『トラペジウム-四重星-』Track No.1 -居場所-
放課後の教室に、二つの影。
二人、親友同士。
神岸あかり、長岡志保。
「浩之ちゃんが…好きって言ってくれたんだ…」
そう、あかりが言った。
誰もいない放課後の教室の、窓の枠に手を置きながら、志保は外を望み。
沈みゆく太陽の祝福を受けているような、あかりの顔。
「…良かったね」
答える代わりに、頬をおさえながら、細く笑うあかり。
長い、恋…だった。
あこがれとか、淡い期待とか、幻想とか、いい意味でも悪い意味でも常に前向きな気持ちでいられる、ある面気持ちの一方的な押しつけ…が、恋ならば、二人、そのすべてを受け入れ、心から一緒になることが、愛だと思う。
いま、あかりは、志保の前で、自らの恋の終わりを宣言したのだった。
あかりの恋は、浩之とあかり、二人が共有する愛に変わった。
確かに、今までも、二人の間に愛は存在してはいた。
だが、それは、むしろ兄弟愛に近いものだったと思う。
二人の心の共有が、感じられなかった。
だから、志保は、そんな二人に割ってはいる事ができたのだ。
そして、そこを、自分の居場所にした。
あかりの気持ちに気づいてはいた志保にとって、それは確かに後ろめたい行為ではあったが、自分の気持ちを抑えられなかった。
不器用な、感情表現。
それしか、気持ちの表現の仕方も知らなかったし、むしろ、どうしても一歩前に踏み出せない志保にとっては、あいまいな場所にいるあかりの存在が、助けにもなっていたのだった。
結局、志保には、勇気がたりなかっただけなのかもしれない。
だが、それは、二人が面前で結ばれると言う、当然でありながらもっとも過酷な結論へと結びついてしまった…。
…そして、自分の居場所が、無くなった。
細く笑ったあかりの顔は、美しかった。
志保とあかりのつきあいは、もう5年にも及ぶ。
そんな長いつきあいの中で、もっとも美しい笑顔、そう断言できる笑顔だった。
…これがあかりの本当の笑顔、か…。
はじめて…見た気がするな…。
こんなにも美しい笑顔を引き出した浩之を、志保は素直にすごいと思った。
私といるときには…こんな笑顔は見せなかったもんね…。
さすが…ヒロだね…私の好きな人…初恋の人。
…。
それと同時に、くやしーな…、そんなことも思った。
あかりと自分の関係を、再認識せざるを得なかった。
あかり、浩之共々、自分より一つ上の次元を歩いている、そんな気分がした。
自分の手が、届かない。
…。
「どうして、そんな大事なこと、だまってたのよー!!そんなめでたいこと、早くおしえてくれてもいーじゃん!!」
明るく言い放つ志保。
言葉にかげりがなかった。
自分でもすごいと思うが、こんな時でも、プライドが心を上回っているだけなのだ。
そんな自分に、感謝するやらあきれるやら。
もう少しだけでも、素直になれたら、また違うんだろうな、そう思う。
「えー…だって…」
あかりは、少しうつむいて、胸の前で両手をもてあそびながら、そんな事をぼそっ、と言った。
言われなくても分かってた。
修学旅行前あたりから、二人の関係は、明らかに変わっていた。
クラスのみんなには、もう、神岸さんと藤田君はデキちゃってて、ふふふ、ねー、なんて暗黙の了解が以前からあった。
まるでペットのように、浩之の後を「つきまとう」あかり。
端から見れば、つきあってると思わない方がおかしい、そんな二人の関係だった。
実際は、何でもないんだけど…。
志保は、その二人の関係が言われているようなものではないことは承知していて。
しかし…ある時から、そんな二人の空気が何となく変わっているのに、気づいてしまった。
そして、それを突きつけられた出来事。
修学旅行。
旅先で、浩之が、あかりをリードしていた。
最初は信じられなかった。
普通の人にしてみると、いままでと変わってないように見えたかもしれない。
でも…でも。
二人は、一線を越えた。
二人は、一緒になった。
志保は、取り残された。
すくなくとも、志保は、そう感じた。
失恋の痛みよりも、まず、それを感じた。
恥ずかしそうに、旅先での浩之の事を話すあかり。
いつの間にか、話題がそうなっていた。
志保は、話など聞いてはいなかった、いられなかった。
その間…ずっと、あかりの顔を見つめていた。
照れと同時に、喜びにあふれた顔。
絶対的な、自信を感じた。
信じていて、信じられて、支えて、支えられて…愛して、愛されて。
私には、そんな人がいない。
…。
「…もう、今まで通りにはいかないかな?」
話が切れたのを見計り、はにかみながら、志保が言う。
「?」
首を傾げるあかり。
「これからは、いっしょに帰ったり、遊んだり、今までのようにはいかないかな、ってね」
言ってはいけなかったかもしれない。
でも言ってしまった。
ま、感情をコントロールできるほど、私、大人じゃないし。
開き直る。
「…えー、そんなことないよー」
ちょっとためらいがちに、あかりが言う。
…。
間。
「…もう、帰ろうか?おそくなっちゃったし」
声をかける志保。
「え?…あ、うん」
あかりが頷く。
志保が、床に置いておいた鞄に手を伸ばす。
あかりは、自分の席まで、鞄を取りに行った。
そんなあかりの後ろ姿を眺めながら、志保は思う。
私は、どうすればいいのだろうか、と。
女の友情なんて、男が絡めば、もうそれっきりよー、そんな言葉が、頭に浮かぶ。
私たちも、そうなのかしらね…あかり、どうおもう?
くるり。
心の中の疑問に答えるかのように、あかりが振り向き
「いこうか、志保」
呼びかけてきた。
…コクン。
ゆっくりとうなずき、一歩を踏み出した。
失恋の痛みも、確かにあった。
でも、志保には、自分の感情が、いまいち「恋」とは呼びにくかったし、あまり、考えたことはなかった。
確かに、ヒロのことは、好きだったし…初恋とも思ってる。
ヒロのさりげない優しさにふれることは好きだったし嬉しかった。
一緒にいると、喧嘩にもなったりしたけど、それはそれで楽しかった。
ヒロのことを想って、したりもした…ってか、それはいまもするけど。
でもねー…。
初めてヒロに会ったとき…たしか、中一の時だっけ?
あのときも、あかり、いたっけなー…。
どんなシーンを脳裏に浮かべても、浩之とあかりは、ワンセット。
…時間の問題。
そうだったのかもしれない。
いつか、あの二人はくっつくだろう、って思ってたし、その方が自然。
不思議と、納得いっちゃってるんだよねー…。
で…ね…怖かったのは、その後の自分。
どうなっちゃうのかなー…ってね…。
自分、見えてないモンね。
あかりと並んで坂を下る。
さて、何を話題にしたものか、そんな事を、志保は考えていた。
Track No.2につづく
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