
大澤 武司 (Dr. OSAWA Takeshi)
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熊本学園大学外国語学部准教授の大澤武司が熊本での研究・教育活動をブログ風の日記で紹介します。

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熊 本 日 記 (2010年3月)
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□2010年3月18日(木) 東京日記 その2
 初春の東館@慶應三田 研究会議出席のため慶應三田キャンパスへ。予想に反して参加者が少なく、なかなか充実した構想発表会になる。私のは突貫工事ということもあり、また「研究ノート」的なということもあり、特に厳しい「つっこみ」もなく質疑応答も無事終了。でも、きちんとまとめられれば、それはそれで戦後日中関係研究の重要な「パーツ」になると思う。コメント |トップ
□2010年3月17日(水) 東京日記 その1
 ながさき龍馬くん@SNA ばたばたしつつもとりあえず東京出張。慶應の中国研究拠点プロジェクトの研究会議参加のため。昨年秋の合宿で「毛沢東の戦犯政策」というテーマで執筆宣言をしたのだが、その直後の『党的文献』にほとんど同じような内容の論文が出てしまい、年末以来、「やられた」感に包まれていた。
研究拠点は5年にわたり研究助成をもらう形になる重要なプロジェクト。たいしたことはできないが、何かしら貢献しなければと思い、突貫工事で作った執筆構想を持って馳せ参じることとした(うちの大学の出張旅費は自由度が高いので、こういう時に本当に助かる)。テーマは「建国初期中国の対日戦後処理構想」なるもの。
時間的な制約もあり、どこまで深められるかわからないが、申請中の新しい研究計画の「最初の最初」にもつながる部分なので、「勉強」という意味のほうが強いかもしれない。とにかく、関連する史料が出てきているので、コマ切れの時間を見つけて「档案」に向きあうモチベーションになればと思う。
いきなり「ながさき龍馬くん」に乗れたのは幸運としかいいようがないだろう。コメント |トップ
□2010年3月14日(日) ちょっとお散歩
 鶏カツ丼@コッコファーム 講義や報告、学会大会の準備、入試改革やカリキュラム改編、学科パンフやホームページづくり、各種宴会の幹事、労働組合、そして研究など、仕事(?)にきりがないので、とりあえず愛車を駆ってストレス解消。
息子の「卵を拾いたい」というリクエストに応え、「コッコファーム」に。健食館にて鶏カツ丼を食べる。「バナナもちょっぴり実っている」大好きなスポットだが、できれば味的にはもう少しひねり欲しいかな。「素材を活かす」というのはよく分かるが、母が月イチぐらいで送ってくれる東京の「桂ファーム」の卵と比べるとちょっと「力不足」な感じがしなくもない。
 初春の菊池渓谷 その後、「菊池渓谷 14q」という道路標識を見つけたので、ついでに足をのばす。途中の「水の駅」も面白かった。いきなりの行動だったので、案の定「オフ・シーズン」な感じ。売店も自動販売機も営業しておらず、水量もまだまだ少ない。よく目にする写真のイメージとはちょっと違った。
ただ、さすが「菊池渓谷」だけあって絶景ポイントも多く、これからもっと楽しませてくれそうな「しぶい」スポットとなりそう。広角レンズが欲しくなる。コメント |トップ
□2010年3月13日(土) まだ会員ではないが...
午前中は研究室にて史料の確認作業。ひとつ終わればまたひとつといった感じ。中国研究拠点関連の研究会議で「執筆決意表明」をするために論文の構想を考えなければならない。大きな仕事はできないので、勉強を兼ねつつ、少し原点に戻って史料を時系列に沿って読み直してみようかと思っている。
午後は私用を処理しつつ、九州中国学会の大会要項の原版を作る。コメント |トップ
□2010年3月12日(金) とりあえず
終日研究室にてレジュメづくり。なんとか形になる。気分的にもかなり楽になった。最近、友人が新たに始めたブログを読むと、私はすごく暇なのだということが良く分かった。でもこれでいいや。コメント |トップ
□2010年3月11日(木) 再び日常へ
なぜか朝早く目が覚めたので家族の朝食を作る。お嫁さまは娘の「断乳」が成功したようで、久し振りに少し長めに眠れたようだ。「断乳」の効果かどうかは定かでないが、娘が私のほうに「抱っこして」とニコニコと笑いながら近寄ってくるようになった。北京行き前とは大違いである。
息子を幼稚園に送った後、そのまま大学へ(いや、大学のなかに附属幼稚園がある)。朝一番で臨時教授会。続けてカリキュラム改革に関する臨時会議。いろいろな構想が出され、俄然議論が盛り上がる。こうした時の団結は「東アジア」ならではのものだと思う。とにかく勉強になる。
午後は5月に学園大で開催される九州中国学会の大会準備に関する打ち合せ。いわゆる「ロジ」は私のお仕事。でも、昨年始めにシンポジウム「戦後東アジア国際政治史の研究展望」の「ロジ」をほぼすべてひとりでやったこともあり、「粛々と」といった感じ。
