別 世 界 通 信

THIRD TOPICS

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DM、PCにとってADnDの魅力とは何か?


Collum written by ラーパンドラ


 WotC社によると、どうやら8月の Gen-Con 直前に ADnDの三版(正確には DnD 3rd)のPHBの発売にこぎつけられそうである。私的には 3rd の入門用ワールドに認定された「World of Greyhawk」のフォロー季刊誌「Greyhawk journal」の発売が(Greyhawkファンの私としては)待ち遠しい限りである。

 私はここ10数年、RPGというホビーにおいてDMの果たす役割は(他のPCと比較して)非常に大きく、とくに事ADnDにおいては、他のRPGよりもより多くの比重を占めると思っていたが、近年のスタイル論争によって「パワープレイ」においてはいささかその意を異なる面もあると知り、認識を新たにする機
会に巡まれたと言えよう。

 以下の論旨は、この事を念頭に、かつDM(Dungeon Master)とPC(PlayerCharacter) をADnDという事に限定し、かつある程度DM、PCともに周囲におりそれぞれを選択できる環境にあるという事を前提に話しを進めるとしよう。

 ADnDが、多くのスタイルに対応できる、高度な柔軟性と包括性、そして尚未知なるものへの可能性を保持している魅力的なRPGシステムである事は、改めて論じる必要が無い事である。実際全てのルールを考慮にいれた「ピュア・パワー・プレイ」から、新和から和訳された PHB、DMG、MC1のいわゆる「三種の神器プレイ」まで含め、多くのスタイルでゲームが行われている。国内においては、主に「パワープレイ」「リアルストーリー」「リドルセッティングング」の3つに特化、あるいはこれらの複合で行われているようだ。

 前者2つはいまさら説明がいらないと思われるため、最後の「セッテイング」について少し説明すると、オリジナルのワールド、神、歴史等を設定する事を主とするスタイルの事である。往々にしこのタイプにはいはゆる「謎解き」の要素が大なり小なり含まれるため、私は「リドル・セッテイング・スタイル」と呼称
している。

 国内においてはさまざまな理由から、オリジナル・ワールドを作成し、そして破れたDMが多い(実のところ、私もその屍の一人である)のは事実でありながら、昨今のインターネット上のADnDコンテンツの増加をみると、尚良き方向への模索が行われていると考えられる。これこそが、多種多様な要素からなるADnDの魅力に曳かれ、そしてまた魅力を引き出すための自然な流れの証拠ともいえる。

 さてここまで述べた上で、本文の論旨の1番目「DMの魅力」を考察してみよう。「魅力」とは、他人を引き付けてやまない人間力の事であり、現実世界の私達は、この友を得、人に影響を与えるという事に、多くの労力を払っており、RPGにおいても同じ事がいえる。

 ADnDにおける「魅力」を現す数値は、前記3つのスタイルを踏まえてももっと低い扱いを受ける「カリスマ」が相当し、キャラメイク時には大抵は一番低い数値に割り当てられている傾向にある。だが、ことDMにおいては、一、二を争う重要な能力値である事はいうまでもない。ではその「DMの魅力」に至るため必要な要素を考えると、大体以下のような事があげられるのではなかろうか。

・カリスマ性
・リーダーシップ性
・人間性(あるいは人間力)
・高いコミニケーション能力
・豊富なルール知識
・ジャッジ判断能力
・社会常識(Common-Sence)
・さまざまな経験
・高い演技力
・高い構想力
・豊かな創造力
・英検2級、あるいはTOEICで700点以上とれるだけの英語力
・ネットダイブ能力
・高い印象度

…ここまで自分で書いておいて、自己嫌悪に襲われつつあるが、実際これを全て満たしている人物は皆無だろうし、いた場合はDMではなく、政治家か外交官、あるいはペテン師になっていると推測される。実際のところ、これらを満たしてなくてもDMはできるし、PCは集まる。これはなぜだろうか?逆説的に考えてみよう。私がPCとして、DMの元へいく時の要因は:

