将軍府の人々
シーグルとセイネリア以外がメインの将軍府の日常話



  【7】



 傭兵団の敷地をまるまる将軍府に改造した後でも、ここ西館はあまり手を入れられていない。庭に咲く色とりどりの薔薇達を眺めながら、元リパの大神官であるロスクァールは養女であるアルタリアと日課のお茶の時間を楽しんでいた。
 ちなみに、このお茶の時間はいつもだとソフィアも一緒である。忙しくない時だとカリンやエル、アリエラもいる事があるが今日は久しぶりに二人だけだった。なにせ先ほどセイネリアの人形を見る為に皆で時間を使ってしまったから、そのしわ寄せもあって今は忙しいのだ。

「今日は私とだけで寂しいかい?」

 聞いてみれば、アルタリアは急いで首を振る。

「そんな事ないっ。私は父さんと話すの大好きだからっ」
「それなら良かった」

 ロスクァールが笑えば、アルタリアも少し照れたように頬を紅潮させて笑う。こんな時間がロスクァールにとっては宝物のように幸せで、これに関してはセイネリア・クロッセスに感謝してもしたりない。彼が今幸せそうにしているのは、だから見てるだけでロスクァールも嬉しかった。

「父さんと二人だけで話すのは久しぶり」
「あぁ、そうだったね。魔法の勉強の方はどうだい?」
「相変わらず力の調整では怒られることが多いけど、前よりずっと良くなったって言われる……」

 それから彼女は、今どんな魔法を使おうとしているかとか、師匠であるアリエラの事などを楽しそうに話し出す。二人だけで話す時は基本的にロスクァールは聞き役だ。それは大神殿で初めて彼女に会った時から変わらない。

――大きくなったものだ。

 彼女に初めて会った時はまだ小さな子供で、ここへ来て初めて『父さん』と呼んでくれた時もまだまだ子供だった。最初は同じ部屋で生活をしていたものの、ある程度の年齢になった時からアリエラの弟子となってアルタリアは彼女の部屋で寝泊まりをするようになった。ただ、今でも朝の庭の手入れの時間と、午後のお茶の時間だけはこうしてロスクァールに付き合うのが日課となっていた。
 その度に楽しそうに魔法使いの弟子としての出来事を話してくれて、彼女の成長を日々実感することができる。
 どうやらアルタリアは魔法をひたすら抑えてきたせいで、完全に抑える事は出来るが使う時には力が強すぎてうまく力を絞れないらしい。それもあって結界魔法が得意なアリエラがとりあえず師匠となってアルタリアに力の調整方法を教えている。なにせ彼女の結界の中なら多少やりすぎても被害が出る事がないから――彼女の弟子になるように紹介してくれたのもセイネリアであるから、本当に彼には感謝しかない。

「父さんは体大丈夫? もう歳なんだから無理しちゃだめよ」

 さすがに髪が真っ白になってすっかり爺さんじみた風貌になってしまったのもあって、アルタリアは毎日会う度にそう聞いてくるようになった。

「はは、私は元気だよ。庭の手入れがいい運動になっているからね。……本当に、こうして庭弄りとお茶とおしゃべりと本を読むだけで一日が終わって、神殿でのような煩わしい人付き合いもないからストレスもない。こんなに健康にいい生活を毎日していれば病気にもならないな」

 実際のところロスクァールのここでの普段の生活といえばそれで、ある意味理想の隠居生活だ。一応あの男の命があればどんなことでもするつもりだが、あくまで彼がこちらに声を掛けてくるのは『大神官でないとならない』仕事の時だけだ。大きい仕事がなければあとはあの青年の専属医みたいなもので、一時期はそれはそれでかなりいろいろあったが今はちょっとした相談役と軽い治癒術を掛けてやるくらいだから大した仕事ではない。基本は暇で罪悪感を感じるくらいだった。
 最近は暇すぎると一人なこともあってサーフェスの手伝いにも行ったりするが、彼も彼で傭兵団時代よりも暇だそうで、茶飲みとおしゃべりだけで終わる事も少なくない。

「――……それでね、ソフィアが部屋に入ったらシーグル様が頭を抑えてベッドにぐったり座ってて、マスターがいなかったからどうしたのか聞いたんだって。何だったと思う?」
「彼が頭を抑えていたのは二日酔いで、その原因がマスターだったから部屋から追い出したんだろう?」
「すごい、なんでわかったの?」
「うん、実はね、その日彼は私のところにきてね、二日酔いをどうにかできないかと聞いてきたんだよ」
「えー、ずるーい」

 そこでまた二人して声を上げて笑い合う。
 実はアルタリアはここにきてからずっとあの男の事をいつまでたっても怖がっていた。あの男のおかげで今の生活がある事は分かっているから感謝はしていると本人も言っていたが、その姿を見ると怖いといつもあの男から隠れていた。だが、ソフィアが来てからはあの男に挨拶が出来るようになり、シーグルが来てからはこうして普通に雑談で彼の話をすることも多くなった。
 それは多分……原因は慣れたというよりあの男が変わったからだろう。
 昏い目をして何か全てから超越したような――得体のしれない空気を持っていたあの男が、あの青年を愛する事で変わっていった。それをアルタリアは感じ取っていったのだろう。

