希望と陰謀は災いの元




  【18】



『うん、確かにウィアの言った通りシーグル兄さんは”たらし”だと思う。天然のさ』

 確か婚約が決まって最初にお祝いに行った時に、ラークはそう言っていたなとウィアは思い出す。自然に『シーグル兄さん』なんて言ったところにも驚いたが、まるで最近本人に会って実感したようなその言葉に、そういえばラークは魔法使いだから魔法ギルドと繋がりのあるらしいあの将軍周りの秘密をいろいろ知っているのかもしれないとウィアは思った。そうであるなら、あのレイリースという騎士がシーグルであれば本当に会っていてもおかしくはない。
 アッテラの術を使っていた、という部分で自信が揺らぎそうにはなるが、あれはやっぱりシーグルだとウィアは思っている。だってそう考えれば納得の行く事だらけだし……何よりあの恐怖の将軍様に戦って勝つ事で要求をのませようとするところなんてあまりにも彼らしい。

 そんな事をぼうっと思っていたら、シグネットが思い切り振った木刀が地面を叩いた拍子に折れ、その折れた木片が高く宙へと飛び上がった。更にはその木片の描く軌道がシグネットに向かって跳ね返っていこうとするのに気づいたものの、ウィアは、あ、と声を出したまま固まって何もできなかった。誰もが固まる中、それでも横にいたメルセンが咄嗟に腕を伸ばす。木片はその腕に刺さった。
 シグネットが泣いている。腕を抑えて蹲るメルセンの傍で謝って泣いている。
 まったく父親に似て優しい王様だな、なんて思いながらウィアは走った。隣にいたフェゼントと一緒に。

「ほらほらっ泣くなっ、こンくらいの怪我ならこの俺でもささっと治せるから心配すんなよっ」

 言いながら泣いているシグネットの頭をいつも通り撫でてやれば、優しい国王陛下は心配そうにこちらを見上げてくる。

「ほんと? すぐなおせる?」
「あぁ、だから心配すんな。お前が悪いって思ったんなら次はちゃんと気をつけるんだぞ、分かったか?」

 言えば大真面目にこくこくと何度も頷くシグネットを見て、まぁこの子供が王様になるならそりゃいい国になれるんじゃね、なんて思ってしまう。家庭教師筆頭としては、我ながらいい子に育てられたんじゃないか、なんてちょっと誇らしく思ってしまうくらだ。
 メルセンの傷を治して立ち上がって、心配して話しかけている幼い国王を暫くみてから顔を上げたウィアは、丁度来たらしい将軍閣下とその側近の騎士がこちらを見ているのを見つけた。

――どうだよシーグル、お前の息子はお前が望むように育ったか?

 そう思って側近の騎士ににっと笑ってやれば、まるでこちらの心の声が聞こえたかのように彼はその場で姿勢を正し、こちらにむけて深く、深く頭を下げた。
 ウィアはその場で少し驚いて、それから笑う。そうしてやっぱりあれはシーグルに間違いないとその思いを強くする。

――ったく、本当にあいつって計算なんてないくせにいつもすげーいいタイミングでこっちをいい気にさせてくれんだからな。

 あぁやっぱりあいつはたらしだ、とんでもない人たらしぶりだ――なにせあの将軍様でさえ彼にたらされてしまったのだから、そう考えればウィアは益々にやにや笑いが止まらない。

「ウィア、どうしたんです?」
「いや、なんでもないっ。ちょっとシグネットが可愛いなーイイコだなーって思っただけかなっ♪」

 隣にいる最愛の人に言いながら抱き着けば、彼は少しよろけた後にふんばってこちらを支えてくれる。
 ちらと見れば、皆に恐れられる将軍様が側近の騎士の腰を抱いて引き寄せていて、大人しくされるがままの騎士の姿を見てまた口元がゆがんでしまう。
 もしあれがシーグルで無理矢理セイネリアのもとにいたのなら、あの勝負で彼は開放されていた筈だ。それが今もああしているのだから、それはシーグル自身が望んでそこにいるという事だろう。
 だから、きっと、今の彼は幸せである筈。

