第一回 おじさんは怒ってるんだぞ!(VS 動物愛護法)


先日、猫を虐殺してその様子をHPで公開した人に、なんと6ヶ月の懲役判決が出ました。
「動物愛護法」にひっかかったというのです。

僕は、いくら考えても、何がなんだかわけがわからず、
「動物愛護法」関連のHPをいくつもおとずれ、勉強しました。

ところが、読めば読むほど更にわけがわからず、最後には気が狂いそうになりました。

その法律では、殺す様子をHP公開するかどうかに関わらず、猫や犬などを殺すと、罪になるというのです。
僕はその理由、法的な根拠が知りたくて、いろいろ見たのですが、どこにもまともな説明がありません。

ひどいものになると、「猫の恐怖や苦しみを思うと、懲役6ヶ月は軽すぎる」とか、
「犯人を猫と同じ目に合わせてやりたい」などという意見までありました。
またある人は「 動物と言うだけで6ヶ月とは短い刑だと思います。生きている命はみんな同じでは無いのでしょうか?」(原文のまま)
と言っています。

その人たちは、なぜネズミ駆除に対して、同じように怒らないのでしょう?
なぜ、蚊やハエやゴキブリを殺す薬剤が一般の薬局で売られているのに問題にしないのでしょう?

人間は一回呼吸するだけで何万という細菌を殺してしまいます。
もし、「生きている命はみんな同じ」で、「だから殺すな」というのであれば、まず真っ先に
自分が自殺すべきです。たった一つの命の犠牲で、天文学的な生き物の命が救えるのですから。

ある人はそれに対してこう言いました。「人間がペットとして飼うような生き物を殺すことが問題なのだ」と。
ずいぶん身勝手な、人間中心の考え方です。
人間が見て、かわいいと思うか。それだけが、その生き物の命の重さを決めるというのです。
これはつまりこういうことです。
「二人の子供が産まれたが、下の子はかわいくないので殺しちゃいました。かわいくないんだから、いいでしょ?」

またある人はこう言います。「猫や犬とゴキブリでは、知能が違い過ぎる」
これはつまりこういうことです。
「子供が産まれましたが、知恵おくれだったんで殺しちゃいました。バカなんだからいいでしょ?」

またある人はこう言います。「ゴキブリや蚊は害虫で、人間に害があるから殺してもいいのだ」
これまた、人間中心な考え方です。ゴキブリや蚊は、人に迷惑をかけようとしているのではありません。
彼らはただ、生きているのです。

それにゴキブリや蚊が、それほど人に迷惑をかけますか?
それは幻想です。有害なばい菌を運んで来ると言う人もいますが、
そんな症例は日本ではまずほとんどありません。
それを言うなら猫だって犬だって感染症の媒体になるのです。
結局「害虫」とは、目障りだ、気持ち悪い、かゆい、とかそのくらいのものなのです。
「自分に邪魔なものは殺してもいい」と言っているわけですね。

つまり、すべては言い訳にすぎません。
呼吸をしないわけにいかないので(「自分が死にたくない」という気持ちが結局最優先だから)、
細菌を殺す事と猫を殺す事が、まったく違うものであるかのように、へたくそな理論武装をしているだけです。

中には「蚊だって殺しちゃイカン!蚊を潰したら懲役刑にすべきだ」という人もいるでしょう。
そういう人は「食べるため」以外の殺生をすべて認めなかったりします。
「食べるのはしょうがない。でも無意味な殺生をするな」というのです。
食べればいいのでしょうか?
それもやはり、人間側からしか、ものを見ていないから起こる発想です。

大量の牛が、食べるためだけに育てられます。
それに対して、猫はほとんどが、かわいがられ、たまに殺されるだけです。
あなたは牛です。どう思いますか?
「自分は食べられるからよかった。殺された猫はかわいそうだなあ」と思えますか?
真剣に考えてみて下さい。
僕が牛なら、「牛の受けている仕打ちの方がずっとひどい!!」と思います。

「かわいそう」
この身勝手な偽善を、動物(犬猫以外の)の立場から見つめて下さい。
許せますか?
僕は絶対に許せません。

人間以外のあらゆる生き物も、他の生き物を殺して生きています。
でも、そこには嘘はありません。
特定の生き物を殺す事だけを悪とするような身勝手な理論が存在しないからです。

実は、僕は最初に動物愛護法の話を聞いた時、そこには2本の柱があるのだと、すぐに思いました。
一つは上記の、「動物がかわいそう」というもので、
もう一つは「残酷な動物殺りくは、人間の気持ちを傷つける」というものです。
ところが、いろんなHPを廻ってみたら、驚くほど、2つめの話は出てきません。
みんな動物側の話しかしないのです。
なので、ここでもそれを中心に書きました。
でも2つめの要素についても書きたいと思います。

猫を殺していく。
それは人の心を傷つけもするでしょう。
でも、 インターネットで公開するということは、テレビでやるのとは違います。
そこにわざわざ見に来た人にしか見えないものです。

それに、猫を殺す事は、猫好きの人にはショックでしょうが、
ゴキブリの愛好家は、ゴキブリホイホイを見てどう思うでしょう。
猫いらずを見たネズミ好きの人、ウイルスを愛してしまった人の気持ちは
どうなるのでしょう?
そういう人たちの権利をどうやって守るというのでしょうか。
どちらにしても、おかしいんですよ。

では、どうすればいいのでしょうか。
簡単です。人間と、それ以外の生物の間に線を引くのです。それしかありません。
そう言うと、「人間の命だけが尊いの?」と言う人があるかも知れません。
違います。人間の命も、猫の命も、ゴキブリの命も、エイズウイルスの命も、
全く同じだけ、尊いのです。(愛護法擁護論者は、むしろそれがわかってないのでしょう)

人間の法律において人間の権利だけが守られているのは、人間の命が特別尊いからではなく、
人間は人間の権利を自分たちで守っていくしかないからです。
それは、ライオンの群れが、協力して狩りをするのと同じ事です。
「シマウマがかわいそう」では、ライオンは生きて行けません。
それがライオンの法です。
同じように、人間の法は人間を守るために存在します。

「人間はかしこく、力もある。だから他の生き物も守らなければ」
という「おごり」が、特定の生き物だけを人間の身勝手な都合だけで偏重する、
くだらない法律を生んだのでしょう。

動物愛護法。
どうしてこんな法律が、国会で通ったのでしょう??
おじさんは怒ってるんだぞ!




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