Real Thing -Reaction-
澱み、底が見えない池のような空間を、疲れきった声が引き裂いた。
「と…智子…」
耳を打つ母の声。
驚きを隠せない…そんな彼女の行動が、リアリティの無さを、場の異常さを自分に突きつける。
目を合わせようとする母の視線から、意図的に目を離す。
今は、母を正視したくなかった…事態の肯定を招きそうだったから。
一旦泳がせた視線を、今度は父に向ける。
自分の視線を感じた父は、腰をソファに落したまま、体を動かすことなく顔のみをこちらに向け、自分と目を合わせた。
見詰め合う瞳、語らない瞳。
そんな瞳を見せた後、父は小さなため息を吐き、すこし疲れたな、と言う風に微笑を浮べた。
微笑みの中に、自分への想いを感じ、心がゆれる。
「…父さん…」
小さな声で言った。
自分が思っていた以上に…はっきりした声が出た。
父はそんな私の声に、微笑みを絶やすことなく反応し、ゆっくりと
「…智子…わかるな?」
そう、言った。
分かる?
何を?
いや…自分は知っている…父が言いたいことも…何がおこっているかも。
だが、自分は、その言葉を目の前にいる二人のいずれかから聞きたかった。
自分が知っているというのは、あくまでも結果論にすぎないし、憶測で物を言いたくはなかった。
自分は、いわば部外者なのだ…、二人の結論は、あくまでも二人で下されたのだから。
「…なんなん?」
白々しく言った。
声が、ささくれ立つ。
強がりではない、ただ単にイラだっていたのだ…不快感。
「…」
「…」
牽制する二人。
そんなんやから…そんなんやからっ…!
「黙ってへんで、なんか言いな!!」
!
深夜だと言うことを省みず、大きな声。
二人の体が震えるのが見えた。
なんで娘にそんな脅えるんや…そんなに後ろめたいんかっ…自分のやってることに自信が持てないのかっ!
こんな状況に、今自分がいることが、苛立ちを召喚する。
「と、智子…お、おちついて…」
父が慌てて言う。
分かる、父が自分を心配させまいとこのような態度を取るのは。
だが、今の自分は、そんな遠回しな表現などほしくはないのだ。
「…おちついとるわっ…。せやから…何があったか、言いな…気になんねん」
冷静に、冷静に言った。
両親がそろっている、そんな普通の家族にとっては当たり前な事に動揺し、説明を求める。
自分の行為の特異性に、少し切なくなった…「冷めた」のかも知れない。
二人を見る。
両親は、どちらが話を切り出すかお互いを、目で牽制しているかのようだったが…しばらく間を置くと、やはり…思ったとおり、父がゆっくりと口を動かし…話を始めた。
前置きは不要と感じたのであろう…父の口から出た言葉は
「…智子…母さんと僕は…離婚することになった…」
そう、ストレートだった…。
その言葉は想像通りで、受け入れることに違和感を感じなかった。
この場の雰囲気からして、それ以外の結論に達することこそが、非現実的とか非日常的というものだろう。
願わくは、こんな非日常的な光景が日常的と受け止められてしまうような事態には陥ってもらいたくは無かった。
しかし、なんだろう…この落ち着きは。
今、自分は、気持ち悪いほどこの現実に客観性をもって接しているのを感じていた。
それどころか、なんだかその事態を笑い飛ばしてしまえそうな感覚さえあった。
先の瞬間までの、隠しとおしたいと感じていた動悸も心の闇に吸い込まれるかのように消え、その闇の中から、イヤとも思えない笑いさえも浮かんできそうな感覚に教われている自分がいた。
父が2人の出した結論を自分に伝えたこと、そんなことさえも笑いの対象になった。
いつだって母親はそうなんだ…自分じゃ…ね。
悲しいのかうれしいのか楽しいのか知らないけど、結局はそのときそのときで一番大切でかわいいのは自分自身なんでしょ。
