強くなるための日々
シーグルがセイネリアから離れて修行中の時の話



  【8】



 翌朝、いつも通り朝起きて一番にアウドにあったシーグルは、おはようの挨拶の後にふと聞いてみた。

「そういえばアウド。昨夜、俺の部屋の前を通ったり……しただろうか?」

 実はシーグルはアウドが夜に何度か起きてはシーグルの部屋の前に来て異常がないかを確認している、というのを知っていた。彼はわざわざそんな事をしているとは言ってこないし、その行動もソフィアを安心して寝かせるためもあるというのも分かっているからシーグルはずっと気付いていないふりをしてはいるが。

「そうですね。絶対貴方が寝てそうな時間に、将軍様の声だけが聞こえたりはしましたが」

 シーグルは警戒して聞いてみた。

「……それは……何かヘンな言葉とかじゃなかったか?」
「ヘンというと?」
「いやその……眠ってる俺に怪しい夢を見させてやろう、という意図の言葉……とか」

 まさか、寝てる間にそういう行為中を匂わせるような事をセイネリアが言っていたか――とは聞ける訳がない。彼が勝手に一人で呟いて満足しているだけならそれでもまだいいが、もし自分が寝ながらそれに応えてヘンな声を出したり喘いでいたりしていた日には恥ずかしすぎる。セイネリアに文句どころか暫く口をきかないくらいはしてもいいくらいの事態だ。なにせいくらシーグルでも、寝ている時まで自分を完全に制御できるとは言い切れない、ここは他人に聞いてみるしかなかった。

「怪しい夢を、ですか……そうですねぇ。あまりハッキリ聞こえませんでしたので」
「ならその……俺がそれに何か答えて声を出していたりというのはなかった……か?」
「えぇまぁ将軍様の声だけだったと思いますよ」
「そうか……」

 一応ほっとはするがなんとなくほっとしきれないものは残る。そもそもやっぱり自分が寝ている間にセイネリアが何か言っていたというのは何か怖い。怪しい言葉を言っていなかったとしてもセイネリアの独り言というだけでも怖い。

「成程……原因はやっぱり……なんですね」

 そこでアウドが溜息をついて呟いたからシーグルは聞き返した。

「原因、というのは?」
「いえ、何でもないです。それより早く顔を洗ってきてください。そんな寝起きの恰好でいつまでも廊下にいると風邪をひきますよ」
「あ、あぁ、そうだな」

 とりあえず風邪を引く気も朝の時間を無駄にする気もないから、シーグルはそれでさっさと水場へと向かった。






 急いで水場へ向かう最愛の主を見送ってから、アウドは深い溜息をついた。
 予想通りではあるのだが、シーグルの様子が少々おかしい原因はやはりあの将軍様だったらしい。今朝も気だるげな色気を出しまくっているシーグルを間近に見て平静を保つのに苦労したアウドは、本気でどうすべきか悩んだ。

――ご自分で処理するか割り切ってくれるような人ならいいんですけどね。

 あの将軍様のお相手をしていて、今でも色事には初心なままというのはおかしいだろ、と思わずにはいられない。いや……初心というより、そっち方面で酷い目に合い過ぎたせいでまず拒絶が先に立ってしまうのかもしれない。
 どちらにしろ、そっち方面に関してのシーグルは心と体のバランスが取れていないのは確かで、そういう意味で長くあの将軍様と離れるのは問題があるのだが……本人は自覚がないのだから困る。
 勿論、あの何でも分かってそうな将軍様はそれを見越してアウドやソフィアをつけているのもあるのだが。

――やっぱりそろそろ言った方がいいですかね。

 アウドはまた溜息をついて、水汲みに行く準備のためにシーグルより先に外へ出た。





 その日のシーグルは、朝の水汲みの後に薪割りをして、その後の朝食の後に大神殿の方へ向かった。
 ちなみに今日は大神殿に着いた後すぐ、ザンゲツ神官と話が出来るようにリッパー導師が言いにいってくれたため、今は神殿の中で待たされているところである。
 朝から結構な数の薪割りをしたのもあって、ここで待たされると少しばかり疲れが出て思わずあくびが出そうになる。それをどうにか噛み殺して、シーグルは背筋を伸ばして呼ばれるのを待った。

――やはり俺は腕力と体力不足だな。

 前に比べれば薪割りも随分手際が良くなったとは思っているが、おそらくセイネリアがやっているのを見たらまた落ち込むのだろうなというのは分かっている。それでも薪割りというのは確かに力を付けるにも体力をつけるにもいいとは思うから、少しでも上達できるようにシーグルは薪割りのない日でも斧を振るのは毎日やっていた。
 ただ……この時期外に出る時は当然厚着をしている訳で、薪割りをしていればすぐに体が熱くなるから防寒具は脱ぐのだが、それを受け取ったアウドから『これくらいはいいですが、それ以上は絶対脱がないでください』と脅すような声で毎回言われるのがどうにも今一つ納得出来ていない。

