愚痴という名の本音
将軍様と側近時代のお話



  【1】



 新政権が誕生してからその体制が安定し、平和な日常が繰り返される日々が続くようになって以後――セイネリアとシーグルは基本いつでも一緒にいた。ただ実のところ、常に行動を共にして片時も離れていない、という程ではなかった。

 事務仕事が忙しい時にシーグルがキールの手伝いに行く事は割とあるし、更にシーグルは騎士学校の臨時講師を始めたりしたものだからどうしてもセイネリアの傍にいない時がある。体調が悪い時は当然仕事を休むし、その場合セイネリアの傍にはいない。ただこれに関しては、最初はセイネリアも仕事を放り投げてシーグルについていたのだが、シーグル本人が怒ったため今は大人しく一人で仕事をするようになったという経緯がある。代わりにその場合、シーグルはセイネリアの執務室隣の寝室で寝ることにはなっていたが。
 セイネリアの方も、合わせたくない人物がいたり、貴族だらけのパーティ形式のものはシーグルをまず連れていかない。危険がありそうな場所へも連れていかない。それとは別に、元傭兵団関連の連中に直接指示を出しに行くときも基本シーグルを連れてはいかない事になっていたが……それには実は理由があった。

「あいつは何故か、俺がお前のところにいくというと当然のようについて来ようとしない」

 セイネリアのその言葉に、カリンは少し考えて、それからくすりと笑みを漏らす。

「来てもいいぞと言ってみたが『いや、いい』と断られたし、別の日は嫌そうな顔でこちらを睨んで『一人でいけ』と言われた。……とにかく絶対に来ようとしない」

 セイネリアの顔は不機嫌そうだが、これは”拗ねている”のだとカリンには分かる。もっとも、普通の人間からしたら怖くて近寄れない状態だろうが。
 セイネリアがカリンの部屋に来るのは基本、情報屋の連中への指示を出すためだが、そういう場合はまず一人でやってくる。その理由はどうやら主の愛しいあの青年のおかげだったらしい。
 主がここへくればまず真っ先に仕事の話ではあるが、それが終わればかつて傍にいた時のように愚痴や本音を漏らしていく。シーグルには言えないような愚痴や相談の相手はカリンの役目であるから、この時間はカリンにとって特別で、ある意味現在一番幸せな時間であった。

「エルのところへ行くときは言えばついてくるのではないですか?」

 テーブルの上のグラスに酒を注げば、彼は不機嫌そうながらもそれを手にとって口に入れる。一気に飲むことはせずにグラスをすぐ置いて、口元を拭ってからまた口を開く。

「あぁ、エルの時は言えばついてくる。 言わないと黙って仕事をしようとするが」

 ならおそらくカリンが思っている理由で確定だろう。さてこれを主に伝えるべきかどうかとカリンは考える。そうすればそれを察したのか、セイネリアが怪訝そうな顔でこちらを見て言ってきた。

「……なんだ、お前には理由が分かるのか?」

 これは言わない訳にはいかなくなったかとカリンはちょっと困ったが、言ったからといっても問題のある事ではないのは確かだ。

「そうですね、おそらく。でもボスもうすうす気づいてらっしゃるのでしょう?」

 そうすればセイネリアは嫌そうに顔を顰めて、彼らしくもなく溜息をついた。

「なんとなくはな。だがそうなら馬鹿馬鹿し過ぎる」
「シーグル様はご自身が結婚してらっしゃいますから」

 だから、気にするのだ。自分が妻と会う時にセイネリアには傍にいてほしくないと思うから、セイネリアもカリンと会う時は二人だけの方がいいだろうと。

「俺とお前は別に夫婦ではないだろ」
「えぇ、ですからおそらく――私に対する心遣いだと思います」

 セイネリアは気にしないという事はあの青年も分かっているだろう。だから彼が気を使っているのはおそらくカリンに対してだ。カリンの気持ちを知っているから、セイネリアがカリンのところへわざわざ行くときはついていかない。

「あいつは……自分が俺にとっての何だと思ってるんだ。どうしてそこで気を遣う」

 ……まぁ、セイネリアとしてはおもしろくないのだろうが。カリンとしては実際嬉しいからヘタな事は言えない。

「シーグル様はボスを愛してらっしゃいます。……ただ、ボスを独占しようと思ってはいないのでしょう」
「何故だ」
「ボスという人間が一人だけのものになるべきではないという気持ちがあるのだと思います」
「なんだそれは」

 セイネリアの表情は益々不穏になる。とはいえ慣れているカリンからしたら、彼がここまで『訳がわからない』というのを表情にすることはまずないから楽しくなるくらいだが。

「ボスの能力を認めそれを尊敬しているからこそです」
「……あぁそういうのは分かる、気に入らないが」

 シーグルはセイネリアの能力を高く評価してそれに純粋な尊敬と憧れの念を抱いている。だからその能力を遺憾なく発揮して世の人々を救って欲しいという思いがある。ここはセイネリアとしては気にくわないところだろうがシーグルの性格上の問題で仕方がない。彼がどうしても部下としての立場を取ってしまうのは、少なくとも実際に現状の立場がある以上どうしようもないだろう。
 けれど……とカリンは頭の中で付け加えて、そうして今度は笑ってみせる。