アハハ。
…
アハハ。
…視線を泳がせるようにして、逃げる母と、こっちの反応を待っているかのような父。
…いまさら聞くことも何もないな…と、思った。
結論を聞けただけで、十分な気がしたし、これ以上何を聞いても言い訳以外には聞こえないとも思った。
父の口から出た言葉を、そんな言い訳として取りたくは無かった。
無理に微笑を作ろうとしている父の口元に目が行く。
母親に対しては、嫌悪感しか抱けない今なのに、父には哀れみさえも感じられた。
「…そ」
無意識に口が動き、一言だけ、そう自分がつぶやいた。
二人の視線が自分に向いたのを感じた。
今度は自分がそらす番だ…首を曲げ、あさっての方向を向き
「…決まったことなんやろ…いまさら私が何言ってもしょうがないやん」
言葉を続けなら、今度は首を追いかけるように身体を反転させた。
両親の顔と、自分の背中が向かい合う。
「…智子っ…!」
二人からの、意味の無い問いかけの言葉。
その言葉の後に、続く言葉など無いだろうに、なんでそんな無駄なことをするんだろう。
そんな無意味の繰り返しの結果が、こんな世界なんやろ…。
「…もう、勝手にしーや…。私のことも勝手にして…。ほな…勉強するから」
「…と…智子…」
思ったよりも軽い足を、部屋の出口で止めた。
背中から、声がかかると思った。
だが、言葉などはかからなかった。
…そんなもんか、自分の行為の無駄さをかみ締め、再び歩み出した。
いつもと変わらぬ歩みで階段を上り、自分の部屋へ。
制服を脱ぎ、普段着に着替えるというルーティンワークを本当にルーティンにこなし、机に向かった。
身についた習慣なのか、それとも吹っ切りたいのか、自分にも分からなかったけど、とにかく無意識に勉強をはじめた。
そんなことしか、できない自分が、少しだけ悲しくて…でも、頼もしかった。
『誰も信じられないような感じもわかるけど
自分を信じてあげなきゃあんまりかわいそうだよ』
…自分がかわいそうと思えるぐらい冷静なら、あんまりかわいそうでもないやん。
吐き捨てるように、そんな言葉を否定できそうな、そんな夜だった。
翌日は、机の上で朝を迎えた。
目を明け、その先に広がる景色がイヤにくっきりして見えたのは、眼鏡をかけたまま寝た証拠。
頭を軽く左右に振り、目を覚ます。
寝る、っていうのはすごいことだと思う。
時の流れを感じることなく、時に自分の身を委ねることができるのだから。
面倒なことだけを全部丸め込んで、睡眠という闇の中へ放り込んでしまえたら、もっともっと楽に生きれるんだろうに。
できれば苦労ないんだろうけど…苦労があるから人生なんて思えるほど大人じゃないし。
ま、楽して生きようなんて思っちゃいないけど、できるわけないし。
昨日、お風呂、入ってない。
シャワー浴びないと…下着の替えを持って、階下に降りる。
風呂への順路、ダイニングキッチンの前を通り過ぎた。
母はもう居ないようだった、ワカホリックの見本みたいな人だ、そう思った。
こんな時だからなのか、いや違う、こんな時でも自分のレールを歩めるのは、自立した、という意味で、理想的にも感じられるし、それだからこそなのか人間味を感じられなくて、二つの意味からあまり好感が持てるものでもなかった。
父は居た。
横目でその姿を見、しかし、喉まででかかった「おはよう」の言葉を再び飲み込んだ。
リフレイン…。
だが、その父が、自分の気配を感じたのか、こちらを見、自分の姿を確認した後、口を開いた。
その口によって紡がれた言葉が、単純な朝の挨拶だったら、どんな風にこの一日が変わっていただろう…。
「…智子。おまえは、母さんところにいくことになった…」
続く
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