日替わりげしょ定食

バックナンバー

[先月] [目次] [来月] [最新版] [トップ]


2001/2/6 261 あと100年 (テーマ:21世紀)

21世紀に入ってもう1ヶ月が経過してしまった。21世紀最初のエッセイのテーマはこれにしようと決めていたのだが、思いっきりタイミングが外れてしまった。物書きたるもの、数ヶ月前から季節ネタが書けないと仕事はできない。ましてや面倒くさいと言って書くのをさぼってしまっていては、プロにはなれない。

そういうわけで21世紀になったのだが、どこを見回しても昔の漫画で見たような「21世紀」の光景は広がっていない。リニアモーターカーも走っていないし、超高層ビル群も丸っこくない。エアカーも飛んでいないし、立体テレビなどもまだないし、人間型ロボットがそこらじゅうをうろついていることもない。という話をそこらじゅうで見かけた。某漫画雑誌では、このようなネタが複数の作品でかぶりまくっていた。みな考えることは同じらしい。

21世紀になったが、生活や技術は20世紀と変わらない。そこでがっかりしている人も多い。しかし、みんなが一つ錯覚していることがある。ここ1ヶ月だけが21世紀ではないのだ。今のところは歴史的には21世紀は1ヶ月しかたっていないが、21世紀は2001年から2100年まで続くのである。あと100年、今のままの技術水準が続くはずがない。

たとえばコンピュータ技術を見てみよう。ここ10年くらいのコンピュータの進歩は、ただごとではないくらい速い物である。さらに、ここ数年の進歩はさらに加速している。このペースでコンピュータ技術が進歩していくとすると、人間のような人工知能の開発も、時間の問題であろう。ロボットにしても自動車にしてもそうだ。この10年でこれだけ進歩したのだから、残りの100年でどんなものができても不思議はない。

しかし、がっかりする気持ちも分かる。たしかに21世紀は100年残っているが、あと100年生きられるわけではない。自分が生きている間に、漫画に出てきた21世紀が体験できるかどうか。その前に人類が滅亡しちゃったりするかもしれないが。



2001/2/7 262 ラケット野球 (テーマ:テニス)

このエッセイもネタ切れ気味だと思っていたが、意外にそうでもないのかもしれない。たまたま今テレビでやってた話でも、まだやっていない話題があったりして驚いてしまった。こんなことで驚いてどうする。

もうどこかで書いたかもしれないが、実は中学時代はテニスをやっていた。いや、やっていたというのは、かたぎのテニスプレイヤーに失礼だ。中学時代には軟式テニス部に所属していて、練習をさぼって友達としゃべっていたり、テニスのラケットとボールを使って野球をやったりして遊んでいた。軟式テニスのボールは変化球がよく曲がって楽しい。

なぜ遊んでいたかというと、レギュラーになれなかったからである。当時から自分が球技の素質はないことがわかっていたので、レギュラーになれることは期待していなかった。当時のうちの中学のテニス部はなぜか部員があふれるほど多かったので、下手組は遊んでるくらいがちょうどよかったのである。

しかし、こんなわたしでも、一度だけ試合に出たことがある。何年生の時だったか忘れたが、出場者を決める選考戦で妙に調子がよく、なぜか勝ち残ってしまったのだった。結果はあっさり負けであったが。今思えば、せっかく作ったユニフォームを使えた唯一の機会だった。

わたしのテニス人生はここで終止符である。早すぎだ。まあ、これからどうなるかわからないが。それにしても軟式テニスの道具でする野球は楽しかった。軟式だからボールもあまり飛ばないし、人が少なくても投げ当てアウトのルールが使えたのでよかった。機会があったらまたやりたいものである。



2001/2/8 263 過去のエッセイを振り返る

今日、ようやく過去に書いたエッセイの移植作業が終了した。というと携帯の人はなんのことかわからないと思うが、今まで手作業でやってきたエッセイの更新を、全部自動処理化させたのである。といっても携帯版のほうはやっぱり手作業だが。ともかくこれで更新も楽になった。