・感情、論理がバランスよく理性によって制御されている
・連続性がある
・DMがPCを楽しませようとしており、かつ自分自身楽しもうとしている
・一定レベルのジャッジメント、シナリオを維持する
・絶えず、良い方向へ変化する姿勢が伺える
・キャンペーンの行く末、あるいはテーマに共感できるものがある
・独自性がある。
・何か惹きつかれるものがある。

といった点がほぼ全て満たされていた場合、キャンペーンに参加させてもらっている。この観点からすると前述した要素は、これらの要因を成す為のツールに過ぎないといえる。実際の問題として、これらの要因を成す為には、さまざまな方面からの、取り組みが可能である。上記で挙げた要因は、私見であり個々人において大きく差があると思われるが、参加者の個々の要望を調整し、自分のキャンペーンの一部としていく事は、可能であり極めて意義ある事だと思われる。

 纏めていうとADnDの魅力を最大限にひきだすため、絶えず変化していく努力をしつつ、かつ自分を失わない事。これこそが「DMの魅力」にほかならない。

 さて続いて「魅力あるPC」についてふれる事にしよう。実はこの「魅力あるPC」というのは、言うは安し、行うは難しである。何故か? それはえてして「魅力あるPC」とは「魅力あるプレイヤー」であり、対して、逆は余り見受けられない。この事事態、実はRPGに対する一つの難しさを提起している気がする。これは筆者の周囲のRPスタイルが、

「自分以外のもう一人の自分」

である事よりも

「自分の中にある(まだ自分自身で気づいていない)部分をもったもう一人の自分」

という事を是としているからであろう。(これは私がキャラ作成前の「キャラ設定」を軽視している事にも起因する)

魅力という点を置いといて、RPの巧いPCというのは、大抵において自分の持ち味を出しつつ、他人との協調をはかり、シナリオをクリアしていく。この中でいう巧さというものは、やはり90%本人の才能・資質に依存しているといえる。よくRPGは、

「努力がいらないホビー」

と、安易に言われる事が多いが、それを肯定してしまう要因である。だが、その中、自分自身の中にある「なにか」を求めて、自分を切磋琢磨していく姿にこそ、真の努力がある。

「魅力あるPC」

とは、この努力の過程にあるPCの事をいうと私はまず考える。

 端的にいって「魅力あるPC」とは「一緒にやりたいPC」となる。では「一緒にやりたいPC」とはなにか? と問われれば、次のような点があげられる。

・一緒にやってて楽しい人
・自分に無いものをもっている人
・努力をしていて、それを態度や口にけしてださない人
・ズルをしない人
・常識/良識のある人
・有言/無言実行の人
・RPGというものに対して共感できるものがある人
・自分らしさを失わない

  ここであげたのは私の“嗜好/指向”による側面が大きいので、いはゆる本編のお題目である“魅力”とは少しはずれているようではあるが、くしくも“魅力”されているという事にほかならないのは事実である。では「魅力されるPCとはなにか?」と問われても、自然に返答する事は難しい。

 常RPGとは、シチュエーション、シナリオ、キャンペーンをDMが100%成功を提供するのは当たり前、PC達はこれを己の努力と根性と友情そして感性で
200%以上にまで引き上げるもの、そしてDMとPCにより300%以上に引き上げ可能なホビーだと私は捕らえている。それこそが、平凡な私を、非凡なもう一人の私に変えていく。それこそが私にとってこのホビーに最大に「魅力」されている点であるのだから。

 だから「魅力されるPCとはなにか?」と聞かれると、究極的には、上記のような事を自然にやっている、あるいは目指しているプレイヤーという事になるの
であろう。

 総論的にいえば、

・自他ともに心情を理解でき、
・同じ価値観を所持でき(違う価値観を認め合い)
・その上で、プラスアルファの技術、才能、能力をみいだす事ができる人

という事におちつくのだろうか。この点からすると、幸運にもどうやら筆者は、周囲の人脈は、恵まれているようだ。

 貴方の周囲には魅力あるロールプレイする方がいますか?

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