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SECOND TOPICS

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ADnDをマスタリングする際の情報ソースはこれだ!


Collum written by ジーク


 なかなか抽象的なテーマで全く筆が進まなかったが、ぼちぼちと私の場合のケースを書くことにします。

 「マスタリング」と言う言葉はかなり広いものを指すが、分類等をしていくとぐゎるま殿とほぼ同じ考え方となってしまった。まぁつきあいは長いし(私のキャンペーンでの参加歴は長いし、彼のキャンペーンでも長い間参加させてもらったし、天査殿をはじめとする他のDMのキャンペーンでも一緒にプレイヤーとして参加してきた過程があるので)、考え方も似通ってしまうようです。いわゆる馬が合うというやつでしょうか・・・。(笑)

 ぐゎるま殿と同じ事を書いても仕方がないので、私がなぜマスタリングをするのかをあげ、そこからこんなものを情報としているということを示したいと思う。

 前の回に示したとおり、私がADnDで行いたいことは「物語」を作りたいと言うことである。そのための手段としてのADnDであり、他のシステムでも良いかもしれないと思っている。ただしそれを実現するためにはシステムとして私にとって私のイメージを構築・表現しやすいものがあることが絶対的な条件であり、いくつか知ったシステム、ルーンクェストやクトゥルフなどでは難しいことがわかっている。ファンタジー的でバックボーン的な考え方の起訴が確立しているシステムは私の知る限りなかったのである。

 ファンタジー的な「物語」を作るためには当然のごとく世界背景、キャンペーンのバックグラウンドを重視する。そのためにそういった設定の検討に時間を掛けることとなる。薄っぺらな設定は各個別の設定を考える上で脚を引っ張られる、つまり矛盾があったり深みがなかったりするからである。これらの設定を考える上で私がもっとも頼りにするのは各種のファンタジー的な小説群であった。特に「ハヤカワFT/SF」シリーズである。最近はあまり読んでいないが、私が大学時代から社会人になるころに出版されたものには秀作が多く、バックボーン的にも優れたものが多かった。ちょうどそのころマイケル・ムアコックの有名なシリーズ各種の「チャンピオンシリーズ」も出版されていた頃だったし。またもっとも影響を受けたのはトールキンの「指輪物語」であり、あの設定量は特にショックをうけた。あのぐらいの設定量がなければ「物語」などではないと感じたほどである。これらの小説は数え切れないほど読み返している。読み返す度に新たな発見(設定)を見つけられる気がしており、またそれは現実に行えている。まあそれ以外に私は体が弱く、電車で本を読んでいないと貧血になるケースがおおくその防御策としての意味もあるが・・・。また現在は聖書や文学的なものも参考にしている。岩波文庫の各種の文学、例えばゲーテの「ファウスト」やミルトンの「失楽園」などである。

 尚、日本のファンタジーものは私は殆ど読まない。どうもバックボーンの設定を考えたときに非常に薄っぺらく感じるものが多く、また割と嫌いな作家が多いからである。日本人にはその文化的に西洋的なものは難しいのかも知れない。これは私がたまたま目にするものがそうだけなのかも知れないが・・・(笑)。

 というわけでバックボーン的な考え方の収集のメインは小説群であり、他の要因、おそらくたの方々とは異なり映画等にはあまり興味がない。原作がある映画は大抵先にその原作を読んでしまい。それとの差違が気になってしょうがなくなる。大抵その差違は私にとってマイナス的にイメージするケースが多い。つまりは映画の方がおもしろくなくなる感覚が多い。たぶんに映画というのは長編であっても「物語」的には設定があまり浮かび上がってこないショートストーリーになりがちなので好きではないのかも知れない。ただしどのように小説から映画にまとめるかの手法には興味があり、またイメージを伝えるビジュアル的な面にも興味があるので全く見ないというわけではないが。金を払って映画館で見ることはなく、TVでの放送を見るぐらいである(笑)。

 キャンペーンを考える上で小説群からそのアイデアをそのままもって来るというケースは少ない。自分なりの脚色を出している。これはとある題材をテーマ(歴史上の題材など)にした劇や映画などがいくつか作られているが、その監督によりそれなりの色が出る点と似ているかも知れない。いくつかのAD&D(R)の各種のルールブック、サプリメント、モジュール群も重要な要素である。ルール等も同様でルールをただのルールと割り切らず、そのルールの背景を想像することによりキャンペーンの骨格の一部となることももちろん存在する。ここら辺は私のキャンペーンに参加している人間でないとわかりにくいかも知れないが。これはルールの穴をつくとか、知られていないルールを探し出すとか、掛け合わせて新たなルール的な解釈を考えるといったことではなく、なぜそのルールができたのかその根拠となる物語や描写はないかということに人力を尽くすと言うことである。

 次に個々のシナリオ作成についてであるがこちらもネタとしては小説を用いることは多いが、どちらかというと各種の情報物、つまり映画、アニメ、一般世界情報、TV等の影響をうけている。もちろんモジュール等を変形して使うことも多い。ただし殆どの場合、そのままは使用しない。私なりのひねりが入ることも多く、私の経験上の感覚だと、その情報物の元を知っていたとしてもそうだと気が付かない場合が多いようだ(気が付いていたらもっとスムーズにストーリーが続くに違いない(笑))。キャンペーンという「物語」を構成する要素としてはいろんな情報や事象が入った方が作る方もプレイする方も楽しめると思うし、骨格に影響が出ないと思われる範囲では自由にあらゆる要素を付け加えている。

 最近そういった内容を構築していくのに、私がもっとも参考にしているのは、TVドラマである。一時期はTVドラマも各種のテーマで多数のものが乱立していてしょうもないものも多かったが、最近は単発で見た場合には参考になるものもある。この参考になるものという視点は、短い間の時間にまとめ上げる力、起承転結をきちんと付ける、情報の前ふりの仕方に良いものがあるものがある場合があると言うことである。残念ながら通しのストーリーとしてみた場合、ほとんどのドラマで最期のまとめ上げ方については不満に残るものが多いが、それはある程度仕方がない、つまりはそれだけ難しいことを示しているのだと思っている。

 これらのことを考えるのに総合的に言えることであるが、短い時間で少ない情報量で構築してマスタリング(セッティング)していくことは難しいと思う。長い時間をかけ、多くの情報量を費やし熟成させてから実施する必要があると思う。そのときただ時間を掛けるのではなく、意識する時間を増やしアイデアとして昇華させる機会を増やす努力が必要である。どんなに良い物語だったとしてもその表面的な出来が良くなければおもしろくないしその逆もしかりなのだから。

 最後に今回はとりとめもなくなってしまったがご容赦いただきたく。

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