春と嵐を告げる来訪者




  【8】



 窓から見える太陽はかなり低い位置まで落ちている。
 夕飯はリシェの領主と取る事になっている為、今日もセイネリアは夜まで帰ってこない事になっていた。シーグルはあれからウォルキア・ウッド師に会って、体の様子を見て貰ってから先に帰ってきた。流石に一人ではなく、アウドとソフィアが一緒だったから、それは事前にセイネリアから許可をとっていた。

――俺は、どうしたいんだろう。

 そうしてリシェから帰ってきたシーグルは、事務仕事を手伝いに行く気力もなく、部屋でベッドに横になってただひたすら考えていた。

 ちなみに、こうしてシーグルが悩む事になったのは、皆との会話や、タニア本人との会話だけのせいではなかった。
 帰ってきてすぐ、部屋にいこうとして会った人物にもまた、考え込むような事を言われてしまったというのもあったのだ。

『あれ、最後まで付いていって邪魔しなかったの?』

 部屋の前でばったりエルクアに会ってしまって、唐突にそう言われてシーグルは驚いた。

『別に邪魔しにいった訳ではない、が』
『何故だよ、邪魔しなきゃ』

 何故そうなるんだとシーグルとしては混乱していたが、それよりも彼の目がちょっと据わり気味だったことと、何より匂いが鼻についた。

『エルクア……こんな時間からもう飲んでるのか?』

 ここでの彼は騎士団時代の彼とはまったく違ってしまって、この口調は慣れてはいたが、それにしても言い方が乱暴すぎるのは彼が酔っているからだろう。

『そーだよ、酔ってるよ悪かったねっ。そらーさー、本命のあんたは例えあの男が結婚しようが黙ってても構って貰えるんだろーけどさー。俺なんかきっと結婚したら見向きもされなくてただの事務要員になるしかないしっ、飲みたい気分にもなるさ』

 それで泣き出した彼を宥めて、アウドが彼を部屋のベッドまで運んでくれたが、シーグルとしても胸の中にあったもやもやが余計に強くなってなんとも言えない沈んだ気持ちになってしまった。とてもではないが仕事も食事もする気になれず、自分もベッドに転がってこうしてただ考え込んでいるという状態だった。

 それでも、ここまでいろいろあれば、鈍感なシーグルでさえ気づいている事はあった。

――俺は、あいつが結婚するのが嫌なのか。

 エルがいたら『遅ぇよ今頃気づいたのかよ』と言われそうではあったが、ともかくセイネリアの結婚が現実として実感出来てきたあたりから酷く気分が沈んで苦しいのだという程度にはシーグルも自覚出来た。

 ただそれでもまだ分からない。なら何故嫌なのか、と。

 多分ここでそれをエルにでも相談したなら、『ちょっとそこ座れ』とか言われてじっくりゆっくり説教されそうな気がして更に気が滅入りそうな気がするから話す気にはなれない。それくらいならいっそセイネリア本人に聞いてみた方がと思ったが、そうしたらそれはそれで、シーグルはふと思ってしまったのだ。

 もし、セイネリアが今夜ここへこなかったら?

 いやあいつは来るだろう、とそうすぐに思い直しても、タニアが誘ったらセイネリアは彼女と寝るかもしれない、とも思う。あの男は昔から誘いは断らないとエルは言っていたし、タニアはセイネリアが嫌いなタイプの女性ではない。それにそもそも彼女とセイネリアの結婚を祝福すると自分が言ってしまった所為で彼は怒っていた。

――俺は、不安なのか。

 もし結婚をしたとしてもセイネリアが自分をどうでもよくなるとは思えない。それは信じているが――彼の子が出来たら、少なくとも彼の一番大事なモノは自分ではなくなるかもしれない。
 シグネットを可愛がる彼の姿見るのと同じ目で、自分は彼の子を彼が可愛がる姿を見れるだろうか――考えたらなんだか苦しくなって、自分に自問自答する。

