第三話 鴬や師匠に増る声の艶

 お雛が爺親(てておや)、冬歳風呂屋の戻りに転(こ)けてから中風となり、一向に筆さえ持たれず、母親もいろいろと心を砕き、医師よ薬とさまざまの物入り、下地さえ足らぬがちの世体、人参代のかいも廻らず、芸は身の助けと近所の奉公人の肝煎りを頼み、お雛が日頃習うた三弦からの思い付き、町の奉公では銀高が手に入らぬと島之内薬師風呂へ五年三十五両に芸子のつとめ。

 おやまにつとめぬは侍の娘だけ、歳は十七器量はよし三弦はよし、三吾(さんご)と名も改めて、ぬっと出るから道頓堀で指折りのうち、船場わきの判官鴨の池屋の仙八という若旦那が打ち込んで、三弦枕と手に入れたがり、いづ勘の仲居頼んでいろいろの魂胆、三吾も鴨仙の男ぶりのよいと宝客に身を任せ、さる茶屋での忍び逢い。閨へ入りての仕打ちはまだまんざらの素人なれど、おし立ってはよし見識は高し、いかな粋男(すいな)もとって飛す風俗へ、何が大金持ちの鴨仙が衣裳から天窓(つむり)まで、銭銀(ぜにかね)に構わず張り込めば、いよいよ日に増す勢い強く、若い役者太鼓持ちが内証のつけ文も蹴散らかし男をもがかす楽しみに、宝客の後ろ楯とこの頃は憎がる者も半分なり。

 頃しも春の三月中旬、三吾は爺親が病気本復の願いやら何やらかやらに伊勢詣りの望み、鼻毛の伸びた判官さっそく承知、いづ勘の仲居といちょうの染め浴衣、君をしばしも手放してやることが嫌さに、家の手前は京上りと言い立て、判官殿も内証のご参宮、太鼓持ちの鶴七お供にて小倉縞の旅羽織、ずいぶん軽い仕出しも通し駕籠に、上下六、七人道中へ出るとやっとこせいと騒ぎ廻り、泊り泊りで三吾し枕並べて寝ながら、お伊勢さまの道で汚れたことをするといけぬとやら、上方道者は堅う守ることにて、ようよう下向道に向かった松坂泊りの晩から、仲居のおたつも今夜からは次の間に寝よと粋をきかせ、奥の間は旦那と三吾、この間から堪え堪えし血気男、宵から一つ床に寝ての睦言、次の間に寝ている仲居も少し心悪うなる折りふし、太鼓の鶴七一つ盃機嫌夜這いにきて、何のかの言うおたつを口説き落とした二人の話し声、初めのほどこそ忍ぶとすれど、元来、おたつは大の文弥(ぶんや)、鶴七が口説きをさえぎりて、だんだん募り上がった大口舌、奥の間には息をすまして寝ている旦那これに心浮かされ、くたびれて寝入っている三吾を揺り起こし、
「あれ、聞きや。さても面白い口舌ではないか」
 と囁けば、三吾はまだうら若き娘上がり、初めて聞いた文弥節、耳をすまして、
「さても、さても。女も口舌にはあのように大声にても大事ないものでござんすか」
 とおぼこな応えに判官うなずき、
「そうとも、そうとも。旅の恥は掻き捨てとやら。そなたもそたなも稽古にずいぶん**やいの」
 と次の目の長馬場に、三吾今夜が生まれてからの初音じめ。
「ほんにいままで笑わりょかと堪えていたが、わしゃ、お前、どうも何でもいや」
 と心はずしてこの頃中の溜まる思い、心の切れしごとくなり。

 鴨仙大尽ひとしお可愛さ奥口かけあいにての大口舌、大坂へ戻るまでに本間の文弥に仕込んだは仲居のおたつが手柄、三吾がためには鴬のつけ親同然、旦那の喜び大かたならず、判官の取り持ちですぐに鶴七が女房になりて、芝居裏に小茶屋の店出しとはうまい趣向なり。


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