送別会の幹事関係の仕事が数件。3月後半はかなりのペースで送別会や懇親会が予定されている。いずれも大事な方の送別会なのでもちろん外せない。
報告準備をひとまず横に置きつつ、新年度の講義レジュメづくりにもとりかかる。さすがに「少しは進めておかないと」と強迫観念に駆られ始めた。今日書いたメール11通。自宅の前の道路を家族みんなで掃除。
息子と二人でドライブがてらDVD屋さんで「けろっこデメタン」と「一休さん」を借りる。最近、息子はタツノコプロの作品にやられているらしい。今日は暖かかったのがせめてもの救い。コメント |トップ
□2010年3月10日(水) 北京日記 その7
早朝の飛行機で帰国。中国語の環境に慣れ、「あご」が動き始めるとだいたい「お時間」となる。路面が凍結している高速をぶっとばすタクシーには困ったが、、まったく滑らないのだからスタッドレスタイヤみたいなものを履いているのだろう。
機内では最後の「燕京」を飲みつつ、引き続き「ひとひねり」を考える。どうしても外交部档案に依拠して中国外交を検討するとその「理性的側面」にばかり目を奪われてしまう。これは大きな問題。
何だかんだ言っても彼らのなかではある意味で「完結」しているので、日本側からの視点を入れないと档案に引きずられ過ぎる結果になる。「日本人研究者」としての視点を敢えて出すことも課題となってくる。
やっと「暖かい日本」に帰れたと思ったら、福岡空港の外はすごい吹雪。やっぱり「東アジア」は同じ寒気団の影響下にあることを実感。寒い!コメント |トップ
□2010年3月9日(火) 北京日記 その6
 ひとり「北京ダック」 史料調査最終日。やはり朝から席の争奪戦。あぶれた5、6名は失望の表情を隠せない。なんとか私は5番手ぐらいですべりこむことができた。研究会でご一緒している先生方の姿もちらほらあったが、いずれも無事に席をゲットできたようだ。
少なくとも今回は1962年の松村と高碕の訪中に関する『外事簡報』(国務院外事弁公室編集の通報)を採録し終えたいのだが、いかんせん分量が多すぎる。また、外務省外交史料館のマイクロとは異なり、1頁あたりの字数もずっと多い。それに経済的な問題に関するものなので数字が多く、目もチカチカする。もうそろそろ「スマイル40」かしら。
これら档案はもともと「複写不可」だったので、遅かれ早かれ打ち込む必要があったのだが、実働2日半の史料調査では限界がある。今回の経費が12万とすれば、随分と高い史料である。こんな時には在外研究も考えるが、担当している講義を見れば一目瞭然。変わりがおらず、絶対に無理である(半期でやったら多分死ぬ)。
「仕事」が終わった後はとりあえずビール。北京駅前に安くて美味しい北京ダックの店があるので、そこで一杯。一匹の半分に餅やねぎ、甜面醤など一式、さらに鴨のスープ(首のお肉が美味しい)がついて48元は現地ならでは。カロリー・オーバーは気になるが、たまには良いだろう。燕京ビールで流し込む。
継続革命論に基づく国際情勢認識と「人民外交」という問題についてどう考えるか。「それだけ」で説明することも可能であるが、それではつまらない。シンポジウムなので何かしら問題提起しなければならないのだが、もうひとひねりが必要な段階。
仕事のメールを処理。やはり年齢構成上、「ロジ」系の仕事が多い。とにかく考えずに処理する。コメント |トップ
□2010年3月8日(月) 北京日記 その5
 大混雑@外交部档案館 終日外交部档案館にて史料の打ち込み。朝から席の争奪戦。なんとか電脳は残っていたが、「旧」目録閲覧用のものなのでとにかく動きが遅い(知っている人は知っている)。まぁ、複写申請をするわけではないので、淡々と相棒として向き合う。
昼休みに「華普」で安い「手機」を購入する。年に3〜4回出かけるのだがら元は取れるだろう。カメラも付いていない必要最低限のものだが、日本でも家族としかメールをしないような私にはこれで十分。それにしても3980元とか、4980元の端末がずらりと並んでいるとは...。ちなみ私のは198元。中国よ、どこへ行くのか...。コメント |トップ
□2010年3月7日(日) 北京日記 その4
天津の南開大学へ。旧交を深める。もちろん「研究交流」である。在外調査で来ているので詳細はご勘弁を。
正式には今日が父の三回忌。コメント |トップ
□2010年3月6日(土) 北京日記 その3
午前中は中央文献出版社などで史料の調査。午後は清華大学に。とにかく寒い一日であった。元気そうでなにより。コメント |トップ
□2010年3月5日(金) 北京日記 その2
 「到家賞」の「13元定食」 3か月ぶりの外交部档案館だが、史料の複写に関してまた新たな規定が...。詳しくは「中国外交部档案館の歩き方2010春」を参照されたい。
午前は档案館でひたすら史料の打ち込み作業。まったく複写ができなくなったため、精神的ストレスが重くのしかかる。とにかく限られた時間で史料を収集しなければ研究が進まないので、フルスロットルで手を動かす。
