エピローグ<約束の日>




  【10】



 ランプ台の明かりが彼の銀の髪に光を纏わせる。
 あどけない寝顔を見ていればいつまでもそうしていられて、正直セイネリアは自分で自分に呆れてしまう。
 ただきっと、こうして眠る彼を見ている時の自分の顔はさぞ幸せそうなのだとそう思うと、おぼろげながら浮かんでくる顔があった。
 ずっと、長い事忘れていた筈の母親の顔。毎夜自分がベッドに入ると眠るまで傍にいてくれた母親の顔はいつも幸せそうに微笑んでいた。今の自分はその顔と似ているに違いない……きっとそれは今の自分が彼女と同じ幸せを感じているから。
 不思議な事に、彼といる幸せを感じて自分の心が安定するにつれ、忘れていたのが嘘のように当たり前に母親の事を思い出す事が出来るようになっていた。しかもそれはただの映像だけではなく彼女をどれだけ自分が愛していたのかその感情をも伴って……母親との日々に自分がどれだけの幸福を感じていたのか、それも今は全て思い出すことが出来る。
 多分それは、子供が受け止めるには辛すぎる記憶と感情を封じてしまった鍵が、受け止められるだけの今を手に入れた事で開いたのだとセイネリアは思っている。なにせこうして思い出しても今の自分は彼女に怒りも悲しみも感じる事がまったくなく、それどころか彼女の気持ちが分かる気がするのだから。
 愛する男に去られて壊れてしまった哀れな女。捨てられた事を認められず精神に異常をきたし、その男との子である娘(本当にその男の子供だったのかも今となっては怪しいが)だけを心のよりどころとし、その娘が死んだ事で完全に壊れた。愛する者を失って壊れた、壊れる事が出来た彼女を羨むくらい、今の自分は彼を愛している。

「ン……」

 ごそごそと僅かに寝がえりを打った彼に自然に口元が緩んでしまって、その気分のまま横を向いた彼のこめかみ辺りに口付ける。それから彼の髪に鼻を埋めてその匂いを嗅いで、それだけで心が幸福感で一杯に満たされる事に笑う。

 まさか、自分がこんな気分を味わえるなんて思いもしなかった。

 彼に会う前の自分なら絶対あり得ないと馬鹿にするだろうこの姿には嗤うしかないが、今なら奇跡や神だって信じられるのだからもう別人だろうと思うくらいだ。

「う……」

 こちらが軽く喉を鳴らして笑った所為か、唸ったシーグルの瞼がぴくぴくと震えて薄目を開ける。彼の顔を見る為に少しランプ台の設定を明るめにしている所為か、眩しがって眉を寄せた彼は薄目のまま瞬きをして、一度顔を枕に埋めた。

「眩しかったか?」

 聞けば、ふー、とため息をついてから不機嫌そうな声が返ってくる。

「別にいいが……もう朝か?」

 まだ酔いが残っているのかそれとも単に寝ぼけているだけか、彼がそんな事を言うからセイネリアは笑ってしまう。

「いやまだ夜中だ。お前がつぶれた所為ですぐお開きになったからな」
「あぁ……」

 それでやっと頭がはっきりしたのか、彼が顔を上げてこちらの顔を睨んでくる。

「お前が悪いんだぞ、人前で何やってるんだ。しかもお前どれだけ強い酒飲んでたんだ、匂いだけで眩暈がしたぞ」
「俺にとってはいつもくらいの酒だが……まぁ実はあの煩いジジイをさっさと潰したかったというのもある」

 何せ放っておけば酔いが消される体では、少しでも酔う気分を味わう為には強い酒を飲むしかない。そしていくら元は酒に強いとはいえイイ歳になった今のレザなら、こちらに張り合って同じペースで飲めばすぐに潰れるだろうという思惑があったの、だが。

