強くなるための日々
シーグルがセイネリアから離れて修行中の時の話



  【3】



――失態だ。

 目が覚めたシーグルはまずそう思って急いで起き上がった。急ぎ過ぎて立ち上がった途端ふらついたのに舌打ちして、窓の外を見て太陽の位置を確認する。
 腹一杯で少し腹がこなれるまで休憩するだけのつもりが寝てしまったなんて、なんという怠慢だろうとシーグルは思う。自らを鍛えるために来ている場所でこんな怠け者のような事をしているなんてと、考えれば考える程落ち込んでくる。

――この調子じゃあいつに勝つなんて無理だ。

 両手で自分の頬を叩いて気合を入れる。それから改めて姿勢を正し、部屋を出て人の気配がある方へと向かう。この家で一番大きな部屋へと入れば、何か文字を書いてる導師と、巻物や紙の束を整理しているらしいアウドとソフィアがいた。

「お、起きたか」

 ドアを開けた途端まるで待っていたように顔を上げた彼らにちょっと尻ごみしたシーグルは、導師にそう声を掛けられてからはたと気付いてその場に膝をついた。

「申し訳ございません、鍛えにきた筈なのに怠けて眠ってしまうなどという失態を……」

 それを言い切る前に導師が怒鳴る。

「まったくだ、たわけ者めがっ」

 シーグルは頭を下げる。ソフィアとアウドが驚く……が、直後に導師はニカっと笑ってまた豪快に笑った。

「と、いいたいところだが今回は仕方ない。限界以上に無理して食わせたのは私だからな。お前の場合は食事も強くなるための修行だ、今回はサボった内には入れないでやる」

 と、語尾にウインクでもつけそうなお茶目さで言われてしまえば、シーグルもなんだか気が抜ける。いやそれ以上にソフィアとアウドがほっとしたほうにその場でくたっとしていたが。

「今日は午前中お前がつぶれるのは最初から想定内だ、大神殿の方には午後からいく。昼めしまで資料の整理をするからお前も手伝え」

 それには当然了承を返してシーグルも資料整理を手伝った。ただその後にまた、昼食で腹が減っていないのに食えと言われて――流石に今回は最初から量は少なかったが――シーグルとしては一試練あったのだが。






 昼食はどうにか少量で許してもらえて今度は動けない程にならなかったシーグルは、食後すぐにリッパー導師について大神殿へ向かった。
 当然アウドも一緒だが、ソフィアは片づけをして後から来る事になっている。とはいえ『後から』と言っても大抵大神殿につくのはほぼ同時になるのがいつものことだ。なにせ大神殿まで歩くのも訓練の内のシーグル達とは違って彼女は一瞬で大神殿に行ける。多分、彼女は千里眼で見ていてこちらがつくタイミングに飛んでくるのだろう。
 ちなみに千里眼と転送が使えるクーア神官が常時このジクアット山にいるということで、彼女は他の導師達や大師から、辺鄙な場所にいる連中の監視や雪の中での転送等、よく頼まれごとをされていた。

――クーアの術は本当に優秀だな。

 よく『クーア神官がいれば家族全員食うに困らない』と言われるくらい、転送が使えるクーア神官は貴重でどこでも優遇される。ただの神殿勤めでさえもその言葉通りの待遇を受けられるのだからそうそうフリーのクーア神官なんてのはいないし、個人で雇えるのは貴族でさえ相当の地位か金があるものだけに限られる。なにせクーア神官は適正がないとなれないから数自体が少なくて、いくら金を積んでもすぐ雇うのなんか無理というほど貴重な人材である。

 そう考えると、ほぼシーグル専用にクーア神官が一人付いている――というのは改めてすごいことである。
 彼女が自分に好意を持ってくれているのもあるが、手駒のクーア神官を専任としてシーグルにつけてしまう段階でセイネリアの気前の良さというか……シーグルのためなら何をも惜しまないという彼の気持ちの深さが分かる。

――かといって、俺には過保護だと反発する資格もないからな。

 さすがにここまできて、自分の身は自分だけで全部守れると言い切る事も、彼の心配を笑い飛ばせるような立場でもない事くらいはシーグルだって自覚している。というか、前科がありすぎて大口を叩ける訳がない。
 その辺りを考えるとまた落ち込みたくなるのだが、自分を大切に思ってくれる人たちが作ってくれた状況を有難く利用して最大限の成果をだす――それが彼らへの恩返しにもなるのだと最近では思うようにしていた。
 だからこそ、今朝のような失態は申し訳なくて仕方ないのだが。

「やれやれやっとか」

 アウドの呟きにシーグルは顔を上げた。ちょっと考え事をしていたせいで周囲の警戒を怠っていたとまた自己嫌悪する。そうすれば唐突に背中を叩かれて、シーグルは思わず声を上げてしまった。

