A Day, The Day -AM part-




 AM6:00。
 日が目を覚まし地を照らす仕事を始めるのに合わせるかのように、俺も目を覚ます。
 とりあえずベッドから出てカーテンを開ける。
 二階の窓から、街を区切る道を眺める。
 低く眩しい光のあたる道は未だ夜の闇の余韻を残し、人影を受け付けない。
 遅い様で早い、そんな朝。

 AM7:00。
 小さな手が優しくドアを叩く音。
「おはようございますー」
 目覚し時計の様に正確に時を知らせる声。
 でも、それは目覚し時計のようなルーティンな物ではない、そう、あたたかさ。
「…おはよう」
「あ、起きてらっしゃったんですね」
「ああ…珍しいだろ?」
「はい!い、いつもは…っととと、そ、そんなことないですー、はわわっ」
 …素直なヤツだな。
 嘘と素直さと優しさというのはバランスが難しい、いわば三極天秤みたいなものだ。
 言葉にするにはもっと難しい技術が必要で、こいつにはまだその技術が無いけど。
 こいつには、その技術を覚えてもらいたくない。
 素直だけで言葉をつむげるようにしてもらいたい。
 そして、その素直さが優しさを引き出してくれれればもっといいと思う。
 …沈黙する俺に、慌てふためきながらおろおろするこいつの頭に手を乗せて
「メシにしようか」
 声をかけ、笑顔を見せる。
「…!は、はいっ!」

 AM8:00。
 TVからのニュース、海外発信のコーナー。
 興味も関心も無く耳を素通りしていくハズの、いつも変わらない遠くの非日常の出来事の中に、日常との邂逅があった。
「あ、志保さんですね」
 対面からも、声がした。
 4つの瞳が、プラズマディスプレイに、その中の人物に注がれる。
 Shiho Nagaoka -from SunFransisco-、とテロップがある。
「あいつ、今、サンフランシスコにいるのか」
「そうみたいですね」
 卒業式の後、卒業証書を入れる筒でコツン、と俺の頭を叩き「バーカ!」とめちゃくちゃな暴言を吐いたきり目の前から消えた長年の親友が、如何言うわけか英語を駆使しながらTVに出ている。
 あの後、あいつがレミィの両親の家に世話になりながら頑張っているんだ、という話はレミィから聞いて知っていたが、こんなになったか。
 …しかし、あの「バーカ!」という言葉の意味は何だっだんだろう。
 そして、今と昔の志保の違いは何なんだろう。
 …変われば、変わるもんだな。
 と。
「志保さん、すごいですねー」
 俺の複雑な想いを断ち切るような、物事を素直に見た感想が目の前から飛び込んでくる。
 そういえば。
 俺はTVのリモコンを取り、音声を切り替えた。
 流れる声が志保本人による英語に取って代わる。
「?」
「おい、これ、分かるか?」
「?」
「だから、英語」
「あ、はい。分かりますよ。一応、私にも翻訳機能はあるんです」
「ちょっと訳してみ」
「はい、わかりました」
 そう、返事をすると同時に、胸に両手を当て目を閉じ、すーっと息を吸い込む。
 一瞬息を止める。
 そして、次の瞬間から、同時通訳が始まった。
「…米商務省は、サンフランシスコで行われているWTO加入交渉において、中国側に一定の譲歩を提案することにより膠着する交渉の打開を…」
 まるで機械のようにスムーズに同時通訳をこなしていく。
 あ、機械かこいつは…と、そ、それより…こんな機能もあったのか…ふーん…あ。
「あ、もういいぞ、もういい」
 静止させながら、同時にTVの音声も切り替える。
「!…?…そ、そうですかー?」
 不思議そうな顔をする、無理も無いか。
「ん…いや、なんだ…俺の知らない機能がまだまだあるみたいだな、って」
「一応、マニュアルには書いてあるんですよ。妹たちは海外にも輸出されていますから、元からマルチリンガルに設計されているみたいですね。私は今のところ日本語・英語が標準で他はオプションなんですけど…あ、セリオさんは凄いですよ。標準で11ヶ国語がサポートされているんです!」
 楽しそうに話す。
「へー…」
 興味ありそうに聞くが、あまりよく分かっていない、実は聞いていない。
 それよりも、長いこと一緒にいるのに、自分が知らない事がまだあるのが少し切なかった。
 すべて知ったつもりだったのに。
 ただ、それだけだった。
 …画面の中にいる、志保も含めて。

