幸せぽい日常――夏の特訓編――




  【7】



 あれだけ溺れかけても……というか溺れ慣れているのか、レイはあれからしばらくぐったりしていたものの、夕方頃にはまた復活したので予定通り今日の夕飯を任せる事にした。つくづく体力があるのかないのか分からない人間であるが、まぁレイだからと思えばなんだかすべて納得できる。
 ただ彼に食事を任せる時、フユは一言付け加えておいた。

「今日は残った食材全部使っていいっスよ」

 当然レイは瞳を輝かせて拳を握る。

「おぉぉおおう、それはそれはぁ腕が鳴るぞぉぉぉおおおお!!!!」

 と、そうしてまたもや謎のポーズを決めているレイを置いてフユは子供達の様子を一旦見てから山の中へと向かった。実は今日は前から見つけていたナレシデアの実を取りにいくつもりだったのだ。

 今日で食材を全部使っていいという事はつまり、ここでの生活は今日で終わりという事である。

 だから今夜はレイには好きなだけご馳走を作ってもらって、フユは前に山を一通り見て回った時に目をつけていた果物を取りに行くことにした。ナレデシアの実といえばまだ人工栽培出来ていないため野生で出来たものを取ってくるしかないのだが、木ではなく蔓植物な上、実がなかなかつかない事でも有名というかなりのレア果物である。なにせ1つの根から普通は2、3しか実がならないのに、一度実がなったら数年は実をつけないという困った性質まで持っている。勿論味の方も飛び切り甘く美味で、実自体がそこそこ大きいから一つでも数人で分けて食べられる。
 そんな訳でナレデシアの実をとってくれば結構いい金で売れる。ついでに取った場所を冒険者事務局に報告しておけばポイントも貰える。
 それがこの島の山奥に4つもなっていたのだから、これは最後の夜の弟子たちの褒美と主への土産にしようとフユは見つけた時から思っていたのだ。

――こんなになってるのは今まで人が来なかったからでしょうっスねぇ。

 ちなみにそんな貴重な実なら放置すれば動物に食べられてしまうのではないかと思うところだが、ナレデシアの蔓はトゲだらけの上幾重にも蔓が囲んだ中の方に実がなるためまず普通の動物は手が出せない。取るのも一筋縄ではいかないような果物だった。

――ボスのお土産といっても……ボスもあの坊やも甘いモノ好きって訳じゃないのが残念なとこスよね。

 でもまぁ1つはセイネリアに渡すのは部下として当然の事だろう。おそらくカリンや他女性陣が主に食べる事になるだろうが。そうして当然1つは今日食べるものとして、あと1つは……。

――あの坊やの兄上に渡しときまスかね。

 実は最近ちょっと料理に興味を持ったフユはたまにフェゼントと料理の話をする事があった。彼に渡せば何か菓子にしてみたりして午後のお茶請けになるのはほぼ確実で、つまり最終的にはあの少年王が食べる事になるだろう。立場上直接実を渡すといろいろ面倒な事になるから、フェゼント経由にした方が――フユが現在一番守らなくてはならないあの子供に食べてもらえるハズだった。
 ちなみに実の最後の1つは取らずに残しておくつもりである。こういうのは全部取らずに1つ残しておくのがその場所への礼儀というものだと、セイネリアから聞いたことがあるのだ。どうやらそれは、あの男が子供の頃世話になった樵の教えらしいが。

 そうしてフユは、両手に手袋をつけてると少し大きめのナイフを持って、ナレデシアの蔓に近づいていったのだった。







 その夜は所狭しと並んだご馳走を見て子供達が歓喜したのはいうまでもなく。さらにはその後、一生に一度食べられるかどうかという高級フルーツを食べて驚くやらその美味しさに泣くやらで大変だったのだが、そうしてお腹いっぱいでまたすぐうとうとし始めた弟子達を見て、彼らが完全に寝てしまう前にフユは告げた。

「2人ともよくがんばったスね、明日帰るっスよ」

 それを聞いた2人は、あぁやっぱり、という顔で、少々残念そうにしてから笑って、はーい、と元気よく答えた。ただし……。

「ぬぁにぃいい、そうだったのかー」

 食材を使い切れという段階でそうでしかないだろうとツッこむところなのだが、レイだからその程度でツッこんでいたらキリがない。

「いやぁ、気づかないなんてレイはほんっとーにおバカさんスねぇ」

 そんなこんなで、フユの弟子達の島での特訓は終わった。
 まぁ最後に、監視砦のあるエキレッド島まで泳ぐというきついミッションを言い渡されて、弟子達は悲鳴を上げる事になったのだが。







