見あげる空と見えない顔




  【2】



 フェゼントは知っている、セイネリア・クロッセスが朝、シグネットのいる子供部屋にやってくると、ウィアやリーメリ、ウルダの三人は、セイネリアについてくる甲冑の青年にいつも注意を向けている事を。
 その理由も大体分かっている。つまり彼らは、あのレイリースと呼ばれている甲冑の青年が本当はシーグルではないかと疑っているのだろう。
 正直なところ、もしそうであったなら、とはフェゼントも思う。彼が生きていてくれているなら、例えどんな状況であっても無条件で嬉しい。ただそう思うのと同時に、それを期待していて違っていたらと考えたら怖いのだ。違っていた場合の自分の落胆を想像しただけで、期待はしないほうがいいと自分に言い聞かせてしまう。そしてまたフェゼントは、自分がそう考えるだろう事をウィアが分っているから、彼がシーグルではないかと疑っている事を打ち明けないのだろうという事も分かっていた。

 自分はまた逃げているのだろうか、とフェゼントは思う。

 思えばいつでもフェゼントは逃げていた。どうにかしようと自分から前に進む事が出来なくて、だからずっとシーグルを傷つけていたし、家族の事も……例えばシーグルがいなくなって悲しむ両親に『自分がいつかきっとシーグルを連れ帰るから』とでも言えば彼らはもう少し笑ってくれていたかもしれない、と今更に思う。

――きっと、シーグルだったらそう言って母や父を元気づけようとしたんでしょうね。

 フェゼントはずっと活発な弟の事が羨ましかった。父親似で母親に愛されて、物おじせずにどんどんあちこちに出掛けて友達も作って、自信満々に父のような騎士になるんだと言える弟が羨ましかった。彼が祖父の元に連れて行かれたと分かった時に、彼ばかりが皆に必要とされているんだと思った事もある。母親がおかしくなって、いない彼の事ばかり話すようになってからは彼の事を憎みさえした。そうして大きくなった彼を初めてみた時に、身体的にも、能力的にもまったく敵わない、あまりにも母親の想像通りの立派過ぎる彼の姿に嫉妬したのだ。
 けれど、彼を嫌いだと思った事はない。
 あまりにも自分がそうでありたかった彼の姿を見て嫉妬しても、彼を嫌いだと思った事はなかった。それどころか彼の事は大好きだった。幼い頃、フェゼントが母親に避けられている気がして悲しそうにしていればいつもシーグルが泣きそうな顔で抱きついてきて、『俺はにーさん大好きだから』と言ってくれた。フェゼントが馬鹿にされると自分より大きな相手にも喧嘩をふっかけ、フェゼントが怖くていけないところでは前を歩いて手を引いてくれた。自分より下の弟はいつでもフェゼントを一番好いてくれて、いつでもフェゼントを助けようとしてくれた。子供の頃から、シーグルはこうでありたいと願うフェゼントの理想の姿だった。大人になった彼はやはりフェゼントが願う理想の姿に成長していて、そんな彼が自分を忘れずに『兄さん』と呼んでくれたのが本当は嬉しかったのだ。

 だから、彼にはいつも申し訳なくて。けれどそう思っていても一歩が踏み出せなくて逃げて、彼を傷つけてしまった。
 そうであったから、彼と仲直りしてまた笑いあえる日がきた時に、彼の為に兄として出来る事ならなんでもしようと思った。彼の孤独だった時間を取り返せるよう、無くしていた家族の温もりを感じられるように……そして、彼が自分達の為に払った犠牲を出来るだけ取り戻せるように。
 それなのに、彼は早すぎる死を迎えてしまった。しかもあれだけ人のために働き、正しく生きてきた優しい彼にはあり得ないような酷い死を。フェゼントでさえ神を呪いたくなるほど理不尽な彼の死には、悲しみよりもやりきれなさと悔しさで胸がいっぱいになった。神などいないのだと思った。

 また、自分は彼が連れて行かれるのに何も出来なかった。

 だからせめて、その分を彼の息子に、彼に出来なかった事をシグネットにしてやろうと思ってここまで自分を奮い立たせてきたのだ。虚勢を張ってこれたのは彼の残したものを守らなくてはとその思いのためだけだ。

「……で、どうでしょう?」

 ロージェンティの声に、考え込んでいたフェゼントは意識を彼女に戻す。けれど、それに対しての返事はすぐには出来なかった。

 ――今朝、起きて間もない時間、フェゼントの部屋にロージェンティからの使者が来た。それで話があるからと彼女と朝食を取る事になったのだが、話の内容は予想以上に重い内容で、フェゼントにはとてもではないがここで即返答が出来るものではなかった。考え込んでいる内に思わず思考が別方向に流れていってしまうくらいに、それはフェゼントにとって選択が難しい問題った。

「リシェの街の独自性は出来れば残したいと思っていますが、王直下の統治にすると特例のままは難しいと思うのです」
「そう、ですね……」
「となれば、リシェは以前と同じくシルバスピナ家の統治とした方がいいと思うのです」
「……それも、分かります、が」

 フェゼントは言葉を詰まらす。つまるところ、シグネットが王になった事で必然的にリシェは現在王の直轄地扱いになってしまっているが、その状態でリシェだけ特殊な統治方法というわけにはいかないから、シルバスピナ家は王家とは別に存続させようという話である。
 そして現在、シグネット以外でシルバスピナ家を継ぐ者と言われれば当然順位的にはフェゼントになる。つまり、フェゼントにリシェの領主シルバスピナ卿になって欲しいという話であった。
 そこで一呼吸置くためにかお茶を一口飲んでから、ロージェンティが話題を変えるように少し軽い口調で言ってきた。

