『トラペジウム-四重星-』Track No.2



 日々はすぎていく。
 改めて、自分の居場所の無さを実感する。
 朝、登校時に二人の仲を茶化す事ができなくなった、ただそれだけでも、志保には違和感があった。
 心の中の違和感は、疎外感に変わる。
 「ノリ」と言うもので、人とのつながりを確保してきた志保。
 そのノリが、いまいち浩之とあかりには通用しなくなった、そう感じる、…いや、感じてしまう。
 …すなわち、二人を感じられなくなった。心が。

 そんな現実を、見たくないとおもう。
 自分の存在を、確保したいと思う。
 だが、志保にとって、現実から背を背けると言うことは、その時の流れから自分を遠ざけるということと同義であり、流れに身を任せることで自分を保ってきた彼女とってそれは、過去どころか、今現在の自己否定とも等しい行為であった。
 彼女は、新しい位置を見つける必要性がある。
 志保も、それは分かってる。

 隙間を埋めようとの努力。
 だが、自分では、むりだ。
 自分より他人が自分を構成する、している志保にとって、自分で自分を形作ることは、不可能なのであった。
 その術を知らず…。

 言い寄ってくる男との帰り道。
 内面的な事はともかく、志保はそれなりにルックスがいい。
 進んでいると言ううわさもそれを後押ししていたのだろうが、アプローチをかけてくる男は、絶えなかった。
 こうやって、じぶんと合う男、さがしてるんだけどねー…。
 …なんか…ちがうのよね…。
 下心が見え隠れする男の笑顔と、相手を利用する為の志保の笑顔が、二人の間を交差する。
 そんな時が、つづいた。

 迷いを消せぬ日々が続き…そしてある日の放課後。
 ちょうど校門を出ようとしていた志保に、後ろから、耳慣れた声、落ち着く声。
 浩之の声だった。
「よぉ、志保、一緒にかえらねーか?」
 振り向く志保。
 その目に写ったのは、浩之・・・そして、あかりと雅史だった。
 視界に入ると同時に、浩之への感情は打ち切られ、誰へでもない嫌悪感が込み上げてくる。
 ・・・。
「今日さぁ、珍しく雅史の奴が、クラブ休みなんだよ。だからさ、久々に、四人でカラオケでも行かねーか?」
 屈託のない声、心地好く耳に響く。
 だが・・心がそれを否定する、別の世界の、人なんだよ、と。
 そんな志保を知ってか知らずか、あかりが声をかける。
「志保と遊ぶの、久しぶりだね・・・何か嬉しいな」
 いつどんなときも変わらないあかりの笑顔と言葉も、今の志保にとっては、心のすき間を広げる物以外、何者でもなかった。
 そして、さらにその横では、雅史が、何もいわず、にっこりとほほえんでいた。
 その笑顔を見て、志保のこころがざわついた。
 ゆがむ唇・・・。
 そして、声が出た。
「あたしは、遠慮しとくわ」
 えっ、三人が、同時にそんな顔をする。
 わたしが遊ばないのって、そんなに珍しいかしらね。
 そんな言葉を、心の中で反すうしながら、改めて3人を見渡した。
 中学入ってから、いままでずっとうまくやってきた仲間たちの顔を。
 そして・・・「決意」に近いなにかとともに志保は、やおら雅史の腕を取ると、自分のほうに、おもいっきり引き寄せた。
「?」
 驚き、同時に怪訝そうな顔をする雅史・・だが、志保の顔に、ただならぬものを感じ、おびえたような表情に代わる。
「ど、どうしたの?志保ちゃん?」
 あわてて雅史。
 続けて
「お、おい」
「し、志保?」
 と、二人。
 こんなときでも、二人一緒か、あなたたちらしいわね。
 そんなことを考えながら、雅史の方に顔を向け
「あんたは、あたしと一緒にきなさい」
 そして
「二人の仲を、邪魔するもんじゃーないわ。そりゃ、ヤボってもんよ」
 びしっと、雅史の鼻に右手の人差し指を当てながら、そう言った。
「し、志保?」
「おまえ、それってどういう・・・」
 横から、二人の声が響く。
 雅史は、呆気にとられているのか、なにもいわない。
 くるり、雅史の腕を握ったまま、振り向く志保。 
「邪魔物は去るわよー。じゃ!」
 笑顔と共に、手をあげ、大げさに別れの合図。
 そう・・・これでいいのだ・・・。

 と、右腕に違和感。
 雅史を握る手に、浩之の手が伸びている。
 体と体が触れ合う喜びとは裏腹に、怪訝な顔を。
「な、なにすんのよ!」
 荒い声。
 だがそれも虚勢だ、自分にはわかる。
 その自分の態度が、虚勢だと言うことがばれないか、大きな不安として襲いかかる。
 不安の海のなか、浩之と目が合う、怒った目、心が震える。
「おまえ・・・何言ってるんだ?」
 文章にすると、本当にあっけない、だが、今の志保にとっては何よりも威圧感のある言葉、だった。
「・・・あほなこと、言ってんじゃねーよ・・・!」
 志保の右手をつかむ浩之の手に、いっそうの力が掛かる。
 この力の強さが・・・私への想いだったら・・・!!!
 あたしだって・・・こんなこと・・・言いたくない・・・言いたくないのよ!!!
 見つめ合う、志保と浩之。
 そして、それを見守るあかりと雅史。
 ・・・そして・・・。
 志保は、唇をかみ・・・顔をゆがませ
「・・・あ、あたしは・・・!!」
 それだけ、たったそれだけ、強く、強く言い放つと、渾身の力で浩之の手を振りほどき、振り向き・・・坂を下っていった。

