Real Thing -Overture-



 眠気覚ましに、コーヒーを入れるために、一階に降りた。
 寒さが身にしみる時期にさしかかろうとする今。
 これから来る、本格的な寒さを乗り切ったその時、自分の顔に笑顔があればいいな、と思う。
 自分は今、中学三年、そう、受験生。

 ガスコンロの上に薬缶を載せ、火をつける。
 電子ポットにお湯の常備があればこんな煩わしいことをしなくても、とふと思ったが、この薬缶の中の水がお湯に変わるそんな短い時間も、結構気晴らしになるかもしれない、と思い直したりする。
 勉強以外のことを思案する自分が、少し新鮮だ。
 マグカップを棚から出し、インスタントコーヒーをスプーン2杯そこに入れた。
 続いて、角砂糖を入れた瓶を手に取った。
 何個入れようか…二個でええか…。
 すこし多いかな、太るで、と諭す自分と、疲れた頭には、甘いモノが丁度ええんやー、と言い訳する自分がいる。
 白い正六面体としばし見つめ合い…結局、二個、マグカップに落とした。
 …苦いのは、嫌いだから。
 ちょっと前、気取ってブラックで飲んだことがあった。
 苦くて、飲めたものじゃなかった。
 なんで、みんなはこんな苦いモノを好きこのんで飲むのだろ…、と思った。
 もっと成長すれば分かるのか、その理由…?
 でも、今は分からなくていい、苦いのは嫌いだから。
 …そう、苦いのは嫌い、何事も…。

 お湯が沸いた。
 薬缶がヒステリックに叫び、その事を自分に知らせる。
 その叫びから逃れるように、自分は薬缶をコンロから離し、お湯をマグカップに注いだ。
 2/3ぐらいで、お湯を注ぐのをやめ、薬缶をコンロに。
 冷蔵庫から、牛乳を取り出し、かき混ぜながらマグカップにそそいだ。
 …これじゃ、コーヒー牛乳だ…まぁ、いいか、自分にはこれがあっている…。
 そのマグカップを手に取り、二階の自分の部屋に戻ろうとキッチンを出た。
 と、その時、人影を感じ、その方向を向いた。
 母、だった。
「…なんだ…帰ってたん…?」
 おかえりも言えないのか、自分。
 いや…おかえりも言わせてくれないのか、あなたは…。
 そんな声に振り向いた母は、自分の姿を見ると…やはり、ただいま、などとは言わず
「…夕食はちゃんと取った…?」
 とだけ「確認」してきた。
 コクン、うなずく自分。
 そんな、みみっちく母親の領域を守り通そうとするかのような母から逃げるように
「…勉強、あるから…」
 とだけ言って、自分は空間を破壊し、階段を上り始めた。
「…がんばりなさいよ…」
 あまり激励にならなそうにない声が、下の方から響いた。
 …激励など、されなくてもいい。
 他人のためではない…自分のためだから。
 …少し急ぎながら、自分の部屋に入り、扉を閉めた。

 コーヒーを口にしながら、二日前に帰ってきた模試の結果を眺める。
 第三志望、A判定。
 第二志望、A判定。
 そして…第一志望、A判定。
 安全圏内だ、大丈夫。
 あとの二人も、A判定だった。
 幼なじみ三人一緒に、また歩んで行けそうだ…、いや、行ける。
 そのために、勉強してるのだから…。
 あの二人とずっと一緒に…それが、自分の原動力。
 自分が自分で居られるその場所を、いつまでも。



 塾からの帰り道。
 もう、10時近くだ…あたりは、暗い。
 今日も、模試だった。
 そんなに模試ばかりしてどうするのかと思う。
 試験慣れと自己の実力を推し量るため、か。
 でも、自分の実力の中にぐらい、希望をもたせてくれてもいいものだと思う。

「保科さん、どうやった?」
 帰り際、鞄に教科書を入れている私に、一緒のクラスの人が声をかけてきた。
「…別にどうって…いつも通りや」
 そう、答えた。
 相手は、んー、と言った顔をした後、「いつも通りってことはぁ…」と独り言のようにつぶやくと…今度は自分の方を向いて
「うまくいったんやね」
 そう、続けた。
 うまくいったのかいかなかったのか自分でもよく分からない。
 やれるだけの事をできる範囲でしただけだから。
 だから
「…うーん、どうやろねぇ…?」
 自分に尋ねる意味も込めて、笑いながらそう答えた。
「保科さん、頭ええから」
 嫌みとかではなく、相手が言った。
 自分を認めてくれている人がいると分かるそんな感覚、嫌いじゃない。
 ひとりぼっちじゃないと、分かるから。
 でも…間違ってる。
「そんなんちゃうよ…」
 はにかみながら、訂正した。
 自分は、頭がいいのではなくて、ただ、勉強ができるだけ。
 あれだけの時間を費やせば、当然の結果だ。
 そんなもん、だ。
 やればできるし、やらなきゃできないだけの話。
 今できなくても、本番でうまく行けば、万事おっけー。
 それに本番でも、信じられない次元で成功する人は成功するし、失敗する人はするだろう。
 …やるせないけど、それは事実だ。
 最後は運、と言うことかな?
「えー、そうかなぁ?」
 相手の軽く笑いながらの声に、我を取り戻す。
 かるくほほえみながら、
「最後まで、うまくいくとええな」
 そう、答えた、自分にも、相手にも宛てて。

 希望なんて、ない。
 あるのは大きな不安だけ。
 でも、今までの自分の積み重ねだけが、自信という名の力になり、それをはねのけてくれるのかもしれない。
 不安だ。
 でも。
 いままで通りやれば、きっとうまく行く。
 そう信じること、それが自分にとって一番大事。
 最後までうまくいくとええな…。
 そんな言葉を反芻しながら歩き…家にたどり着いた。
 制服のポケットから、家の鍵を取り出し…たその時、異変に気が付いた。
 いつもは誰もいないはずの家に、電気が灯っていたのだ…。
 空き巣っ!?
 あわてて、家に飛び込む。
 空き巣だったら、家に飛び込むのが危険行為だと言うことは、頭になかった。
 リビングに駆け込む。
 両親が、いた。
 …ちがった…か。
 安堵。
 だが、その安堵は…これからの直視したくない現実への幕開けでしかなかった。

 …両親がそろっている、その意味に…気づかなかったのだ…。
 …自分、アホや…。

続く





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