「びわ商品」の販売、購入

枇杷(びわ)あれこれ

枇杷(ビワ)とは
ビワ(枇杷、学名: Eriobotrya japonica)は、バラ科(Rosaceae)ビワ属(Eriobotrya)に分類され、高さ10メートルほどにもなる広葉常緑の高木です。
同じバラ科に属する植物には、バラ、桜、梅などの花木や、桃、リンゴ、ナシなどの果樹があり、アーモンドのように種子が食用になるものもあります。
ビワ属は主に東南アジアの亜熱帯地域や温帯南部地域に原産していますが、わが国に原生しているものは全て「Eriobotrya japonica」で、果樹として栽培されている品種も同様です。
ビワの葉は濃い緑色で大きく、縦に長い舟形をしており、表面には艶があり、裏には細かな毛が密生しています。
ビワは秋から冬にかけて花が咲いて結実し、春になって気温が上昇すると共に大きくなり、初夏に熟するという大変珍しい果物で、やわらかな香りと上品な甘味、ソフトな舌触りが独特のおいしさをかもし出します。(右下の写真は5月中旬に千葉県内の公園で撮影したもの。果実は大きくなり始めていますが、まだ緑色です)

ビワ栽培の歴史
果樹としてのビワは中国が原産とされ、中国で栽培されるようになったのは二千年以上前と言われます。
一方、日本における栽培の歴史はかなり新しく、本格的に栽培が始まったのは江戸時代末期から明治初期にかけてです。
それ以前にも、大阪府の旧止々呂美村(現在の箕面市)には「延元年間(1336〜1339)の或年のこと(箕面山滝安寺に)参拝の途中、山際に生えている枇杷の実を発見し、一株持ち帰って自庭に移植、山で食べた枇杷と同じような果実が実ったため、栽培するものが増えた」という記録が残っているそうです。
ビワが日本に古くから存在していたことは間違いなく、弥生時代中期以降の遺跡からヤマビワの遺物が発見されていますし、762年に記載された正倉院文書には当時の食用果実の中では最も安価であったとの記述があるそうです。
つまり、ビワは日本に古くから存在してはいたが食用果実として広く普及するには至らず、江戸時代になるまではほとんど栽培されていなかったということのようです。

ビワの二大品種
ビワは昔から和名がなく、枇杷の漢音をそのまま比波(ヒハ)としたことからも、日本には中国から伝来したとされてきました。
日本にも野生種がないわけではありませんが、果実が小さく、果形は円形もしくは楕円形で、栽培種のような卵形の果実は付けないようです。
日本で栽培されるビワの主な品種は二種類、東の「田中(たなか)」、西の「茂木(もぎ)」で、両品種とも日本の野生種の流れではなく、親は中国(唐)由来のものとされています。
江戸時代は、在来種(野生種)の果実が小さく円形のものを「ひわ」、中国から入ってきた大きく卵形の果実を付けるものを「びわ(唐ビワ)」と区別して いたそうです。

ビワの種は大きすぎる?
ビワは種子が大きくて食べる部分(可食部)が少なく感じられます。
バナナのように皮を剥いて全部食べられたらよいのに、と思うことはありませんか?
でも、果肉部分が果実全体に占める割合を比べると、ビワの方がバナナより多いのです!
ビワの可食部分は果実の外側にありますので、見かけは少なく見えても実際の割合は多いのです。
それでも種なしビワの研究は今でも行われているようですが・・・。

ビワの種をまいて実がなるか?
おいしいビワを食べたら、種を捨てずに土に埋めてみようと考える方もおられるに違いありません。当社でもやってみました。案外簡単に芽が出てきました。
種から生えた木は「実生樹(みしょうじゅ)」と呼ばれますが、果実がなっていた親と同じように大きく、おいしい果実はできにくいもののようです。
そして何より問題なのは、実生樹は結実を始めるまでに長い年数を要するということ。
実際、当社の敷地内に生えたビワの木が実を付けるようになったのは十数年経ってからでした。果実も小ぶりですが、肥料もやらず、手入れもしていない割にはまあまあ美味しくいただけます。
自分の庭でビワを育て、果実も楽しみたいという方は、接ぎ木で作った苗木を購入して植えるのが一番でしょう。