お昼は華普の地下にある「到家賞」で。いつもカードを日本に忘れてくるので、何度も作る羽目になっている。「押金」がもったいない。おばちゃんにも再び「回来了(おかえり)!」と言ってもらうことができ、なんとか落ち着きを取り戻す。それにしても「13元(200円)定食」はアズナブル、いやリーズナブルである。
その後、宿でひたすら史料を読み込む。コメント |トップ
□2010年3月4日(木) 北京日記 その1
バスに乗ってから気づいたのだが、家の真ん前のバス停から福岡直行の高速バスが出ていることが判明。いままでは交通センターまで出る必要があったのだが、今後は大幅に福岡行きの時間が短縮されることに。
後はいつもの通り。博多駅から地下鉄で福岡空港駅、そしてバスで空港のなかを走って国際線ターミナルへ。4階のレストラン街の「風月」で「カツとじ」を食べて出発。大連まで2時間。入国手続きを経て再び国内線で北京まで1時間20分。相変わらず16元でリムジンバスに乗り、北京駅で降りて近頃お気に入りの「宝辰飯店」に到着。ここはロケーションが抜群に良い。
 「李先生」の「加州鶏」 夜は駅前の「李先生」で「扣肉飯」と「加州鶏」、そして生ビールで済ます。1杯8元(日本円で120円ぐらい)なので、ついつい飲みすぎてしまう。メールの処理をしつつ、史料の読み込みを進める。報告の輪郭がようやくできてきた。コメント |トップ
□2010年3月3日(水) 再び「年度末だから...」
出張前は慌ただしい。午前中は档案目録の更新と収集済み史料の整理。日頃怠けているから出発直前にこういうことになる。
これと平行して大学の『入学案内』や学科のパンフレットの記事や写真を準備。そしてさらに平行して5月開催予定の九州中国学会の報告希望申請をとりまとめつつ、業界の厳しい現実を強く実感する。途中、天津の兄弟からメールが入り、いくつか映像資料を頼まれ、即座に手配する。あっという間にお昼になる。
午後は教授会と学科会議。もめるかと思っていたが、案外すんなり終わる。思いのほか数字が悪くなかったためか(基本、楽観主義です)。入学金払込締め切り直前の2日間はこのページのアクセス数がふだんの倍近くに跳ね上がっていた。「こんな先生もいるんだ」が決め手になってくれると良いのだが(そのための情報発信)。最後まで気を抜けないが、昨年同様を願いつつ、出張準備を進める。早めに帰宅して娘のひな祭りを祝う。大澤娘。ちらし寿司が気に入ったようだ。
送別会の幹事を依頼される。随分と手慣れてきた。これにて3月のスケジュールはすべて埋まる。コメント |トップ
□2008年3月2日(火) 労働組合
昨年は決選投票で辛くも「救われた」が、今年は「年貢の納め時」ということでトップ当選となった。とにかく「粛々」と臨みたい。コメント |トップ
□2010年3月1日(月) お勉強
終日研究室。月末にお話する予定の「1950年代」「民間外交」「東アジアと中国」という三題噺を考える。要するに「長崎国旗事件」とその後の日中関係を「民間外交」という観点から端的にお話せよという感じか。ただ、中国側の档案が開いて間もない部分であり、もとより1960年代は「これから勉強」といった感じなので苦戦している。
最新の研究は「第二次浅沼訪中(1959年春)」あたりまでカバーしてくれているのだが、いかんせん重要な「日中貿易三原則」から「LT貿易」にかけての中国の対日政策決定過程についてはまだ出ていない。「教官」だけが頼りなのだが、おそらくいまは研究どころではないだろう。自分でやるしかない...。
論点となるのは「人民外交」の「断絶」に関する評価、つまり「断而不絶」の評価と1960年代の中国の対日外交評価となろうか。何が変わり、何が変わらなかったのか。時間が30分前後なので、研究動向を踏まえ今後の研究展望をお話するぐらいになろうか。
中央大学総合政策学部の服部龍二先生より御著書を賜わる。『日中歴史認識―「田中上奏文」をめぐる相剋1927-2010』(東大出版会、2010年)。恥ずかしながら、出版前に一度原稿を拝読させていただいたからか、あとがきで謝辞を賜わる。内容に圧倒され、ただ「面白かったです」というコメントしかお送りできなかったのだが...。ただただ恐縮するばかりである。
「歴史に教訓を強引に求めようとすれば、歴史の誤用という危険を冒しかねない」(337頁)、「日本人であれ中国人であれ、自国を愛して将来を憂えることと、過去の歩みを謙虚に顧みることは、本来的に矛盾するものではない」(338頁)という言葉にうなる。
続けて森田一著・服部龍二、昇亜美子、中島琢磨編『心の一燈―回想の大平正芳 その人と外交』(第一法規出版、2010年)も賜わる。これも服部先生の財団研究助成プロジェクトの成果。私も一応は研究分担者なのだが、「遠方」ということもあり、ほとんどお手伝いできずに来ている。お仕事の確実さと早さにため息をつく。「研究する人生」について考える。コメント |トップ
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