 AM9:00。
「いってらっしゃいませ」
「おう」
 靴べらを左手で渡しながら、右手でドアを開ける。
「んじゃな」
 振り返りながら、家を出る。
 家の前の公園を抜け、駅に向かう。
 急ぐ人波が過ぎて街が一息つく時間。
 人の流れから遮断されたこの時間と空間が、俺は好きだ。
 否でも時間に束縛されなきゃならない時は在る、だから、そんな束縛から一瞬でも開放された錯覚に陥れるのは、たとえ錯覚でもやっぱり快感だと想う。
 と、ぽんっ、背中を叩く音と感覚。
 振り向くと、崩れ落ちた自分だけの空間の後ろに息を弾ませたあかりが立っていた。
「おはよう、浩之ちゃん」
「ああ、おはよう」
 微笑みながら、すっと俺の肩に肩を合わせるかのように、右隣に足を運ぶ。
 ちょうど俺の右腕にあかりの左肩が触れる直前に、俺は足を一歩前に踏み出した。
 二人、並んで歩き始める。
 高校時代は、あかりが半歩ほど後ろからついてくる感じだったのに。
 真横に位置するあかりに、その半歩に、あかりの成長が見えた。
「ねぇ?」
 昔からこう言うときに話かけてくるのは決まってあかりだったが、最近ますますその傾向が強まったと想う。
「ん」
 だけど、それは昔みたいな会話じゃなくて…うまく説明はできないが、確かに二人にある空間と会話は、高校時代とは別物なのだった。
「なにかあるの?今日?」
「…学校」
「ちがうの、そう言うことじゃなくて…」
 困ったように微笑むあかり。
 いや、分かっているけどさ。
「…別に」
「そう」
「お前は?」
「学校」
 …そ、そう言うことじゃなくてだなぁ…。
「うそうそ、何にもないよ」
 くすくす笑いながらあかりが続けた。
 こ、こいつ…。
 俺を茶化す様になりやがったか…は、はは。
 一時はどうなることか…と想ったが、じつは見かけ以上に強いのかもなこいつも。
 これだけホザければ立派なもんだ。
 ふ…ぅ…、空笑いとも言えるため息をついて
「…何かありゃいいのにな」
 言った。
「何か?」
「特別なこと」
 しりとりのように、想いを重ね言葉を続けた。
「私はあったよ」
 ほう。
「偶然な素敵なこと」
 起きてからまだ二時間も経ってないだろうに、その二時間であったのか。
「なんだ?この浩之様が聞いてやろう」
「浩之ちゃんに会えたこと」
 しれっと言いやがった。
 …。
 こ、こいつ…。
 あかりが右足を大きく踏み出して、肩半分ぐらい前に踊り出る。
「えへへ」
 しまり無い顔を俺に向け、笑った。
 自分の顔が赤くなっていくのが分かる。
 斜め前にいるあかりを見つめて、その肩半分の距離のリードが心のリードなのか、と強く感じる。
 もう、俺はあかりの中で、かつての「浩之ちゃん」じゃ無いのかもしれない。
 あかりの言葉に照れる自分なんて居なかったのにという戸惑いと。
「…あかり」
「なに?」
「…今、好きなヤツ、いるのか?」
「ううん」
 ゆっくりと、ちょっぴり顎を下に下げながら顔を横に振った…そうか。
 その首を振る速度に、あかりの心が感じられた。
 まぁいいやな、人が歩くスピードってのはあるもんだ。
「浩之ちゃんが好きなら、浩之ちゃんの自由を奪うのは止めなさい、ってねっ〜」
 独り言のように歌うように、あかりがつぶやいた。
「おーお、言ってくれちゃってまぁ」
 一言一言に勇気を感じながら。
 あかりもやっと気づいたのだろう、自由は自分の腕の中にある、と。
「浩之ちゃん、知ってる?」
「ん?」
「マルチちゃんってね、ほっぺたをつねってびーっと引っ張ったときにする、やめでくらしゃーい、っていう表情がものすごぉくかわいいんだよ」
 笑いながら突然、言った。
 …おいおい。
「う・そ。でも、かわいいだろうねぇ?…うん!やっぱり、それぐらいさせてもらってもいいよね」
 …やっぱり?
 …。
 …あはは。
 これだけチャカせれば上等か。

 AM9:30。
 足は商店街を、構内を、改札を通り抜け。
 俺達は、電車に乗った。

PM partに続く



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