で、更新は自動化したものの、自動化したしくみに文章をぶち込むのは、手作業のようなものである。過去のエッセイも同様で、コピー&ペーストで260本のエッセイを貼りつけ続けるというのはなかなか大変だった。それでもエッセイを書く気になるのだから、自動処理さまさまである。

その移植作業中に見た昔のエッセイだが、そのままゴミ箱に移動したくなった。はっきりいって恥ずかしい。書いてある内容の見識が狭すぎる。こんなことを偉そうに書かなくてもいいのに、という文章もある。あげくのはてには、2年連続でゴールデンウィークにゴールデンウィークの話を書いている。しかも内容はほとんど同じ。休みだから暇だったはずなのに、ろくに見直しもせずに書いていたらしい。ちなみに昔書いたエッセイのうち、3本が今のところ行方不明になってしまっていた。1998年の5月あたまに書いたやつである。まあ、消えてしまったものはしょうがない。

しかし、こんな恥ずかしい文章も、今まで数年間公開し続けてきたのだから、いまさら消去することもないだろう。現在こんな文章を書いている人が以前はどんな文章を書いていたのか、という目安にもなる。というわけで、3日くらいかけてエッセイ260本の移植を完了させてみたのだった。

これだけ本数があると、どれから読んでいいかもわからない人もいるだろう。ベスト版のページも作りたいのだが、具体的な反響があまりないので、どれが好評だったのかがよくわからない。ということで、ベスト版に推薦したい作品があったら、是非教えてほしい。携帯の人は過去のものは見られないが、まあ通信代ももったいないのでパソコンで見ていただければと思う。



2001/2/9 264 名前の持つ力 (テーマ:ネーミング)

世の中にはとんでもない名前のネーミングがされた商品というものが、いくつもある。何を考えてそんな名前を付けたのか、そんな名前を付けて売れると思ったのか、誰がその商品名をつけることを決定したのか、いろいろ考えてしまいそうな名前のものが。

その中で、比較的有名なのがスベラーズであろう。知らない人のために説明すると、階段の段の端に貼りつける、すべり止めの商品名である。すべらないからスベラーズ。残念ながら受験のお守りにしているという話は聞かない。ビルなどの非常用脱出はしごの「オリロー」なども有名だ。日頃見ているとなんとも思わないが、それは感覚が麻痺している証拠なので、危険である。

わたしが見た中で、一番笑えた商品名。それは、大学時代に昔某大型スーパーでアルバイトをしていたときだった。品出しのために売場と倉庫を行ったり来たりしていたときに、その名前のものを発見してしまった。なんでもないポリ容器に入っていた洗剤なのだが、ラベルを見て固まってしまった。申し訳ない。ちょっとひっぱりすぎた。

で、そこにはなんでもないゴシック体の文字で「ヨゴレトレール」と書かれていた。洗剤を使うと汚れが取れる。だからヨゴレトレールなのだろうが、なんだか納得がいかない。納得する以前に、それ以上思考が進まなくなってしまった。あまりにそのまんますぎるネーミングに、虚をつかれた感じだ。いまだにこれを超えるすごい商品名に出会ったことはない。

あれから、同じ名前の洗剤を見たことはない。まあ業務用の洗剤だから、しょうがないのかもしれない。なんにしても、このような破壊力に優れたネーミングをつける人は、尊敬に値すると思う。



2001/2/11 265 ラジオの時間 (テーマ:ラジオ)

世の中はBSデジタルだハイビジョンだと浮かれ騒いでいるのかどうかは知らないが、いまだに普通のテレビも、そしてラジオも健在である。古いメディアもそれなりに価値があるので、残るものは残るのである。

で、ラジオであるが、わたしがもっともよく聴くラジオ番組は野球中継だったりする。家は電波の状況がよくないので、がんばって音を拾ってまで聞いてみたいものは、野球の中継くらいしかないのである。

昔から、ラジオを聴く習慣はあまりない。小さい頃から普通にラジオが流れている環境なら聴いていたのかもしれないが、残念ながらわたしの父はテレビ人間であったし、車の中でもテープを流すのが普通だったので、ラジオを聴くという発想自体ができあがってこないまま成長してきてしまったのである。

