強くなるための日々
シーグルがセイネリアから離れて修行中の時の話



  【9】



 シーグルにとってはあまりにもあり得ない、考えた事もない言葉に最初はただの冗談だと思った。大師は普段からこちらを揶揄ってくるような事はよくあったし、まさかそれが本気の言葉とは思わなかった。
 けれども。

「……まぁ、正確にはアッテラ神官そのものになれというのとは少々違うがな、アッテラ神官になれるだけの修行をしてその力を使えるようにならないかと言う事だ。前にも言ったじゃないかね。あの男に勝ちたいと思うのなら強化術を使えるようにすべきだと」

 確かに初めて大師に会った時、ここへきた目的としてセイネリアに勝てる強さを手に入れるためと答えたら、ならば強化術を使えるようすればいいと言われはした。シーグルが困って自分はリパ信徒ですからと答えたら大師は笑っていただけだったから、それはただの冗談だとばかり思っていた。
 けれど今、大師の顔は優しそうに微笑んではいても目は真っすぐシーグルを見据えていて、それに冗談だろうと返す事は出来なかった。

「改宗しろとはいわぬよ、秘密を知っているお前なら一時的にアッテラ信徒の輪に組み込んでも問題ない。なに、リパ信徒なのはアルスオード・シルバスピナだ。レイリース・リッパーは最初からアッテラ信徒という事なら問題なかろう」

 確かにシーグルは三十月神教の真実を知っている。神は作られたもので、信徒はそれぞれの魔法の輪に組み込まれているだけだと分かっている。それでも、ならばと割り切れる話ではなかった。

「それは……いくら強くなりたいと言ってもあまりにも虫の良すぎる話ではありませんか?」

 知っているから、戦う時だけアッテラの術を使えるようにする。一般人なら二種類の神殿魔法を使うのはあり得ないが、特例として使えるようにする――と考えれば、それはどう考えても狡いのではないかと思うのだ。

「ズルは嫌かね」
「はい、勝つためならなんでもするつもりですが、正々堂々と勝ちたいのです」

 恐らくセイネリアなら、どんな姑息な手を使ってでも負かせば負けを認めるだろう。けれどそれでは実力で勝った事にはならない。誰が見てもケチの付けようがない勝ち方をしなければならなかった。

「ふむ……そこまで頑なに真っすぐ過ぎるのもどうかと思うがの。そもそもズルというのは楽をしたり、普通は手に入らないような勝負に水を差す外的な何かに頼ったりした場合を言うんじゃないかな。アッテラの術はちゃんと一般人が努力だけで手に入れられる力だ、お前がきちんとその資格を得るだけの修行をした上なら少しもズルにはならんじゃろ。それでも気になるならリパの術を使わなければいい。アッテラの術だけ使って勝負をしたなら、それはただの鍛えたアッテラの信徒として堂々と勝負をしたことになるだろよ」

 言い切ると、大師は傍の籠に入っていたシェレナの実を口に入れた。いわゆるハーブのようなものだが、噛むと口の中をさっぱりさせ、リラックス効果もある。

「お前さんもどうかね?」
「いえ……私は」

 断ると大師は黙ってシェレナの実を齧りだす。
 シーグルは考えていた。
 確かにアッテラの術だけを使ってあくまでアッテラ信徒として戦うなら、それはズルには当たらない……とは言える。けれどもいくら秘密を知ったとしても、それならとリパ信徒である事を捨てて一時的とはいえアッテラに乗り換えるのはどうなのか。例え作り物の神であったとしてもリパ信徒である事を誇りに思ってきたシーグルにはそれはどうしても納得できなかった。

「……それでも私はリパ信徒としての自分を裏切れません」

 そう返せば、大師は小袋へと口にあったシェレナの実を吐き出してから口を拭う。

「すぐに結論を出さずともよいであろ。もう少しよく考えなさい。ただ言っておくとな、戦闘におけるお前さんの最大の弱点は力と体力だ、それは自分でも分かってるのだろ?」
「はい」
「そしてそれはあの男も分かってる。あの男でさえ、お前がまさか自分以上の力を出すとは思ってはいない」

 その言葉に思わず、シーグルはうつむいていた顔を上げた。

「……彼以上の力、ですか?」
「ザンゲツの技を使えれば、一瞬だけなら可能であろうな」

 セイネリアに力で勝つ――シーグルは考えた事もなかった。セイネリアには力では勝てないとそれを前提として勝つ方法を考えていたシーグルにとってそれはまさか青天の霹靂ともいうべき考え方で、試してみたいという思いが湧き上がる。
 それでもリパ信徒として長くその教えに従ってきたシーグルにとっては、切り替えて決断できる話でもなかった。
 ぎゅっ、と両の手のひらを握りしめシーグルは呟いた。

「……暫く、考えてみます」
「そうしなさい。ザンゲツに教えを請うのは結論が出てからでいいだろ。それによってあ奴も教える内容が替わるからの」
「はい、そうですね」

 それで大師は黙って目を瞑ったから、シーグルは退出の挨拶をして部屋を出た。一時的にアッテラの信徒になるべきか……考えてもすぐに結論が出る訳もなくて、シーグルは苦笑とともに大きなため息をついた。






