5 それを便りに此方も割気は船中の間渡竹

 隠し鈴(りん)の柱時計六ツの響きのりんりんと甲(かん)走りたるお君が声。
「おかみさんがもういっぺん、お湯を召すとおっしゃったよ。権助どん、一燃しぽっと焚き付けな。おすぎさん、お松さん、お納戸へお鏡台を直しておきな」
 と行灯を携えて、ばたばた半酔い機嫌。
「喜のさん、何を考えて寂しそうにたった独り。身振りでもしてお見せな
 と言われて、ふと心づき、さっき舟の出会いを見て気を味にしていたとの噂。これ幸いのことにぞあんなる。お銭の鰡(ぼら)ほど脂はのらずと泥っ臭いをこらえたら、おぼこでも精進物の若衆よりはましならんと無言で手に触れば、相手ほしやのお君は嬉しく、「あれ、およしな」は空辞儀にて、まくれし裾をひきもかけず、股の間へ男を挟んで抱きつけば、喜之助はようよう安堵の思いをしつ。
 蒸したての饅頭へ雪白を解いたような温かい汁がたまって、上戸の腹へはべたべたする黒砂糖の年増ほど胸が焼けぬので、甘味の薄い新造もまたよいものと、はじめから手荒にしてもし女に懲りがくると、二膳めはすえないものとの用意なりともお君は知らず、
「なんだな、喜のさん。腫れ物に触るようにじれってえ。しっかりと抱きしめて」
 と畳へ尻は落ち着かず、新躰(ういごと)が二、三度めかと思いのほかの馴れ加減。ほんに小娘と小袋には油断のならぬ世のたとえ。顔にも形(なり)にもよらぬものと、お君は正体、泣くような声をいだして、
「喜之助さん、お前はどうも浮気らしい。お銭さんにもお愛慕(ほれ)だね。あれ、もう私をこれぎりに。それさ、そんなにじらさずと。そうすると食い殺す」
 と何を言うやらわけもなく、はっと昂まりければ、喜之助も水茶屋より汲みためておいたのを、さらりと流してつかえがやっとおりてしまう。
「お前、あのお銭さんを口説くのはほんの無駄だよ。あれは先のおかみさんがお亡くなりになさると、すぐに旦那さまへ持ち掛けて、あんまり家で恥をするから古今さまのお人にして、体よく家を出したのだと。昨夜から泊まっているは、おかみさんをお持ちだから、旦那さまをしっかりとねだる気に違いないと、皆が噂をしているわな。それだから私におし」
 と、ぴったり頬をすりつけて、わが口へ男の舌を吸い込んで、そっと歯でしごいたり、再度情を動かさんと年増もおよばぬ巧者の働き。いよいよ興は醒めはてながら、親の心を子は知らず。
「さっきも次で聞いていたが、おかみさんはよくあんなに鼻息もせず、おとなしく無言でおいでなされる。私は言いたいことを言って騒ぐほど騒がないと、どうも身にならないようだ。喜のさん、お前はどう思っているのかえ。呆れ返った顔をしてさげすむならおさげすみ。さげすまれてもしかたがない。先刻、変な気になって焼酒(やけ)を筒茶碗であおっておいたが、上気したからその酔いが出たそうで、ああ、もうどうも切なくて」
 と身をもみあげるを抱きすくめ、
「髪がらりにこわれるわな。道理で臭いと思っていたが、そんならお前(めえ)は酒酔いだの。切なかあ、もう休みな」
 と身をひく喜之助。お君はいよいよしがみついて放さばこそ。
「初手と違って二杯めには、それ酔いが回っていい気持ちだから、切ないうちがいいのだわな。もうこうなっては、旦那さまがそこへきてお叱りでも雷さまが落ちても放さぬから覚悟をおし」
 と横に転(まろ)びつ、仰向きつ、胸気が悪いのかどうするのか。
 さらに他愛のあらざれば、喜之助は持てあぐみ、抱きよせし身のほどもはじめは心よかりしが、後にはそれも汚らわしくなり、今日の始末をつくづく思うに、一度ならず二度、三度、ひょんなところへ行きあわせ、挙句にお銭にしゃべりたてられ、いままたお君に騒ぎたてられ、たてられすぎて勃ったるものもぐにゃぐにゃと降参し、鉾先なまりてしどろもどろ。下にははやる女武者、跳ね返すべき勢いにはや敵すべき気力も抜け、とにかく微運を心に嘆じ、
「お君さん、お前はまあ何歳のときから男を覚えてそんなに巧者になったのだ」
 と問われて少し腹立ち声。
「私はいまでも内端(うちば)だから、こんなことも遅かったよ。たしか十二の暮れあたりさ。それはどうでもいいことだぁな。お前はどうも抱きようが可愛いようでなくって悪い。嫌なものならなぜはじめ、そっちから手をお出しだ。しっかりしねえと食いつくよ」
 と男を叱っているところへ走りてくるお銭がふすま越し。
「お君さん、湿らない御浴衣を持っておいで。夜も昼もそうぞうしい。ちっとお前、おたしなみ」
 と言われてお君は顔ふくらし、ほどけし帯を締めながら、物も言わず立ってゆく。

