だから、待っていて
この話は26話でシーグルが一度死なずに帰った場合の別ENDです。バッドENDの一つのつもりでしたが割とラストは明るいです。




  【6】



 気を失って目を閉じる最愛の存在を見下ろして、セイネリアは我知らず微笑んでいた。
 いくら術で守られていたとはいえ240年の眠りはシーグルの筋力をかなり奪っていて、体力的にも前よりも相当に厳しそうには見えた。それでも意地で意識を保っていた彼だが、さすがに3回は厳しかったか完全に意識を手放した。

 ただセイネリアとしては、今回は最初から彼の意識を奪うのが目的でもあった。

 目を閉じていた青年の瞼がピクリと揺れる。
 ゆっくり開かれていくその瞳の輝きに『濁り』を感じて、セイネリアは唇を冷たい笑みに歪めた。琥珀の瞳が先ほどとはうって変わって最愛の青年を冷ややかに見据える。

「起きたか魔法使い、早速交渉といこうじゃないか」

 言いながら、セイネリアの手はシーグルの雄を撫でた。

「な、なにをするつもりだ?!」

 彼は驚いて起きあがって逃げようとする。
 だがセイネリアは、うしろに引こうとしたその体を強引に引き寄せてベッドに背をつけさせる。それから真下に見える、本人だったら絶対にしない怯えた顔をするシーグルに昏い目を向けた。

「交渉ついでに、貴様がこの体から出ていきたくなるような目にあわせてやろうと思ってな。さっきまで抑えていた分、貴様には手加減なしだ」
「ま、待てっ、分かっているのかっ、この体は本人なんだぞ」

 それでもセイネリアは馬鹿にするように鼻で笑う。

「心配ない、あいつが起きるまでにはちゃんと治しておいてやるさ、治癒役は待機させてあるんでな。まぁ一度くらい、あいつが泣き叫んで許しを請う顔を見るのも悪くない」

 なにせ最初からこれが分かっていたから抑えていたのだ、ここからは抑える必要がない。シーグルの体に負担を掛けるのは不本意だが、思うまま貪っていいというのもそれはそれで楽しくない訳がなかった。

「聞いていたと思うが、ちゃんと貴様には逃げ場を用意してやってる。多少なら魔法ギルドにも話をつけてやってもいい。今のお前がこの体の中にいてもメリットは少ない、俺が機嫌がいい間にさっさと出て行った方がいいぞ」

 獣のよう、と言われた琥珀の瞳そのままに、未だに最強を誇る男の体が得物を貪る肉食獣のようにシーグルの体の上に乗り上げていく。喉元に甘く噛みついて、得物の急所に手を掛ける……。

 その夜、将軍府の西館に響いた悲鳴の事は、決して本人に言わないように関係者には厳命が言い渡されたという。






 翌日、朝になってシーグルが目を覚ますと、やけにすっきりと嬉しそうなセイネリアの顔があって、開口一番にこう言われた。

「シーグル、さっさと奴をお前の中から追い出しに行くぞ」
「セイネリア? どういう事だ」
「なに、交渉がまとまったからな、奴の気が変わらんうちに追い出すぞ」

 シーグルとしては何がなんだかわからなかったが、起き上がろうとしたらとてつもなくしんどくて、体にまったく力が入らなくて動けなかった。だから彼に人形のように服を着せられてから抱きあげられて、朝一番で魔法使いのところに連れて行かれる事になった。







 魔法使いに伝わってきた世界の秘密はいつもこの一言で始まる。

 かつて、世界は魔法に溢れていた――。

 だがそれは今では違う。

 かつて、世界からほとんどの魔法が失われていた――。

 そこから始まる物語は、魔法使いが守る世界の秘密などではなく、誰でも知っているただの昔話。昔の人は大変だったんだね、なんて親子で笑い合う、ただの過ぎ去った過去の物語。
 黒の剣の話だって誰だって知っている。ギネルセアが魔法を奪って剣に閉じ込めたから世界から魔法は失われていた。だがセイネリア・クロッセスがその剣の主となり、彼は将軍となってクリュースを守り続けた。魔法使い達はその彼に協力しながら、剣の魔力を開放する研究を続け……そうしてついに大魔法使いクノームが剣の魔力を開放する事に成功したのだ、と。

――あの師匠様は、自分が英雄扱いされてると知ったら大騒ぎで嫌がりそうだけど。

 夕暮れの赤い空に、薄桃色の雲が夕日に照らされて漂っている。
 クリュース城の城壁の上に立ったまま、金髪にいつも仮面をしていた師を思い出してアルタリアは笑った。
 セイネリアの希望で、この物語には最後までシーグルの名前は出てこない。だからこれが、心のなかった男が始めて人を愛した事から始まる奇跡のお話だなんて、知っている人は魔法ギルドのほんの一握りの人物とこの国の王だけだ。
 ただそのせいで、剣の魔力が開放されたのはすべてクノームのおかげという事になってしまった。確かに最後の力で剣からギネルセアと騎士の魂を開放したのは彼だったが、それはもう剣からほとんど力がなくなってからの話だ。

 アルタリアは覚えている。

『俺はずっとギネルセアと話してみたいと思っていたのさ』

 別れ際の会話で彼がまず最初に言ったのはその言葉で、おそらく彼はその望みを叶えてから逝ったのだろうと思われた。全てが終わってから見つけた彼の遺体は満足そうな笑顔だったから、アルタリアも笑って彼にねぎらいの言葉を掛けた。魔法ギルドとしてある記録の中で、一番魔力があって、体の移し替えや保存をせずに自分の力だけで一番長生きした魔法使い。
 今はもう、個人が保持している魔力の大きさなどたいして意味がなくなってしまったけれど……考えながら、彼女はずっと『見て』いた人物が思った通りの行動をして、思った通りの反応をしてるのを見つけて楽しそうに唇を釣り上げた。

