1 番頭の一言はよく釘の利三寸貫木

 ところはそんじょそこらの裏茶屋。口さがなきようなれど、二階のさまをあらあらいわんに、見つけの壁はお定まりの泥黄土。三尺の床の間は房州砂の裾どおりに江ノ島のしゃれ貝をぬり込み、煤竹のおとしがけ。掛け物は光琳風の一輪椿の袋表具。花活けは鮎籠に木咲きの梅のからみつき、垂撥のかけるべきところへ大小書きたるお多福の面。麦わらの蛇と熊手は屋根裏の埃に埋もれ、一間の押し入れのあとはようやく五畳敷き。
 ここにあやしき夜具を設け、床の上に腹這いになり、客の鼻紙袋からやたらに小菊を引き出して、枕紙をあてがえているは舞鶴屋のつけ廻し、菊里が番頭新造で菊の井というあだものにて、年のほどは21〜22。色白にてぽちゃぽちゃとした肉あい、黒目がちにて口元可愛く、座敷持ちより浮気をするのはこれがよいとの我が儘もの。ひっつめ島田に角だちの笄(こうがい)、水色の前髪留をおっこちそうにちょいと差し、帯と上着と客の羽織はたたみもせずに屏風へ投げかけ、心意気の都々逸を小声に歌うているところへ、上がってくるは小七とて黒船町の茶道具屋。梯子から下を覗き、
「なに、お楽しみどころかえ。あとはいつでもお苦しみさ。鐘四ツを打ったなら、おっかあ、きっと知らせてくんな。揚屋町のが聞こえるだろう」
 と捨て台詞を言いながら、鞠型の煙草入れと半染めの手拭いを左の手にひっつかみ、右の手に墨水型の四分一の煙管を持って、ちょいと屏風を一枚はねのけ、
「おや、お早いお手回しだ。いつの間にかお休みだ。これ、なんぼ人の紙だってちょいと寝るばかりだに一枚巻いておけばいいに、たっぴつにおごりかけるの。あれ、羽織もたたまずにさ。世帯知らずもほどがあらぁ。てめえをかかあに持つ者ぁ因果だぜえ」
 と言いながら無軌道に夜着をのけると、
「あれさ、足が出ているわな」
「何が出てもいいじゃあねえか」
「それだって気恥ずかしい」
「十年ばかり以前にやぁ、恥ずかしいこともあったろう」
「おや、かわいそうに。あれ、主こそ世帯知らずだ。皺になるから下着になんな」
 と帯をぐるぐるたぐり出し上着を脱がせて、互いに見合わす顔と顔。右の手を枕の間へ差し掛けて、やわらかなふくらはぎを男へちょいとかけると、男は心得たものなれ、右の手はどこへ行ったか。女は少し顔をしかめ、
「おや、つべてえ手だのぉ」
「なあに、てめえの肌があったかいのだ。たいそうにぽちゃ肥りしている」
「ほんにわたしやぁ、どこまでまあ肥るだろう。こりゃあ酒のせいだっさ」
 と、あとは小声で、
「よしなよ。おじょうさまじゃあ、あるめえし。そんなことを言わずともいいわな。それだってな。おめえ、もうなんだか嬉しそうじゃあねえか」
「そりゃあ生きている体だもの」
 と耳がほんのり赤くなると、眉毛の間へ皺がより、いかにも怨まずげに我知らずくぜつの囁き。
「あれさ、いけない人」というに、鼻息せわしく、我知らず体に波を打たせ「あれさ、もうよしなというに。情の強(こわ)い
 と男の手を無理に押しのけ、上へいだき上げてあてがいて、さまざま体をもじらすれば、男はわざと進めず、やわりやわりとあしらわれ、女はいよいよ夢中になり、このごろ流行る横取りと本手の間に持ち掛けて、右の足を踏み伸ばし、左の足の踵にて男を引き締め引き締め、一人であせって
「ああ、どうも。さげすまされてもしかたがない」
 と情を移し、ため息ついて目を開き、男の頬を指にてつき、
「平気な顔でさ、憎らしい」
 と、なおも下から持ち掛け持ち掛け、小袖をはおって体をぴったりとあわすれば、情の水冷たく流れ、総籬(そうまがき)の新造の尊さここに表われて、地者の味に異ならず。その上、思う男なれば、(どうがなして心よく。早く情を移させん)と気をもみすぎて、おのれもまた再度味な心地になり、息づきせわしく、火のように熱い頬を頬へすりつけ、我を忘れて取り乱せば、男もいまはこらえかね、力一杯抱きしめ、一時に水のもれるとおぼしく、目をおしねぶりて、ぎちぎちと枕の音のするばかり。

 言葉はなくてその口打って、
「ああ、もう口がはしゃいだ」と男の口へ唇をつけて、「あれ、嫌そうに。ちっとばかり、もっと唇をお出しなんし」
 と唾を呑み込み、下着の袂いろいろに探してみて、
「おや、何を落としたそうだ
 と小菊を取って息を吹き掛け、片手でもむは読ませぬためなり。
「あれさ、冗談じゃあないよ。お屋敷じみて、いっそもう外聞が悪いよ」
 と笑ってしまえば、小七は笑い、
「外聞とはほかの聞こえ。てめえが二度どうかしたをほかで聞いているもんか。ときにいつがいつもこうして逢うも窮屈だが、どうか二階は明かめえかの
 と問えば、菊の井腹這いにて煙草盆を引き寄せながら、
「そりゃあ私も如才がねえのさ。伊勢町の客人からそれきた金を通屈して竹屋のほうは済んでしまうし、いちばん難しいおしげどんには法華宗の信心話で主がこううまく合わせておかしったから、『小七さんはどうしなすった』と聞くほどだが、どうしたことか花魁が小七さんを呼ばしっちゃあ、やれどうのこうだのと、この一段が冷えねえばかりさ。菊里さんが大方、主に気でもあらっしゃるのだろう」
 と尻目にちょいと顔を見ると、小七はずっと起き上がり、
「いや、そいつぁまず耳寄りだ。あ、熱い。とんだ煙管の焼金場。安寿姫にやぁ受け取りにくい。そんならこうと花魁に、ためになる客人をひきつけたらどうだろう」
「そうせえしてくれさっしゃりゃあ、どうでもなるにちげえはねえが、主はあてでもあらっしゃるか」
「きっと当てがあるでもねえが、このあいだ八文字屋の本を見てから、ちっとばかり思い付いたことがある。菊里さんの夜具はやっぱり俺が知った古いのか」
「あいさ。新町の提灯の印のような波があって」と言いながら煙草入れを手にとって、都鳥の根付けをちょっと小七に見せ、「こんな鳥がついておりいず」
「う、あつぁ鴛鴦(おしどり)ぎれの写しでいいころなふるびだっけ。そいつをやって立派な夜具をこしらえさせて、敷初(しきぞめ)までさせる段は、耳をかしな。の。それ。こうすると、こうなる」
 と何かひそひそ話すうち、引けの拍子木コンコンコン


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