【1】 将軍セイネリア・クロッセス。この国の恐怖の象徴とも言える彼は宮廷内で絶大な発言力を持つものの、国政が安定してきた今はあまり公な行事には出なくなっていた。 そのせいもあるのか、宮廷貴族達でセイネリアを忌々しく思っている者達は日常的に割合堂々と将軍の悪口を言い合っていた。勿論王や摂政であるロージェンティ、将軍府の関係者がいるところではさすがに口に出さないが、貴族同士のパーティーや集まりではセイネリアに対する相当下世話な噂話や嘲笑が飛び交っていた。 ただこれが許されているのは、セイネリア自身が自分の悪口程度は気にしないというのが一番大きかった。密告で誰々が将軍のこんな噂話を流していた――なんていうのが入って来ても特に罰を与える気はない。そもそもそんな密告が来る前に、セイネリアが持つ情報網から話は入って来ているというのもあるのだが、とにかくそうして放置しているのもあって将軍セイネリアに対する悪い噂は野放し状態ではあった。 「……あいつらもよく飽きないものだ」 今日もまた、どこかの貴族の流した噂話の報告を聞いてセイネリアは呆れる。 「たまには少し釘を刺しておきますか?」 カリンが笑いながら聞いてきて、セイネリアは足を机に投げ出した。今日は側近のレイリース、つまりシーグルは騎士学校の講師をする日で将軍府にはいない。代わりにカリンが執務室にいるため、事務仕事……ではなく情報屋関連の仕事の方、報告を聞くのは勿論、配置の見直しや状況確認など、普段は『いつも通りで』で流しているところまでもじっくりと話していた。 「いや、放っておけ。奴らが下種な噂を流せば流すだけ、皆慣れてどんな噂でも驚かなくなる」 「……確かに、そうですね」 嘘の噂や誇張しすぎた噂があれこれ出回っているからこそ、もしこちらがバラされたくない真実が噂として飛び交っても誤魔化せるというのもある。それにもともと、セイネリアは自分に関してはわざと『悪い噂』を流されるようにして、それを利用してきたというのもある。 「面と向かったら頭を下げる事しか出来ない奴らのガス抜きだ、勝手にいわせてろ」 「そう……ではあるのですが、どうやら最近、噂話だけでは気が済まなくなっている者達がいるようです」 それには思わず、ほぅ、と声を上げて、セイネリアは楽しそうに自分に一番忠実で自分の考えを一番理解できる部下に『何があった』と楽しそうに聞き返した。 「あとで正式な招待状が届くと思いますが、今度の国王の誕生日の前夜に行われる宴は『仮面舞踏会』になるそうです」 「『仮面舞踏会?』」 「はい、表向きは国王陛下に楽しんでもらうため――ですが、それに付け足して、国王の大好きな将軍閣下が気兼ねなく参加できるように皆で仮面をつければ良い――という事で国王陛下に提案したそうです」 「つまり、何があってもその舞踏会に俺を出席させたいということか」 カリンは笑っている。セイネリアは呆れた。 仮面舞踏会が普通の舞踏会と違うのは、皆仮面をつけたり変装したりしなくてはならない事と、『誰が誰か分からない』事が前提となるからダンスに関しては誰が誰を誘ってもいい、つまり身分を気にしないで踊れるという事である。 だからその意図はすぐに分かる。 「奴ら、俺が踊れないと思ってるのか」 セイネリアはククっと喉を鳴らす。 カリンも笑う。 「おそらく」 そういえば確かに人前で踊った事はなかったか――セイネリアは少し考えた。 今回の件は、セイネリアの下種な噂話や悪口だけで飽き足らない連中が、将軍に恥をかかせてやろうと思って計画したことだろう。実際は騎士試験にダンスもあるから恥をかかない程度には踊れて当然なのだが、まぁ連中に騎士試験を受けた事があるものがいないのだから仕方ない。 「平民出なら踊れる筈がない、としか思ってないんだろうな。本当に馬鹿だ」 「未だにボスの悪口を言ってるような連中は、頭の悪い者ばかりですから」 「確かにな」 前王リオロッツを倒した時に無能な貴族はかなり消えたが、いくら無能でもこちらに敵対してこなかった連中まで粛清した訳ではない。それに能力的には凡庸くらいの連中なら、決められた仕事が出来るならそのままの地位に残してはある。あとは平民を見下していても仕事はちゃんとやれる者も当然残してある。 基本的にリオロッツではなくロージェンティについた貴族達は旧貴族や保守派の連中であるから、平民出であるセイネリアに頭を下げる事がおもしろくない者はかなりいる。ただし能力的に優れていれば身分に関係なく要職につかせているから、結果的に重要な役職にいる者は貴族的地位はそこまで高くない、もしくは平民出が多い。当然彼らはセイネリアを恐れてはいても支持している。 