 フユが帰ってくるのは当然王様が首都に帰ってくるのに合わせていた訳だが、帰ってきた途端急にレイが熱を出してぶっ倒れたため、レイが動けるようになるまではフユはソフィアに護衛の仕事を代わってもらって休みの延長をしてもらえる事になった。
 とはいえ別にレイの看病でつきっきりという事もなく、大半は弟子達の訓練に付き合うつもりではあったが。
 ただそうしてゆっくり時間が出来たという事もあって、フユは主への報告もかねて将軍の執務室まで土産を渡しにいったのだが、そこで意外な人物に会った。

「久しぶりですね」

 フユでさえもわずかに目を見開いた。セイネリアが入っていいと言ったから客などいないと思っていたのだが、セイネリアと話し中だったらしいその人物はさすがにフユも驚かざる得なかった。
 それは現ボーセリング卿……ただしフユには元の主人というよりも彼のその前の役目――犬達の『先生』というイメージしかないが。当時はフユ達見習い暗殺者の教育係であった彼が今のボーセリング卿で、その彼が堂々と将軍府にいたのだ。

「先生……」

 だから思わずそう呟いてしまってから、フユは表情を元に戻して丁寧にお辞儀をする。

「これはこれはボーセリング卿、お話中に失礼致しました」

 それにはすぐに穏やかな笑みを浮かべた彼が返してくる。

「そんな改まる必要はないですよ。私が貴方に会いたいと言ったのでそのまま通してもらったんですから」

 相変わらず言葉遣いは柔らかいが、実はフユとしては当時、主である前ボーセリング卿よりもこの『先生』と呼んでいた犬達の教育係である彼が笑った時が一番怖かった。その理由は簡単で、彼が本気で自分よりも圧倒的に強いと分かっていたからだ。
 それでも今は、少なくとも彼に恐怖は感じない。
 それは当然、自分はもうあの当時の見習い暗殺者ではないという事も大きいが、この彼よりも更に強い人間を近くで見ているというのも大きい。

「レイは元気ですか?」
「はい、相変わらずです」
「弟子を取ったそうですね」
「はい、2人の弟子を取りまして、今はまだ鍛えている最中です」
「今では貴方が先生なんですね」
「師匠と呼ばれています」

 フユはいつも通りの笑みで、向こうも笑みを浮かべて、そんな表面的なやりとりをしてから、現ボーセリング卿は苦笑して呟いた。

「変わりましたね」
「先生こそ」

 だがそうしてフユが『先生』に恐怖を感じなくなった一番の理由は――おそらく彼自身の持つ空気が変わったからだと思う。勿論見た目も年をとって柔らかくなったというのもあるが、当時の彼にあった見た目は穏やかなのにピリピリとした緊張感というか得体の知れない不気味な感じがほとんどなくなっていた。
 早い話が、前は感じられなかった人間味が感じられるようになっていた。そしてそれは、おそらく自分もなのだろうとその自覚はある。

「どうやら人を守る仕事ばかりしていたせいか、失くしたくないと思うものが増えてしまったようです」

 そうフユが言えば、自分に暗殺者としての技術を教えてくれた『先生』は、ちょっとだけ驚いた顔をした後にクスクスと笑った。

「それは羨ましい変化ですね。成程、守る仕事ですか……覚えておきます」

 それで相手は視線を外したから、フユはそれを話の終わりと受け取った。だから今度は黙ってこちらのやりとりを見ていた現在の主の方を向き、持っていた果物を彼の席の机において一歩下がる。

「ってぇ事で無事帰ってきた事を報告しに来たっス。そンでこれはお土産っス。島で見つけたナレデシアの実ですので、あとでボスの大切な人と食べてくださいっ」

 セイネリアはそれにわずかに口元だけで笑みを作ると『分かった、ありがたくそうさせてもらう』と言って、フユはそれから2人にむけて深く頭を下げると彼らに別れを告げた。

「それでは俺はこれで、失礼するっス」

 セイネリアがそれに笑みを浮かべたまま手を軽く上げてみせたから、フユは回れ右をして将軍の執務室を出て行った。

 フユは今回島に特訓に行って、思った以上に自分が弟子達に情を持っているらしいというのを再確認した。レイが溺れて、エリアドがそれを助けに行った時に、本気で自分は彼らを助ける事しか考えられなかった。確実に冷静だとは言い難かった。

――本当に、随分と人間臭くなったもんスねぇ。

 それを笑って思えるのだから確かに自分は随分変わったのだろう。





---------------------------------------------


 ってことでもうあと1話で終わり。
 



Back   Next

Menu   Top