別 世 界 通 信

FIRST TOPICS

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「何故ADnDをプレイするシステムとして選んだか?」


Collum written by ラーパンドラ


 Wizard of the Coast社は昨年、Advanced Dungeons & Dragons(R)(以後ADnDと略)の3rd Edition「Dungeon & Dragons」の発売予定を発表したが、それが現在日本だけではなく全世界の ADnD User に、さまざまな波紋をなげかけている(FAQに関してはBeholder氏のHPの3rdEdition FAQを御参照)。個人的には、その発表会場にADnDの生みの親ゲイリー・ガイギャックス氏の姿がなかった事が残念であると同時に、3rd の未来を暗示しているように思えた。

 いずれにせよ、この一大イベントに対してさまざまな憶測波紋が生まれ、その波及が、現在多くの問題が混在してる日本におけADnDRPG界に大きなWaveを投げかけたのはまぎれもない事実であり、我々は多くの情報を集め、整理し、思考し、そして選択する岐路にたたされている。

 このコラムではまず、その第一歩である、

「なぜ ADnDを選び、そして今も続けているか」

といった点について考察しよう。

 私は今でこそ、関東のADnDサークルの古巣A.D.D.A.の代表である事と併せ、ADnDのベテランDMであると同時に熱狂的なADnD Userとして認知されている様だが、今から14年程前、即ち新和(株)により出版された日本語版 DnD(通称:赤箱)が世に出、流行り、廃れるまでの5年の間、DnD自体はそれほど好きなRPGではなく、むしろ私にとって“Anti”の代表的な RPG であった。(今でいうソードワールドRPGにたいする、いはれのない悪意的なイメージのようなものと類似性がみうけられる)これは当時、主にPlayしていたRPGが「Traveller」だった為もあり、戦闘主体、それもAHやSPIの、そしてツクダの戦闘級シュミレーションゲームをこよなく愛していた私には、その戦闘ですらあまりに「抽象的」で、魅力がないものと思えたからである。

 転機は当時、私がよくお世話になっていた荻窪のゲームショップ「喜屋ホビー」の協力によりできたDM陣のお茶会であった「マスターズイン」で(このHPの管理者である)天査氏や(この企画に参加しているの他のコラムニストである)ジーク氏、ぐゎるま氏、そして故大貫氏と出会った事から始まる。(ちなみにこの時のメンバーにはわぐり氏、朱鷺田氏、BARD氏等がおり、今考えてみるとすごいメンバーが集まっていたものだ)

 正直、それまで他のDMにたいして「同意」はできても「敬意」に値する人との出会いがなかった為、この出会いが私に与えた影響はいかほどのものであったか、想像するに容易である。教えをこうという訳でもないが、かくして交流が始まり、A.D.D.A.に行くことになったのが、ADnDとの出会いであり始まりでもある。

 ここでの数回のRole Playは、DMとしてのRPG経験こそ多いものの、Playerとしてほとんど経験がなかった為もあり、多くの新鮮でセンセーショナルな楽しみ方を教えて頂いた。それは新しい自己認識と表現の形であり、コミュニケーションの一つであり、想像と創造性に満ちた一つの夢、あるいはもう一つの現実であった。

 私はそこで、RPGを通して探し求めてきたものを発見したのである。それは、この上何の疑問もなく遊び続けるという意味でもなく、ただ終着駅をみつけたというものではない、それは始まりの門であった。 無限の可能性をひめた世界の。そこでなら「殻と枠にこもりがちな自分」が変化していけるのである。

 かくして私がPlayerとしてADnDにのめりこんでいくのは当然の帰結であった。

 実際のところ、私の英語力は非常に低い。高校時代の英語の成績は、アヒルの歩みかジャブの掛け声である。そんな私でも、この時点では RPGに関する興味と熱意は、分厚いマニュアル(PHB)と(Unearthed Arcana)に挑戦するだけの価値があったのである。