 お銭は行灯かきたてて、
「あれ。嶋田が横に曲がって、形(なり)に似合わぬ大きな尻をぶりぶりと振ってゆくよ。喜のさん、あの子はどうはあるまい。十三から去年まで五、六度、逃げたそうだ。馬鹿にしごろな小僧だと思うと大なめにあうよ。年をとってもお人のいい私らとは違っている」
 と笑う背中をちょいと打ち、
身代わり場の大詰めはどうする気だ、お銭さん。覚えていな」
 と言い捨て二階へ上がれば、主の治平、夜食の膳を引き寄せながら、
「喜のす。なんぞ用でもあるのか」
「いや、ある段ではござりませぬ。金が百か二百あると千両になる大仕事」
「うますぎて受けられぬが、何だろう、買い置きか見世物の金主ならもうたびたび手懲りをしたが、それでなくば話してみな」
 と言うところへ、浴衣のままお春は汚れしどこもかしこもすっぱり洗いあげ、
「温かくなった」
 と耳たぶへ唾をつけて手であおぎ、
「喜のさん、よくおいでだね。今夜もなんぞしてお見せ」
 という顔眺めて、
「あざやか。いや、こんなことを言ってまた大いにしくじるものだ。まずおかみさん、ご機嫌よう。先夜は例の酔たん坊で実に何を申したか、後ではさっぱり覚えません。何でもあなたを小町にして関兵衛をやらす気で、お手をとって引き出したを夢のように知っております」
「ほんとに私は困ったよ。踊りはさっぱり忘れたものを」
「おっと、その夜のことは関の清水に流してしまって、おっしゃってくださりますな」と片手で拝んで、「ときに旦那さま。ただいまの一件はこっそりとしたところで」
「そんなら夜食をやめにして鰻でも食いに行こう。お春、こなたもちっと待ちな。いまに焼かせて持たせてよこすよ」
「はい。あんまり大きくないのをちっと。これ、長吉にお供があるからお提灯をつけろと言いな。あなた、どれぞお召し物を」
「『御服(ごふく)』と言うのがやっと止んだの。着物はこれでいいにしよう。風が出て寒くなったが、羽織ばかりひっかけて、そこにいるは杉か、松でもいい、唐木綿の下羽織と丹後紬が暖かだろう。早く出してきてくれろ。羽織の箪笥は木地のほうだぞ。お春はどれでも脇差しを」
「これでよろしゅうござりますが、ついまだ浴衣でおりますから、お送りは申しません。喜のさん、帰りにきっとお寄りよ」
「じきに帰ってまいります」
 とうち連れ立って二階を降り、
「長吉どん、御大儀だ。いつでもお供はおめえが行くの。ねえ旦那」
「そうさ。小利口で醜くないから供はあれに決めておくのよ」
「へへ、色若衆め。いまに女を迷わせてしくじらねえようにしな。たしかおめえは十六だの。十六には大柄だ。そろそろ娘が惚れるだろう」
 とからかい、喜之助は治平に従い行きすぐる。

 家にはお春が化粧して小袖着替えるその折節、
「本町のおかみさんがおいでだとお二階へそう申しな」
 とお銭が声洩れ聞こえて、いそがわしくお春は帯をひき締めて衣紋つくろうそのところへ、お銭と連れ立ち、治平が妹、お三はきりりと前帯もとりしまり、よき女房盛り。
「お兄さまはお留守かえ。いまにお帰りなさるだろう。寺参りから掬塢(きくう)へ寄ってつい遅くなったけれど、まだお近づきにならぬから、ちょっとお目にかかってゆこう。お銭、下においでかの」
「いえ、お二階でござります。あなた、いま旦那さまに門でお会いはなされませぬか」
「いえ、いえ。私は船で来て裏口から上がったから、それで大方間違ったろう」
 と、しとやかにうち通れば、お春は下がって手をつかえ、
「お初にお目にかかりました」
「はい。このたびは不思議なご縁で、お兄さま同然に何かのお世話になりましょう」
「幾久しゅうお目かけられて」
 とあるべきかかりの挨拶終わり、お春、つらつらお三を見るに、たしかにどこでか逢いたる女。
 向こうではそろそろ上がり、
「へい、おかみさん。お煙草入れがお船に残っておりました」
 と、差し出す男もまた見たようとお春はさまざま考えて思い出せば夕暮れ方、遠眼鏡で見た屋根船のうちに乗っていた両人。うまいことしてあんなまあ真面目な顔は、とおかしさを心にこらえているとは知らず、お三はなおもしとやかに、
「茂兵衛、そなたもよいついで。お目にかかっておくがよい」
 と言われて下座へ引き下がり、
「お忘れではございましょうが、踊りをお稽古遊ばす時分は、お近づきでござりました。ただいまでは茂兵衛と申して本町さまにおりまする。こなたさまへも節々にお使いにあがりますれば、万般、よろしゅう願います」
 と聞いてお春は再び驚き、火影にすかして茂兵衛の顔つくづく見れば、前髪を払って年を重ねたればその面差しは変われども、初めて男にあいそめし、彼の水菓子屋の吉蔵なり。いままで人のいたずらを心のうちに笑いしが、たちまちわが身にふりかかり、時雨にまさる肌の汗、顔に紅葉の色を染めさし、うつむいて詞(ことば)なし。
 茂兵衛はわざとよそよそしく、
「もし。おうちのおかみさん。その時分からあなたさまは美しゅうござりました」
「ほんにそうであったろう。まだまだあんまりお若くてお姉さまとは言いにくい。かつらをおかけなされたら、若衆のように見えるだろうの」
「浜村屋でございます。もし。浦島をお踊りなされた。それぎりお目にかかりませぬ」
 と言わるるほど、なおお春は苦しく、海の底にも入りたき心地。仮の枕の玉手箱、開けて言われぬ胸のうち。濡れにぞ濡れし波、幕の水で洗いあげてみると、世はみんなこんなもの、こんなもの。


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