――なんだ俺は、あいつを信じているのに、何が不安なんだ。

 考えれば考える程不安になって、胸が苦しくて、この感覚がなんというと分からないからシーグルは悩むしかない。こうして考えてもどうにもならない時は剣を振りに行くのがいつもの事だったのに、なんだか今日はその気にさえなれない。
 ここで屋上に出て剣を振れば、彼とのいつもの手合わせを思い出してしまいそうだから。

「くそっ」

 枕の中に顔をつっぷし、真っ暗になった視界の中で考える。
 セイネリアが帰ってくるのはきっと遅くなる。いっそこのまま彼が来るまで寝てしまおうか。もし彼が来なかったとしても、一晩寝てしまえば頭がすっきりするかもしれない。考えて、うとうとして――……そうしてシーグルはそれから数時間後、ドアのノックの音で起き上がる事となった。






 あの男には羞恥心はないのか、だとか、どこまで尊大で図々しいんだ、と貴族達からは酷い言われようながらその動じなさを恐れられているセイネリアだが、シーグルの事に関してだけは思考回路が我ながらガキレベルに低下する事を知っている。
 シーグルの部屋の前に立ちながら……早い話、セイネリアはシーグルに会って最初に何を言うべきかが分からなくてノックを出来ないでいた。

 なんというか、一言で言えば気まずい、というしかない。

 タニアとの会話以降シーグルは妙に静かになって、セイネリアが何を言っても最低限の返事しか返さなくなった。流石にそこで二人きりの時のようにどうしたんだと聞く訳にもいかず、互いに互いの予定があるからリシェではすぐに別れるしかなかったが……時間が経てば経ったで、どう話しかければいいか分からないという状況だった。
 タニアはシーグルの様子には満足したように上機嫌で、女特有の嫉妬で嫌味を言ったのかとも思ったが、どうやら悪意はないらしい。別れ際にやけにさっぱりした顔をしていた彼女に醜い女の嫉妬は見えなかった。

『貴方の事を好きだというのは本当だ。領主としての立場などなくても貴方の子が欲しいと私は思っている。だが貴方はちゃんと愛せる人間は一人だけで、それに関してはどこまでも一途な男らしい……まったく、レザ男爵のような男なら良かったのだがな』

 どこかで盛大にレザがくしゃみをしている気がしたが、彼女はその後笑って満足そうにつけたした。

『私は貴方が好きだからな、貴方の幸せを願っている。だからまた、今度はただの客人としてここへきても、貴方が歓迎してくれると嬉しい』

――女、というのは……。

 娼館育ちで、無数の女と関係を持ってきたセイネリアでさえ、未だに女というものに関しては分からなくなる事もある。
 女は弱く、すぐ壊れる――そう思っていたのに、妙に強いと思う事が最近は増えた。自分の弱さを認めた時から、女の強さというのが見えるようになった。まったく、面白いとしか思えない。

 考えて、自嘲気味に笑ってから、セイネリアは自分で自分に言う――何を気負う必要があるのだと。彼がどう反応するか、どうすれば彼が自分といて嬉しそうでいてくれるのか、それにびくびくしている自分と言うのは酷く滑稽で笑えてくる。
 ドアをノックして、いつも通り彼の名を呼べば、暫くして中から彼が近づいてくる音がする。実をいえばセイネリアは無条件でこの扉を開けられる鍵も持っているのだが、こうして彼が開けて迎えてくれるのが嬉しいからわざわざこうしてノックをして彼を呼んでいた。流石に遅い時間に帰る時は鍵を使うが、この時間なら彼が起きているのは分かっている。

 だが、開かれた扉の先には、セイネリアの予想と違う彼がいた。

 夜とはいえ、いつも背筋を伸ばして出迎える彼が今日は妙に目が開き切ってなくて、体に力が入っていなくて、おまけに寝癖なのかヘンな方向に跳ねている髪があって……更に言えばこの時間なのに寝間着ではなく鎧下そのままの恰好で立っていた。
 とてつもなく彼らしくないとはいえ、この状況で予想出来る事は一つしかない。

