日替わりげしょ定食

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2000/2/3 244 ほとんど懺悔 (テーマ:ネチケット)

白状すると、わたしもいわゆるネチケットに反することをやったことが何度もある。そんな奴がネチケットについて語っていいのかというと、いいのだ。ネチケットを破ってしまい、その反省があるからこそ書けること、というのもある。

ちょっと前に、初心者についてエッセイで書いてみたとき、反論というか、お説教というか、そういうようなものを頂いた。そのときはあまり気にしなかったのだが、先日ネチケット関連のページを見て、自分の初心者の人への姿勢を見直すことができた。調べ方もわからない人に向かって、ただ「自分で調べましょう」と言うことが、礼儀にかなっているのか。すべての人に最低限以上の礼儀を持って接するのが原則とすれば、この姿勢は間違っていると判断せざるを得ない。

また、webページのリンクに関して、ネチケットという言葉を使いつつ議論したこともあった。その時に思ったのは、自分の中で常識になっていることを、「ネチケット」という言葉で片づけてしまうのは大変危険だ、ということである。どこまでがネチケットとして一般的に認められているのか、という判断はけっこう難しい。ネチケットに関する論争で結論が出ていない物もある。

インターネットへ接続する人の職業や年齢層、接続環境なども変わって来ている。このようなインターネットを取り巻く状況の変化により、ネチケットのありかたも変わってくるかもしれない。とりあえず、現在のように、人と相対するときのあたりまえのマナーまで、「ネチケット」とされているような恥ずかしい状況は、早くなんとかするべきなのではないかと思う。



2000/2/14 245 高速バスは本当に「高速」なのか (テーマ:高速バス)

かなり前に夜行について書いたが、あれから列車志向、鈍行志向はあまり変わっていない。しかし、最近は車や高速バスのほうがメインになっている。鈍行列車で貧乏旅行をしようと思ったら、18切符かフリー切符を利用するしかないのだが、フリー切符のしくみが変更され、あまりお得感がなくなってしまった。いまや、18切符が使えない期間には、車かバスを頼るしかない。やりにくい世の中になったものである。

高速バス自体は、大学時代からお世話になっている。つくばというのは陸の孤島のようなところで、東京に出るには高速バスを使うのが一般的だった。首都高速を経由するのでしょっちゅう到着が遅れ、待ち合わせなどをするには向いていなかった。携帯を買った理由の一つである。座席も狭く、長旅には向かないな、という印象しかなかった。

そんな印象を変えたのが、去年の夏に乗ったドリーム号であった。ドリーム号といえば泣く子も黙る、いや泣く子は迷惑で乗せられない夜行バスである。椅子の間隔も広く取ってあり、椅子自体もふかふかして寝心地がいい。値段の割に非常に快適だった。基本的にずっと寝ているので、休憩時間が短くても気にならない。渋滞はあったほうが到着が早すぎずいいくらいだ。

と思っていたのだが、やはり中距離バスはちょっとつらい。先週末に高速バスで長野に行ったのだが、席は狭いわ渋滞はひどいわで、ずっと寝ていたのに疲れ果ててしまった。こうなると、とりえは安いことしかない。だが、安いというだけで十分に魅力的だ。これで、鈍行列車のような旅情が感じられれば完璧なのだが。まあ、貧乏人が贅沢を言うのは、ほどほどでやめておこう。



2000/2/22 246 書く話し言葉と書く書き言葉 (テーマ:(笑)マーク)

ご存じの通り、このエッセイのページでは、(笑)マークや顔文字などは禁じ手に設定されている。しかし、(笑)マークそのものに関して論じるには、文中で使わないわけにいかない。というわけで、禁じ手を破っているじゃないか、という苦情は、今回に関しては受け付けないこととする。

インターネットのページをいろいろ見ていると、文章の中で(笑)マークや(爆)マーク、顔文字などが使われているのが目立つ。(笑)の意味はまだ分かる。しかし、(爆)という記号は、何を意味しているのかよくわからない。考えれば考えるほど、わからなくなる。初めてこんなものを見た人は、気持ち悪いと思うことだろう。

かくいうわたしも、チャットではこれらの記号はよく使うし、掲示板でも多用している。チャットや掲示板というのは、いわば「書く話し言葉」の世界である。実際の会話でこんな発言をしたらわたしは笑っているだろうな、という場面で(笑)を使い、爆笑しているだろうと思う場面で(爆)を使ったりしている。ようするに、座談会を文章におこす作業と逆のことをやっているのである。

だが、文章、つまり本当の書き言葉の世界で(笑)などを使うのはどうなのか。たとえば、なにかの説明文などに(笑)を使う場合、多用されると目障りになってくる。日記などの場合もそうだ。記号がなくても笑えるのに、(笑)マークを追加したせいでかえって笑えなくなってしまうこともある。Webの文章ならまだいいが、卒論などでこんな記号を使った日には、怒るのを通り越してあきれられてしまうだろう。

だが、このような用法は全面的に否定はできない。(笑)マークや顔文字混じりが効果的に使われている文章は、ラジオでDJがしゃべっているような感覚で読むことができる。ニュースのようなしゃべり方と、DJのようなしゃべり方があるように、文体にもこういうものがあっていいのではないか。

(笑)マークや顔文字は、まだ活字や手書き文字の世界では抵抗感があるが、読み物の世界を広げる力を持っていると思う。もっとも、どんなものでも使いすぎは禁物だ。要は書き手の文章力の問題である。



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