「・・・・・・」
 言葉が出ない、浩之。
 あかりのほうを向く、こいつなら、何か知っているかも、と。
 すぐに目が合う、あかりは、すでにこちらをむいていた。
「あかり?」
 問う。
 その問いに、あかりは少し深刻そうな顔をして
「・・・浩之ちゃん・・・たぶん・・・志保も・・・浩之ちゃんのことを・・・」
 そう言った。
 その続きは、口にしなかったが、続く言葉は、誰にでもわかるだろう。
「雅史、おまえ・・・」
 浩之は雅史にも振り向き、反応を待った。
「・・・うん・・・まぁ・・・ね、でも・・・」
 あかりも、雅史のほうを向く。
「あんまり気にしていてもおかしいし・・・」
 ちょっぴり困った顔で答える。
「あかり・・・」
 再び、浩之はあかりの方を向き、目を合わせる。
 こくん、
 あかりは一旦うなずいてから
「浩之ちゃん、行って」
 と声をかけた。
「・・・いいのか?」
 あまり適当ではない、それどころか愚問に近い言葉を発する浩之。
「信じてるから」
 あかりは、にこっ、っとわらいながら、そう答える。
 信じてる。
 それは、誰に対しての言葉なのだろうか。
「・・・わるい・・・!」
 そういうと、浩之は志保を追い掛け、坂へと足を踏み出す。
「浩之ちゃん!駅前のゲームセンターのところで、まってる!!」
 背中に、おおきくあかりのこえが響く。
 右手を大きく上げ、きこえたよ、のサイン。
 いやに冷静だったな、あかりのやつ・・・。
 !・・・そ、そういうことか。
 やれやれ、あかりも、外見ほど子供じゃないな。
 あらためて感じるあかりの大きさと比例するかのような大きなステップで、浩之は、坂をくだっていった。

「さ、私達もいこうか、雅史ちゃん」
「うん」
 答えながら、雅史。
 あかりちゃんはともかく、志保ちゃんは、自分の感情をコントロールできるコじゃないい…か。
 浩之、頼んだよ。

 坂を駆け降りた浩之。
 しかし・・・志保の奴、どこに行ったんだ・・・ったく。
 そんなことを想いながら、平坦になった道の上、足を動かす。
 家に・・・帰っちまったか・・・?
 とりあえず、駅まで行ってみよう・・・居なかったら、ピッチで呼び出したれ・・・あいつ、たしかもってたからな。
 と、目の前に、志保を見付けた。
 ゲーセンの前で、UFOキャッチャーと向かい合っていた。
 あいつ・・・なにやってんだ・・・?
 浩之は、足を緩め、後ろから志保に近づいていった。
 志保の操るクレーンが、ぬいぐるみをつかむ。
 もちあげる、クレーンが移動を始める。
 もうすぐ取り出し口、といったところで、ストン・・・ぬいぐるみが、クレーンから落ちた。
「あ」
 志保が声を上げる。
 きっと、ヒステリックな声を上げるに違いない。
 そう、浩之は思った。
 が、違った。
 まるでため息をつくかのように、肩が落ちる。
 こ、こいつ・・・いま見た肩が、今の志保のすべてだと、感じる。
 その肩に、浩之の手がのびる。
 つかんだ、そして、手に伝わる志保の身震い。
 あわてて志保がこちらを振り向く。
「な・・・!」
 驚きの声。
 そして
「なんで・・・」
 と。
 その言葉に答えるわけでもなく、浩之は一言
「志保」
 と呼び掛けてから
「信じてるから、俺たち」
 そう、言った。
 あえて、あかりが言った、と言わなかった。
 この「俺たち」にどれだけの意味が含まれているか、志保に考えてもらいたかった。
 志保は、そんな浩之としばらく目をあわせていたが
「そんな・・・」
 と、意味ありげにつぶやくと、くるり、体をそむけ、駅のほうに向かい、言葉なく足を踏み出した。
 浩之は、そんな志保の行動を制止したい衝動にかられてはいたが、じぶんの言った「信じている」という言葉を、自分自信、信じてみよう、そう思った。
 小走りに、駅に向かっていく志保。
 浩之は、その背中を見守り続けていた、駅前の雑踏に、その姿が掻き消されるまで、ずっと・・・。

 その場に立ち尽くす事数分、あかりと雅史がやってきた。
 その顔を見るや否や、浩之は苦笑いをうかべ、ふるふると首をふった。
 かわいらしく首をかしげ、こまったね、と言った風に苦笑いを返す雅史。
 だが、そんな男二人とは正反対に、あかりはにこにこ笑い
「だいじょーぶだよ」
 そう、言った。
「?」
 男二人が、何を根拠に?という顔をし、あかりを見つめる。
 その視線に答えるように、あかりはにっこりとほほ笑むと
「だって、志保だから」
 きっぱりと、笑顔で、そう、答えた。

