第四話 高慢に見ゆる牡丹の盛りかな

 水の出端と若盛り、鴨仙は三吾に登り詰め、夜に日に増す面白さ、金が自由の世の中と親方薬師風呂へわたり身の代出して芸子を引かせ、東堀の親もとへも相応に銀(かね)で仕切って一生不通にもらい、手生けの花と浮き世小路に奇麗な座敷腰元下女遣うて、お蘭と名前も変えて歴々の妾宅様ともてはやされ、いまは物事自由自在の身儘になりて朝は昼前まで寝て八ツから早風呂へ入り、判官どのが見ようが見まいが天人程作りたて、仕業というては身じまいのほか用のない暮らし、我ながら鏡に向かえばよっぽど美しいと思うから、世上の男を見こなして下女まじくり、芝居噺の間には出入りの肴屋八百屋をなぶり、香具屋がくれば、いや、よい男じゃわの、呉服屋が廻れば惚れたのと、男に爪をくわえさせ、後は寄り合うての笑い種(ぐさ)、皆、おのが器量自慢から人をちょろう見こなして、恥かかせて楽しみにするとは、さりとは殺生な浮雲(あぶない)たわむれぞかし。

 ここに鴨の池屋お出入りの医師、太井立鉄(ふとい りゅうてつ)というて、太鼓坊主にしては才もある物堅い男と旦那の気に入り、いつも島之内通いにもお供して、いまはこの妾宅へもお出入り、婦人の療治などにはむざと差し向かいには脈さえ見ぬようにすれば、例の下女ども咄のついでに、「あの立鉄坊主が堅い顔するところをなぶってやったらおかしかろう」と噂半ばへ太井立鉄お見舞。「そりゃよいところへ立鉄さん。きょうは旦那もお出でなきゆえ淋しゅう思うところ、まずお上がり」と言うままに銚子盃取り出し、立鉄もひとつなる口さいつ押さえつ能機嫌。腰元のりんが笑顔つくって、
「ほんに立鉄さんはまだお内儀さまもないとのこと。どうしたわけで一人住まい、あったら男をただ置くはおしいことじゃ」
 と、しなつきかかる。下女のすぎも傍らから、
「それいな。どこぞここらに女房になりたがっている者もあろうに」
 といらいかかれば、もってのほか膝立て直し、
「これはまた存も寄らぬこと。すべて男女は席を同じゅうせずとさえあるに、旦那のお留守といい男を取り巻きての雑談、お蘭さまもちとお叱りなされませ」
 と苦り切ったる顔つき。

