6 窓障子の工合よく入れるとは夢にも白檜

「これは旦那、よういらっしゃいました。ちょうどただいま、そこのお座敷が空きました。おすえや、掃き出してお連れ申しな。今晩はなぜご新造さまは」
「うちに留守をしております。待っているはずだから焼かせて持たせてやってくんな。おあつらえがあったっけ」
「小さいのでござりましょう。よいころながござりました。喜之助さま、この間はお遠々(とおどお)しゅう」
「さっぱりこっちへ出かけません。例のうまい香物(こうこう)で早く一杯やらせてくんな。いや、掃除ができたそうだ。あちらへまいりましょう」
「あ。喜のすは鰻(うなぎ)は断ち物なり。玉子でも焼いてもらって。いや、聖天さまではそれもゆかぬか。ねぎを入れぬ鯰(なまず)鍋でも、食えるものをいうがよい」
 と治平は座敷にうち通り、
「ここのうちのかみさんほど世事のいい者はいないの。店借りの時分に七畳半が一間だったが、豪儀に立派な普請になった。二階家にしないうちが風流でどうもいい」
 という間に鰻も焼けてくる。
 酒、二、三杯呑みて後、喜之助少し声を低め、
「舞鶴屋の菊里が夜具はこの前長崎の客人がしてやった古金襴の鴛鴦形(おしどりがた)で、茶入れの袋だけあっても五十か百にはなるそうだが、女郎はそういうものとは知らず、柳樽にあるとおり『この夜具もつまりいせんとおそろしさ』と言っているところへ付け込み、立派に夜具をこしらえてそいつをこっちへ取る手段、旦那、どうでござりましょう」
 と聞いて治平は小首を傾け、
「布の目利きは俺にはゆかぬが、本圀寺の開帳からはやりだして、ひところは手拭いにまで染めてあった。それがいよいよほんならば大造(たいそう)な金目だぜ」
「二百(ふたつ)や三百(みっつ)ははりこんでも得だという噂を聞いてさっそくのご注進。菊里が親元までよく洗っておきました。まさかのときには、もしちょっと耳をお貸しなされまし。ね、こういう注文に」
「なるほど、そいつも面白いか。菊里は仲之町で二、三度見て知っているが、色は黒いがいい面だ。ゆきそくなってもあいつに夜具をこしらえてやったと思えば、腹の立つこともねえ。一晩、行ってみようか」
「明日とも言わず、いまからすぐに」
 と示しあわするそばの衝立さらりと開いて噺家女楽、口で神楽の拍子をとり、ぬっと立ちいであたりを見回し、鼻紙袋をおしいただき、
「まんまと手に入る鴛鴦裂(おしどりぎれ)、かたじけない」
 と、のっさのっさ行なえば、喜之助心得て帯はぎとって引き戻し、ちょっと二人が立ち回り。治平は扇でちりをあおぎ、
「いいにしねえか、べらぼうめ。芥が立ってならねえ」
 と言われて女楽は笑い出し、
「喜之助がお供をしてこれへ渡らせたまいしは合点ゆかずと後をつけ、様子は残らず障子の影で」
「聞いたとあれば」と立ちかかる喜之助をまた治平がとどめ、
「とんと気がふれたようだ。女楽も一緒に行くがいい」
「お供をおおせつけられれば、このこと他言いたさぬ証(しるし)」
「まだ狂言気がはなれねえの。これ、長吉や、長吉や。ちっとはまるところがあって今夜は帰りが遅かろう。お春に先へ寝ろと言いや」と、供を戻して「さあ、これからもう一杯呑んでゆこう」となお、ひそひそと物語る。