「ただボスが他人とどんな接触をしようがそれを止めようとしないのは、何があってもボスには自分が必要で誰かに取られる事はあり得ないという自信と、ボスに対する信用があるからだと思います」

 それには当然、セイネリアはふん、と鼻で笑った後に嬉しそうな笑みを浮かべた。

「当たり前だ、ここまできてあいつが必要とされている事に自信がないとか、俺の気持ちが信じられないだとかいい出したらどうしてくれようと思うところだ」

 言い方は皮肉げだが彼がかなり嬉しいらしいのが分かるから、カリンはくすくすと笑うしかない。

「まったく面倒な奴だ。本当にあいつは俺の思う通りにならない」

 いいながらもその唇から笑みが消えないのだから相当に喜んでいるのだろう。
 この男が相手に『見せつける』ための表情ではなく感情を素直に出してしまうのは、こうしてシーグルの事ばかりだ。

「でもボスは、その『思う通りにならない』のが楽しいのでしょう?」

 それにはセイネリアはカリンを見て、にやりとちょっと含みのある笑みを作る。

「あぁそうだ。あいつ自身の心も言動も思う通りにならなければ、あいつに対する俺自身の心も言動も思う通りにならない。それが何より楽しいな」

 彼との付き合いが長いカリンは分かっている。そんな事を言ってしまうくらい、この男は今まで自分も他人も思う通りにしてきた。自分の感情をコントロールしていつでも冷静に物事を判断し、そうして相手の行動を読んで追い詰めていく。それが出来ない事はなかった……そう、シーグルに会うまでは。

「今までも全部が全部思い通りになった訳ではない。想定外がなかった訳じゃないし、相手が自分の思う通りに動いてくれる自信が100パーセントあった訳でもない。だがどうなっても対処する自信はあったし、失敗しても構わないと思えた。その理由は分かっている、何を失くしても問題なかったからだ。何も執着するものがなかった、自分自身の命さえ執着がなかった。……だから何も恐れなかった」

 流石に彼の子供時代は本人から聞いた話だけだが、カリンは他の誰より一番ずっと傍で長く彼を見てきた。どんな時でも自信があって、恐れる者がない最強の男……それは黒の剣を手に入れていなかったとしても変わらなかっただろう。いや、もし剣を手に入れてなかったら、シーグルのためではなく直接この国を手に入れていたかもしれないが。

「だがあいつを失いたくないと思っただけで、怖いと思う感情が生まれた。何をしても絶対思う通りになる事はないと分かっているのにあいつに関してだけは絶対でない事が怖い。周囲を固めて、出来るだけあいつが守られるようにしても傍にいないと不安が残る。あいつにとって良いだろうとした事が絶対そうだと言い切れないから怖い、あいつを守るためだとしてもあいつを傷つけることが怖い、あいつの本心が本当に喜んでいるのか、悲しんでいるのか、傷ついているのか……それを考えると何をするにしても不安が残る。まったく……『失いたくない』という感情がここまで俺を弱くするとはな」

 それは確かにそうではあるのだろう。恐れを知らなかった男が恐れを知った。けれどそれは、『人でなし』と言われた男が『人』になった痛みでもある。シーグルを愛したことで今までならあり得ない『弱さ』を彼は手に入れてしまった。

「ですが、ボスはそれを後悔などしていない、そうですね」
「勿論だ、何も怖くないというのは何も持っていない事でもあるからだ。心からの喜びも、満足感も感じられず、惜しむ程のものを何も何も得ていないという事だ」

 それを言う男の表情は、彼を知る人間ならば別人だと思う程優しく、柔らかい。何を手に入れても、どれだけの勝利を手にしても、空虚な瞳で皮肉げに笑う彼を知っているだけにカリンはそれが嬉しかった。彼の幸せが、カリンにとっての幸せだった。

「それでもボスが手に入れたのは『弱さ』だけではありません。絶対でない事を以前なら当たり前のように受け入れていたボスは、それを限りなく絶対に近づけるために諦めなくなったのですから。それは『強さ』ではないでしょうか」

 セイネリアの唇が自嘲に歪む。
 軽く喉を慣らしてグラスの酒に口をつけ、それから目を閉じて暫く何かを考えている。自嘲の笑みはやがて穏やかな微笑みに変わり、満たされた者特有の幸福そうな笑みとなる。カリンはそんな彼の表情が好きであったから、それをじっと見つめていた。

 だがやがて、その目が開いて琥珀の輝きが現れる。
 それがこちらを見た事で、カリンは少しだけ驚いた。

「カリン」
「何でしょう?」

 思わず聞き返せば、誰からも恐れられる男は自分に対しては珍しい、穏やか笑みのままで聞いてくる。

「あいつの気遣い、お前は嬉しいか?」

 それはここへくる時にシーグルがついてこないで二人きりになれることだろうか。

「はい、私は嬉しいです」

 セイネリアはそれに笑みを深くする。

「なら大人しく、あいつの気遣いとやらに従っておこう」



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 そんな訳で愚痴セイネリアサイド。微妙にセイネリア×カリンちっくな話ですね。
 



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