――簡単に言えば、随分人間らしくなった、だろうか。

 初めて会った時のあの男の印象は、噂通りの『化け物』だった。だからこそこちらの……普通なら相手にとってかなりリスクのあるだろう願いを言って頼る気になったのもある。だが、今のあの男はあの青年の行動に一喜一憂して、悩んで、幸せそうに笑って――最初の印象からすれば別人のように見える。
 超越者のようだったかつてのあの男からすれば、それはある意味堕落したと言えるのかもしれない。
 けれど確実なのはあの男にとっては今の方が幸せだという事で、それならば無条件で今の方がいいとロスクァールは考える。だから自分の仕事は、とにかく出来うる限りの力であの男が愛するあの青年を守る事だと分かっている。

「あっ、いけない」

 そこで午後の鐘が鳴ったから、アルタリアが急いで椅子から立ち上がった。

「……もう時間だわ。じゃぁ父さんまた明日、部屋に帰るまでに転んだりしないでね」
「やれやれ、まだ足には来ていないよ」

 そこでまた笑って手を振った彼女に、だがロスクァールは手を振り返す代わりに聞いてみた。

「アルタリア」
「なぁに?」
「今は幸せかい?」

 彼女はそこでにこりと満面の笑みを浮かべ、迷う事なく即答した。

「幸せよ。父さんと……マスターのおかげ。感謝してる……だから私、父さんとマスターの為ならなんでもする」

 言いいながら抱き着いてきた彼女の頭を、ロスクァールもまた満足そうな笑みを浮かべて撫でた。







 将軍府の立派な門構えを見て改めて感心してから門に入れば、大きな声を掛けられてナードはびくりと驚いた。

「おかえりなさいませ!」
「お、おう、ごくろうさん」

 きびきびした声に思わず背筋を伸ばしてしまってから、ナードは気まずそうに愛想笑いをして門を抜けた。門の警備は騎士団からの人間がやっているからこうしてぼうっと考え事なんかしながら門を通ると、キリっとした姿勢でキリっとした声の挨拶なぞされてしまって驚く……という事は慣れた筈の今でも結構よくあるのだ。

 『元』黒の剣傭兵団――はトップのセイネリアが将軍様になった事で、場所はそのまま将軍府となり、その団員達も将軍府の所属となった。将軍府なんて政府の機関の一つになれば組織としての規模がまったく違うものになる訳で、当然元傭兵団の人間だけで回せる筈もなければその時の流儀のまま運営出来る訳もない。基本将軍府は国の軍部――つまり騎士団の上にあるものであるから騎士団の人間がここで働くようになるのも当然の事で、政府の機関であれば貴族やらいろいろ偉い人間も出入りするから外面はちゃんとしなくてはならない……という事で、主に外からきた人間が見えるところには騎士団の人間が配置されている。

――いやそりゃ俺らに偉いさんの出迎えしろって言われたら困るわな。

 マスター……つまり将軍セイネリア・クロッセスはその辺りはきっちり分かっているから、元傭兵団の連中は貴族や役人には対面しなくていいような仕事に回されている。基本は警備ではあるのだが、外からの人間がこないような建物内や屋上の警備が主で、後は外への買い物、騎士団や砦への伝令や、騎士団の調査に同行したり……なんて仕事が割り当てられている。
 適度に騎士団の連中とも交流があるから彼らとも仲良くやっていけてるし、なにより『元黒の剣傭兵団員』という事である意味彼らからは尊敬のまなざしで見られているからこちらも気分よく付き合える。自分の実力以上に『あのセイネリア・クロッセスの以前からの部下』という肩書が効いているのではあるが、ごろつきと騎士団員が同じ職場になった割りにこんなにも平和に済んでいるのだからやはりあの男はすごい、としか言いようがない。

「お、ナード何処いってたんだ?」

 声を掛けてきた人物はダイエンと言って、彼もまた元傭兵団の人間だ。元団員は口と姿勢の悪さですぐ分かる。

「ドクターから買い物頼まれたんだよ。大変だったんだぜ」
「っていってもなぁ、どうみても手ぶらでいう言葉じゃねぇな」
「そらなぁ、鍵もらってっからな」
「へぇ、そんな多かったのか」
「もうな……つっかれたぞ」

 それで向うも乾いた笑いと共に手を振って去っていく。彼は確か今日はこの階の警備役の筈だった。

「ドクター、入りますよー」

 団時代から引き続きここの医者である魔法使いの部屋の前に来たナードは、ドアをノックしてすぐ開けた。入ってはいけない場合は鍵が掛かっているから、基本的にはここは開くなら勝手に入っていい事にはなっている。鍵をかけ忘れたり緊急で何かあった場合でも入ってすぐはカーテンをくぐらないと中が見えないから、そこで文句を言われなければ問題ないと判断していい筈だった。
 だが、カーテンを手で開けて中に入ったナードは途端、固まった。

――なんでマスターが?!