 電車の中で、後方に流れていく見慣れた景色を心にうつしながら、志保。
 信じてる・・・か。
 ちぇ・・・なんか、あいつららしいわ・・・とくに、あかり。
 ・・・。
 あーぁ・・・。
 だめだ・・・「負けたわ」。
 ははは。
 まいったなー・・・ははは。
 確かな敗北感を心に感じながら、それでも、目の前にある景色は、いつも以上にきれいだった、そう、感じられた。

 翌日、朝、坂を上る志保は、少し前に、あかりと浩之の背中を見付けた。
 あ。
 ・・・うーん・・・ん、ま、しかたないか。
 とある言葉を、心の中でかみしめながら、志保は小走り。
 二人の背中に追い付くと、ぽん、と手を二人の肩に置いた。
 振り向く二人。
 その顔に、おどろいたといった表情はなかった。
 志保の心を安堵感でつつむ、何かがある表情だった。
 そんな二人をみて、志保はすこし面食らったが、だが、それもここちいいもの以外の何者でもなかった。
 きっと、こんな空間を作ってくれたに違いない。
 それに報いるためにも。
 すこしの勇気で、目をつぶり、うつむきながら
「ごめん」
 一言。
 口にしてから、ゆるりと目をあけ、上目使い。
 そこにあったのは、面食らったような浩之の顔と、にこやかにほほ笑むあかりの顔だった。
 上体を上げ、ふたりと向かい合う。
 なにを言ったものかな?そう、おもう。
 とまどいの中で。
 ちょっとこまった顔をしていた浩之だったが、あかりと目を合わせると、いきなりにやりと笑い、あらためて二人を見比べて
「まぁ・・・その・・・なんだ」  そして
「あかりー、おまえって、幸せモンだなぁー」
 すこしいやらしく、ふたりを見比べながら言った。
「もう・・・浩之ちゃんったら・・・」
 照れながらあかり、すこしぎこちなさそうに。
 そして・・・志保。
 すこし、浩之の言葉の意味を考え込んでいたようだが、答えがでた、彼女なりに。
「・・・ちょっと、それ・・・どういう意味よ!」
 ひさびさに、大きな声。
 さっきとはまた別の、上目づかい。
 これって・・・私・・・。
「さぁー?どーゆー意味でしょうねぇ?」
 こんどは、あからさまにいやらしく、浩之の声が三人の空間に響く。
「あんたねぇ・・・言っとくけど、別に私は、あんたの事なんて、なんとも思ってないんだからね!!」
 言ってから気づく、自分の言葉のもつ意味。
 頬が赤く染まるのがわかる。
「・・はぁ?おまえ、なにいってるん?」
 相変わらずな浩之、楽しんでるのだ、会話を。
 よみがえってくる感覚。
 そう・・・これ・・・なの?
 心が和らぐのを感じる。
 怒りだけど、そうじゃない、言葉では表せない自分の感情。
 ふたりの間に、そんな感情の空間が、よみがえった。
 そんな二人を、ふふ、あいかわらずだね、という風に見守っていたあかりが、志保の手をとる。
 手に感じる、人のぬくもり。
「さ、行こう!志保!」
 あかりが、声をかける。
 久々に心に響く、あかりの声、それは私への言葉。
「・・・うん!」
 答える志保に、あかりはほほ笑みながら、その手を自分に引き寄せた。
「ちよ、ちょっと、このまま行くの?は、恥ずかしいじゃない!」
 照れる志保に、あかりはいつもより大きな声で
「えへへ、いいでしょ、たまには!」
 と元気に言い放ち、志保の手を引きながら、坂を再び上り始めた。
 志保も、その手に遅れないように、足を踏み出す。
 そんな二人を見守るように、うしろを浩之が歩く。
 自分の手を引くあかりの手に、彼女の強さを感じる。
 自分を信じて、待ってくれていたあかり、その「待つ」行為は、彼女の強さだ。
 浩之を待ち続けたときも、そうだった。
 「待つ」とは、相手の心を信じること。
 相手を信じ続けられる事は、強い心のみに許された、行為。
 あかり・・・あなた・・・本当に強いね。

 迷走していた、心が消えた。
 ふたたび、自分の場所をとりもどした。
 あせりともつかない感情と共に失っていた物をとりもどした。
 心にかすかに残る失恋の痛みは、成長の証。
 それ以上に大きかったなにかへの喪失感も、成長の証だ。
 きっと、それらから得たものは、大きいはず。
 後ろにいる浩之の口元が、それをかんじさてくれる。
 あかりの手も、それを感じさせてくれている。
 自分を受け入れてくれる空間を、この3人は・・・!
 心に響く、おかえり。

 ありがとう。
 そして。
 いつの日か、あかり・・・あなたの様な心の強さを・・・私も・・・。

 心からの、ただいま。


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