「ほぅら、さっさと先行って報告してこい」
「うぁっ……は、はい」

 シーグルはすぐに雪道を走り出したが、アウドが背中を摩ろうとしながらついてきてまたちょっと自分が情けなくなる。だめだもっと気を引き締めないと……と思う事が多すぎた。

「お疲れ様です、今、リッパー導師がいらっしゃいます」

 門番にそう告げるのはシーグルの役目だ。門番は二人いて、報告を受けると門を開けてくれて一人が中へ報告にいく。その時にはリッパー導師も到着しているから、そこからは彼の後ろについて大神殿の中庭へと入っていく。

「お待たせいたしました」
「あぁ、ご苦労さま」

 当然、そのタイミングぴったりでソフィアもやってくる。実はここへきてすぐ、別にこちらの訓練に付き合わなくてもいいのだと彼女へは言ったのだが、折角ジクアット山に来たのだから自分も強くなるために鍛えたいという事で大神殿での訓練には彼女も一緒に来て参加していた。

「では私は中に顔をだしてくる、お前達は好きにやっていろ」
「はい」

 神殿の奥へ行く導師を見送ってシーグル達は中庭の訓練に混ざりに行く。今は冬場だから神官修行で共同訓練中の者達だけではなく、山の各地で修行していた者達の大半も大神殿で生活している。
 だから中庭に行けば、共同訓練をしている一団の周囲で個人修行中の連中が各自で自由に鍛錬をしている、という風景が広がっていた。
 勿論シーグルは共同訓練に入れてもらっても、ソフィアやアウドと独自の訓練をしても、他の連中に声を掛けてもいい事になっている。ただ、大抵は――。

「おぉっ、レイリースどうしたんだ、今日は随分遅かったじゃねーか」

 顔をだせば大抵声を掛ける前に声を掛けられるのだ。

「はい、昼は導師の荷物整理を手伝っていたので」

 シーグルが答えるより早くそう返したのはアウドだ。多分シーグルなら、正直に朝食後に眠ってしまったとか言い出すと思ったのだろう。アウドは長く付き合っているせいもあるが、こういう時に自分の行動を読まれすぎていてちょっと困る。

「そっかー、んじゃさ、さっそく一つ手合わせ頼むよ」

 今朝もわざわざこちらの水汲みに顔をだしたこの男の名はディーゼンという。アッテラ神官になるための修行中で、一度手合わせをしてシーグルが勝ってからはこうしてしつこく手合わせを申し出てくるのだ。

「少し体を解してからだ」
「りょーかい」

 シーグルが体を解すといえば基本は剣を振る事になる。ただし勿論ただの単純な素振りではなく、仮想敵を想定した攻撃訓練である。さまざまな状況を想定して、それに対応する型から型への動きを連続して行うもので……シーグルの仮想敵といえばセイネリアしかない。
 そうしてシーグルが剣を抜いて振り始めれば、アウドも同じく剣を抜いて振り始める。ソフィアはその間、柔軟運動をしているのがいつものことだ。

 ディーゼンは普段なら、シーグルが剣を振り始めると他の連中のところへ行ってしまうのだが、今日はシーグルが来たのが遅かったのもあってかそのまま待っているようで、その場で座りこんでこちらを見てきた。最初はその視線にやり難さもあったが、大神殿の敷地を使った訓練は人に見られる事を拒絶してはいけないからそこは無視をするしかない。どうせ暫くすれば剣を振る方に集中して気にならなくなる……と思っていたのだが、どうやらディーゼンはただ見ているだけのつもりではないようだった。

「俺もちょっと準備運動するかな」

 言って急に立ち上がると、彼も腰の剣を抜いた。
 ちなみに彼の得物は剣と言ってもシーグルの使っている長剣とはかなりタイプが違う。剣身の幅は広くて短め、更に少し湾曲していて、鍔は大きくて丸く持ち手を守るようになっている、ついでに言えば両手でも片手でも扱えるタイプだ。
 その彼が剣を振り出したところまではまだ良かったのだが、驚いたのは彼のその動きだった。最初は分からなかったが、どうやら彼はこちらの動きを見て、それを対処する動きをしているらしかった。つまり仮想敵をシーグルに見立ててこちらの動きに合わせて剣を振っている訳である。
 ただ勿論、こちらの動きを完全に見てから対処しても間に合いはしないので半分は予想で動いている。だからたまにこちらの動きのアテが外れてその度に彼は悔しそうに舌打ちをしていた。
 シーグルも面白がって向こうの攻撃の動きに反応して返してやったりしていたが、暫くしてからちょっと空しくなってその手を止めた。

「どうした?」
「いや、こんなことをやってるならさっさと手合わせした方がいいと思っただけだ」
「だよなー、いいぜ、やろやろ」

 にっと嬉しそうに自分の向かいに立つ相手を見て、シーグルは軽く息をついた。
 どうやら向こうの思惑通りにしてしまったらしい。




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 はい、次回こそ一日が終わる……筈。
 



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