第二話 髭のある虻(あぶ)に吸わるる藤の花

 影裏の豆さえはじけどきというに、まして天然と美しゅう生まれついたるお雛、富次郎もまだいわけなき恋仲なれど、せかるるとはなしに冬歳より一緒では遊ばれもせず、明ければ娘は十四、息子は十六とめっきり大人ぶり、顔ににきびのふきでる最中、なにとぞ秘かに逢いたいものと思う仲をば汲み分ける、近江屋へ針仕業にくる横町の一人住まい、おすまという女が呑み込みて、頃しも正月末つかた、お雛は羽根ついて近所で遊んでいるを門口から小手招き、ちょこ、ちょこ、ちょことおすまがところへ入りきたれば、主は機転きかして、
「おお、お雛さん、ようお出でた。私はいま、近所まで行かねばならぬ用事がある。幸い富さまもきておいでる。お二人、ちとの間、留守をお願い申します」
 と猫に鰹をつきつけて粋をやろうて出て行く後、二人はかねての恋仲もおぼこ同士は接ぎ穂なき、富次郎はさすが男、冬歳から思いこがれていたに、
「お雛さん、ようきておくれだ。おすまは留守なり。誰しも恥ずかしい人目はない。さあ、こっちへ」
 と手をとれば、「わしゃ、嬉しいは嬉しいけれど、うちへ知れたらなんとしよう」と、さしうつむいた可愛らしさ。
 息子はたまらず抱き寄せ、互いに口吸い合いて、あたりにありあう枕屏風。手早に解く黒繹子(?)も子ども同士のしゃらどけや、抱き合いたる子どもとも、お雛はぶるぶる震えながらも、気はこまっしゃくれてませ者の、富次郎は血気の若武者、まだろくろく口さえ吸うすべも知らず、心いらちお雛を抱けば、お雛はお雛で心ぜき、ようよう抱きしめたその嬉しさ、双方首のちぎるるほど抱き合いて、いさおし心もめったなり。

 あれ、まあ、そのと祭りが渡りて仕舞い嬉しかったという顔つき、真っ赤にのぼせた二人が頬、娘はませ者こうなったら、必ず、必ず、心変わっておくれなえと振袖くわえるその折りから、表の戸をがらりと引き開け、つつと入るは近江屋へ出入りの仲仕、勘九郎という男。
「やあ、富次郎さん、ここにおいでか。今朝からお前が見えぬと言うて近江屋は騒動、手代衆も手分けして尋ねての様子、我らはいま戻りかかり、もしやここにと寄りて見たれば、 餝磨屋(しかまや)のお娘(むす)と二人。まあ、何をしてござりました。それはともあれ、さあ、さあ、早うお戻り」
 と言われて息子は顔赤らめ、
「それはまあ、何の用事でそれほどに険しゅう尋ねることじゃのう」
「さあ、何のことじゃ知りませぬが、親旦那の立腹の様子」
「そんなことなら戻らずばなるまいが、ここのおすまが留守預かってどっちへやら」
「はてさて、それは大事ないこと。私がよいように」
「まあ、まあ。お前は早うお帰り」

 お雛に心残れども、とつかわとして出て行く後、娘もどうやら尻こそばゆく、
「それなら勘九郎さん、おすまさんの戻りてじゃまで留守して上がっておくれえ」
 と行くを押さえて、
「まあ、まあ。お娘待ちなんせ。息子殿はうちの急用、が、合点のゆかぬ二人のそぶり。こりゃ、味をやらしゃますな。おすまの留守をかこつけ、大胆な色事の出合い、親たちなど聞かれたら大体なことじゃない。おお、おお、怖や」
 と脅されて、お雛は娘気。「これ、これ、勘九郎さん」、拝むほどにこんなしだらは沙汰なしに「これじゃ、これじゃ」と手を合わす。

「はて。『言うな』なら言うますまい。お前の親御、源内殿とも心安うする我ら。『背丈伸びた娘、気をつけてくれい』ててけれど、そこを言わぬは我らが情け。これ、その代わり、ちっとまたわしが頼みも聞いてほしい」
 と引き寄せて頬擦り。
「ああ、これ、これ。放しいな、放しいな。よい歳をしてじゃらじゃらと。わしゃそんなこと、知らぬわいな」
「さあ、知らざ知らぬでよいけれど、親たちへ告げたら大体のことではあるまい。重ねてから息子に逢うこともならぬぞえ。何じゃ、『あう』と我らが言うこと聞きんすりゃ、富次郎殿とも取り持ちて夫婦にして進ぜます。黙ってごんせ」
 と表の掛け金。お雛は怖さ身も震い、よい歳をして無理わざ、憎い親父と思えども、また富次郎に逢われぬもつらしと娘心におろおろ涙。帯解きかかるに、あれ、あれ、あれと身体すぼめて身儘にならぬ、勘九郎少し小腹立ちて、小娘には不相応なれどもつはけ(?)、そこから無理無理に転がされて、
「ええ。あんまりむごい、勘九郎殿」
 と顔を伏せって泣きいずる涙声、いかさまちと手荒な人なれ。

 道理、道理と憐れみて、口唇から首もとまで唇つける可愛さや。肩口押さえておうじゃうずくめ、無理矢理口を塞ぎかかる。お雛はほおばる切なさ、こうなったらどうで自由にならずば聞きおるまいと覚悟決めて、灸の皮切り堪えるように歯をくいしばり身を縮めば、さすが四十を越えた者、富次郎の向こう見ずとは違い、あまりしつこくなしもせず、美しい眉ひそめた顔うち眺め勘九郎、ひとしお可愛さもまされるごとく、も一度抱きしめて、あと娘の髪など直してやり、「痛うなかったか」と背中叩けば、ひっこり笑ってかぶり振ったところは、いかな鬼神もぐにゃぐにゃとなりそうなもの。何くわぬ顔して親の家へ戻ってきたがこれ性悪娘の発端なり。


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