日替わりげしょ定食

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1999/8/5 231 なんだかんだ言っても歓迎してます (テーマ:初心者)

インターネットを利用する人も本当に増えた。どっかのコマーシャルではないが、メールアドレスを持っていないと意外な顔をされるくらいだ。最近では携帯電話単体でもインターネットを利用できるまでになっている。

インターネットを使いたいがためにパソコンを使い始める人も多い。当たり前のことだが、パソコンを使い始めたばっかりの人は、まだ知識も少なく、パソコンの操作自体にも慣れていない。インターネットにしても、なにもわからない状態から試行錯誤していくしかない。本に書いてあることもよくわからないことが多い。仕方がないから、わからないことは周りの人に聞くしかない。そこでつい口をついてしまう(あるいは、思わず入力してしまう)言葉がある。「初心者なので…」というやつである。

パソコンやインターネットの世界では、初心者を自認することのメリットは全くない。初心者であることのメリットも全くない。初心者だから周りに優しくしてもらえる、と思うのは大間違いである。初心者が優遇されるのは自動車の運転くらいである。だが最近は、初心者だと言えば周りがかまってくれるとか、質問に「初心者です」と書けば必ず期待した答えが返ってくるとでも思ってるのかな?、とも見える人が目立つ。もちろん意図してやっているわけではない人のほうが多いのだろうが、このように初心者であることに甘えている人が目立っているために、特にIRCでは自称初心者の人のイメージはあまり良くない。かえって冷たい仕打ちを受けてしまうのが落ちだ。

これはチャットに限った話ではないと思うが、詳しい人から見れば、初心者かどうかは発言その他を見ればわかるものである。それに質問を受ける側としては、問題は初心者かどうかなのではなくて、トラブルあるいはわからない事が解決できるかどうかなのである。それから、できることならひとに質問をするのは最後の手段にして欲しい。

ネット関係のたいがいのことなら、解説ページがどこかにある。オンラインソフトのだいたいの使い方はヘルプやReadmeファイルに書いてある。それらをよく読んでもわからない、その時こそ詳しそうな人に質問だ。もちろん礼儀やマナーは忘れずに。

いろいろ書いてきたが、別にわたしは初心者であることが悪いと言っているのではない。初心者だからなにやってもいい、と思っている人がいたらその考えを捨てて欲しい、ということが言いたいのだ。わたしだって昔は初心者だった。へんな質問をして怒られたこともある。しかしチャットをしているうちにいろいろな知識を手に入れ、それをもとにIRC普及委員会というページを作った。

インターネットを使っている以上は、ネットでお世話になった分は話になった分はネットのみなさんに還元しないといけない、と思ったからである。初心者の質問にもみなが答えてくれるのは、これと同じ理由であろう。他のことは何も知らなくてもいいから、初心者の人にはインターネットにある互助の精神を知って欲しい。



1999/8/9 232 わたしはフル活用しました (テーマ:教習所)

いまは学校も夏休みで、免許を取りに教習所に通っている人も多いことであろう。昼間に車で出かけたりすると、「仮免許 練習中」の板をくっつけた教習車をよく見かける。ついつい邪魔に思ってしまうが、自分もあれに乗っていた時期があったのだ。がんばって技能教習のキャンセル待ちをしていた頃が懐かしい。

教習所というのはなかなかおもしろい場所だ。待合室に行くと、いろいろな人がいる。男の人、女の人、若い人、けっこうな年齢の人、まじめそうな人、見るからにがらの悪い人、どこから見ても学生の人、職業不詳の人、怖くて職業が聞けない人、などなど。しかし彼らの目的はただ一つ、運転免許の取得である。

そして教習所で働く側にも、いろいろな人がいる。受付も愛想が良い人や悪い人がいるし、教官にもいろんな人がいる。しかしなぜかどこの教習所に行っても、同じようなタイプの教官はいるようだ。違う教習所に行っていた人といやな教官の話をすると、「あ、うちにもそういう人いた」となるので不思議である。とにかく口うるさい教官、女性にやたらと甘い教官、おしゃべり好きな教官、いたずら好きの教官、このあたりは全国どこに行ってもいるらしい。

大金を払うだけあって、教習所に通うメリットはいろいろある。正しい運転の仕方やマナーを自然に覚えられるし、最低限の交通法規も教えてもらえる。自分が運転に向いているかどうかもよくわかる。また、歩いている時や自転車に乗っているときにどう気をつければいいかも知ることができる。わたしも免許を取ってからは、自転車の無灯火運転は絶対にしなくなった。

日本ほど自動車運転の教習制度がみっちりしている国は他にないと聞く。かなりの金額を払わなければならないのがきついが、せっかくこういう制度があるのだから精一杯利用するのがいいだろう。



1999/8/15 233 楽ちんをとるか、楽しさをとるか (テーマ:無敵コマンド)

つらいことがあったときや試験前など、ああ、こういうときに無敵コマンドが使えたらなあ、と思うことがたまにある。普通の人はないかもしれないが、わたしにはあるのだ。無敵になれば試験に落ちることもない。つらいことで傷つくこともない。失敗することもないしけがもしない。人生無敵ならなんと楽ちんなことか。

しかし、無敵コマンドはなんだかんだ言って「ずる」である。正当にゲームを楽しむ手段ではない。無敵コマンドを使った状態でハイスコアを出したり全面クリアをしても、あまり楽しいものではない。多少のストレス解消にはなるかもしれないが、ほとんど時間の無駄な浪費である。

ゲームは敵がいるから、やられるかもしれないから、ゲームとして成り立っているのだ。人生だってそうだ。最初からすべてうまくいくことがわかっているのでは、やはりつまらない。つらいことや苦しいことがあるから、それを乗り越えたときの楽しみもひとしおなのだ。

しかし、ずるだろうがなんだろうが、欲しいものは欲しい。無敵コマンドも、つまらないとはわかっていてもあると知ればつい試してしまう。人間なんてそんなものだ。だいたいみんなが無敵なら平等でいいではないか。現実世界に無敵コマンドがあれば戦争もなくなるであろう。どっちも無敵では戦いにならない。戦いにならないのなら戦争をする必然性もなくなる。人類皆無敵なら世界は平和になるに違いない。つまらなそうなのは確かだが。

しかし人生の中で無敵コマンドを使うには致命的な問題がある。われわれ人間は、テレビゲームのような単純なコントローラーで操作されているわけではないのだ。コマンドを入れるとしたら、どのようなコマンドをどうやって入力すればいいのだろうか。しかもこういったコマンドは、普通に人生を送っていてはわからないように隠されていないとあまり意味がない。無敵コマンドというのは、それを探す作業自体も楽しみの一つなのだから。



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