 下女どもは手持ちぶさた。はや盃も納まりて挨拶もそこそこに帰った後。
「さってもきょうは大きなはいけつ(?)。あの坊主め、恥かかされた返報に、重ねてきたら堅蔵めに爪くわえさすしようがありそうなもの。お蘭さまのお知恵が借りましたいな」
「いかさまきょうの言葉はわしにもちっと耳こすりかな。恥かかせて、きょうの意趣謝らす趣向はどうかな」
 と女どもが目論んでいるとも知らず、四、五日過ぎてきたる立鉄。
「ほんにいま、お前さまへ人上がるところ。お蘭さまが今朝からお癪が起こって、こたつに御寝なっておいでなさる。さあ、さあ、お療治頼みます」
 と下女が案内に座敷へ通れば、お蘭は一重帯してこたつに寝転び、本読んでいながら、
「立鉄さん、ようお見舞。旦那さまは尼崎へお出で、折り悪う持病の癪が背中から刺し込むような。お慮外ながらご療治お頼申します」
 と我はこたつにあたりながら背を差し向けて起き直れば、「かしこまりし」と後ろからそろそろさする痃癖(けんびき)肩口。言い合わせやら下女どもは用あり顔に勝手へ行く後、お蘭はやはり最前の本繰り返し読む体を、立鉄は何心なく背中揉み揉み後ろから覗いてみれば、西川が昼の枕草紙、心地よき図を書いた本。
 思いも寄らぬ仕掛けもぬからぬ立鉄一思案。背中揉み揉み見合わすうちに、お蘭はわざと中音に繰り返し読む本の文句、あるいは後家を口説き落とし、または間男のうまい科白。岩木ならぬ立鉄が胸はどきどき、何が美しい首筋もとに梅花の香り鼻をこそぐり、さもなまめいた鴬声で枕草紙を読んで聞かすことなれば、いかな悟りきった仙人でも落ちねばならぬ道具落とし。
 我知らず心ときめき、欲心むくむく頭を上げ、お蘭が背中へおとづるれば、さてこそとお蘭が尻目、もう転合(てんごう)でも仕掛けると恥かかせんと下女が手ぐすね。それとは知らねど立鉄、心に思うよう、(いや、いや。あまりうますぎたは、きやつらが計略であろうも知れてこの体たらく。なにとぞ計りごとの裏をかいてみせる工夫に)と、つつ追いつの胸のうち。
 前方(まえかた)、長崎の先生に伝授した婦乱穴(ふらんけつ)という女の心を動かす針穴、若い女の気鬱などに気を動かして療治する唐人の法なるを、立鉄若い時分はこの針穴を色事に用い、ひょこひょこ時ならぬうまい目にあいたりしが、近年、ふと鴨の池のお出入りになってからは、ずいぶんと堅い顔してたしなみしもてんぽの皮、ものは試し、針壷本みしらせんと、十四の骨の脇をしかしか大指で押す顔して、かの秘穴へ針、一、二本立てると不思議や、いままで何の心のう立鉄をもがかさんと本読んでいたお蘭、しきりに耳たぶ赤くなり、思わず心ほれぼれ酒に酔うたるごとくなり。
 後ろより見て取る立鉄、お蘭が手を揉むふりにて、まず試みにそっと己が右の手を握らすれば、太き男の手、柔らかな手の内にあまりけれど放さんともせぬため息、すわしめたりと後ろのほうより手を差し回せば、はやどきどきとした胸のとわたりもたっぷりと抱きよせ、お蘭のほうから肩押し付けてじっと任せきっている体は、よくよくはずんだ様子。いまはたまらず裾引き乱し立鉄が膝へ引き上がると、委細は知らず言い合いの下女ども、時分はよしと襖開いて、つか、つか、つか。お蘭見るより、
「これ、これ。二人ともまだ早い。わしゃ最前からほんまの癪が刺し込んで、いま針を立ててもらうところへ、つかつかと無遠慮。用があるなら手を鳴らす。必ず、必ず、それまでは誰もくるな」と思いの外な不機嫌。二人の下女は顔見合わせ勝手へ行く後、騒がぬお蘭が襖をぴっしゃり。「さあ、もう邪魔は払うた。心せかずとも、とっくりと療治して下さんせ」
 と小屏風を引き回し枕してかからるれば、立鉄は思うまま日頃出入りの旦那の妾宅、またあるまじき美しさもしょせん口へは入らぬことと思いしに、存もよらぬあっちの仕掛けの裏をかき、針の奇妙に乱るる美女、たとえ旦那をしくじって出入りを止められ、裸になる法もあれ、これがこのままおかりょうかと帯解き捨て横になる。
 その総身に匂う流れ、肌合いのその美しさ、ぷんぷんたる香りのよさは実(げ)にもお蘭と名付けたももっともと立鉄も感心し、一生覚えぬ美婦の据え膳。男泣きになってなおもお蘭に打ち込みせんと長崎流の上手を尽し、互いに十分堪能して帯引き締めて何食わぬ顔つき。手拍子たたいて「療治がすんだ。誰ぞたらいに水入れて持っておじゃ」とは、さてもさても、落ち着いた穿鑿(せんさく)なり。


美津のゆく末の扉に 戻る

艶本集の扉に 戻る

裏長屋に 戻る