『トラペジウム-四重星-』エピローグ



 それから、二年近くが経った。
 四人は、人生の門出を迎えた、卒業という名の。

 形が好きな日本人らしい、形式的な卒業式を終え。
 四人は、これから本当の卒業を迎える。

 後かたづけに追われた在校生の姿さえもまばらになった校庭の隅に、人影二つ。
 6年間の道を、ともに歩み続けてきた二人、あかりと志保だった。

「行くの?」
 そう、あかりが切り出した。
 あかりらしい「否定を促す疑問型」。
 久しぶりに、この口調を聴いた。
 あの日から幾月、あかりは自分に対し、「意思確認の疑問型」をよく浴びせてきた。
 心の成長を遂げた、自分へのはげましとでも言うべきか。
 この、あかりの自分へ言葉、そしてアプローチが、確実に自分の背中を押し続けてきた。
 だが、今回は、違った。
「うん、いくわ」
 そう、軽く答える、何事でも無いように、そしてまるで、その言葉の持つ意味に気づいていないかの様に。
 もう、私は、前しか向かない。
 今さえも見ない、そう、心に誓った、一時の「別れ」を振り切るために。
 今の私には、それが必要だ。
 自分の弱さに、負けないためにも。
「…そう…」
 淋しそうに、首を下げ、上目遣いで自分を見つめるあかり。
 続く言葉は分かっている、「浩之ちゃんと雅史ちゃんはどうするの?」だ。
 そして、すがるような、目。
 昔はよく、この表情を見た、いまは、滅多にしないけど。
 そう、あの表情だ。
「…犬」
 そう、ぽつりと私は言った、つづくであろうあかりの言葉を遮るように。
「えっ?」
 驚きの表情。
「その、表情。犬ちっくだ」
 そう言った。
「……」
 言葉を失うあかり。
 それはそうだろう、言われて気持ちがいい言葉ではない。
 それを分かっていながらも使ったのは、決して、見下した言葉ではないからだ。
 私にとっては、そんな表情も、あかりの魅力だと思うし、力だと思う。
 少なくとも、私にはない「武器」だ。
「その表情されると、なにもできなくなるし、言えなくなる」
 そう、私は続けた。
 再び、あかりは困った表情に戻った。
 きつい言葉だったのかも知れない。
「そんな顔しないでよ、あかり。…別に、永遠の別れって訳じゃないんだしさ」
 演技に近い、へらへらした声を出して、私は言った。
 この二年間で、ずいぶんとまぁ、自分を演じることができるようになったモンだとも、思った。
 ネガティブな意味の成長かも知れないが、それが処世術と言うものなのだろう。
「で、でも、浩之ちゃんと、雅史ちゃんに、おわかれ…!!」
 あ、言われてしまった…あーぁ。
 説明が、面倒なんだけどな。
「うーん…いいわ…やっぱり。未練残るし」
 そう、簡単に言った。
 あかりなら、分かってくれるだろう。
 あかりは、私の気持ちを知ってるはずだ。
 …私は、そんな自分の気持ちを、あかりにも伝えていない…。
 だが、そのおかげで、この二人の幸せを祝うことができて「いた」のだ…。
 「下手に」気持ちは伝えない方がいい、近い将来の為にも。
「私もまぁ…ね。うん」
 そう言って、ははは、と軽く笑った。
 微笑むコトが、私にはできないなぁ、と思った。
 なんで、声を上げてしまうんだろう…って、いつもは考えもしないことを考えてみたり。
 感傷的になっているのだろう、それなりに。
「…行っちゃうんだね」
 また、あかりが言った。
 話が、元に戻りそうになる。
 ははは、これじゃ、永遠にこのまんまだよ、あかり。
 心の中で呼びかけ、私はあかりのおでこに指をのばし、ぴんっと、軽くはじいた。
「…!?…」
「ははは、じゃ、もう私行くわ!!」
 言い放った。
「…うん…」
 やはり、少しトーンが低い、あかりの声。
 あのときのあかりとは、まるで別人だね。
 あかりらしいといえば、あかりらしいか。
「おいこらー、あかり。それが、経験派志保ちゃんを送り出す顔か?わらえー」
 私はそう笑いながら言い、あかりの頬に手を伸ばし、左右にかるく引っ張った。
「ひぃひょ、ひゃめへー!」
 あかりは、笑いながら悲鳴をあげ、手をぶんぶんと振った。
「あはははは!そう!そうゆーふうに、わらってなさい!」
 明るく言う。
「志保様の門出を見守ることができるのは、あんただけ!これは、名誉なことよー!」
 すべてをふりはらうがごとく、そう叫んだ。
「…ふふっ…」
 やっと、笑ってくれた。
 これで、私も笑いながら、別れることができる。
「んじゃ、ね」
 そういって、私は180度体を回転させた。
 もう、あかりの顔は見えない。
 足を校門に向けて、踏み出す。
「志保!またね!!」
 あかりが、大きな声を出す。
 別れじみていない、背中を押すかのような、強い声だった。
 ちょっと意外だな…あかりは、もう、ふっきれてんのか…すごいね、相変わらず!
 そんなコトを考えながら、卒業証書が入った筒をもつ右手を挙げ、かるく左右に振った。
 帰ってくるよ、また、いつか。
 自分のしあわせを、自分で見つけられるようになったら。
 そのときまで…あかり、またね、待ってなさい。
 そのときは…!

 校門から出た。
 もう、高校生長岡志保はいない。
 これからは、ジャーナリスト一年生長岡志保だ。

「おお、行ったか、志保」
 そんな声を背中に受けたあかりが、振り向いた。
 すると、そこには浩之と雅史が立っていた。
「…あ、浩之ちゃん…雅史ちゃん…いたの?だったら…」
 ゆっくりと、そんな言葉を口から出すあかりに、浩之が
「まぁ、いいじゃんか。別れは言ったんだし。何度も別れ惜しんでも、おかしーだろ」
 ははは、から笑いをしながら、言った。
「志保ちゃんも、行きにくいでしょ…。だから」
 雅史、続けた。
「ま、別れって訳でも無いしな。『サクセスストーリーの始まりよ!』とか怒鳴ってたし。いつか、ビッグになって、かえってくるんじゃねーか?」
 浩之も、続けた。
「それも、そうだね」
 あかりが言う、笑顔とともに。
 その笑顔を見た、浩之。
「志保、だからな!…今度は、俺たちの番だ。さ、行こうか!」
 雅史とあかりの顔を、交互に見ながら、言った。
 頷く二人。

 ぱんっ、とあかりと雅史の背中を軽く押すようにたたき、第一歩を促した浩之。
 三人も、また、新たな一歩を踏み出す。
 それぞれの道、だが、こころは四人一緒。
 現在もそうだし、未来もきっと、そう信じていける。

 「忘れなければ、いい」
 別の場所、別の空間で、四人それぞれが思う。

 「そのとき」の為に。
 そう、すべては、こころのなかに。


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