「フェゼント様は……アルスオード様のお爺さまが本当は銀髪でなかったというお話は知っていますか?」
「え?」

 唐突なその言葉に、考え込んでいたフェゼントは思わず顔をあげた。勿論、そんな話は聞いたことがない。

「ついこの間レガーから聞いたのです。生まれた時は銀髪だったそうなのですが、成長するに従って段々髪色が濃くなって、本当は貴方の髪色に近かったのですって」

 そんなことがあるのだろうかと思ってみても、レガーやロージェンティが嘘を言う訳がないと思ってフェゼントは考える。ロージェンティはフェゼントの表情の変化を暫くみて、フェゼントの動揺が落ち着いたのを見計らってから話を続けた。

「……それでもあの方の場合、他に兄弟がいない唯一の跡継ぎだったため、髪の色を魔法でずっと誤魔化していたそうです。お年になって髪の色が全部白くなってから『もう嘘をつかなくて良くなったな』と安堵したように笑って言ってらしたとか」
「あの、方が、ですか……」

 正直なところ、フェゼントは前シルバスピナ卿に対して肉親だという感覚がなかった。シーグルのように祖父と呼んだ事がないというのも大きいのだろうが、ほとんど会う事も話した事もない彼の事などこうして聞いても他人の話のようにしか思えない。ロージェンティの方が自分やラークより余程あの祖父に対して身内の感覚があるだろうと思うくらいだ。

「そうです、だからこそ、貴方がたのお父上のアルフレート様が銀髪のまま成長なされた時には本当に喜んでおられたそうです。逆に、アルフレート様に裏切られたと思った時の落胆と怒りは酷いものだったと。……アルスオード様をできるだけ早く家に引き取りたかったのは、自分のように途中で髪色が変わるかもしれないからというのもあったのだそうです。……もし髪色が変わったら、人に知られる前に魔法で髪の色を変えるつもりだったのでしょうね」
「そう、だったのですか」

 4歳という幼過ぎる時期にシーグルをつれていったのはそのせいかとわかったところで、やはりフェゼントにはあの祖父を許す気にはなれないし、同情も出来なかった。ただフェゼントは、それが自分にシルバスピナ家の人間だという感覚がまったくないからだという事をわかっていた。……きっと今の話をシーグルが聞いたのなら、まったく思う事は違うのだろうという事をわかっていた。

「そもそも実際、歴代のシルバスピナでも他にも何名か、そうして髪色を偽っていたり、髪の色が変わったせいで途中から他の兄弟に跡取りの座が移ったりした者がいたそうです。……ですから、もし貴方が髪の色のことを気にしているのであれば、それは気になさることではないと思うのです。特に今回は特別な理由がありますし、いっそこれを区切りにして、当主は銀髪であるべきという決まり自体をなくしてもいいのではないでしょうか」
「そう、ですね……」

 実際のところ、フェゼントが悩んでいた理由に髪のことは殆ど入っていなかったのだが、ロージェンティの心遣い自体はうれしいと思う。自分が負い目を持たずにシルバスピナの家を継げるように配慮してくれているのだというのが分かるからこそ申し訳ないと思う。

「どうでしょう? 貴方が了承してくださるのでしたら、すぐに話を進めるのですが……」

 けれどやはり、フェゼントにはそれに即答で了承を告げる事は出来なかった。

「少し、考えさせてもらっていいでしょうか。申し訳ありません」

 髪色の事はおいておいても、フェゼントがシルバスピナの家を継ぐ、という事にどうしてもよい返事が返せないのには大きく2つの理由があった。
 一つは勿論ウィアの事である。フェゼントはウィアを大切にしたかった、彼がよく言う通り、これから一生ずっと一緒にいるつもりだった。だがシルバスピナ卿となれば結婚して跡継ぎを作るのも義務になる。その為にウィアと別れる気はないし、かといってウィアとそのままだとすれば妻となった人に申し訳ない。自分にはウィアと妻の二人を愛せる自信はない。いくら妻となる人が割り切れるような人であっても、その負い目に自分は耐えきれないだろうとフェゼントは思う。
 そしてもう一つはシルバスピナ家に対するフェゼント自身の感情であった。フェゼントには自分がシルバスピナの人間であるという感覚がまったくなかった。それどころかフェゼントにとってその名は幸せな家族を引き裂いた憎むべき者の名でさえあった。リシェにやってきてからはシーグルに圧し掛かる重い枷の象徴でもあったその名には、フェゼントはどうしてもいい感情を抱く事が出来なかった。更に言えば、リシェという街にも3、4年あまりしか住んでいないし、そもそもあまり街中を歩いた覚えもないから思い入れがない。そんな自分がシルバスピナを名乗ってリシェの領主となるのはどうなのだと思うのだ。

「……そうですね、重要な話ですもの、そう簡単には決められませんね」

 考え込んだまま黙ってしまったフェゼントを暫く待って、それから明らかに声に落胆を滲ませながらも、ロージェンティはそれで話は終わりだと言うように笑顔で立ち上がった。

「はい、申し訳ありません」
「気にしないで下さい。でも出来れば……前向きに考えてもらえたらと思います」

 それでフェゼントが深く礼をして立ちあがれば、音を立てて背後の扉が開かれる。それに驚いて振り向けば、誰だと思う暇もなくすぐに分かる黒い甲冑と仮面の男の姿を見てフェゼントの体に緊張が走った。




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 入ってきたのは誰かは分るとして、どうして入ってきたのかとかは次回で。
 今回のエピソードは割りとフェゼントサイドの話も多いかな。



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