例外が車に乗るときで、CDやテープを持っていくのが面倒なときは、ずっとラジオを聴いている。ちなみにたいていはずっとFMの某局である。日本語の曲やトークはあまり好まないので、それが少ないところを選んだら、自動的にそうなった。高速道路はほとんど使わないので、交通情報はまったく役に立たない。

そんなわたしであるが、去年の夏には携帯ラジオを買ってしまった。目的は野球中継を聴くためである。テレビでは見たい試合をなかなかやってくれないので、ラジオを買って聴こうと思ったのだが、今度は仕事を辞めて移動をしなくなったので、用済みになってしまった。早くこのラジオを使えるようになろう。



2001/2/14 266 食うときは食います (テーマ:焼き肉)

焼き肉食べ放題〜と歌う、ヨーデル風の曲があった。わたしはあの曲はブームでも発売後でもなんでもない時期に初めて聞いたのだが、その頃はバカな曲だなーとしか思わず、まさかあそこまで流行るとは思わなかった。あれのおかげで焼き肉がブームになったかどうかはよく知らない。

そのブームに逆行するかのように、わたしは焼き肉をほとんど食べなくなった、一人暮らしで焼き肉をやっても、はっきり言ってむなしいだけである。鍋などは一人暮らし用のセットも見かけるが、焼き肉は見かけない。人とどこかに食べに行くとき以外に、焼き肉を食べるチャンスはなくなってしまった。

しかし、これでもわたしは26歳の若い男性である。食べるときは食べる。というより、焼き肉の時はたくさん食べなければいけない、と体にインプットされてしまったようで、焼き肉に行ったときはかなり食べないと満足できない。周りの人が驚くほど食べてしまう。

ちなみに家で焼き肉をやるときは、なぜか野菜ばっかりが焼かれる。初めてうちの焼き肉を見る人は、きっとすき焼きと勘違いするだろう。しかし、今となってはこの野菜だらけの焼き肉も懐かしい。人間というのは、ないものねだりをするものだ。ついでにあのブームのせいで、ヨーデルの曲もカラオケで歌えなかったのが悔しいところだ。



2001/2/16 267 途中から居眠りの話 (テーマ:昼寝)

昼寝は気持ちがいい。忙しいときでも、暇なときでも、真っ昼間にぬくぬくと寝るのは非常に心地がよい。風呂とどっちがいいかと言われると、ちょっと迷うが。そういえば、風呂で昼寝というのはやったことがない。焼き肉の後に昼寝というのも、このエッセイが初めてだ。

昼寝はなぜ気持ちがいいのか。さんざん考えてみたが、答えは意外と簡単だった。そう、寝るのはいつでも気持ちがいいのである。朝だろうが夜だろうが、眠いときに寝るのは気持ちがいいのだ。これはさんざん考える前に気づくべきだった。こんなに考えの回らない人間でも、エッセイは書けるらしい。

わたしは高校時代はよく昼寝をする人だった。クラスのよく寝る人ベスト3にランクインしたほどである。午前中も居眠りしていたことはしていたが、やはり昼過ぎにもっともよく寝ていたと思う。そういえば、昼寝をすると体がびくんとなることがあるのは、なぜなのだろう。あれで授業中に机の上のものを全部はね飛ばしてしまい、恥ずかしかった思い出が残っている。

それにしても、なぜ日本の昼休みというのは1時間程度しかないのだろうか。昼休みが2時間くらいあれば、昼食をとって昼寝をして、それから仕事なり授業なりをするから、もっと能率が上がると思うのだが。少なくともわたしの居眠りは減るだろう。このへん、ラテンやアラブの人たちを見習ってほしいところである。



2001/2/17 268 まさに代表 (テーマ:森)

今、日本で一番有名な森と言えば、ビルの人でもなく、横浜の監督でもなく、ましてや歌手やニュースでもなく、総理大臣のあの人であろう。さすが日本でもっとも重い責務についているだけあって、今日はこんな失言をした、今日はこんなけしからんことをしていたと、毎日のようにその発言や行動が伝えられている。一国の代表としてこんなふさわしくない人はいない、という声も多い。