  さて、この後Playerとして1年ほど参加した私は、DM出身者の常としては、ADnDのDMを行う事になり(最初のキャンペーンは無残にも失敗に終わったが…)、今に至る訳であるが、初期の熱意だけで、10年以上続けていける訳もない。また、大抵のADnDのDMと違い、筆者には数多のRPGの中からADnDを選択するという選択の余地があったように思える。(実の所、現在筆者の知るADnDのDMの多くは、最初のゲームがADnDのようだ)

では、以下にその理由をあげてみよう。

筆者が行うRPGに対する重要な要素は以下のような点である。

1)安定し、かつ拡張性に柔軟な基本システムを持つ事
2)ある程度共感できるオフィシャル・ワールドを持つ事
3)戦闘が楽しい事
4)魔法が論理的である事
5)成長が楽しい事
6)ロールプレイに対する制約が少ないこと。ただし指標はある事
7)バックフォローがメーカー側からあること
8)データが多い事
9)以上の条件を踏まえ、選択ができ、それで自分の実現したい事が(ほぼ)オフィシャルルールの範疇で表現できること

 である。ADnDがこれら全ての条件を満たしているのはいうまでもなく、他のRPGではRune-Quest(R)位であろう。(事実、今でもDM、PCともにやっているのはADnD以外はRQだけである)とはいえ実際にPlayしているのは圧倒的にADnDの方が多い。これは上記の要素に加え、

10)周囲にADnDプレイヤー、サークル等メンバーがそろっている(やれる環境にある)
11)近隣にモジュール等を安定購買できる店舗がある
12)情報交換できる場がある(最も効果的なのはWebだが)
13)楽しむための多様性に答えられること(スタイル等)

の存在が、差となっている。実際、RPGは自己表現と、コミニケーションの手段としての効果が極めて高いと考えている。そのために9)と12)の要素は、筆者的にとても重要な要素であるといえる。

 ゲームをある程度のテンションをたもちつつ、長く続けることはむずかしい。物理的な問題(就職、結婚、転勤等)を除いても人と人の間には長い間には軋轢が生じるものであるし、維持する事と変化する事は全ての生物にかせられた命題であり、簡単にだせる答えではない。

今、各所で盛り上がっている“スタイル論争”というものも、総じていえばこの”生き残り”と“進化”に対する危機感からくる“波”なのではないだろうか? 情報の多さとシステムの複雑さは極めて機械的でデジタルな思考であり、そして人は欲求によってささえられている以上、実際の所アナログ思考なものである。これらが絡み合うRPGにおいては、いわゆる“矛盾”と“破綻”というものがたえず見え隠れしている。

 パワープレイにしろ、リアルストーリープレイにしろ、目指すべき場所が一緒であるのなら、少なくとも相手の論旨と利点を認め、互いに取り入れ、高めていけるのなら違った形でこれらの“矛盾”と“破綻”を回避していけるのではないか。独自性と協調性とマナーを理解した上で、創造性と現実性をふまえ、持続性と発展性を参加者(DM、PC)が望み、追い続けられるのならば。(筆者はこれを“螺旋構造指向”と呼んでいるが、これについてはいずれここで語る事になろう)

 私自身、ここ数年、閉塞間と行き詰まりをかんじつつあったが、ある方との出会いにより、再び「殻と枠にこもりがちなな自分」が変化していくの感じはじめている。

結局、

「“破綻”してしまうのは、RPGのシステムにあるのではなく、それを利用する側の限界である」

という事を再認識したという事であろうか。以上の事を踏まえ、

「多様性を享受しつつ、ベターな可能性を模索していける」

それが成せるからこそ Advanced Dungeon & Dragons(R) を筆者は選択し、継続してPlayしているのである。今迄、この貴重なオブジェは、私と周囲の期待を裏切ってはいない。ならば、我々もそれに答えるべきだろう。

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