「そろそろ教えてあげましょうか」

 そうして城壁の上からふわりと飛び降りると、風を呼んでその人物の近くへと向かった。

「何故だ……なんだ、何故効かない」

 困惑した顔で周囲を歩く人々を睨みながらつぶやく男に、アルタリアはにこりと笑って、その場から声だけを飛ばした。

『今はもう誰もが魔法を使えるのですよ、貴方の暗示になど誰がかかるものですか』

 その人物は驚いて周囲をきょろきょろと見わたし、離れた場所にいるアルタリアの姿を見て止まる。

『どういうことだ?』
『魔法はより強い魔力で打ち消せる、それだけですよ。貴方のケチな魔力など意味ないくらい、周囲に魔力があるのに気づかないのかしら? ……本当に馬鹿な男、大人しく自分の人生をただ全うしていればそのケチな魔力でも人を従えて偉くなったつもりでいる事も出来たでしょうに、今の貴方は魔法使いでもないただの一般人かそれ以下です』

 本当にこの男さえいなければ――と思えばもっと徹底的に罵倒してやりたい気分だったが、少なくともなけなしのプライドは粉々で途方に暮れるしかない男の間抜けな姿を見るのは少し気分が良かった。

『馬鹿な……なら俺はなんのために……』
『さぁ? どうしてもその力を使いたいのでしたら、そのへんの猫か犬にでも掛けてみたらどうですか?』

 その場でがくりとうなだれて、その人物は道路に座りこんだ。
 この結果が分かっていたから監視付きの自由を許したものの、本音を言えばさっさと消すか監禁してしまいたいのは言うまでもない。
 アルタリアは男から背を向けて歩き出すと、仲間の魔法使いの名を呼ぶ。そうして間もなく表れたその人物に告げた。

「引き続き見張っておいて、多分そんなに長くないと思うから。あぁ、自殺しそうだったら楽に消してあげるからって言って止めてね、体は回収しないと勿体ないもの」

 それに了承を返した仲間に手を振ると、彼女はその場から消えた。
 とにかく彼女は忙しいのだ。なにせこの国からあの男がいなくなるのだから。剣の魔力が完全に開放された時から予想出来た事態であるから準備自体はずっとしてきた。とはいえやる事は山盛りで、あの小物の魔法使い――サテラなどに何時までも構っている余裕はない。

「あの二人がいなくなって、やっと本当の新しい時代が始まるのかもしれないわね」

 セイネリア・クロッセスは将軍として、絶対的な守護者としてこの国を長く守ってきた。彼の意図通り、人々はまさか本人がそのまま240年ずっと生きているとは思っておらず、ひそかに代替わりしているのだろうと剣の魔力解放までは思っていたが――彼がいたからこそ、この国が国外から守られ続け、王や貴族の堕落が国を狂わせる事がなかったのは確かであった。
 世界に魔法が戻り始めてから魔法を使う事が日常になる中で、そこまで大規模な争いが起こらなかったのもあの男がいてこの国があったからだろう。

 だがこれからは、新しい時代に生まれた者達だけでこの世界を作っていかなければならない。最早『魔法使い』という言葉さえ使われなくなったこの世界を考えて――アルタリアは師クノームとの最期の会話の続きを思い出した。

『魔力が高すぎるイレギュラーっていうのは大体百年に一度生まれる。大きすぎる魔力故に封印される者も多いが……まっとうに生活できるようになって大魔法使いと呼ばれるようになった者にはたった一つ、共通点があるのさ』
『共通点、ですか?』
『そうだ、ちゃんと……愛する、愛してくれる者がいたという事だ。お前にもいたろう?』

 アルタリアにはロスクァールがいた。力が抑えられなくなってきて苦しい時に、生まれてこなければ良かったと思った時に、優しい神官が愛情をくれたから魔力が溢れて取り返しのつかない事にならずに済んだ。愛された記憶があるから、平和に生きる人々を愛しく思って皆の為に働く事が出来た。

『はい、そうですね』

 笑って答えれば、金髪の見た目と違って口の悪い魔法使いは、行儀の悪い笑い方でにっと歯を見せた。

『ギネルセアにもそういう存在がいたらへんな方向にいかずに済んだんだろうよ。……いやもしかしたら、奴にとっての裏切った『王』がそうだったのかもしれない、と俺は思ってるんだがな。初めて自分を認めて重用してくれた王に奴が特別な感情を感じていたと考えてもおかしくないだろ。……その辺を奴に聞いてみたいと思ってたのさ』

 だから彼女は、以後に生まれたイレギュラー達を引き取っては愛情を持って育ててきた。彼らは全員彼女の後継者となって、封印された者はいない。

 師は真相を聞けたのだろうか。
 だがもし、師の予想通りだったのなら……この世界から魔法が失われたのは『愛』を失くした男が原因で、この世界に魔法が戻ったのは『愛』を得た男のおかげという事になる。

 大好きな親代わりの神官の顔を久しぶりに思い出し、アルタリアは笑う。
 そうして、自分とロスクァールを救ってくれ、やっと自由と最愛の人物を手に入れて終わりのある旅へと旅立てる男に、心から感謝と祝福の言葉を贈った。



>>>END.

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 注意書き:時系列をちょっと忘れててサテラとの件があった時のシーグルは本当はホーリーの秘密をしらないんですよね。
 入れるなら氷漬けになる直前にドクターとの会話なんでしょうけど、大半は使いまわしの文章になりますしあえて修正しませんでした。


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