「んーフェズ、こうして隣にフェズがいるだけで俺は幸せだなぁ」

 最近の彼は鎖帷子のような装備は滅多につけていないから、思う存分彼の胸に頬を擦りつける。焦るフェゼントと呆れる周りの視線の中、シグネットだけはにこにこと笑ってこちらを見ている。
 そうしてウィアがまた将軍とその側近がいた場所を見れば、そこにはもう誰もいなかった。







「今日は陛下にお顔を見せていかれないのですか?」

 公の席では部下としての態度を崩さない彼がそう言ってきて、セイネリアは彼を見ずに答える。

「まぁな、あの状態で俺まで出て行ったらその後にまた授業どころじゃなくなる。今日は邪魔をしないでおくさ」

 それをとがめる訳でも肯定をするでもなく黙っている彼に、だからセイネリアは少し意地わるく聞いてみた。

「お前は残念だったか?」
「いえ、私は陛下のお顔を見れただけで十分です」

 それは即答で返されて、声の調子からも本心だろうと思う。セイネリアとしては実は彼がここで少しでも残念だ、と返せば引き返す気もあったのだ。今の彼はこういう場合に遠慮をしてくる事はなくなったから、セイネリアは安心して摂政ロージェンティの部屋に向かって歩く。
 セイネリアとレイリースが歩いていれば、すれ違う貴族達は皆足を止めて頭を下げる。仕事中の使用人達にはわざわざ仕事の手を止めるなと言ってあるから、こうしてくるのは貴族や役人連中だけというのが笑えるところだ。
 そうして彼らは自分たちが通り過ぎた後、顔を顰めてこちらを侮蔑の目で見つめ、こそこそと下品な話を始めるのだ。……まったく、外面(そとづら)を上品そうに取り繕っている人間程、中身は下種だと思わずにいられない。
 とはいえそれは彼らのガス抜きでもある。いくら今この宮廷にいる貴族達は前政権からくらべて圧倒的にマシになったとはいえ、貴族としてのプライドから下層平民出の男に頭を下げる事にまったく不満がないという者は少ない。それを下手に押さえつけた方が反発を生むのは分かり切っている。よくそうやって成り上がった者が自分を称賛するように強要したりするが、『下賤な生まれのくせに』と言われて影で嘲笑されるのが当たり前なのだから滑稽でしかない。別に称賛などされなくても従えばそれでいい。いくら陰口でけなしたところで、ちゃんと与えた役目を果たしてくれるなら好きなだけわめいてくれて構わない。どうせこちらの出生や性癖くらいしか彼らが優越感に浸れるものはないのだから、その手の話に興じてちっぽけな自尊心を満足させ、不満が溜まらないならそれでいい。その人物をけなせばけなす程、それに頭を下げなくてはならない自分が惨めになるだけ、というのは頭のいい人間なら理解する事だ。

 けれど、ふと、自分はいいが『彼』はどうなのだろうと思ってセイネリアは足を止める。そうすればすぐに彼も足を止めるから、セイネリアは聞いてみた。

「俺とお前が貴族どもの下種な噂話のネタにされているのは……お前は嫌か?」

 すぐに答えが返ってこなかったのは、おそらく彼が呆れたからで。もし部屋で二人きりだったならきっと、今更聞くのか、と半分怒って半分呆れて言ってくるのが目に見える。だからその代わり、彼は一度大きくため息をついて、それからわざと平坦な声で言ってきた。

「別に私は構いませんが。……ただ、想像の出来事をあまり広められると、閣下を貶めようとする輩に利用されるかもしれませんので、放置しすぎもどうかとは思います」

 至極当然というか、彼の立場としては模範解答ともいえる答えに、らしいなとセイネリアは笑う。

「それも一理あるが、ようは俺が将軍として不満が出るような仕事をしていなければいい訳だろ」

 返せばシーグルは無言のまま近づいてきて、顔を耳の傍に近づけて言って来た。

『それはそうだが、難癖つける馬鹿というのはどこにでもいる。……それに、俺としてもお前が噂とはいえ馬鹿にされるのは嬉しくない』

 小声でそれだけ言うとすぐに彼は離れてしまったが、セイネリアとしてはそれを逃さず抱きしめたくて、その衝動を抑えるのに苦労した。まったく、この程度で幸せだと感じられるのだから自分も随分安いものだ。
 思わず喉を鳴らして笑ってしまえば、シーグルは離れたまま一歩先にいて言ってくる。