しかし、あの人は今の日本をきわめて正しく代表している、と思えてならない。総理としての責任やなにかは置いといて、その言動を検証してみよう。

周りに指示されるまですることがなければ遊んでてもいいじゃないか、という考えは、よく批判された「指示待ち人間」を思い起こさせる。密室でいろいろ決めてしまうというのは、別に珍しいことではない。自分のことを棚に上げて周りに責任を押しつけたり、批判ばかりする図は、テレビをつければすぐに見られる。自分さえよければいいという考えは、そのまま今の世の中の風潮に当てはまる。

つまり、あの総理大臣の人は、今の日本人の悪いところを余すところなく正確に表現しているのである。総理を支持しないと言うことは、自分自身の行動をも否定することにつながってしまうかもしれない。この状況を打開するには、総理を支持するか、自分自身の行動を改めるしかない。さああなたはどっちを選ぶ。



2001/2/21 269 メインはどっち? (テーマ:ファミレス)

ファミレスに一人で入れる人は、すごいと思う。

少なくとも、わたしは一人で入ったことはない。ファミレスで待ち合わせをして、先に一人で来るということも考えられるが、そういう経験もない。ファミレスで食事をするときは、100%誰かと一緒である。そのため、一人で出かけることの多いわたしは、ファミレスに入ること自体がそれほど多くない。値段もそこそこするので、一人でファミレスに入るくらいなら、コンビニかファストフードを使う。

ファミレスを利用する場合は、食事の他に会話というか団らんというか、そういうものを楽しみたい、と思って入っているような気がする。わたしの場合、ものを食べること自体を面倒くさがってしまうたちなので、そういう付加価値の方に重点がいってしまいがちである。

ちなみに、わが家の周辺にはファミレスが大量にある。こないだまたパスタの店ができたりして、まだまだ増えそうである。毎日違う店を回っても、全部回るまでに2週間くらいかかりそうだ。が、上記のような理由であまり周辺のファミレスは利用したことがない。ファストフードもあまりないので、ラーメン屋かコンビニかスーパーか、という選択肢を利用することがほとんどだ。

そういうわけで、ファミレスに一人で入れたらなあ、と思うときが時々あったりするのである。やっぱり一人で入れる人はうらやましい。勉強とかをするのは他の場所の方がいいと思うが。



2001/2/23 270 rinkだとスケート (テーマ:リンク)

自分でホームページを作り、他サイトにリンクを張るという作業は、最初はなかなかどきどきするものである。人のページからリンクを張ってもらうのは、もっとどきどきする。カウンタの数字が増えたり増えなかったりするのもどきどきものだが、カウンタの話は過去に2度も書いたのでもういいだろう。

うちのサイトにもリンク集のページがある(携帯用ページにはないけど)が、作ってみてからリンク集の管理はとても面倒くさいことに気がついた。エッセイを毎日書くよりも、はるかに面倒である。はっきり言って1年もリンク集をそのままにしておくのは怠慢だ。

ページのアドレスというのは、けっこう頻繁に変わったりするものである。家や会社だってしょっちゅう引っ越したりするのだから、まあしょうがないことだ。しかし、それをチェックするのは結構難しい。うちのリンク集のように、よく見るページではなくおすすめページのリンク集を作っている場合は、なおさらである。何らかの理由で、リンクしたサイトが閉鎖されてしまう場合もある。これに気づかないでリンクしっぱなしというのも、気づいたときにはとても恥ずかしい。リンク集、リンク先ともに全然チェックしていないことがまるわかりである。

また、おすすめとしてリンクしたページよりも優れたページができる、というのもよくある話である。検索エンジンなどはその最たるもので、最近ではwww.google.comというエンジンがいいらしいが、まだリンクをしていない。鉄道の経路探索ページもいろいろいいものができているらしいが、全くチェックしていない。

そういえば、有名なリンク集ページは、たいていはリンクのページしかない。やはりリンク集の管理というのは、それだけ重労働なのである。エッセイ書いたり着メロ作ったりゲームやったりの片手間では、なかなか難しそうである。



2001/2/26 271 続きです (テーマ:リンク)

今日は、リンクをする際のマナーについて考えてみる。

基本的には、リンクについてはリンク先のページに書いてある注意書きに従うべきであろう。トップページのみと書いてあればトップページのみに、バナーを使えと書いてあればバナーを使い、許可が必要であれば許可を頂く。基本はこれだ。問題は、リンクについて何も書いていない場合である。