 隣り座敷にお初とお福、角次郎という下谷辺りの待ち客にいざなわれ、ほどよく酔いのまわりしころ、お初はざっと一風呂入りて、浴衣で耳を拭きながら庭を眺めている背へ角次郎はよりかかり、
「こう、おめえは旦那があるじゃあねえか」
「見世へ寄って茶代を払ってお帰りなさるはみんな旦那さ」
「それじゃあねえ。ここのところの茶をふるまう旦那のことさ」
 と手を差し込めど、この客も少しは金になりそうなれば、
「あれ、およしな」と言いながら、ちらちらそこへ触らせて、「何、私らがような者に誰がかまってくれるものか。あれ、お福さんが見ているわな」
 と言うにお福は心得顔。「あれ、あれ。鯰が浮いている。いま跳ねたのは鯉だそうだ」
 と庭へ降りれば、角次郎、
「あれ見な。あの子に如才はねえ
「それだって、ここのうちはおかみさんが堅いから、こんなことを見つかって断られると大しくじりだ。およし」と言えば「情の強(こわ)い。おつな気にでもなってみな。後の始末に困るわな」
 と味にもたせるそのところへ、「あなたもお湯をめしまし」と浴衣を持って出てくる娘。
 角次郎はびっくりし、「おい、酔いが醒めてよかろう」と、こそこそ浴室(ゆどの)へ立ってゆく。
 こっちの間には治平が声。
「喜のす。女楽もさわがずとさあ、出立とするがいい」
「かみさん、毎度おやかましゅう」
 と庭の木戸より裏道づたい、さざめき帰るをお初は見送り、
「お福さん。喜のさんを連れてゆくは見たような人だのう」
「あれはたしか聖天さんの下にいる紙屋とやらの」
「そうそう。金持ちだという噂のあるその人に違いはない。私は今夜、角さんがどこへか連れていくのだろう。おめえ、元へ帰っての。小七さんを呼びにやって、『注文どおりに喜のさんがあの人を菊里さんのところへ今夜連れていった』と話して嬉しがらせておきな。うちの前へはいいように私が口をあわせておくから、管次さんのところへ寄ってちっとは遊んでいってもいいよ」
 と気を通して帰してやる。
 この管次という者はかの松田屋がかかえにて、徳兵衛が内用の使いにたびたびきたりければ、何ぞのときの頼りにとうちのお福に取り持ちして今宵それに逢わするは、今夜の始末を徳兵衛に告げさすまじとの口止めなるべし。これよりお福の帰路はいとくだくだしくあんなれば、図面にゆずりてここに記さず。

