第八話 東路やさすが桜のかへり咲

 世の中のことは七度(ななたび)沈んで七度浮かむと、おつやは長蔵にいざなわれ、馴し都を振り捨て、はるばるの旅の空。東海道は箱根の関所ありて、女はたやすく通ることならず、信濃路より善光寺詣りの者と偽り、抜け道ありて日数経て江戸へは着きぬ。
 もとより長蔵、京にては木に餅のなるように言うて、江戸三界へ連れ立ってきた心は、おつやが器量を見込みに、吉原深川へも売ってやる下心。道々、だましつすかしつ金にする下繕い。おつやもすっぱの皮の果なればぐっと呑み込み、なかなか長蔵の口車には乗らねども、まだ三十にもならぬ身。貌に汁気のあるうち、江戸でいま一旗揚げてもみる気。「はて、わしも身入りになるなら」とすかさぬ裏釘。
 長蔵喜び、さっそく吉原の丁子屋へ相談きわめて二年百両に直しができ、何がしばらくは落ちぶれて捨て切った身も、根が百人にもすぐれた美婦、玉は磨くほど光を増すとやらん。突き出しのその日より昔に帰ったおつやが容色。丁子屋があまたの抱え女郎にもすぐれたは、この家のとおり、名代名山と改め、ぬっと出から全盛の太夫肩を並ぶる者もなし。
 歳は三十近けれど、岡目には二十の上はひとつ、ふたつと見ゆる美しさ。江戸中の取沙汰となり、「さあ、京下りの名山」とあまたの客、前後を争う中に、さる大名の若殿、初会からの張り込み。名山も京大坂では珍しい大名客の品のよい付き合いに昔の賎しみはどこへやら。衣裳の物好き留め木の香り。「わしゃ京の生まれは公家衆の落とし子じゃわいな」と言わぬばかりの顔つき。実にも女ほど化物なるものはあらじ。

 ここにまた、日本橋あたりの大金持ちに万屋久右エ門とし、今年五十になるまで女房は三人も持ちかえたれど、世取りの息子もできず、折節の里通いもこの名山を聞きおよび、上方女郎は珍しく今宵初めておうたところが、名山も金持ちのよい客と聞くにより格別の勤め方。
 京大坂で仕込んだことの上手さ、客の気をとり、初会からべったりと帯紐解きて、白綾の寝巻しどけのう雪の肌を見せかけて、「わしゃ酔うているほどに、慮外は免して下さんせ」と、緋りんずの内衣さえ解けかかりて件の男を抱きしめ、「わたしゃ若いお客はしみじみ好きんせん。頼もしそうなお方、いつまでも可愛(かわゆ)がって下さんせ」と、伽羅くさい胸うちへ抱かれては、いかなる親仁も首筋もとよりしわしわと心をぬかし、翌日から揚げ詰め、さすが江戸とて大名客との張り合いも、なんぼう町人でも金銀自由の久右エ門、終いに名山を八百両で請け出し、すぐに我がうちへ引き取り、女房やら賄いやらに、肌の白さからすぐにお雪とつけての寵愛。
 立とうと臥しようとわがままの身体。誠に浮かみ上がった奥さまともてはやされ、眉落として江戸紫の縮緬に、茶入れの袋になるような二十両もする古金襴の前帯姿着させて出かけたところは、また他にはない奥さま風。お雪もいまは十分の幸せ。
 はや三十もうち越したれば、自ら心も湿り、ちと歳は寄り過ぎたれど、件の男を随分大切にもてなして、全体世間並みよりは好き物のほうにはあり、毎夜毎夜の楽しみ、男も強者。いつとてもお雪にたんのふささぬことなく、至極仲良く暮らすうち、歳月には休足ものう、お雪も三十五、男は六十に近く、甥を養子にして女夫連れて深川あたりへ隠居の身。
 軽う暮らすを楽しみと下女に下男でつちやろうて、毎日毎日、上野の花の真崎の田楽と遊山のみに日を送りけるが、さすが年寄りの冷や水とてお雪が好き物に吸い取られ、めきめきと弱りがきて、本卦還りになるやならず尊いところへ隠居せられしにぞ、お雪は身も世もあられぬ力落とし、若き昔よりさまざまの浮き沈み、終いにこの男に請け出され、いまこの楽な世を過ごすも身の果報とは言いながら、まったく万久の影といまは惜しからぬ黒髪押し切り、二つ髷の後室、粋(酸い)も甘いもしつくした身の上、何望むことものう後世一遍、悪に強いは善にも強いと世をいと静かに暮らせしとなり。


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