 アッテラ神官になる――当然その日一日シーグルの頭はその事で一杯で、ずっと考え込んで過ごす事になった。
 おかげで折角大神殿に行ったのに他の修行者達との手合わせはせず、一人でも出来る基礎訓練だけをして一日が終わった。勿論、一人とはいってもアウドはそれにずっと黙って付き合ってくれていたが。彼もこちらが考え込んでいるのを察してくれていたからヘタに話しかけては来なかったが、それでもこちらに常に気を使ってくれているのは分かっていた。
 ソフィアもやはりこちらの状況を察してあまり話しかけてくることはなかった。ただ心配そうな顔でずっと見ていたから、一言だけ『悩んでいるだけだ、君が心配するような何かが起こった訳じゃない』とだけは言っておいた。

 食後に思い切ってリッパー導師にも相談してみたが、彼も大師に同意した上で、決めるのは自分でしなさいと言われた。

――どんな手を使ってもあいつに勝つと決めたなら……やはり割り切るべきなのだろうか。

 彼に勝つ事を優先するか、リパ信徒であるという誇り優先するか。結局、突き詰めて単純に考えてしまえばそれだけの話ではある。リパの術を使わず、あくまでアッテラ信徒のレイリース・リッパ―として戦うのであれば狡くはない――その考えに抵抗がなくなったとは言えないが、それはまだどうしても割り切れないと言える程ではなかった。

――リパ教徒である自分を捨てる、のか。

 そう考えてしまえば、どうしても思い切れない。かつて、幼いシーグルにとってはリパの教えを守る事は母を感じる事でもあった。リパ神官である母の事を思い出して、その教えを守る事で母の傍にいる時を思い出せた。その自分を否定は出来ない。

「シーグル様」

 廊下を歩いていたシーグルは、そこで掛けられたアウドの声に反射的に顔を上げた。ただ頭はまだ悩んでいたままだったから――急に腕を掴まれて体ごとひっぱられて、抵抗しようと思った時にはアウドの部屋の中に連れ込まれていた。

「おいっ、アウドっ」

 言えば体を押さえられたまま口を手で塞がれる。ぼうっとしていたせいで完全に抑え込まれてしまっていて、すぐに逃げ出す事が出来ない。普通に戦えばアウドに負ける事はないシーグルだが、抑え込まれて単純な力勝負になれば逃れるのは難しい。
 それでも、アウドは二度と自分の同意なしでは手を出さない筈――そう考えて彼の顔を睨めば、彼はいかにも色欲に塗れた目で自分を見ているのではなく、どちらかといえば辛そうな顔でこちらを見ていた。

「まったく……隙だらけじゃないですか」

 溜息までついて項垂れるから、シーグルも思わず体から力を抜いた。そうすればアウドも手の力を緩めて……シーグルを離してくれた。

「いくら顔を隠しているからっていっても、今の貴方はいろいろ駄々洩れ状態で危ういんですよ。俺が今日どれだけ貴方の姿を他のモンに見えないように頑張っていたか分かってないでしょう」

 言われて考える。……確かに黙々と基礎訓練をしている最中、アウドは他の人間からシーグルを遮るような位置で訓練をしていた……かもしれない。

「それなのに貴方の方は考え事で頭が一杯で隙だらけ。……いや、流石に俺もちょっと理性が吹っ飛びそうになります」
「……お前は、二度と俺の同意なしではそういう事はしない……筈だ」

 シーグルが彼に確認するように言えば、アウドは途端怒鳴り返してくる。

「しませんよ! えぇしそうになりますけど意地でも抑えますよ! ただ少し貴方を脅してさしあげたかっただけです。ったく、信頼してくれるのは嬉しいですが、貴方は特に一度身内に入れた人間には気を許し過ぎです。それにいくらここではまず他の人間がこないからといっても隙があり過ぎです。俺にこうして簡単に部屋に連れ込まれる段階でご自身でもお判りでしょう? 将軍様とあれだけ自分の身には気をつけると約束なさったのをお忘れですか?」

 ……そこを突かれると反論のしようがない。考え事で一杯一杯だった、周りに怪しい人間がいないから油断していた、顔を隠しているから問題ないと思っていた等々……言い訳はあるのだが、だからといって注意力が欠けていたのは事実として否定のしようがない。セイネリアが離れるのを許す代わりに出した条件を守れていなかったというのは事実だった。

「確かに……俺は注意力が欠けていた、すまない」

 アウドはそれに大きくため息をつく。それから暫く考え込むように額を手で押さえてから、思い切ったように言ってきた。

「分かって下さればいいです、と言いたいところですが、貴方はもう一つ分かってない事があるんですよ。だからわざわざ俺の部屋に貴方を連れ込んだんですからね」
「……もう一つ? なんの事だ?」

 アウドはこちらの顔を見ると困ったように……そしてとても言い難そう、というより小声ではあるがやけくそのように言ってきた。

「シーグル様、貴方、溜まってるでしょう?」

 シーグルは目を見開いて硬直した。




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 次回か次々回あたりにエロかな……。
 



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