ビワの葉の効用

生薬としての歴史
薬草としてのビワの歴史はかなり古く、インドの仏典の一つ『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』に、ビワの木を「大薬王樹」、ビワの葉を全ての憂いを取り除く「無憂扇」と名付けており、大変すぐれた薬効を持っているとされていたことをうかがわせます。
また、中国では明時代(1366〜1644)に発行された『本草綱目』(1596年・李時珍著)に、ビワの葉の効用について「嘔吐の止まらぬもの、産後の口乾、煮汁を飲めば渇疾に主効があり、肺気熱嗽及び肺風瘡、胸、面上の瘡を治す。胃を和し、気を降し、熱を清し、暑毒を解し、脚気を療す」との記述があります。

ビワの葉の裏毛を取り除き、木香、桂皮等を配合して煎じたものを「枇杷葉湯びわようとう」と呼び、京都や江戸などで暑気払いとして売られ、庶民の間で大いに人気を博しました。
右図は江戸時代後期の狂言作家、鶴屋南北の代表作「彩入御伽艸(いろえいりおとぎぞうし)」の舞台を描いたもので、「枇杷葉湯」の行商人の姿が見られます。
元来、枇杷葉湯は長州藩の二大名薬の一つで、その効用は食中毒、大腸カタルなどの予防に効果があるとされたそうです。

生薬としての「枇杷葉(びわよう)」は現在でも以下のような漢方薬に配合されています。

金地院療法とアミグダリン
静岡県の金地院(こんちいん)というお寺の住職・河野大圭(こうのたいけい)禅師が大正から昭和の初めにかけてビワの葉を用いてのべ20万人を超える人々に施療を行い、有名になりました。
その方法は、ビワの葉に経文を書き、それを焦げない程度に火であぶり、二枚合せて両手ですりあわせ、葉が熱いうちに直接皮膚に密着させて押し揉むというものです。
その効果に感動した札幌鉄道病院の福島鐵雄博士が、科学的にそのメカニズムを解明しようと研究に取り組み、『皮膚を通して行う青酸療法(河野大圭禅師のビワの葉療法の紹介とその科学的研究)』という論文(右図。昭和2年10月)を発表しました。

この論文の中で福島博士は、数多くの難病患者が河野大圭禅師の施療により治癒したことを紹介したうえで、その科学的メカニズムは、ビワの葉に含まれるアミグダリンが分解して微量の青酸を生じさせ、それが皮膚を通じて吸収されることによるものと考える。青酸は恐るべき猛毒であるが、ごく微量の青酸は逆に甚大な薬効をもたらすのではないか、と述べています。

ビワの葉に含まれるアミグダリンの薬効に注目するこの論文は、「ビワの葉の効果=アミグダリンの効果」という図式が定着する一因になったと考えられます。
その後(1950年代)、米国でアミグダリンの抽出製剤「レートリル」がガン治療に用いられるに至り、「ビワの葉の効果=アミグダリンの薬効」という図式はいよいよ確固たるものとなりました。

ところが近年、ガンに対するアミグダリンの薬効に疑問符がつくようになり、当社にも「アミグダリンの薬効が否定された→ビワの葉療法って効果がないのでは?」さらには「アミグダリン=青酸=毒物。ビワ療法は危険なのでは?」などといった質問が寄せられるようになってきました。
これでは順番が逆で、ビワの葉療法に効果があるのは上述の通り昔から広く知られた事実で、アミグダリンはその効果を説明するための仮説の一つだったということを、以上の経緯からご理解いただきたいと思います。

上述の「枇杷葉(びわよう)」だけでなく、アミグダリンを薬効成分とする「杏仁(きょうにん)」、「桃仁(とうにん)」は現在でも漢方の生薬として用いられています。これらは、ビワの葉や果実の種子をそのまま乾燥させて用います。 これからは、アミグダリンのように何か特定の成分に注目するのでなく、葉や種子全体としての薬効に目を向けた方が良いのではないでしょうか。