日替わりげしょ定食

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1999/3/8 222 飼い主のひみつ日記 (テーマ:ポストペット)

チャットの友達からポストペットをもらってインストールしてから、はや1ヶ月が経過した。ペットで送信したメールは今のところ50通強。人からも結構な数のペットメールをいただいた。こんなにメールをたくさん出したのは、WWWページのアドレスを変更して以来のことである。

正直いって自分はポストペットには向いていないと思う。まず、以前のエッセイにも書いたが、わたしはかなりの筆無精である。雑談の手紙やメールなどはほとんど書いたことがない。以前がんばって挑戦したこともあったが、また書かなくなってしまった。また、家がずっと社宅だったので、わたしはペットを飼ったことがない。なので、ペットに対してどのように接していいのかもわからない。ペットを飼ってもメール送ることもないだろうし、ペットが家出しておしまいだろうと思いつつも、とりあえず始めてみたのである。

動物はどうも苦手なのでペットはひみつメカにした。こんなペットが選べるというのも、よくわからないソフトである。ペットを送る相手はチャットで調達。こういうときチャットは便利だ。2〜3通送ってみるが、その後1週間くらいはソフトを立ち上げすらしなかった。ポストペットを入れたことを、トップページでもアナウンスしてみたりしたのだが、人からペットが送られてくる様子もなかったのである。

ある日チャットでポストペットの話になって、その日はいろいろな人とペットをやりとりし、1日に10通も送ってしまった。その後は全くペットを送らない日があると思えば、何通もやりとりしてしまう日もある、という感じである。しかも送るメールには内容がほとんどなくて、ペットを送ること自体が目的になっている場合が少なくない。ひみつメカなどというマイナーなペットなので、これもある意味宿命なのかもしれない。

ポストペットエキスポに行ってから、このソフトもなかなか芸が細かいことがわかってきて、それなりに楽しめるようになってきた。やはりこのユーザーの多さはそれなりの根拠があるのだ。個人的にはほどよく間抜けなのがいいと思う。

それでも相変わらずメールを送ることはあまり多くない。やはり筆無精なのはポストペットを入れても変わらないようだ。



1999/3/12 223 音楽あるところにリズムあり (テーマ:リズム感)

去年にビートマニアが出てから、世の中はすっかりリズムゲームブームである。かくいうわたしもDance Dance Revolutionという踊るゲームにはまっていることは、ここのサイトを見てもらえばわかるだろう。最近ではギター型のコントローラーを操るゲームまでもが出現した。こんどはドラムのゲームまでもが出るらしい。他のゲームメーカーも似たようなゲームをどんどん出し始めた。こうなると、以前の格闘ゲームブームの時みたいに、うまい人しかできないゲームなどが出てきそうで、ちょっと心配である。

ともあれ、こういったゲームは、うまい人はめちゃくちゃうまい。ゲームの作り的にさらしもの感の強いものが多いので、自信のある人がやっている率が高い、ということもあるだろうが、初めてやってみているんだろうな、という感じの人でもけっこう上手にこなしている場面をよく見る。このような人は、やはり優れたリズム感を持っているのだろう。また、わたしは大学のジャズ研に在籍しているが、さすがにここではリズム感のある人がほとんどである。日本人はリズム感がない、という意見が当たり前のように通っていた時代が嘘のようだ。

しかし日本人は本当に昔はリズム感がなかったのか。たしかにシンコペーションなどに合わせられない年輩の人はいる。しかし本当にリズム感のない人が手拍子をたたけるとは思えない。慣れないリズムやテンポに遭遇すれば、対応できないのも仕方がないだろう。また、雅楽などを聴いてリズムのない音楽だと思ってしまう人もいるが、絶妙なリズム感がなければ、あの間は出せないとわたしは思う。祭囃子や太鼓なども、非常にリズミカルであり、外国のミュージシャンも感心するほどである。だいたい盆踊りなども、リズムがなければ踊れない。

なぜ日本人はリズム感がない、ということになってしまったのか。これはやはり外国音楽の影響、いや衝撃が強かったからであろう。外国にあるリズムだけを基準に日本人のリズム感を見れば、リズム感がないという結論に行き着いてもしょうがない。しかし日本人にも確かにリズム感はあったのだ。もちろんリズム感のあるないは人によって差がある。しかしこれは外国の人だって同じはずである。ものごとを一面的に見てはいけない、ということのいい例であろう。



1999/3/31 224 四年間を振り返って (テーマ:大学生活)

卒業式はすでに済んでいるが、学生証の有効期限は今日までになっていた。つまり、今日、1999年3月31日までわたしは学生だったのである。というわけで今日が学生生活最後の日だ。こんなエッセイのページも書いていることだし、せっかくなので4年間の大学生活を振り返ってみようと思う。

1995年4月4日、大学の宿舎に入居したその日からわたしの大学生活が始まった。学類の先輩方が開いてくれた新歓行事のおかげですぐに友達もでき、サークル活動にもそこそこ参加することができた。バイトも少しだけだけどやった。恋愛みたいなものもしてみた。勉強は全然しなかった。という、ごく普通の学生と変わらない生活を、1年生の最初のうちは送っていた。2学期あたりから、週1回東京に行ってアラビア語を習ったり、大学からちょっと遠いところにあるアパートに引っ越したり、チャットにはまり始めてみたり、多少変わったことをするようになってきた。

2年生の時は単位に燃えていた。最終的には78単位という異常な数を修得したが、もっと修得単位数の多かった人もいた。上には上がいるものである。それでいて必修単位を落としてみたりと、間抜けなところは変わらなかった。この年はエジプトに行ってみたり、相変わらず東京に通っていたりと、かなり広い行動範囲を保持していた。コンビニで長期のバイトなどもしていたが、自分が接客業に向かないと言うことを痛感しただけだった。

2年の終わりに自動車の免許を取り、3年になって自宅通学に切り替えてから、行動範囲はさらに広がった。そういえば車で名古屋まで行ったりもした。いまやっているバイトを始めたのもこの年である。本郷にある某大学にもぐったりもしていたが、役に立ったかどうかはよくわからない。そういえばWebのページを作ってエッセイを書き始めたのもこの年だ。なにも考えていなかった1年間のような気がしていたが、そうでもなかったらしい。

4年生の1年間は、あっという間に終わってしまったような気がする。大学院受験も就職活動もしなかったので、他の学生の人たちよりは忙しくなかったはずなのであるが、なぜかものすごい速度で1年間が終わった。まあ、サラリーマンのようなスケジュールでバイトをしていた、というせいもあるだろう。とにかくこの1年間は、やりたいことがほとんどできなかった、という感が強い。なにかをしたいのだがする気力がなく、あがいているうちに卒業してしまった。25年弱生きてきた中で、最も後悔している1年間であったとも言える。しかしまあ、実際にはできる最大限のことをできているのだと思う。

自分では納得のいかない点の多い大学生活だったが、他に同じような生活を送った人はいないに違いない、ということだけは自信の元になる点である。まだまだ人生先は長い。失点はこれから挽回すればいいのだ。

それにしても、わたしが今年卒業することを信じてくれない人がなぜか多かったというのは、どういうわけだろう。そんなにわたしに学生のままでいて欲しいのか。それともこういう生活をすると普通は留年してしまうものなのだろうか。まあいい。わたしは大学を卒業した。この事実はもう動かしようがないのだ。



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