日替わりげしょ定食

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1999/2/7 219 鳴くよウグイス (テーマ:語呂合わせ)

電話番号や歴史の年号のような、意味のない数字や記号の羅列というのは、非常に覚えにくいものである。たまにこの手のものを覚えるのが得意な人もいるが、これはあくまでも例外である。なぜ覚えにくいかというと、意味がないからである。言葉やものを覚えるとき、それらのものから想起されるイメージが大きなたすけとなる。しかし、覚えようとするものに意味がなければ、イメージを想起しようにもできない。

こうしたものを覚えるために開発されたもの。それが語呂合わせである。記号や数字に無理矢理読みを与え、何らかの意味が通る文章や単語に仕立ててしまう。こうすればイメージがなんとなくついてくるため、覚えやすくなる、という寸法である。とくに受験勉強などでは、この語呂合わせが多用される。受験知識の語呂合わせは、受験が数年前に過ぎ去ったいまでも覚えていられるほど、非常に洗練されたものであった。いい国作ろう鎌倉幕府。富士山麓にオーム鳴く。水平リーベぼくの船…などなど。さすがに数十年使い続けられているだけのことはある。

もうひとつ語呂合わせが多用されるのが、電話番号であろう。テレビのコマーシャルでも、電話番号に無理矢理な読みを与えているのをよく見る。しかしこれも語呂合わせがしやすい番号とそうでない番号があって、電話を引いたときなどに、見た瞬間に語呂合わせが思いつくような番号があたると、やはりラッキーと思ってしまう。語呂合わせをしにくい番号は、無理矢理に言葉を当ててもやはり覚えにくい。これはもうどうしようもない。

しかしこのようにして無理矢理に当てた文字列は、あまりたいした意味のないことが多いどころか、まったく意味不明になっていることもあるのに、それでもなんとなく覚えられてしまうことである。だが先にも書いたように、覚えにくいものはどうやっても覚えにくい。この差はどこからくるのか。だれかが研究しているのかもしれないが、残念ながらわたしはそちらの方面に詳しくないのでわからない。

それにしても語呂合わせの「語呂」という言葉自体も不思議である。「語」はまだわかる。だが「呂」とはなんなのだろう。考えれば考えるほどわからない。まあ、わかったからといって何かいいことがあるわけではないのだが。



1999/2/18 220 苦手なりにがんばってます (テーマ:カラオケ)

昔はカラオケもブームなどといわれたものだが、今では娯楽の一つとして完全に定着している。飲み会の後にカラオケに行くのはコンパの王道ともいえる。広く普及したおかげで歌える曲の数も増え、料金も非常に安くなった。新宿などに行くと、飲み屋よりもカラオケの客引きの方が多いかもしれない。カラオケのシステムと文化は海外にも輸出され、いまや世界的な人気である。これを発明した人は本当にすごい。

前にも書いたかもしれないが、実はわたしはカラオケが苦手である。なぜかというと、ポップスを聴かないから歌う曲がないのである。しかたがないので、昔はやってどこかで聴いたことがあった曲や、昔テレビでアニメを見ていて聴いた曲を歌ったりするのだが、これは一緒に行く人によっては非常につまらないと思われるだろうし、アニソンを歌うだけでオタク扱いする人もいる。通信カラオケではなくレーザーに当たってしまったりすると、本当に歌う曲がなくなってしまう。

それでもつきあいでカラオケに行かなければ行けないときもある。こういうときは、苦手なものは苦手なりに精一杯楽しまなければいけない。しかも、人前でなにかするからにはうけをとらないといけない、とつい考えてしまう性格なのがわたしである。そういうわけなので、わたしが歌えるレパートリーもコミックソングなどのうけねらいの曲ばかりである。同じ人と何度も行くとすぐにネタがつきてしまうので困ってしまう。がんばって開拓すればいいのだが、その暇もない。

もっとも、カラオケを歌えない人でもカラオケボックスで楽しく過ごす方法はいくらでもある。普段きかない曲も聴けるという、ポップスに疎いわたしにとっての利点もある。最近は歌うことを強制する人も少なくなったし、他の人が知らない曲を歌って文句を言われることもなくなった。そういう人とカラオケに行かなくなっただけかもしれないが。まあなにで遊ぶにしても、結局は一緒に行く人による、ということである。



1999/2/26 221 席は譲ろう (テーマ:シルバーシート)

電車に乗ると、シルバーシートという名前の席が必ずどこかにある。以前は先頭と一番後ろの車両にしかなかったが、最近では各車両にシルバーシートが設置されている。JRではシルバーシートという名前はなくなってしまったが、同じ趣旨の座席はちゃんとある。お年寄りや体の不自由な人が優先的に座れるようにと置かれたシルバーシートであるが、わたしはこんなものはない方がいいと思っている。シルバーシートの思想が悪いと言っているのではない。やりかたがまずいのだ。

まず、車両の端の一部分だけがシルバーシートに設定されていることがおかしい。まるで昔のアメリカのバスにあった黒人専用席のようである。差別されていると感じる人もいることであろう。また、本来は「優先席」であるのに、実際は専用席であるかのように使われているのも問題だ。電車が多少混んでいても、シルバーシートだけは空いている、という場面をよく見かける。逆にシルバーシートでない普通の席に座っている人が、シルバーシートではないという理由で席を譲らない、などということもある。

おそらくシルバーシートが考え出された当時は、お年寄りや体の不自由な人に席を譲る、という習慣が定着していなかったのであろう。わたしは当時のことは知らないので推測になってしまったが、いまやシルバーシートが意図した通りに機能していないことは間違いない。

お年寄りや体の不自由な人、妊婦さんなどには席を譲るべきだ、ということはどの席でも同じことである。いっそシルバーシートなどというものはなくして、お年寄りや体の不自由な人には席を譲ろう、という表示をすべての座席でするべきではないだろうか。すべての席を優先席にすれば差別と言うこともなくなるし、優先される対象の人たちも車両の端に追いやられることもなくなるのではないか。

などということを以前から考えていたのだが、同じことを考えている人が他にもいたらしい。阪急電鉄では、今月からシルバーシートを廃止し、全席を優先席にしたと聞いた。まさにわたしが考えていたことをそのまま実行に移した形になる。さすがは阪急だ。



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