 アウドや導師が薪割りをする時は当然防寒着は脱いで始めて、途中からは上は完全に肌蹴て上半身裸でやるのがいつもの事だった。
 だからシーグルも汗が酷くなってきた時に、上を脱ごうとしたことがあるのだが。

『やめてください、ンな事するなら俺が代わります』

 ……と凄い血相でアウドに斧を取り上げられた。その場にいたのはアウドだけだったのにそこまで必死に止められる理由が分からなかったが、それで抗議したら彼に泣いて頼まれたので仕方なく折れた。

 考えればアッテラの信徒や神官連中は割合普段から肌を見せているものが多く、まったく肌を見せない恰好をしているシーグルは周りから浮いていると思う。そもそも仮面をしている段階で浮きまくっているのは分かっているが、ここまで徹底して服を着込んでいると不審に思われるのではないか……とか思ったりもするのだ。

 ちなみにこれはセイネリアにも言った事はあるのだが、彼は『その件に関してはお前の部下のいう事を聞け』という事でシーグルの抗議は即却下された。

『そもそもお前もアウドも神経を使い過ぎなんだ。男である俺に欲情するような人間の方が珍しいだろ』

 と言ってみたが、そうしたらセイネリアはその後、シーグルが過去にどれだけそういう連中に襲われたのかを細かく上げてきた。その状況でそれでも尚反論出来る訳がなく、結局シーグルは『分かった』の一言しか返せなかった。

 エルもだが、ここにいるアッテラの神官達が上着を脱いで鍛えられた体を見せているのは……なんというか男っぽくて少しだけシーグルには憧れのようなものもあったりする。戦闘スタイル的にいつでも鎧に身を包んでいるシーグルとは真逆で、自分にはあり得ないとは分かっていても訓練でまでいつでもきっちきり着込んでいるのは考えものだとも思っていた。そのせいもあってここの修行者連中からも真面目過ぎると思われているのだろうなというのもあるし。

「すまない、待たせたね」

 そこで掛けられた声に、シーグルは顔を上げて立ち上がった。アウドも立ち上がろうとしたが、ザンゲツ導師のお付きの神官が『おひとりで』と言った為にアウドはすぐにまた座った。
 シーグルはそれに抗議をする事なく従ったが、何故アウドがついてきてはいけないのかは不思議に思う。だが、ザンゲツ導師について奥に入って行って、向かう先が分かってからはその理由も理解出来た。

「大師のところにいくのですか?」

 シーグルは大師に会うのは初めてではない。だからこれが大師の部屋への道だというのは分かっていた。

「あぁ、お前さんが私に習いたいって言って来た話を大師にしたら、大師がお前さんに話したい事があるとおっしゃってね」

 なんだろう――シーグルは考える。大師には今まで2回、ここで来て最初の時と、その後に一回、来て暫くしてから呼ばれて話した。ザンゲツ導師に習いたいという件関係であるのなら、今回のはそれについての注意だろうか。やはり外部の者にはアッテラ特有の技は教えられないとか――あまりいい話が思い浮かばなくてシーグルとしては気分が沈む。折角新しい方面で鍛えられそうだと思っていたのもあって、それが出来ないとなれば残念だと思うと同時に自力で考えて習得するしかないかとも考える。

「大師、レイリースを連れてきました」

 前を歩いていたザンゲツ導師が足を止める。それを見て部屋の前にいた神官が扉を開けた。

「中へ」

 ザンゲツ導師は振り返って、シーグルのために扉の前から退いた。それでシーグルは一人で中に入った。大師の部屋はさほど広くはなく、明かりはランプ台ではなく蝋燭が並んでいた。この広さと蝋燭の暖かい明かりが落ち着くのだといっていたが、大神殿の最高位の人間の部屋としてはあまりにも質素な感じで最初は驚いたのを思い出す。

「久しぶりだ、レイリース・リッパー。顔を見せてくれんかね?」

 大師の皺の顔にくしゃりと更に皺が寄る。こんな部屋を好むだけあって大師はとても気さくで飾らない人物だった。ただ服装も部屋に合わせたように修行者の誰かと変わらない簡素過ぎるものだから、見た目だけならザンゲツ導師の方が偉い人間に見えなくもない。とはいえ、纏う空気から独特な威厳とほっとする感覚……まるで雄大な自然の景色の中にいるような感覚に、この部屋に入るといつもシーグルは体の力が抜けて気分が休まる気がする。そうして大師のその優し気で親しみのある笑みに釣られて笑ってしまってから、シーグルは仮面を取った。

「やはりあの男が惚れるだけあって、お前さんはいい目の保養になる」

 カカっと笑って胡坐をかいた膝をパンっと叩くと、大師はちょいちょいと手を振ってこちらに座るように指示した。シーグルはそれをみて座った。
 顔は皺だらけだが流石にアッテラ神官だけあって大師の体は決してひ弱な老人のものではない。彼は暫くシーグルの顔をじっとみると、まるで悪戯っ子のようにまたくしゃっと笑ってから言ってきた。

「お前さん、アッテラ神官になろうとは思わないかね?」




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 本編を読まれてた方なら大師のがコレを言い出すのは予想できたかと。
 



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