 将軍セイネリア・クロッセスが座ってる姿が見えれば、驚きすぎてパニックに陥るのも仕方がない。とりあえず背筋を伸ばして、強張る唇を開いて挨拶の言葉を――え、いやここは敬礼か? それとも失礼しましたと出て行くところか? ――と焦って声が出ずに口だけパクパク動いているナードに向けて、そこで気楽そうな声が掛かった。

「そのマスターはただの人形だから気にしなくていいよ。で、頼んだモノは全部買えたのかな?」

 この部屋の主であるドクター、魔法使いサーフェスの声に、ナードの目が点になる。それからドクターとマスターの人形を見比べて、更によく人形を見て、納得して、ほっと息をなでおろした。

「2つ程在庫がなくて指定の数が揃いませんでした。こっちがそのリストです」
「ふーん、入荷は2日後と4日後か」
「入荷次第こっちにもってきてくれるそうです。金は先払いしときました」
「うんそれでいいよ。将軍府宛てで金だけちょろまかすような馬鹿はいないだろうし」

 ちなみに話をしながらもナードの目はちらちらとセイネリアを模した人形に行ってしまう。確かに言われれば少なくとも生きた人間ではないとは分かるが、肌の質感だけとか見ても人形には見えない。

「……気になる?」

 こちらの視線を見ていたのかドクターにそう聞かれて、ナードは嫌そうに答えた。

「そりゃぁ……マスターがいるみたいで心臓に良くないですから」
「ははっ、相変わらず怖がられてるなぁ将軍閣下は」
「そりゃぁ……てかなんであんな人形が?」
「あぁほら、最近会議でお飾りみたいに座ってるだけの仕事増えたでしょ。面倒だからたまに身代わりさせるためって事でね」

 勿論サーフェスの言った理由は適当なごまかし台詞なのだが、セイネリアが将軍になっても貴族や役人が嫌いで、彼らの会議やパーティやらを馬鹿にしているというのを分かっているナードにとってはとても納得出来た。その言葉を苦笑で聞いて……それでナードは思い出したように腰にある麻布の一つを外した。

「あ、鍵返しますね」
「うん、確かに。ありがとう」

 魔法の鍵を返せば、魔法使いの医者は受け取ってすぐ目の前の空間に差し込み『穴』を開ける。これは異空間に倉庫のような空間を作る魔法だそうで、この鍵で何処からでもその中へ入る事が出来る。つまり鍵を持っていれば、買い物先で『穴』を開けてその中に物を詰め込めばわざわざ持って移動する必要がない訳である。冒険者なら大抵の者が買っている冒険者の荷袋と似た系統の魔法だそうだが、それよりも規模が大きくて便利なのは確かだ。おかげでどれだけ大量の買い物を頼まれても手ぶらで気楽に行って来れる。

 さて、仕事も終わりかとほっと一息ついたナードだったが、顔を上げればやはりマスターの人形が目に入って分かっていても表情が強張る。その様子を見てまたドクターが笑う。

「人形と分かっててもそんなに怖いかな?」
「あーいやー……なんかもう反射的というか。なにせマスターが一人でいると大抵機嫌よくないじゃないですか」
「あぁ……」

 そこで医者の魔法使いは更にくすくすと笑いだす。

「ならもしかして、レイリースの人形も傍にあればもうちょっと緊張しなかったかな?」
「あー……かもしれません」
「だよね、彼がいる時は大抵あの人機嫌いいし、言いたい事があっても彼に言えばいいし」
「ですねー、マスターがいるとびくっとなるのも条件反射ですが、レイリースが傍にいるの見ると体から力抜けますんで。……いや本当に、レイリースが来てからはすっげー助かってます」

 元団員達は当然セイネリア・クロッセスとの付き合いはそれなりに長い者が多い。口答えがあり得ないのは当然として、ちょっとした意見やら雑談でさえあの男に話しかけるのは無理……という状況がレイリースが来た時から変わった。いや別に好き好んでマスターに話しかけたいとは今でも思わないが、マスターに堂々と意見を言って口喧嘩さえ出来る人物が間に入ってくれるのは大きい。しかもあのマスターにどんな手であれ一度でも勝った彼には尊敬と称賛の言葉しか出ない。
 そして……マスター自身、本気で彼が傍に居る時は嘘みたいに纏う空気が柔らかいのだ。

「いやなんていうか……マスターでさえ、惚れた弱みってのはあるモンなんですね」

 呟けば、ドクターがこちらの顔を覗き込んでまで聞いて来る。

「……分かるんだ?」
「そりゃ分かりますよ、レイリースいるだけでマスター上機嫌じゃないですか。あいつがただのお気に入りじゃない事くらい皆分かってますって」

 そこで魔法使いは笑いだして……最初はくすくすと、やがて声を上げて笑いだしてナードは困惑するしかなかった。

「あの……ドクター?」
「うん……はは、いやごめん。まぁあれだ……平和だよね」

 なんだかよく分からなかったがナードに出来たのは、そうですね、という気の抜けた返事だけだった。



---------------------------------------------


 すいません、後一話あります……。
 



Back   Next

Menu   Top