4 樅の肌の美しい年増の答えは極上無節

 ここに隣をとどめしは、かのきたり喜之助に諸事の隣をとどめけり。観音の茶屋にては夢を見たのか、ただしまたお初が喜悦(さわぎ)を障子越しうつつに聞いたか、たまりかねようようこのところへ走りきたり、二階へ上がれば主の治平、お春と仲良くしている最中。お目かけらるる旦那、もしご機嫌損ねてはと、こそこそと下へ降り、今日はいかなる悪日にて行く先も行く先も仲々だらけで、我ながら感涙を流しおる、と酔うるがごとくぐったりと寝転ぶ背中をとんと打つ。
「お久しぶりだね。喜のさん」
 と言われて後を振り返り、
「おや、お銭さん。お使いか」
「あい。ちっとお買い物で昨夜ここへ参りました。それそれ、ちょうどよいところ。誰もこぬうちこっちへおいで」
 と薄暗がりへ喜之助が手を引いて連れてゆき、抱きつくように背から袖をかけて耳に口。
「去年の秋、この前を連れ立ってお通りだっけ。それ、両替屋の彦三さん。仮名でいえば古今さまがお宿下がりをなさったとき、あの方を御覧じて、『どうぞ、あそこへ片づきたい』といまの娘は気がしゃれて、打ち明けて私をお頼み。それからよくよく聞いてみたら、三、四か所地面もあり、並木でお見世は蔵づくり。よい塩梅にあちらも独身、お年ごろもちょうどよし。下地を先へこしらえて旦那さまへ言い出したら、ご相談はすぐに決まろう。誰しも覚えのあることで、人に隠れてこわごわながら男に逢うほど、喜之助さん、面白いことはないよ。その面白さをあの子にもちっとさせてあげたいから、お前もどうぞ取り持って」
 と聞いて喜之助、頭をかき、
「あの彦三は難しかろう。見なさるとおり男はよし、金があるから衣裳つけ、持ち物までも五分もすかぬが、疵といったら悋(しわ)きしわざ。女房を持つと物がいる、いつまでも独りでいて金を持ってくる養子をもらうほうがよっぽど得だと、二朱ぽっきりで人に隠れ、折節、遊びに行くばかり。小袖も羽織も自分にたたみ、衿紙あてる、火熨斗(ひのし)をかける。田楽屋のくずを買いてざくざく汁が大奢り。あれほど人を使いながら、朝々起きて飯をたき、紙煙草入れのたち落としを焚き付けに使うから、油臭くてこたえられねえ。言い出しても無駄らしい。しかし、芝居でよく言うやつだが、『魚心あれば水心』。お前が『うん』と言ってくれれば、骨っきり働こう。お銭さん、どうしてくれる」
 と抱きついて太股(ふともも)へ差し込む手先を、身を引きながら膝でしっくり挟まれると、かの大力にて動きもとれず。
 呆れはてたる喜之助が顔をそろそろさすりながら、
「もし。お屋敷女というものは、行儀正しく見えるのはほんの表向きばかりで、明けても暮れても色話。浮気になっているところへ、そんなことをしなさるとなぶられると知っていても、いっそ上気でならないわな。空言(うそ)なら顔を出してお見。頬が熱くなったろう」
 とすりつけられて、夢のごとく、
「もったいない。どうしてお前をなぶるものか」
 と喜之助がもがくほど、なおお銭は平気。
「旦那さまの色事を取り持ってくれぬ人に、私ばかりがよいことをしてもらってはお義理が欠けるよ。ああ、もう味な気になった。喜のさん、その手を取っておくれ。水だくさんなお屋敷者。ひょっとお手が汚れると私は面目ない。ちょっとそっちの手を出して、この乳をいじってごらん。こんなにぷりぷり腹を立ってさ。遠眼鏡でお君どんが舟の内の出会いを見て、尻をもじもじさせていたを叱った私が、喜のさんのおかげでやはりそんなになった。あの子の時分は騒ぐばかりで何にも罪はないものだが、年をとって本当に男の味を知りしめては、じっとしてはおられぬねえ。悪く料簡しはぐると、ご奉公も嫌になるよ。おや、お前、いつの間にか私の帯をおほどきなの。なんぞといえば邪魔なものさ。下着の胸からぐっと開けて、腹と腹をしっくりと心持ちよく合わせると、抱きしめられた男の手のあたったところばかりが知れて体は空になってしまって、馬鹿なことだが、あそこへばかり気がよるそうで、足の裏がしびれるように響いてくると、あとは何だかほんの夢中さ。男はどうも悪いもので、女があがいていろいろに顔に出るのを見ているものさ。喜のさん、お前もそうだろう。いま二階でおかみさんも困っておいでなさったが、床をとって寝たときよりあやにくに嬉しいのを隠すのは切ないのさ。たしかお前もご覧だね。なぜものをお言いでない」
 と腹いっぱい慰められ、喜之助はただ虚ろうつろと顔をまもりていたりしが、猛き心を振り起こし、かの挟まれし手を力にまかせ揺らしても動かばこそ、もうちっとにて毛のところへ触りそうにて届かねば、泣くばかりなる声をいだし、
「生殺しにしておくと蛇でも人に祟るという。人数ならねど野良一匹こんな目に合わせておくと、怨念影身につきそいて」
「おや。空言(うそ)にしろ可愛いね。とり殺されたら嬉しかろう。そんなにお前、気をもまずと、古今さまのお願いどおり、彦三さんに逢わせてあげて。そのとき私もご相伴にお前とたんと楽しみたい。あれ、厚かましい女だとさげすんで見ておいでだ」
 と、ちょっと摘めって股へ手を挟みしままに立ち上がられ、わが手にひかれて喜之助がよろよろすれば、お銭はにこにこ、
「喜のさん、あばよ」
 と言いながら股を開けば手は抜けて、ばったりこけるを見向きもせず、
「お君さん、お行灯を配んな」
 と言いつつ、お銭は忙がしそうに勝手のほうへ走りゆく。


春情妓談水揚帳 扉に戻る

艶本集の扉に 戻る

裏長屋に 戻る