「つまり、さっさとベッドに入りたかったお前の思惑通りになった訳だな」

 シーグルの声は寝起きの所為もあってかなり機嫌が悪そうだ。逆にセイネリアの声はいかにも楽しそうだったが。

「そうでもない、お前を潰したのは俺の失敗だ。おかげで久しぶりのベッドだったのに、お預けを食らう事になったんだからな」
「……ついたその日くらいはゆっくり休ませろ」
「どうせ翌日は予定もなくゆっくりする事になってるんだ、残った体力を使い切っても構わんだろ」
「どーゆー理論だ」

 本気で怒ったのか起き上がったシーグルだが、すぐにひやりとした空気と共に自分の恰好を理解してまたこちらを睨む。

「……どうして裸なんだ」
「ベッドに入れるんだ、当然脱がすだろ」
「普通は下着だけにするだろ」
「俺と寝るのに服を着せる意味がない」

 そこまで言えば彼は一瞬、頭を押さえて、それから寒いのかまた寝転がってベッドに肩までもぐりこむ。その様が余りにも可愛いから、セイネリアが揶揄いたくなるのは仕方ない。

「折角脱がせたからな、ヤれない分、隅から隅まで観察して楽しませてもらったぞ」
「す、隅から隅まで……」

 シーグルの顔が赤くなる。

「流石に寝ているお前に突っ込む訳にはいかないから、全身くまなくキスしてたっぷりお前の肌を味わうくらいはさせて貰った。折角の無抵抗だ、普段なら恥ずかしがって騒ぐところまでじっくり見て、じっくり舐めて……」

 そこまで言えばシーグルが枕で殴りつけてきて、セイネリアは片手でそれを受け止めた。

「変態め、お前、わざと俺を恥ずかしがらせようとしているだろ」
「そういう顔のしーちゃんが可愛くてついね♪」

 シーグルが更に枕で殴りつけてくる。今度は手で止めても諦めず、何度も枕を振り回す。だからセイネリアも止めるだけではなく、枕を掴んでシーグルから取り上げた。

「おちつけ、シーグル」
「煽ってるのはお前だろ」
「悪かった、まぁ脱がしたついでに観察したのは本当だが、後はキスを数か所にした程度だ」
「本当か疑わしいな」
「ちゃんと証拠はあるぞ、キスした個所は見れば分かる」

 そこでシーグルが一瞬黙って、それからそうっと自分の腕を見て、それだけで想像出来たのか大きくため息をついてまた枕につっぷした。

「もう怒る気もなくなった、やっぱりお前は独占欲が強くて嫉妬深い」
「そうだぞ、今頃気づいたのか?」
「…………もういい」

 枕に顔を押し付けているせいで拗ねた彼の顔を見れないのは残念だったが、代わりに彼の髪を眺めてその髪を手で撫ぜる。

「すまなかった、機嫌を直せ、シーグル」
「うるさい、いつもお前はそうだ、俺に謝ってくるくせに結果的にはお前の思う通りにしている」
「ちゃんとお前の意見を尊重しているだろ、なにせアウグからずっと、行先はずっとお前に任せて来たんだ」
「う……」
「お前が行きたい、と言ったら一度も反対しなかったろ」
「まぁ、それは……」
「あの面倒なジジイが付いてくると騒いだ時だって、お前が許したから俺も許した」
「確かにそう、だが……」
「外では嫌だと言ったから、ちゃんとベッドで眠れる時以外は我慢しているしな」

 それにはまたがばりと顔を上げて、シーグルはこちらを睨んでくる。

「完全に我慢してはいないだろお前、何回かは結局外でヤったじゃないか」
「ちゃんとお前の同意を取ってる」
「……こっちをだめだと言えない状態にしてからだ」
「それでも同意は同意だ、お前の意見を尊重しているだろ?」

