突入せよ!「あさま山荘」事件  2
 
誇り
01/11/08

この作品は、あの時代を体感しなかった世代の人たちにも観てほしい。
それが、同じく体感しなかった僕がこの作品に参加する意義なんだと勝手に思い込んでるわけなんですが、今回は「あさま山荘」事件そのものについて記そうと思います。

世論の剥離に正比例するかのようにテロリストへの道を突き進んでいった過激派は、それでも革命を信じて警察の追跡から逃れるべく迷走を続けていました。
1972年2月19日、残り5名となった連合赤軍は、軽井沢レイクニュータウンの河合楽器保養所「あさま山荘」に、管理人の妻を人質として立て篭もります。
同日、連絡を受けた警視庁は、長野県警をバックアップすべく、丸山昂参事官をトップとする、佐々淳行監察官ら幕僚団を現地に派遣します。これは「FBI方式(地方警察と中央警察が合同で事件解決に臨む方式)」の記念すべき第一号となりました。
その際に、派遣の命を下した後藤田長官が佐々さんに言い渡した6か条が、前回記載した、

(1) 人質は必ず救出せよ。これは、本警備の最高目的である。
(2) 犯人は全員「生け捕り」にせよ。射殺すると殉教者になり今後も尾をひく。国が必ず公正な裁判により処罰するから殺すな。
(3) 身代わり人質交換の要求には応じない。
(4) 銃器の使用は警察庁の許可あるまで禁止。
(5) 報道関係と良好な関係を保つ。
(6) 警察官に犠牲者を出さないよう慎重に。

だったのです。
佐々さんは、「これは100点満点の警備要請です。過去にも未来にも100点満点の警備実施はありえません。例えば銃器使用は現場の判断に任せるとか、犯人の手や足なら狙って撃ってもいいとか、いくらか枷を外してもらえませんか」と進言しましたが、却下されました。
事件は会議室で起きてるんじゃない、現場でおきてるんだ!と、やるかたない心境で現場にむかった幕僚団は、山荘を目の当たりにして愕然とします。


山荘は、鉄筋コンクリート3階建てで、出入り口は一階の北側非常口と、三階南側正面玄関のみ。北側は急斜面に面しており、三階バルコニーからの射撃に、その身をさらすことになります。また、正面玄関は、道路の一段下にあるため装甲車の横付けが不可能で、玄関口周辺には7つの銃眼(狙撃用の穴)があけられていました。
「守るに易し、攻めるに難し」
それは、まさに天然の要塞でした。

妻を人質に取られた管理人からの情報によると、山荘内は、水、食料、燃料等が豊富で、20日間は暮らせる状態にありました。
警察は地道な説得活動を続けましたが、犯人からの要求やリアクションが発砲以外に一切なく、また、犯人が何名なのか、人質は生きているのか、という情報がなかなか掴めない膠着状態が続きました。
事件の模様は適時全国放映されました。国民は人質の安否を気遣い、人質身代わりに名乗りを上げる人もいましたが、いっぽうで、指揮官気取りの政治家やマスコミによる世論の警察バッシングもありました。
また、現地の気温はマイナス15度。放水の水がたちまちツララとなり、仕出しのおにぎりがカチンコチンに凍る程の極寒で、警察は寒さとの戦いをも強いられることになりました。
余談ですが、この時重宝されたのが前年発売された「日清カップヌードル」で、カップヌードルを食べる機動隊の姿が全国に放映されたことがきっかけで、その後、カップヌードルは爆発的に売れるようになったのです。

そして、満を持しての10日目、2月28日。警察は突入命令を下します。
NHKは異例の12時間連続放映を、また、民放はCMをカットしての延長放映をし、視聴率は実に90パーセント弱にものぼりました。
警察、機動隊の動員はのべ1500人、報道陣1000人。人質救出までの時間、218時間。催涙ガス弾3126発、発煙筒326発、ゴム弾96発、放水量15万8500リットルが使用されました。

1997年のペルー大使館人質救出劇に例を見るまでもなく、このような事態には通例軍隊なり、特殊部隊なりが出動し、犯人射殺も辞さない人質救出作戦が行われます。しかし、我が国日本において、自衛隊が事件解決に出動することは非常に大きな意味を持ち、政治的危機をもたらします。不幸にも「あさま山荘」事件は犠牲者を出すという苦い勝利に終わりましたが、警察、機動隊による人質救出作戦は、自衛隊による治安維持出動(事件解決に自衛隊が出動したことはこれまでに1度もない)を未然に防ぎ、また、生け捕りにした犯人の口から「総括」という名の集団リンチ殺人事件を引き出す決定力ともなり、それによって世論の支持を完全に無くした過激派の、テロ活動沈静化に最大限の効果をもたらしたと言えるのです。

あさま山荘事件のニュース映像は、戦後犯罪史ダイジェスト等で必ずといっていいほど流れますが、鉄球で山荘を破壊する映像は今のテレビ世代には地味です。米国で起こった同時多発テロ映像を目の当たりにした後では尚更ではないでしょうか。しかし、映像に隠された事実、映像に象徴される時代背景を考えると、昭和犯罪史においてどうしても外せない確たる理由が見えてくるのです。

「一緒に現場を戦った名もなき隊員に何とか光を当てたい。これは89.7%のテレビに出演しなかった男たちの物語だ」
事件で現場指揮をとっていた佐々さんは、先日行われた制作発表でこう語っていました。
長谷川監督の発言を例にあげるまでもなく、ネタとして興味ひかれる部分は「連合赤軍」にあると思います。集団リンチ殺人事件にいたる泥沼の迷走は衝撃的でインパクトがあり、民衆から政治革命を起こそうとした激動の時代の巻く引きとして、あまりに悲劇的でした。
しかし、『突入せよ!』は彼らが牙を剥いた体制側の行動部隊、警察にスポットをあてた作品です。そこには、1人の人質を救う為、我が身を顧みず無謀な作戦に身を投じていった警察、機動隊の「誇り」がありました。
副題の「THE CHOICE OF HERCUKES(ヘラクレスの選択)」は、困難な選択ばかり取り続けるヘラクレスを例えてつけられたものです。
米国同時多発テロでワールド・トレードセンターに果敢に突入していった消防員や警察官もヘラクレスでした。
この作品を通じて、あの時確実にあった誇りを今の世の中、ひいては後世に伝えることができるよう、努めたいと思います。


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