別 世 界 通 信

SECOND TOPICS

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ADnDをマスタリングする際の情報ソースはこれだ!


Collum written by ラーパンドラ


 先月、 Wizard of Coast社 が Alternityラインの終わりを発表したと同時に、同社の Ryan Dancey は D&D 3rd Edition のコアルールが汎用ロール・プレイングゲームシステムとして使用可能な「D20」システムにおいている事が明確化されると同時に、「D20」システムが、広くネットを通じて新しいムーブメントになるだろうとの示唆を与えた。

 これがRPG業界始まって以来の、グローバル化をめざした歴史的な“偉業”になるのか営利主義専攻の“愚行”になるのかは、いま少し時間と経緯をまたねばならないが、受けて側にならざるをえない購買者にして、熱烈なADnDファンである私としては、受動的参加の機会を与えられたとみて、注目せざるをえない。

 本コラムにおいて、この事件はある意味を持つ。それは、このインタビューが発表されて、わずか10時間後に、私がこの情報を得る事ができたと事である。これはこのコラムの執筆者である「Beholder」氏の熱意の体現たるHP上の活動の賜物でなのだが、事全般的な情報ソースに遅れがちな日本においては、やはりインターネットは主要な情報ソースであることはいなめず、筆者もこれを多用している。

 だが今回のコラムにおいては、目的を「ADnDのシナリオを作成・運営する」ための「情報ソース」という観点にしぼることで話を進める。これは話が一般論で終始しまいがちな「インターネット」論より、手法的な面について述べた方が役立つし、読者も面白いだろうからという点を考慮してのことである。

  以前より言及しているように、私の英語能力は著しく低い。そのため、山ほどでる各種モジュール、サプリメント、そして情報の倉庫と言われる、インターネットにしても(ことADnDにおいては)その主要なデータは英語となるため、私が主な情報源とするには、いささか敷居が高い(これは国内のDM、プレイヤー一般にいえる事ではないかと推察されるが)のは事実であり、私の主要情報ソースとはなりえていない。

 では私にとって主要な情報ソースは何なのかと問われれば、以下の2つがあげられる。

1)英語に精通した知人・友人
2)各種マルチメディア

 それぞれについて説明しよう。

1)の英語に精通した知人・友人というのは、余り説明がいらないと思う。膨大な情報の中から、必要な情報を抜き出すために、別にSQL文等をプログラムする必要はない。そう、知っている人に聞けばいいのである。自分の周囲の環境において、AD&D(R)のサプリメントを定期的に買っている知人の存在の重要性はあえていまうまでもなかろう。
 国内におけるインターネット環境では前述したとおり、Beholder氏のHome-page以下、日本人の手によるもののHPの存在は、とても大きい。また広義的にみれば、コミケや通販で入手できる、翻訳本も有用である事をつけくわえなばならない。ここで重要なのは「和訳」ではなく「翻訳」である点に留意して頂きたい。そもそもゲームも含め、文化形態、思考形態が違う欧州と日本では、いはゆる直訳では意味をなさない事が多い(一体我々の何人が、キリスト教会式の洗礼を見たことがあるというのか?)

2)の各種マルチメディアについては、私の場合、主に小説、映画、漫画、アニメ、他のRPGそしてコンシュマーゲームとなる。映画(特にハリウッド系)を、RPGのシナリオに変更して使うというのは、別段私だけではなく、ネット上では有名な某氏のHPの記事にもあるように、きわめて有効な手段である事はいなめない。
 また、映像やアクション、構成などを見ること、客の反応の間とかを体験するという副次的な利点があるため、映画とは私にとって極めて重要なソースの一部である。DMに必須な能力の1つに「エンターテナー」の面が必要なのは、お判りいただけるだろうが、ここには確かにそれが凝縮された形で存在するのである。
 小説、漫画等もこれに準じる。たとえば、3人のNPCの少女を考えるのに、某魔法騎士レイ○ア○スの主役3人をパーソナリティをそのままに、クラスや出生、アビリティなどをいじることでコンバートするのは、私のリアル・ストーリの師である天査氏の得意とする所であるが、私もそうである。
 小説においては、私は戦記や歴史もの、ファンタジーではエピックが好きなので、主にキャンペーンの設定を組み立てるのに使用されるが、これもまた私のセッテイングの師であるジーク氏から学んだ事である。
 これらに共通していえる事は、情報を正しくとらえた上で、いかにオリジナリティを出すかという事と、膨大な情報の中から、必要なもの+αの要素を抽出できるかという事である。(ここで+αと書いたのは、シナリオ自体のバリエーションを広げるためのものであり、いはゆる「一本道」にならないための余裕−私は<揺らぎ>と呼称しているが−である。)

 以上2点をあえて分けて書いたが実際のところ私の場合にはコンパチで、結局人から学び得たこと、学び続ける事に意味があるというのがわかって頂けるだろうか。

 私の場合、まずこれらがあってから、初めて各種サプリメント類(ルールブック、シナリオ、ワールドセッティング等)が意味をなしてくる。これらの要素を参考はもとよりコンバートや引用できるものが多いある。ADnDの持つこれらサプリメントの持つ情報データは膨大なので、他のRPGにでてくるスキルや、魔法、モンスター等は大抵さがせば見つかる。
  たとえば Wizardry や Fire-Emblemにでてくるクラスやアイテムは大体カバーしているはずである。(この場合は検索枠をせばめるためのツールといえなくもないが)

 そう、いかに情報をもっていても、知り得ていても、それを必要なときに抽出できなければ意味はないし、抽出できても、それを利用できなば意味はない。コンベンションなどで、膨大な知識をもっていても、実際にゲームをやるとそれを利用できない方は多いが、この傾向は日本人全体のものであるようだ。

 情報に踊らされるな−とは良くいはれることではあるが、なかなか己だけで判断しうるものではなく、情報に食われる/振り回されるというのが現状ではなかろうか?

 前述と矛盾するようではあるが、分かっている人に聞けばいいというものではない。それではオリジナル性や自主性が失われるからである。ここでバランス感覚と、最低限の知識、そして自分が何をやりたいのかという明確な指標が大切となってくるわけだ。最終的な決め手となるはずの各種モジュールにおいても、複数デザイナーの書く悲しさ、データに矛盾、不合理があるのはADnDでのお約束である(余談だが、私の好きなグレイホークはこの傾向が高いようだ)。その中で、自分がDMとして、バランスをとり、自分のものとし、そして自分の表現したい事象を理解していれば、必ず答えを求めることはできるはずだ。

 求めるものが大きければ大きいほど、帰ってくるものもまた大きい。努力はむくわれる事は少ないが、少なくともADnDにはそれだけの実績と情報がある。またとかく敷居が高く、閉鎖的になりがちなRPG環境(ADnD環境)ではあるが、一旦己の入るゲートをみつけてしまえば、後は宝の山のようなものである事に気づくだろう。(余談だが、BBSに書き込む事すらそれに連なる。ちょっとした自主性とほんの少しの勇気さえあれば)

  経験を宝石に変えるのも、情報をごみとするのも、貴方次第である。貴方には、貴方をとりまく広大な情報ネットワークが見えるだろうか?

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