「シーグル、寝てたのか?」
「……あぁ……」

 起き上がっているのにまだ少し寝ぼけているシーグル、というのは珍し過ぎるが、眠っている時の子供っぽさが残ったような表情は妙に愛嬌がある。そもそも、ちょっとだらっとした姿勢で立つ彼と言うのがもうあり得なくて、セイネリアはその頼りない立ち姿に思わず手が伸びるのが止められなかった。

「お、おいっ……ちょ、待て」

 思った通り体の反応が鈍い彼はあっさりこちらの腕の中に収まってくれて、いつもなら嫌がる、女性のように前で抱える持ち方で簡単に抱き上げられてくれる。

「まだ眠いんだろ、大人しく運ばれろ」

 言って額にキスを落とせば、彼は僅かに目を瞑って眩しそうにこちらを見上げた。その様が本当に子供っぽくて、彼を思うさま抱きしめたくなるのを抑えるのがセイネリアとしては辛い。

「部屋のドアは誰か締めておけ」

 ただ一応はそれだけいってから寝室へと向かう。こうして言っておけばおそらくはソフィアが、もしくはアウドかカリンが扉を閉めておいてくれるだろう。セイネリアとしては聞こえようが見えようがあまり気にならないが、シーグルに後で怒られるのは少し困る。
 いつもなら運んでいる最中も抵抗して暴れるシーグルは、顔は不機嫌そうに顰めているものの抵抗らしい抵抗をまったくせず、そんな事にさえ楽しくなってしまうのだから自分もいい加減単純だと呆れるくらいだ。
 大人しく運ばれてくれた彼は、大人しくベッドに下されて、そこでも文句を言わず大人しくしていた。そんな彼にキスをするなというのは無理で、顔を近づけていけば……そこでずっと無抵抗だった彼が手を伸ばしてこちらの顔を止めようとした。
 力は入っていない、けれどもじっと真剣な目でこちらを見てくる彼を見れば、ここは止めなくてはならないところだとセイネリアも気が付いた。

「セイネリア……話が、あるんだ」

 まだ少し声は小さいが、深い青の瞳は強く開いている。
 セイネリアは体を離して、彼が起き上がるのを待った。

「あぁ、聞こう」

 体の動きはまだ力が入っていない。ゆっくりぎみに起き上がった彼はベッドに座り込むと、こちらの顔をじっと見つめ、それからまだ眠気が残っているのかたどたどしい声で言って来た。

「少し……考えたんだ、今回の事を。俺はどうやら、お前が結婚するのが嫌なようだ」

 彼がそんな事を言い出すとは思いもつかなくて、セイネリアはその琥珀の瞳を驚きに見開いた。

「よくは分からない。でも、お前が結婚して、俺がお前の一番でなくなるのが俺は嫌なんだ。どうやら俺は……思った以上に我儘でよくばりで、独占欲があるらしい」

 続いた言葉は更に信じられなくて、セイネリアは暫く黙ってしまってから、自然と笑い声がこみ上げてくるのを止められなかった。

「……は、ははは……」
「セイネリア?」

 今度はシーグルが驚く。そこで立ち上がり掛けた彼に、抱き着くようして押し倒せばベッドの上に二人で重なって倒れ込む体勢になった。

「待て、セイネリア、どうしたんだ?」

 今になってやっと彼の声はいつもの調子を取り戻し、体の下でこちらを押しのけようと暴れだす。ただ今日は逃がす気はない、これで何もなく終わりにしろは無理すぎる。セイネリアは暴れる彼を押さえつけると、そのまま彼の唇に唇を押し付けた。




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 セイネリアさん浮かれすぎ(==;で、次回はエロへ。
 



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