 この夜、治平が留守のうちにひとつの笑談(おかしきはなし)あり。
 かのお銭という女は、お君がほぼ言いつるごとく子どものときより小癪にて、主の治平に初穂をまいらせ、周りの髪結い、小間物屋、さまざま浮気を働きしが、利発者ゆえ人には知らさず年を重ねていたりしかば、恐るべきもの家になく、我が儘にのみ振る舞いしが、治平が帰りの遅きを長吉が告げしかば、お春もやがて閨房(ふしど)に入り、お銭も寝床を構えしに、すき間よりもりくり風、さえかえりて寒かりければ、お君を呼びてそのところへ臥せさしめ、暖かきところをたずね、主人も寝ざる囲いのうちへ客夜着を二つ重ね、ゆうゆう独り臥したりしが、つらつら思いめぐらすに、この夕間暮れ、夜食の膳を持って二階へ上がりしとき、治平がお春をさまざまに可愛がるをば次にて眺め、『さるころまではあのごとく我を愛しみたまいしに』と妬ましくもまた羨ましく、心のもだつくそのときに喜之助に抱きつかれ、身をまかせんとは思いしかど、治平、秘かにかれを頼み、いよいよ我を遠ざけん手段ならんと推したれば、乳を抱かせ頬ずりし、気を動かして慰みたれど、実はわが気も味になり、頬は熱く髪はかゆく、心苦しきその上に、お君が聞こえもはばからず、泣き笑い、さまざまの口説きごとを洩れ聞かれて、二布は露に湿りながら我とわが身を恥じらいて、ようやく心は転じたれど、臍の下重くなりて、眠らんとすれど眠られず。
 ふと長吉が若衆ぶりの可愛らしきを思い出し、いまだ子どものことなれば後にて人に語りもせまじ。これこそはよき伽なれと、かねて勝手はよく知りつ、彼が臥し所(ふしど)へ忍び行き、
「こっちへきな」も小声にて手を引いて連れてくれば、長吉はうろうろと、
「お銭さま、なんの用でござります」
「なんでもないが、寂しいから私と一緒に寝てくんな。お前の着物はぎこちねえ。寝心地が悪かろう。これを着てさ」
 と我が小袖をひっかけながら抱きしめ、
「あれさ、帯はしめずといい。こう肌を合わせると暖かでよかろうね」
 と腹の上に乗せられて長吉は夢見し心地。
「もし。こんなことをいたしまして叱られはしますまいか」
「なぁに、誰が叱るものか。おやおや。おめえは油断のならねえ子どもだと思っていたら、抱きつきようの巧者なことは誰に習った。話しな」
 と問われて、長吉顔を赤らめ、
「十三のとき、旦那さまが『ここへ入って俺と寝ろ。いい小袖を着せてやろう』とおっしゃって、それからたびたび可愛がってくださったので、抱きようは覚えましたが、女の方はこれが初めて。男と違って柔らかでよいものでござります」
「おや。お前をも旦那さまが。あれがほんの盗人上戸だ。そうしていずと、この手をやって。あれさ、もっと下だわな」
 いろいろあしらえども長吉はただ顔を火のように熱くして、おっかなそうにそろそろといじりまわされ、むずがゆく、お銭はいよいよ上気(のぼせ)あがり、
「どれ。お見せ。何恥ずかしがらずと。この子はもうじれってえ」
『居風呂桶(すいふろおけ)で牛蒡(ごぼう)を濯ぐ』と世の諺にいうがごとし。さなきだにお銭は、いとこと足りず思うがうえ、かくのごとくの躰となり、そのもどかしさ、いわんかたなく、
「ええ、もうこの子はどうしたのだ。しっかりしな」
 と口を吸い、またもその気を引き起こさんとさまざま術を尽せども、長吉はもじもじして、「なんだかどうも私はこそばゆうござります」
 お銭はほとほとせん方尽き、思いついたる頼れ物を長吉へかぶせ、
「やっとこれでしっかりした。何でもお前の好きなものを明日、私が買ってやるから、舌を出して口を吸わせて力一杯抱きしめてくんな。お前のような若衆が独りお屋敷にあったなら、この頬はみなで寄って嘗めつくしてしまうだろう」
 と眺めたり、食い付いたり、お君を宵には笑いながら、やはりこっちも夢中になり、引き離れし茶屋敷なれば聞き人なきに心緩み、騒ぎたいほど騒ぎまわり、目をねぶったり細くしたり、顔をしかめ口を開き、息もたゆげな有り様を、長吉はまじまじと下より眺めていたりしが、はや十六の男子なれば、お銭がかくまで喜ぶ躰に再度、心や動きけん。
「私は痛くてなりません」
「そんならもう取ってあげよう。これならもう何にもいらぬよ」
 上手を尽して持ちかけられ、何だか知らねど長吉もにわかにお銭が愛しくなり、今度は二度目のことなれば楽しみも少しは長く、初めて女はよきものと覚えてはっとしがみつかれて、お銭はなおさら可愛さもう、もうたまられず、
「長さん、お前を食ってしまいたいよ」

 

この後の物語は水揚二番帳に記しておきつ。


柳亭種彦は最後のところで続編を予告していますが、これは著されませんでした。江戸文花が爛熟した文化・文政時代から一転、それを取り締まる天保の改革が始まり、柳亭種彦もお咎めにあい、自ら命を断ってしまったためです。


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