「殿下がお待ちです、早く行った方がよいと思いますが」

 どうにか声に感情を込めないようにしているが、ちょっと混じる動揺の響きからしてきっと今の彼は兜の下で顔を赤くしているに違いない。

「あぁ、そうだな」

 それを分かっていてセイネリアは彼を追い越して歩きだす。
 彼は黙ってついてくる、それ以上の会話はなくとも、彼が今どんな顔をしてどんな気持ちでいるかを考えたらそれだけで心から楽しくて、自分がこんな気持ちでいられるなんて思わなかったとセイネリアは思う。
 外の廊下を通れば、見張りの兵士達が次々礼をとっていく。本来、シグネット達がいた中庭から摂政の執務室まではそう遠くはないのだが、それは途中にある魔法によって繋がれた通路をつかえばというところで、それに頼らないとかなり面倒な周り道になる。いくら城内とはいえ将軍が供一人だけでそれだけの距離を歩いているというのはとんでもない事態ではあるのだが、セイネリアはこの時間が好きだったから、セイネリア専用の転送装置を作る事も、当然他の供をつけることも断っていた。
 午前中の城内は静かで、人は少ない。
 それでもある一画に入れば掃除をしている数人の使用人達がいて、彼らはこちらの姿を見ると声を掛けてくる。

「おはようございます、将軍様っ」

 わざわざ作業の手を止めてこちらが通り過ぎるまで頭を下げている必要はない、と言ったら、周囲に貴族や役人がいない場合だけ、彼らはこうして声を掛けてくるようになった。
 セイネリアは口を開きはしなかったものの、彼らの前を片手をあげて通り過ぎる。
 そんな自分の姿にらしくない、と思いながらも、そんなやりとりをシーグルが嬉しそうに見ている事を知っているからセイネリアも気分がいい。

 後ろを歩くシーグルは用事がなければまず城内では声を掛けてくる事はない。
 けれども彼と一緒に城の中を歩いて、平和なその風景を眺めて回るのは自分の中の幸福な時間の一つだった。それは何も彼が一緒だからというだけではなく、彼が大切にするこの国の平和な姿を確認出来るとその事自体が嬉しかった。
 本当に、心の思い方ひとつで世界というものは変わるものだ、とセイネリアは思う。
 かつて自分以外は色さえ感じられない灰色の世界に見えていたものが、今は鮮やかな色合いで目と心を楽しませてくれる。そんな生き方は、彼に会わなかったらありえないものだったろう。

「では、行ってくる」

 摂政ロージェンティの部屋に着けば、シーグルが足を止めるのはいつもの事だった。
 だからセイネリアはいつもそう告げて、一人で扉の中に入っていく。
 彼は摂政の許可があっても余程の用件がない限り部屋の中にまでついてくる事はない。部屋に入ればすぐ見える彼の肖像画を考えれば入りたくない気持ちも分かるが、彼がいまだに彼女に対して申し訳なく思っていると考えると少しだけ心に靄が掛かる時もある。

 だからこの間、彼に冗談交じりに聞いてみた。

『あの部屋に入れないのは、未だに彼女に対して後ろめたく思っているからか』
『そうだな、彼女が未だに俺の事を考えていてくれているのだと思うと……正直辛い』
『俺を選んだ事を後悔しているのか?』

 本当は最後の言葉が一番気になっていたというのは自分でも否定できない。
 だが彼はそれを聞いた後、曇っていた顔に笑みを浮かべて楽しそうにこう、返してきた。

『後悔がないと言えば嘘になる。だが彼女は強くて俺なしでも大丈夫だと確信出来るが、お前は俺がいないととんでもなくポンコツで不安で仕方ないからお前と共にいるしかない』

――臆病でポンコツ、というのも何も悪い事だけではないらしい。

 思い出し笑いを唇に浮かべて、セイネリアは彼の妻のいる部屋へと入っていった。




END.
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 幸せそうなセイネリアさんの日常で終わり。
 



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