わたしは、この場合は基本的にはリンクフリーと考える。メールでお伺いを立てるのがもっとも正しい方法かもしれないが、アクセス数の多いページであれば、リンクは自由であるとみなしても良いと思う。

個人的には、リンクを断るという人の理由がよくわからない。赤の他人が勝手に自分のページを宣伝してくれる、というのだからいいことではないか、と思うのだが。 まあ、人の考え方にもいろいろあるので、この考えを強要するつもりはない。

まあそんなわけで、リンクをするときにはいろいろ考えてしまう。ネットの世界では共通の常識というものが存在しなくなってきており、自分ではこれでいいやと思っても、おしかりを受けてしまうこともままある。そういうわけなので、うちのページのリンク集はこのような形になっているのだった。



2001/2/27 272 相互はなんのため? (テーマ:リンク)

予定を変更してまた続きである。

リンクお断りもよくわからないが、それ以上にわからないのが、「相互リンク」という風習である。リンクされたらお返しにリンクしてあげるのが礼儀だ、という考えなのだが、その理屈が全然わからない。

自分のページをリンクしてもらえるというのは、たしかにありがたいことである。しかし、リンクしてもらったということと、こっちからそのページにリンクすることは、まったく別の問題である。リンクしてもらったからと言って、こっちからリンクしないといけないという強迫観念を持つ必要はないし、相手のページからのリンクを強要するのは問題外だ。

相互リンクという行為の理由付けとしては、リンクを張るというのはコミュニケーションの一種であり、お互いのページをリンクすることによって親睦を深めることができる、というのが考えられる。しかし、メールや掲示板の書き込みのほうが、親睦を深めるのには向いていると思う。

そんなわけで、うちのページには相互リンクのリンク集はないのであった。結果的に相互リンクになっているところはあるが、それはリンクのお返しにリンクをしたからではなく、リンクをしたくなるほどのおすすめサイトであったからである。

もっとも、うちのページに友人のサイトのリンクがないのは、これとはまた別の理由である。チャットとかいろいろなところに出入りしているので、ページを持っている知り合いの数が半端じゃないのである。知り合いのページを全部リンクするのはとても面倒な作業になるし、おすすめページだけを選ぶのも心苦しい。それならいっそのことないほうがいいじゃないか、ということで友人リンク集は作るのをやめたのであった。



2001/2/28 273 うるさい季節 (テーマ:猫)

初めてそれが猫の声だと気づいたのは、たしか浪人か大学に入った直後か、その頃だったと思う。

最初は子供が泣いているのかと思った。しかし、なんだか雰囲気が違うような気がする。誰かを呼ぶとかそういう感じではなく、何も考えずに声を張り上げている。子供でないなら大人かと思ったが、大人の人間の声には聞こえない。犬やら虫やら鳥やらでもなさそうだ。ということで、消去法で猫の声に違いないということに落ち着いたのであった。

浪人か大学に入った直後か、その頃までまったくあの声に気づかなかった、というのも、なんだか奇跡的である。気づく前には、聞いた覚えがまったくないのである。そういえば、声の発生源も、なかなか見つからない。うるさいから蹴っ飛ばしてやろうと探してみたこともあったが、無駄だった。

一度だけ、その現場らしきものに遭遇したことがある。先日、駐車場に車を入れようと動き回ってたら、車の下の猫2匹をおもいっきり照らし出してしまったのだった。あれは悪いことをしてしまった。人間相手なら間違いなく平謝りだ。しかし、ほんとにあの声の発生源だったのかどうかは、確認できなかった。2匹ともそのまんま逃げてしまったのであった。

猫というテーマで最近思うことと言えば、だいたいこんなところだ。そういう季節なので猫の声がうるさいのなんの。ただでさえうちの周りは猫が多いのに、これでまたたくさん増殖してしまうのだろう。増えてもとりあえず実害はない感じなので、まあいいか。でもやっぱりあの声はなんか気味が悪い。



[先月] [目次] [来月] [最新版] [トップ]

Powered by Akiary v.0.42