第九話 悟ても開て覗や鰒(ふぐ)の餌

 遠ざかるもの日々に疎しと言えど、悟りし身にはさもなくて、お雪もいまは一心不乱、菩提の道に入りて深川の隠居にいと軽々と暮らしけれど、日本橋の母屋やよりも粗末にはせず、後室様と敬いかしずかれ、寺詣りのみにかかって、至極かたくろしき後家どのにてぞありける。
 つくづく思うに我が身、初めて江戸へ下りしときは長蔵に誘われ、善光寺詣りと言うて関所を抜けて通り、いまこの身になりしこともまったく仏さまの方便。偽りになりゆかんももったいなし。いでや過ぎゆきし夫の菩提のため、信濃詣りを思い立ち、母屋へも話しければ、「そりゃ乗物よ、上下の者よ」と取り騒ぐ。それはけつく仏の道にも叶わず、物詣りはただ身も軽く心安きこそよけれと、前から使う年季者およしという下女一人、仙台生まれの六助という百の口が十文ばかり足らぬ男なれど正直と力の強いが取り柄、荷持ちかねての三人連れ。駕籠にも乗らず、三里五里ずつで宿を取り、よき慰みの旅ぞかし。

 ここに江戸を立った翌日より、上方者と見えて二十七、八の屈強な男一人、後になり先になり、道連れになりたそうな体。お雪は用心深く、ろくろく相手にならねど、荷持ちの六助は何の心もつかねば話の相手になれば、かの男、
「拙者は大坂生まれ。前方、江戸へ稼ぎに参り、このたび国元よりにわかに呼びにきたゆえに連れもなき一人旅。お前がたは善光寺詣りならば、それまで同道申たし」
 と何とやら小気味の悪い口ぶり。得手は道中ごまの灰とやら、よからぬ者もあるとのことぬからぬお雪、とかく連れにならぬようすり抜ける泊り泊り、件の男も同じ宿、今夜はとりわけ外に相宿もなき襖越し話ししかけるもうるさく、供の二人へも秘かに言つけ、とんと相手にならねば、さすが無遠慮に隔ての唐紙も開けられず、湯も飯も済んで「また明日、お目にかかりましょう」と言えど、そこそこお雪は由断せぬ旅の用心。
 僅かなものなれど、着替え一つ取られても道中不自由せねばならぬぞと、帯締めて寝てみても目が冴えて寝入られず。何の心もない下女が鼾、次の間にも同じく六助が大鼾。挟箱の錠は開いてはないか、財布は気遣いないかと思うほど、鼠さえごそつき、もしやそれかと心も済まず眠れぬまま紙燭(しそく)とぼして次の間へ出、荷物の数々あらため見れば、錠前もおりてあり、まずは心も落ちつき、傍には旅くたびれの六助、はだか身に蒲団踏み脱ぎちらし、風がなびこうと思うてと紙燭片手に引き着せるも知らぬ大の字形。
 さても不行儀千万なことじゃやら、いぎたなき眠りようは、いやはや、すさまじいと言うはおろか、なかなか人間のこととは見えず、眠っている頭さえ何がしらほどもある体。ものに驚かぬ後室もびっくりあきれ顔。世に安房(あほう)の何やらと言えど、久しゅう年季に使いながら、こんなけしからぬようでいるとは知らざりし。
 さてもさても片端者ではあるまいかと思いはすれど、さすが憎いことのようにはなくてと蒲団引き着せ、しどけなき寝姿ゆえによしなきさまを見たりしことよと紙燭吹き消し、我が寝所へ戻り枕つけてみても、とかく隣の道連れも気にかかり、いま見たものも心に浮かみ、つくづくと過ぎ越し方を思いまわす我が身おきなき初めより、三げの津を経巡(へめぐ)りて種々、さまざまの浮き沈み。あまたの男に肌ふれて、もはや色の道は悟りきりしと思う身の、後にも先にもついと見ぬいぶせきことを今宵見たりしこそ安からね。まさしく我が迷いの目にこそあらめ。世には別の子細はあらじものを、いでやいま一目見て疑いを晴さばやと起き出ししが、下女が目や覚まさんかと見やれば、くたびれはてて死人も同然。
 ありあう懐中蝋燭へ火をとぼし、次の間へ立ち出で、後の唐紙締め切り、そろりそろりと蒲団引き退けうち見ればますます高鼾。たわいものう寝ている六助が何の夢がな見つらん、不覚にかし×××たげかけたる体、鯨ざ××××りもあらんと見えるにいよいよ呆れ驚きて、我ながら珍しい盗見盗人じゃと心おかしく、寝所に戻りて「なんまみだ、なんまみだ」とは油断ならぬ信心者なり。


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