動いた。

「そらならさっさと、俺に全部打ち明けてその上でお前と生きてくれと言えばよかったんだ」
「あぁ、そうだな」
 
 呟く唇はどうしても自嘲に歪む。

「だが……俺は怖かったんだ、お前が家族と同じ時を生きられなくなったと知った時、お前が絶望するのではないかと。俺を責めてそれで済むならよかったが、お前はまた自分を責めて……今のお前のままではいられなくなくなってしまうのではないかと」
「人は変わるものだセイネリア、俺はお前と会う前から随分変わったぞ」

 シーグルは強い青の瞳で真っすぐこちらの顔を見つめてくる。
 確かに彼は変わった、ずっと大人になった。セイネリアが愛した彼そのままに、ずっと……自分の想像以上に強くなった。セイネリアは笑って彼の身体を少し強く抱きしめた。

「そうだが、俺にとって変わってほしくないところは変わっていないぞ」
「ガキっぽいところか?」
「あぁ、ガキっぽいな。ガキっぽくて、負けず嫌いで意地っ張りで、自分に厳しくて、綺麗な顔をしてるのにじっと大人しくしていられなくて暇さえあれば鍛えに行って、他人の痛みに敏感で、すぐに自分を顧みず人を助けてしまって、こちらを振り回しまくってくれる……」

 言っている内に彼の眉間に皺が寄る。口元が僅かにひきつっていく。そんな彼の表情も愛しくて、セイネリアは笑いながらも尚も続ける。

「何度も騙されて、理不尽にひどい目にあっても立ち直って、それでも人を信じて助けてしまう……そんなお前が俺は好きだ」

 言い終わって彼の顔を見つめれば、シーグルの目が見開かれる。それからゆっくり彼の頬に朱が差して、それから唐突にぷっと吹き出すと、彼は声を上げて笑い出した。

「セイネリア、それも逆だ」
「逆?」

 また聞き返してしまえば、シーグルもまた楽しそうに笑いながら答える。

「お前は最初から愛してるだった、俺に好きと言ったのはもしかしたら初めてじゃないか? ……普通は愛してるより先に好きだというものだろう」
「……あぁ、確かにな」
 
 けれど仕方ないではないか、彼を愛したばかりの自分は本当にまだ人らしい感情に気づき始めたばかりで、彼に向かう様々な感情を『愛している』という言葉でしか表現できなかった。
 けれど今は大分彼のおかげで人間らしくなって、彼のどんなところが好きで、どうしてここまで愛しているのか、それがちゃんとわかっている。彼の動作、言葉、容姿、一つ一つを上げてそこが好きだと言える。

「お前は、俺が好きではないのか?」

 そう聞き返してみたのは彼の場合はどうなのだろうと思ったから。愛している、とは返されても自分のどこを好きでいてくれるのか聞いた事はなかったと思ったからだ。

「そこは……好きなところもあるが、嫌いなところもある、だな」
「俺のどこが好きなんだ?」

 聞いてみれば彼は少しだけ考えて、それから恥ずかしそうに笑ってからこちらの目を真っすぐ見つめて言ってくれる。

「そうだな――」

 雪の中、白い容貌の彼がやさしく微笑むその顔とその時の言葉を、きっと自分はこの先ずっと、生きている間いつまでも、決して忘れる事はないだろうとセイネリアは思った。

END.



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 これでシーグルを主人公としたメインストーリーは完結となります。
 二人は以後こんな調子でシーグルが時折文句をいいながらもいちゃいちゃしまくって旅を続けることでしょう。
 



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