 シーグルの顔が顰められる。寝起きの所為か髪の毛が乱れて動きも顔もだるそうな彼のそんな姿は子供っぽくて、手を伸ばして抱きしめないようするのに苦労するくらいだった。

「……本当にお前は……まぁお前がそういう奴だと分かってはいるが」

 不貞腐れてまた上掛けにもぐって目を閉じた彼に手を伸ばし、セイネリアは彼の前髪をかき分けて額にキスする。

「愛してる」
「……それで何でも有耶無耶にするな」

 それには喉を鳴らして笑ってしまって、ついでに彼の顔の瞼や頬や耳元に触れるだけのキスをしていく。

「愛してる、シーグル」

 もうこの手のキスくらいは慣れてしまった彼は、こういう時はやり過ぎない限りこちらの好きにさせてくれる。それでも目を閉じたままため息をついた彼は、投げやりに呟いた。

「この調子で2,300年もお前と過ごすと思うと気が遠くなるな……」

 セイネリアは笑いながら返した。

「何、思ったよりはすぐだ」
「そうならいいがな」
「実際に、予定より早く剣から魔力が消えるかもしれないからな」

 彼が目を開けてこちらを見てくる。セイネリアはいくら見ても飽きない、彼のその濃い青の瞳を覗き込んで微笑んだ。

「そもそも2、300年というのはこのままのペースで魔力が減って行った場合の計算だ。魔力を吸う側のリパ信徒の数が増えればもっと早まる可能性は高い」

 それは考えれば当然の事で、だから魔法使いもリパの信徒が増えるよう布教にも力を入れるべきかなんて事を言っていた。

「成程。リパ信徒が増えれば、か……」

 不機嫌を置いて考え込むシーグルの頬にまた口付けると、セイネリアはその彼の耳に囁いた。

「いっそ旅をしながら布教をして回るか? お前ならあの主席大神官に言えば神官の資格をくれると思うぞ」

 シーグルはくすぐったがって肩を上げながらも反論する。

「俺が神官だと? 兄さんならともかく、そういう仕事は向かないぞ俺は」

 セイネリアは今度は顔を離してやって、真正面から彼の顔を見下ろした。

「何、あのガキ神官でも出来るんだ、問題ないだろ。お前ならきっと神官姿も似合うし誰も疑問を持たないと思うぞ」

 言いながら髪を撫ぜれば、彼はそれには文句を言わず会話を続ける。

「大人しく説教を始める自分が想像出来ないな。それに姿勢や所作で戦闘職というのがバレる」
「大丈夫だ、お前の容姿ならその程度誤魔化せる。脱がしでもしない限り神官服なら筋肉など分からないしな。どちらにしろ俺がやるよりいいだろ」

 そこで黙って撫ぜられるまま聞いていたシーグルの顔が瞬間、固まった。

「お前が、神官……?」
「そうだ、俺が神官役じゃ似合わなすぎだろ」

 シーグルの顔が益々引きつっていく、セイネリアの神官姿でも想像しているのか微妙な表情のまま固まってしまったシーグルのその目元にまたキスをして、セイネリアは彼に言う。

「お前が布教の為に旅している神官で、俺がその護衛役なら誰も疑問に思わない。丁度いいじゃないか?」

 それにはセイネリアのちょっとした思惑もある。――そうすればシーグルは、少なくとも人目があるところでは大人しくこちらに守って貰うしかなくなって、何かあった時に真っ先に自分が出て行くなんて出来なくなる――セイネリアとしてはイイコトだらけな提案だが、シーグルの顔はどんどん顰められていく。

「神官の自分、というのが考えられない」
「お前、アッテラの神官の資格を持っているじゃないか」
「アッテラ神官は別だろ、戦士と変わらない」
「お前が神官役なら、お前に傅(かしず)いて『神官様』と呼んでやるんだが」

 そうすればシーグルは一度また少し考え、それから呟いた。

「……それはちょっと面白いが……まぁ、長い間に気がむいたらそういうごっこ遊びもありかもな」

 そうして、最後は二人で顔を見合わせて笑った。



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 ここからはラストまでセイネリアサイドでお話が進みます。
 しかしいちゃついてんな(==;;



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