ちなみに宮廷周りは前者が多いが、騎士団では圧倒的に後者が多い。騎士団は将軍府の直下になった事もあって、邪魔な無能共は無能ではどうにも出来ない状況に追い込んでさっさと辞めさせた。おかげで一気に騎士団の運営が健全化したという訳だ。 ――あのジジィが今の騎士団を見たらどういうかな。 久しぶりに思い出した師であった老騎士があの世で笑っている気がして、セイネリアは薄い笑みを唇に乗せる。騎士団の膿を取り除いて立て直したのはシーグルのためではあったが、結果的にあの師であった男の希望を叶えてやった形となったのかもしれない。 ただ騎士団がこれだけさっさと正常化出来たのは、シーグルが騎士団内で有能な連中の支持を集めていた事と、セイネリア自身もかつて騎士団にいて実情をよく知っていたからというのが大きい。 ――考えれば、俺にダンスを教えたのも、騎士団に入る事になった原因もあのジジイか。 まったくあんたはどれだけ俺の人生を変えてくれたのだと思って……セイネリアは自嘲の笑みと共に、かつての師の向けて感謝の言葉を贈る。久しぶりに墓でも行くかと考えてから、その時にシーグルも連れていこうと思う。あのどこまでも真面目で堅物な老騎士なら、きっと貴族騎士として理想のような立ち居振る舞いのシーグルを気に入るに違いない。 「ボス、それで例の舞踏会は参加されるつもりですか?」 そのカリンの言葉にセイネリアの思考は現実へと戻ってくる。 「そうだな、そこまでお膳立てされたらちゃんと出て奴らを落胆させてやるべきだろうが……」 「何か問題点が?」 言われてからセイネリアは顎を撫でて、楽しそうに言った。 「いや、ただ出るだけではつまらないから利用させて貰おうと思ってな」 「利用、ですか?」 カリンが怪訝そうに聞き返してくる。セイネリアは上機嫌で答えた。 「あぁ、利用していろいろ楽しませて貰うさ、お前も手伝え」 それにはとりあえず即答で了承を返してきたカリンだったがまだ表情は怪訝そうで……けれどそこから少し計画を話せば、彼女は苦笑を浮かべて呟いた。 「また、シーグル様に怒られますね」 騎士試験を受けるには貴族騎士の従者を一定期間務めて試験許可証を貰う必要がある……というバカげた決まりがあったせいで、コネのない平民出で騎士になるのを諦めた者は多い。 もともとは騎士としての基本技能や知識を身に着けるためのその決まりは、貴族騎士の堕落と共に単なる貴族騎士の小遣い稼ぎや、奴隷のように扱える下僕を入手するための手段となってしまった。 だからセイネリアが将軍府を開いてある程度のゴタゴタが解消した後、騎士学校を作ってそこの卒業証書が騎士試験の許可証として使えるようにした。当然騎士学校に入るための試験はあるがそれはセイネリアが定めたモノで、試験官は勿論学校の教師達もセイネリアが任命した者が実力で選んだ者ばかりだからまず不正はない。 ただ有能で信用出来る人材はどうしても不足しがちで、だからシーグルに臨時講師の話がきたという訳なのだが……。 勿論シーグルは騎士学校の設立はとても喜ばしい事だと思ったし協力したいと思ったから講師の件を断る理由はなかった。セイネリアは不満そうだったがシーグルが頼み込めば許可をくれた。……まぁ、それもあって講師をしてきた日の夜は、ある程度セイネリアの好きにさせてやるのが恒例にはなったが。 それでも毎回、シーグルが彼の元を離れて騎士学校に行ってくる日のセイネリアは機嫌が悪い。行く時も機嫌が悪ければ帰ってきた後も機嫌が悪くて、機嫌を直すまでに過剰なスキンシップをされてベッドへ……というのがいつもの事だったりする。 なのにその日、騎士学校から将軍府へと帰って来て会ったセイネリアは機嫌が良かった。執務室に入ってこちらが帰った事を告げると、彼は上機嫌としか思えない笑顔で出迎えてくれた。 「おかえり、シーグル」 いや、勿論機嫌がいい方がいいのではあるが、理由が分からない彼の機嫌がいい状態は何か企んでいるに違いないというのがある。だから直感的にシーグルは嫌な予感がした。こいつ今度は何をする気だと身構えるのは当然だった。 「もう遅いからな、さっさと飯にしよう。お前が帰ったらすぐもってくるように言ってある」 「少し早くないか?」 油断はしない、絶対彼は何かたくらんでいる。 だから身構えて、身構えて……その末に彼が言ってきたことは意外過ぎた。 「何、終ったらちょっと付き合ってもらいたくてな」 「何だ?」 「少しダンスの練習に付き合え」 シーグルは眉間に深い皺を作った。 --------------------------------------------- 今回は基本、仮面舞踏会を使った二人のいちゃいちゃ話だと思ってください。 |